朽ちた魔王の箱庭邸

明日朝

第1話 目覚めと遭遇


 酷く嫌な夢を見た気がする。


 同胞たちの死体の上に、灯火を宿す青年が立っていた。

 彼は両手でも持てないような大剣を、私に向けている。

 何か大声で叫んでいる。

 しかし聞き取れない言葉である。

 

 夢の中の私は、どうやら彼を殺そうとしているらしい。

 一切の躊躇もなく、彼の脳天を狙い矛を放つ。


 稲光を纏う矛は、弧を描くようにして迷いなく彼に向かう。

 だが刹那、彼の剣の柄が明滅し、目を背けたくなるほどの眩い光が放たれる。閃光のように激しい光は、泥濘のように淀みきった世界を瞬く間に包み込んでいく。

 

 光で何も見えなかった。網膜が焼かれるような鮮烈な痛みが襲う。体の感覚がなくなっていくのが分かった。

 私は死を察知した。


 このまま易々と死んでたまるものか。絶対に、お前を私の手で。

 そう、意識が闇に沈んでいく最中、私は呪詛の言葉を吐いた。



 ……まどろんでいた意識が浮上する。

 

 私はむくりと上体を起こし、目を開いて周囲を見渡した。

 なんだか妙に肌寒い。私は鳥肌が立つ腕をさすりながら、しかし冷静を取り繕うように状況把握に努める。

 本棚に囲まれた、得体の知れない部屋だった。

 見覚えなどまるでない。古びた骨董品やら彫像が並ぶ、不気味でだだっ広いワンルーム。

 次いで身なりを確認する。身につけているのは、くたびれたシャツに黒い長ズボン。

 私は中途半端に起き上がったまま、首を捻る。

 

 果たしてここはどこなのか。

 私はなぜここにいるのか。

 そして、私は何者なのか。 

 考えれば考えるほど理解が追いつかない。


 ――ただ一つだけ、覚えていることといえば。

「私は、悪魔」


 そう、そうだ。私は、俗に言う悪魔と呼ばれるもの。

 それだけは分かる。しかし、それ以外のことは分からない。


「あら、目が覚めたのね」

 私が首を傾げたまま考えこんでいると、不意に背後から幼い少女の声が響いた。

 気取ったような声に、眉を寄せて振り返る。そこには。


「……壺?」

 フワフワと宙に浮かぶ、ひびの入った古風な壺。

 明らかに普通の壺とは違う、異様な気配を纏っていた。


「失礼ね、これでもれっきとした悪魔なのよ」

 不機嫌な声を発し、壺が舌打ちする。

 私はあまりの不思議さに、更に首を傾けた。


「……壺の悪魔ですか、なんて珍しい」

「正確には、壺に封じられたのよ。忌まわしき灯火の英雄にね」

 率直な感想を口にすれば、壺はさらに機嫌を損ねたようだ。不機嫌を露わにした声で反論する。


「それよりあんた、体のほうは大丈夫? 記憶は?」

「体は元気です。けど頭は……なんだか、ところどころ記憶が欠けているみたいで」

「そう、やっぱり傷は治せても精神までは無理か。弱くなったあたしの力じゃ、限度があるってわけね」


 納得したように壺が呟く。私は状況が飲み込めず、おずおずと壺に尋ねる。

「あの、説明してほしいのですが……ここはどこで、あなたは誰で、私は何者で、何があってこの状況になっているのか」


「ここは魔界の果て」


 壺の悪魔は淡々とした声で私に向くと、

「魔界は、とうの昔に滅びたことになってる。あんたは数少ない魔族の生き残りで、長らくこの部屋に封じられていた。そこへ壺悪魔の私、アリシアが封を解いた。そしてあんたは、魔界を再建するという役目を担っている」


 壺の悪魔ことアリシアは、さっきの態度とまるで違う冷静な口調で告げた。


 私が彼女の言葉を完全に理解するまでに、およそ半日を要した。

 魔界が滅びて、私は何年も封じられていて、今になってアリシアに叩き起こされた。それで、目覚めたばかりの私に向かって、魔界を復活させよ、と。


「……かなり難しいことだと思うのですが」

 そう言うのがやっとだった。

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