番外編10 お姫様の料理教室・後編

 それはさておき、これから作ろうとしている料理……もとい、お菓子はクッキーである。

 姫はもっと凄いお菓子が作りたいと訴えてきたけれど、包丁を握ったこともなさそうな料理の超・初心者にはハードルが高過ぎるため、簡単なものから順番にレクチャーすることにしたのだ。


 その点、クッキーなら危険も少ない。材料を混ぜて、ねて、成型して焼けば完成だし、色々とアレンジも出来る。多少不器用だったとしても、なんとかなるだろう。


 とにかく、怪我や火傷やけどにだけは気を配らないとな……とココとも話していたのだが。てっきり、付きっ切りで手取り足取り教えなければと思っていた俺達の予想は大きく外れるのである。


 最初に流れを説明すると、セクティア姫は一度でほとんどを理解した。ポカンとした顔で「なんだ、簡単じゃないの」というので実際にやらせてみたら、本当に手助けもほぼ要らないほどだったのだ。

 補助をしたのは道具の説明とオーブンの火加減の調整くらいである。どういうことだ? 当然わいた疑問に、彼女はあっさりと明確な答えをくれた。


「料理ってどんなものかと思ったら、調剤に良く似ているのね」

『……あぁ』


 三人揃って呟く。すっかり忘れていたが、姫は薬を扱う知識を持っているのだ。俺達も薬学についてはそれなりに学んできたから、二つの類似点が理解できる。

 薬もお菓子と同じで材料をすり潰し、量を測って混ぜて作成する。熱を加えることもあれば、お湯が必要な場面もある。ココ達も深く頷いた。


「確かに、使う材料が違うだけでやっていることはソックリですね」

「材料の配分が重要だってところも同じだね」

「でしょう? そんなことは、薬作りでは基本中の基本だわ」

「言われてみればそうっスね」


 お菓子なら多少間違えても不味い思いをするだけで済む分、むしろ易しいかもしれない。薬で間違えたら冗談抜きであの世行きだからな。

 ん? じゃあ、最初から教えることなど何もなかったとか? マジかよー。がっくりと肩を落として呟いたら、姫は「あら」と意外そうな声を発した。


「そんなことはないわよ。全部を一人では出来なかったもの。過程は同じでも、材料や道具の知識が足りないことにも気付けたしね」


 小麦粉で白く染まったまな板や、刻んだナッツの欠片が付いためん棒、汚れた木のボウル。それからオーブンへと順番に向けた目を、最後に調理台に戻していく。

 そこには焼き終わって冷めるのを待つばかりのクッキーが並んでいた。


「ふふっ、あと少しで完成でしょう? 楽しみね」



 待っている間、俺達は台所に椅子を運んできてお茶にすることした。

 良い香りの紅茶を一口飲むと、はぁと息が零れる。調理台を傷だらけにされたり、謎の泡だらけになったり、オーブンを爆発させられずに済んで本当に良かったと安堵したのだ。


「ちょっと、その顔はまた失礼な想像をしているわね?」

「ぶふっ!? ち、違いますよ!」

「私がキッチンを滅茶苦茶にするとでも思ったのかしら」

「してませんてば!」


 いつものパターンにハマってしまい、大慌てでぶんぶんと首を横に振り、間を持たせようと紅茶をぐいとあおる。熱ッ!


「だ、大丈夫ですか?」

「あははは。ヤルンは結婚しても全然成長しないよね」

「ほほ、ほっとけ! あちち」

「まぁ良いわ。そんなことより」


 そんなこととは酷い言い草だ。こっちは口の中が火事だっつうのに! ……あちちち。駄目だ、文句なんか挟めたもんじゃねぇ。


「ねぇ、ちょうど良い機会だから聞いておきたいのだけれど。二人はお披露目をしないの?」


 お披露目? 声が出せないので口パクで聞き返すと、彼女は「結婚のお披露目よ」と言い直した。家族や親せきにはしたよな、ってことは……誰にだ?


「ヤルンはともかく、ココは貴族の娘だもの。『社交界デビュー』をしないのか、という意味よ」

「し、しゃこうかいデビューぅ!?」


 俺は思いもよらない指摘に驚いた。貴族の集まりに護衛として何度も同行しておきながら、自分自身がそこに入る可能性は全く考えていなかったのだ。

 自分があまりに予想外の話に呆気に取られている横で、キーマは「あぁそういえば」と呟く。そしてココはふっと笑んで宣言した。


「要りません。今のままで十分です」


 いや、でもなぁ。彼女だって、綺麗なドレスや宝石が嫌いではないことくらいは判っている。夢が「魔術を極めること」だとしても、それときらびやかな世界や装いへの憧れはまた別のはずだ。

 平民出身の自分にはそういった知識はないに等しいが、苦手だなどと言っている場合ではないのか……? そんな考えも顔にありありと浮かんでいたらしい。


「お城の舞踏会は素敵だなと思いますけど、目立ちたくありませんし」

「言えてる。注目はされるだろうねぇ」


 ココの意見にキーマも同意し、俺のいまいちピンときていない反応に姫が「当たり前でしょう」と続ける。


「いい加減、有名人だと自覚なさい? 貴族達は、王都の噂の的である貴方が現れればこぞって声をかけたがるでしょうね」

「その上、セクティア様に近付こうと私達に取り入ってくる方や、引き抜きの話を持ちかける貴族もいるかもしれません」

「あぁ、もちろん応じては駄目よ?」


 げぇ、なんだそりゃ。いや、応じるつもりはないけどさ。……とにかく、想像しただけで面倒臭そうだな。せっかくの紅茶が不味くなりそうな話だぜ。

 それに、戦闘訓練と違って、実際に声をかけられても相手の機嫌を損ねずに上手くかわすなんて芸当も出来そうにないしな。


「ですから、今のままが一番なんです」

「言えてるわね」


 そうして満面の笑みで応えるココにげんなりしていたところで、丁度クッキーの出来上がりの時間となった。

 焼き具合も完璧で、翌日には姫の双子の子ども達にこっそりと振舞われた。

 プレーンにチョコ味にナッツ入り、紅茶風味にドライフルーツ入りに……とバリエーションに富んでいて、見た目にも楽しい仕上がりだ。当然、味見も済んでいる。抜かりはない。


『おいしー! またつくって!』


 そうして、二人にキラキラした瞳で強請ねだられて気を良くした姫が、何度もウチに押しかけてくるようになるのだった。


《終》

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