1-B 公爵
予知夢を見た日の夜は天気が急変した。穏やかだった波が黒々とした濁流へと変化し、心地よい波音が激しくなっていった。空も海と同じような黒々とした色に変わり、濁った雲の狭間からは時々腹に響く音とともに光の樹が浮かび上がっては消えた。この日は冬のように冷え込んだ夜で、ポールは暗い外を窓から眺めながら、公爵を待っていた。公爵とは〈梟〉機関を管理する一族であるパレルソン家の長が襲名する爵位だった。爵位を持つ家は他に二つしかない。その中でもパレルソン家は謎が多く、真偽の定かではない噂のみが家を知る唯一の情報源だった。噂によれば、一瞥するだけで考えを読み取れてしまう力を持つという。しかし、予知夢を見て不安定になっていたポールにとって信じられない噂さえ自身を緊張させた。
暗翳を帯びた雲から雨が降り注ぐ中、暗闇に紛れる色の車が〈城〉に止まった。中から長身の黒いレザーコートを羽織った男が出てきた。ジーンは傘を差して長身の男を迎えた。石造の城の中へ男は入った。ジーンとともに男は緩やかなカーブの天井が続く廊下を奥へと進み、ポールの待つ談話室へと辿りついた。
ポールは雨音だけが聞こえる静かな部屋の中、耳を澄ませていると扉の先から二人分の足音が近づいてくるのが聞こえた。扉の向こうから異質な何とも言い難い不思議なものを感じ反射的にポールは椅子から立ち上がった。ジーンが扉を開け、後ろから長身の男が入ってきた。小指に光る黄金の印章指輪も彼が公爵だということを示していた。ポールは敬意を示す深い会釈をした。下げた視線は公爵のレザーコートに付着した水滴を捉えた。目線を上げてもポールは公爵の目を直視することはできなかった。公爵の紫色の目はとても魅惑的であると同時に危うさを感じるもので、全てを見透かされているのではないかという不安をポールに抱かせたからだ。
「久しぶり」
公爵はそういったがポールには会った記憶はなかった。
「どこかでお会いしましたか」
「君が物心つく前だったから覚えはないのだろう」
座る公爵の後ろにはジーンが立っていた。
「〈梟〉とは何だと思う?この質問は多くの〈梟〉に長年、し続けてきたが答えは多種多様だ。君の思った通りの答えを教えてくれないか」
「〈軸〉による体制の維持……ですか?」
「正解を聞きそうだが、正解はないよ。でも、ある〈梟〉はこう言った。『市民の安全を日の当たらぬ場所から守るもの』とね」
「かなり楽観的な考えですね」
「君は仕事をしたことはあるか?」
公爵が言った仕事は〈梟〉に下される指令の内、暗殺などの殺害を含む任務のことを暗喩する言葉だ。
「いや、ありません」
「すぐに体験することになるだろうが考えが根本から変わるかもしれないよ」
「……はい」
公爵の言葉には妙な重みを感じ、ポールは力なく返事をした。
「〈梟〉は二つの側面から成り立っている。暗殺などの純粋な力と予知夢のような予見する力だ」
ポールは話の流れの先が分かった。
「予知夢を見たそうだな。それはどんなものだった?」
「これから起こるだろう戦争の夢です」
「実は他の複数の〈梟〉も戦争についての予知夢を見ている。複数の情報があれば来たる戦争の全体像を掴めるかもしれない」
「戦争は止められますか?」
「無理だ。ただ、その被害を最小限に抑えることならできる」
「分かりました。では——」
「それはいい」
ポールが予知夢の詳細を話そうとするのを公爵は遮って、どこからか二センチほどの水晶球のようなものを取り出していった。
「私の目を見ろ」
ポールは公爵の目から少しずらしていた視線を向けた。そうするとポールの意識はパレルソン公の深い紫色の瞳に吸い込まれていくようにして、目の前の景色がゆっくりと回転を始めた。眠りに落ちる直前のようなまどろみの中でポールは自身の頭から溢れ出た煙のような何かが公爵が指に持つ水晶球に吸い込まれていくのが見えた。同時に脳を絞られるような気持ち悪さに襲われながらも耐えているとやがて混濁しかかった意識は戻り、公爵が持っている水晶体の中に揺らめきのようなものが閉じ込められていた。揺らめきの中にはポールの予知夢の断片が垣間見えた。
「これは……」
「記憶晶球という記憶を記録する媒体だ。記憶は脳に保存しておくと変化してしまうから重要な記憶はこうやって保存しておくのだ」
「どこかにすべて保管されているのですか?」
ポールが次にするだろう質問を公爵は先回りした。
「そうだ。場所を聞きたそうだが、答えることはできない」
記憶晶球に記憶を刻み込んでから公爵の表情が微かに変化したのにポールは気づいた。それは恐れなのか単なる驚きなのかは判別ができなかったが、何かに動揺している様子だった。
公爵は言葉を紡ぐことに意識を割くことなく、ポールの精神に入り込んでいった。奥へ奥へと入り込んでいくと表層を抜けて、記憶や思考が飛び交う中を突き抜けて言った。記憶と思考は徐々にその始まりへと遡り始めていった。さらに深層へと踏み入れていく。いつまでも底にたどり着きそうにないその感覚に公爵は確信した。彼こそが選ばれしものに違いないと。公爵はポールの精神の核へとたどり着きたいという強い欲求を抑え、彼の精神世界から現実世界へと意識を戻した。
公爵は戻ると話を再開した。公爵の様子はポールから見ても明らかに変化していた。
「ポール、必要になった時、私は全ての情報を君に伝えることを約束しよう。そして今から言うことを忘れるな。〈梟〉の役割は二つだ。予知夢を見る眼であることと、反逆者を消す毒針であることだ。しかし、君はそれだけの役割に囚われる必要はない」
「はい」
返事をしたもののポールは公爵が何を伝えたいのか理解できなかった。
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