第15話 真相

 暗室の中、葵の顔は強い光源に晒され白く浮かび上がる。

 彼女は、灯りもつけずカタカタとPCを操作し、眩い画面に映し出される文字に目を走らせた。


「あれは・・・・・・ただの悪夢ではなかった・・・・・・」

 夢だと思っていた出来事が現実だったと改めて知る。

 読み進めると恐怖に肌が泡立ち、自身の両腕を抱えた。

  

 猛スピードで走行する二十九歳男性の運転する乗用車の前に、突如、高齢の女性が飛び出した。女性を避けようとしたドライバーは急ハンドルを切り、勢いよくセンターラインオーバーし、対向車線を法定速度で走行してきた軽自動車に正面衝突した。

事故の衝撃で弾かれた軽自動車は、歩道に乗り上げ歩行者を巻き込む大惨事となっ

た。事故の被害者となったのは、この春小学一年生になったばかりの住吉遥ちゃん七歳。歩行者を轢いたのは、この春高校を卒業したばかりの十八歳の少年A。無情にも少年Aは事故の被害者でもあった。


「少年A・・・・・・」


 葵の意識は、あの悍ましい過去にダイブする。

 心拍数は急激に上がり、心臓の鼓動は激しさを増し息苦しさを覚える。 

 葵の脳裏に、あの時の光景がフラッシュバックし、ピクリと反応する。

 忘れていた記憶が蘇る。そうだった。あの時少年は、負傷しながらも懸命に遥を助けようとしていた。


『きゃあああああ~!』

 絶叫する葵の視界に飛び込んできたのは、車の下敷きになった遥の無残な姿。


『遥ちゃん!遥ちゃん!!』

 遥はピクリともしない。


 遥の身体から滲み出る血液は、まるで生き物のように地面を伝わりアスファルトをどす黒く染め上げた。

 葵は、ぶるりと見を身を震わした。

 

 そこには、頭から流血し両手を真っ赤に染めた少年が、泣きそうな顔をして必死に遥に声をかけていた。

『誰か!誰かー!手を貸してください!車を持ち上げるのを手伝ってください!』

 

 少年は自らも怪我を負っているというのに、悲鳴のような声をあげ車の下敷になった遥を助けようと懸命だった。

 少年の着ていた白いTシャツが、頭部からポタポタと流れる血液でみるみる真っ赤に染まっていく。その光景に怖気だち血の気がひいていく。

 

 ――これは夢。今、私は怖い夢を見ているんだ・・・・・・


 その場に居合わせた人たちの力によって軽自動車は持ち上げられ、遥は救出された。

 だが、遥は反応しない。


『遥ちゃん!遥ちゃん!』

 葵は、泣きながら遥の名をひたすら呼び続けた。

 

 ――怖い夢から覚めなくては!


 その時、葵を見上げた少年と目が合った。

 何故だか、少年の顔だけがモヤがかかったように思い出されない。

 けれど、少年のどこか悲しげな表情がいつまでも忘れられない。


 ――あなたは誰・・・・・・?


 記憶はここまで――。葵は、深呼吸を繰り返し呼吸を整える。




 ここ数週間に、何度か救急搬送されてくる患者さんがいた。

 小暮信二という中年男性だ。

 その患者はきまって、突然の意識消失にて救急搬送されてきた。

 今回も同症状にて搬送され、今救急室のベッドで休んでいる。数日前に精密検査を行った結果、異常なし。原因不明にて診断名には疑いの文字が。


「あたし、あの患者さん苦手だな~」

「どうしてですか」

「さっきからこっちをじっと観察しているような目が気持ち悪いっていうか。見た目からして無理。だから『声をかけてくれるなオーラ』を出して避けてる」


 先輩看護師の森山のいう通り、小暮はじっと見ていると感じることがある。

 目が合うことはなく、虚空を見つめているといった感じだ。不思議な患者だ。

 だが、葵にはそう悪い感じは受けなかった。




「すみません。東雲さんといったかな。ちょっといい?」

 何度か来院する度にすっかり名前を憶えられていた。

「はい。どうされましたか?」

 小暮は葵を見て微笑んだ。

「こんなこと言って気を悪くされないかな?あなたを見ていて、いつも気になっていたことがあるんだ」

「?何でしょうか」

「東雲さんが歩いた後は、ピンク色のオーラが長く糸を引くように見えるんだ」

「え・・・・・・?今、オーラって言いました?オーラが見えるんですか?」

「うん。僕はね、いろいろなものが見えるんだよ。でね、ちょっと後ろ向きなってくれるかい?」

 葵は、おっかなびっくり言われるままに従った。


「うん、うん。あなたの背番号はエイトだね」

「エイト?」

 小暮は、葵の背を見てそう言った。

「生年月日教えて」

 葵は戸惑いながらも生年月日を教えると、小暮は何やら頭で計算し「やっぱり」と言って微笑んだ。

「8という数字は無限大。チャレンジャーのあなたは、波乱万丈な人生を送るよ。今まさに人生が大きく変わろうというところに差し掛かっているね。でもね、大丈夫。自分の心のままに生きることだね。あなたは強がるけれど、もっと弱音を吐いてもいいんじゃないかな。相談に乗ってくれる人いるでしょ」


 何やら、いきなり占い鑑定が始まった。この患者さんは一体何者なのだろう。

 葵はこれまで誰にも弱音を吐くことが出来ず苦しんできた。相談できるようなそんな人が身近にいたらどんなに気持ちが楽だったことか。


「確かに、今私は人生の岐路に差し掛かっています。でも、相談できるような人はいません」

 小暮は嘘でしょといった表情を浮かべた。

「いますよ。あなたのすぐ傍に」

「傍に?」

 葵の頭の中に桐生が思い浮かんだ。

「そう、その人!あなたは今、その人に恋してますね」

 まるで、頭の中まで見えているかのような発言に目を瞠る葵。


 ――私が、桐生先生に恋してる・・・・・・?


