第29話【恋するじじい】

「……は? おいおい。本当に大丈夫か、じいちゃん」


「あの強さ、単なる宮本武蔵のコスプレイヤーではない。拓海、ワシには本当のことを話せ」


 急に真剣な眼差しになったな。どうやら正気の様子だ。信じてくれればいいけど……。


「わかったよ。本当のことを話すよ。この子は、ムサシは四百年前からタイムスリップしてきた本物の宮本武蔵なんだ」


 俺は今日までの経緯を話した。


「……なるほどの。そりゃあワシみたいな一介の剣士が敵う訳がないのぉ」


 意外な事に、一切の疑念を持つ事なく、そこで健やかな眠りにつく女の子が、宮本武蔵であると信じた。


「じいちゃんがこんなにもすんなりと受け入れるとは思わなかったな」


「ほっほっ。ワシはムサシたんと立ち合っているからの。最初の試合、二天一流の構えを披露した時に、異質な闘気を感じた。今まで、一流と呼ばれる剣士を数多く見てきたが、そのどれとも違っておった。あの闘気は歴戦の真剣勝負を制して来た者だけが放つ事が出来る本物の闘気なんじゃろう」


 じいちゃんの見解を聞いた瞬間、鳥肌がたった。流石は柳生新陰流師範代を務めてきただけの事はある。


「でもさ、そこまでムサシの実力を分かってて、立ち合った時、怖くなかったの?」


「ふぉっふぉっふぉっ。正直ちびりそうじゃったわい。じゃがの、弟子たちの眼前で逃げ出すことは出来んからの。ムサシたんに竹刀を手渡した時、腹を括ったわい。ワシは、この試合で命を落とす事になるとな」


「……マジか。じいちゃんがそんな状態だったなんて。じゃあさ、ムサシがゴボウのままだったら、もしかしていい勝負になってたんじゃない?」


「何を言う。ゴボウどころか、菜箸でも勝てる気などせんわ。そうじゃな……つまようじであったのなら、何とか五分ぐらいは耐えられたかも知れんの。して、拓海よ。そんな話よりも、もっと大切な事をしなくてよいのか? お前さん、寝顔を見に来たんじゃろ?」


「そう……だけど。でも、やっぱりいざとなると……」


「情けないのぉ。それでもワシの孫か? 見てみよ、こんなに明かりを煌々と灯して、普通に会話しておるのに起きる気配がまるでなかろう。これはお前の分析通り、ムサシたんが一度眠ったら朝まで起きないことを立証しておるんじゃ。つまり今はパラダイスタイムなんじゃよ」


 確かにムサシは完全に熟睡している。これはある意味、史実には記載されていない、大剣豪の知られざる一面を発見してしまったと言えるかもしれない。


 しかし、これだけ熟睡してて、これまで寝込みを襲われた事はないのだろうか? よほど運が良いのか、それとも……。


「さて、では可愛い寝顔をじっくりと見ようではないか」


 そう言うと、じいちゃんは壁側に向いているムサシの身体を、ゆっくりとこちら側に向けた。


「おお、素晴らしいのぉ。まるで天使じゃ」


 ヤバイ。これはヤバイ。普段は勿論可愛いが、寝顔はその倍増しに可愛い。


「……ん」


 寝息と共に漏れる声が、俺の心拍数をさらに上昇させる。長いまつ毛、ぷるぷるの肌。これはあれか、プリンですか?


 無防備なムサシを至近距離で見つめていると、「さて、拓海よ。寝顔だけでよいのか?」とじいちゃんが悪魔のささやきをしてきた。


「よいのかって、俺の目的はもう……」


「青いのぉ。拓海よ、せっかくのチャンスじゃ。素直になるが良い」


 見透かされている。


 確かに俺は彼女の寝顔を見るというミッションを果たした。にもかかわらず、部屋から立ち去るという行動に移行できずにいる。


 それは何故か。


 視線が当初の目的だった寝顔から、二つの膨らみに移動しているからだ。


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