第70話 狐人族





"妖魂ようこんの森"の中腹にある開けた場所に怒号が木霊こだましていた。



金棒と鋭い爪、そして拳がぶつかり合い、またどこかで血が流れる。

ここに相対し、衝突しているのは二つの勢力だ。


片や、キツネのしっぽと耳を生やした、イナリの同族である狐人こじん族。

もう片や、額に二本の角を持ち、武士のような甲冑かっちゅうに金棒や刀を携えた鬼人きじんの軍勢。


鬼人の肌は赤みがかっていたり青みがかっていたりと何色かに分かれている。

これは他種族で言う髪色のようなもので、肌の色は親からの遺伝で決まるらしい。

また、突然変異で滅多にない肌の色の鬼人が生まれることもあり、その鬼人は決まって能力が化け物級に高いのだとか。


仮にこの場にその鬼人が入れば、狐人族は抵抗する暇もなくあっという間に倒されていただろう。



"そんな化け物が鬼人の軍勢には居なかった"。



それだけが不幸中の幸いかもしれない。

しかし、狐人族はいわゆる少数精鋭のため、数で不利な事には変わり無い。

数からすると狐人族は約二十人。

対して鬼人は約三百と十倍以上の人数差がある。

これでは数の暴力で押し切られるのも時間の問題と言えよう。



「くっ!一体なんだと言うのだ………!なぜ酒呑童子様が我々を襲う!?」

「……………それは俺じゃなく、酒呑童子様に直接聞けばよかろう。もちろん、会わせはしないがな」



そもそも、彼らが酒呑童子の軍勢に襲われる理由は皆無と言って良かった。

酒呑童子の眷属である鬼人族とも良好な関係を築いていたはず。

それなのに、なぜ今自分達は襲われているのだろう。


青い鬼人が振り下ろした金棒をかろうじで避けた初老の狐人族の男性が、周りで応戦する同族達をちらりと見て、ギリッ!と歯を食いしばる。

今はまだ彼の仲間に負傷した者はいるものの、犠牲者は出ていなかった。


全ては彼と仲間の連携があってこそだ。

だが、それも徐々に崩れつつある。

やはり十倍の数の差は埋められなかった。


少しでも犠牲を出さない方法を考える。

背後の集落にはまだ逃げ遅れた非戦闘員及び女子供が残っている。

まず彼らを逃がす事が先決だ。


逃げるとしたら…………海の向こうだろうか。

それとも森林に沿って内陸に移動する?

じゃあその後は?

絶えない思考が彼の動きを鈍くした。



「もらった………!!」

「しまっ────!?」



キラリと黒光りする金棒が男性に迫る。

周囲で戦闘していた狐人族の人々が視界の端にそれを捉え、ついに最初の犠牲者が出る瞬間を脳裏に想像して絶望の表情を浮かべた。

同族だけでなく、鬼人までもが次の瞬間にはこの男がグシャリと金棒に押し潰される所を思い浮かべただろう。



しかし、実際にそんな凄惨な光景が彼らの目に映る事はなかった。



大きな金棒が男性に当たる直前、キンッ………!と澄み切った水色の剣閃が金棒を撫で、綺麗な断面を残して真っ二つに斬り裂いた。

下半分から切り離されて勢いを失った金棒が飛び蹴りを喰らい、宙を舞って鬼人の後ろに落下する。


目の前の地面に突き刺さった金棒の一部に、鬼人の一人が後ずさりしてへたり込んだ。


先程まで怒号が飛び交っていた戦場が一気にシン………と静まり返る。

青い鬼人は短くなった金棒を振り下ろした状態から動かない。


別に金縛りにあった訳でもなく、ただ顔も見えぬ目の前の男の圧倒的な魔力に、肉体と精神がひれ伏してしまったのだ。

全身から冷や汗が溢れて止まらない様子で、短い呼吸を繰り返していた。


鬼人族はおおむね全員が同じような反応で、既に無意識に武器を捨てて戦意喪失してしまった者さえ存在する。

彼の雰囲気に飲まれてしまったようだ。

彼らに相対していた狐人族は目の前の出来事に自身の目を疑い、続いてそれを起こした張本人と思われる少年を呆然と見つめる。


初老の男性もまた、自分を覆うように差す影と目の前に立つ二本の足に驚き、下を向いていた顔をゆっくり上げた。

彼らが目にしたのは、到底鬼人族の筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとした肉体とは比較にならないほど華奢きゃしゃな体の少年。

その容姿は少女と言われても違和感がない。


しかし、彼らはこの少年が鬼人族に負ける姿が想像できなかった。







          ◇◆◇◆◇◆







ふぅ、何とか間に合ったみたいだな………………。

俺は斬った金棒を蹴飛ばして、内心安堵のため息をつく。

ちらりと後ろの初老の男性を確認したが、致命傷になる傷は無い様子。


危ない危ない。

あと数秒駆けつけるのが遅かったら死者を出しちゃうところだった。



あれから無事に森林を抜けた俺とクロは、途中の集落を抜けて急いでここにやって来た。

一時はどうなるかと思ったけど、まだ戦いが始まってからそう時間が経ってなくて、狐人族側に犠牲者が一人も出ていなかったのは不幸中の幸いだ。



「き、貴様………何者だ………!?」



目の前の青い鬼人が、冷や汗をダラダラ流しながらなんとか顔を上げ、俺を睨む。


お………魔力で圧をかけてるのに動けるのか。

こいつ敵ながら結構やるな。

思わず感心してしまった。

〈鑑定〉で確認した時も一番でかい反応だったし、こいつは指揮官的な上級の鬼人なのかもしれない。



「クロ」

「ん」

「っ!?」



俺が名前を呼ぶと共に俺の背後から姿を現したクロに、一同が信じられないものを見るように目を見張る。

それもそのはずだ。


きっと彼らは俺一人の気配しか感じていなかっただろう。

それなのに、突然もう一人が姿を現せば驚くに決まっている。


さて、俺の魔力を浴びて動けないうちに、さっさと



「クロ、こいつらは

「ん。わかった」



返事をした瞬間、クロの姿が消え、向こうの方で鬼人の倒れる音が聞こえた。

同族が突然やられ、それを境に鬼人達が鈍いながら動きを再開する。

だが、彼らに先程までの勢いは無い。


金棒を持つ手は震え、踏み込む足はいつしか後ずさりしてしまう。

俺達が鬼人族の軍勢三百人を捕縛するまで、そう時間はかからなかった。





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