 葵の表情を見て小暮はフフッと微笑んだ。

「あ、それから。他の看護師さんにこの話をしないでね。あなただけ特別です」

「あ、あの。どうして私だけ?」

 小暮は再び葵を見て小さく微笑んだ。

「あなたは心根の美しい人だからですよ」

 心を見透かされているようで、葵は一瞬ドキリとした。


 小暮という不思議な患者さんは、葵に心のままに生きろと言った。

 だが、葵はこの時はまだ、それが意味することが何なのか分からなかった。




 夫が久しぶりに自宅に戻ってきた。

 子供たちが留守の時間帯を見計らって、離婚の話し合いがもたされた。


「・・・・・・子供たちの親権は俺がもつことにする」

「え!?どうして?」

「それがいいと思ったからだ」

「お腹を痛めて産んだ子たちよ。私から子供たちを奪わないで・・・・・・」

「俺の子供でもある」

「・・・・・・私たち、どうにかならないの?」

「無理だ・・・・・・」

「私は、これまでのようでも構わない。でも。もし、かず君がどうしても離婚したいというのならば・・・・・・話は別だけど・・・・・・」

「・・・・・・わかってくれ。俺はお前をこれ以上苦しめたくないんだ」

「子供たちは私が育てます。子供がいたら困るのは、かず君のほうではないの?」

「俺はこれから、子供たちのためだけに生きていこうと思う」

「どういうこと・・・・・・?」

「・・・・・・彼女とは別れた。もう会うことはない」

「だったら・・・・・・子供たちのためにも、私たちやり直した方がいいのでは?私は・・・・・・私は、それでも構わない・・・・・・」

「無理なんだ・・・・・・」

「どうして?それでは子供たちがあまりにも可哀想・・・・・・」

「・・・・・・お前といると苦しいんだ・・・・・・」


 ――え・・・・・・!?


 夫の言葉が葵の胸に刃のように突き刺さる。

「どういうこと?私って、かず君にとって私の存在は、苦痛でしかなかったの?」

 葵の唇が、指先が震え出し、視界はぼやけて目の前の夫が歪んで見えた。


「ごめん・・・・・・違うんだ・・・・・・葵は何も悪くない。全て俺が悪いんだ・・・・・・」

「かず君が何を言いたいのかよくわからない!」


「・・・・・・俺はあの時、助けることなんてできなかった・・・・・・」

「何のこと・・・・・・?」


「あの事故で、君たちを巻き込んだのは俺だ。遥ちゃんの命を奪ったのはこの俺なんだ!」

「かず君・・・・・・!?何を言ってるの・・・・・・?嘘って、言って・・・・・・」

 葵はかぶりを振ると、遠い悪夢の記憶を手繰り寄せた。




『遥ちゃん!遥ちゃん!』

 あの時、葵は泣きながらひたすらその名を叫び続けた。

 すると、悲痛な叫びに応えるかのように少年は顔を上げ、真っ赤に染まった手を葵に向かって伸ばした。


 記憶の中の少年の顔から、モヤが徐々に消えていく・・・・・・

 葵は息を呑む。


 ビクリと身を震わせ恐怖に慄く表情で一樹を見て怯える葵。

 一樹が一番恐れた瞬間だった。

「そんな目で・・・・・・俺を見ないでくれ・・・・・・」


 葵はかぶりを振りながら後退りすると、踵を返してその場から逃げ出した。


『あの事故で、君たちを巻き込んだのは俺だ。遥ちゃんの命を奪ったのはこの俺なんだ!』


 夫の衝撃的な一言が、頭の中で何度も何度もリフレインし離れない。

 あの時の少年は、夫だった。

 あの時、夫も負傷していたというのに、悲鳴のような声をあげ車の下敷になった遥を助けようとしていた。夫も、あの事故の犠牲者だった。

 だが、結果的に遥の命を奪ったのは夫だ。


 遥ちゃんのお墓の前で声を出して泣いていた夫。胸が締め付けられる。

 これまで長いこと罪の意識に苛まれ苦しんできたに違いない。

 夫の心を知りたいと思った自分に酷く後悔した。


 真実を語れない夫の苦悩を改めて理解した時。

 長い間、夫を苦しめ追い詰めてきたのは自分だったことに気づいた・・・・・・。

 だから、怖くて夫から逃げてしまった。


 ――気づいてあげられなくてごめんね・・・・・・私が一番あなたの傍にいてはいけなかったんだね・・・・・・



 気づけば辺りはすっかり暗くなっていた。

 帰宅を急ぐ人々の波に抗うように呆然と歩く葵。

 いつしか降り出した冷たい雨にうたれながら夜の街を彷徨い歩いた。


 ――ごめんなさい・・・・・・かず君・・・・・・


 降りしきる冷たい雨を見上げると、雨が代わりに泣いてくれているようで。

 だからまだ・・・・・・帰れそうにない・・・・・・

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