第5話 黒い導き手・前編

「ってことで、今日からコイツも連れてきたんスけど」


 夜の訓練の時、いつも使っている屋内訓練場で俺はそう言って、真新しい魔導書を抱えたキーマを師匠の前にとん、と突き出した。


「一緒に練習して良いっスよね?」

「……またお主は勝手をしおって」


 じいさんは面倒臭そうに顔を顰めたが、それ以上の文句は特になく、「お主がしたことじゃ。自分で責任を取るのじゃぞ」と言ったきりだった。よしよし。


「ついてきて大丈夫だった?」

「他に練習する場所も時間もないだろー?」

「まぁ、確かに」


 文字の練習くらいは一人で出来るが、初心者が誰の手ほどきも受けずに魔術の練習をするのは、はっきり言って難しい。

 明かりを生み出すくらいならともかく、それ以外の……たとえば地水火風の四属性を個人の部屋で操ろうなんてのは、愚の骨頂だ。


 俺も昔、宿屋の個室とかでやらされてたけど、それも師匠の監視付きだったしな。いずれにしても、導き手は必要ってことだ。


「オルティリト師には黙っていなくて良かったわけ?」

「そんなの、どう考えたって無理だろうが」


 キーマのことを師匠に隠す気は毛頭なかった。隠そうと思って隠せる相手でもないし、そもそもじいさんはスウェルで俺達の教官をしていたのだ。キーマの家のことなど、最初から知っていたに違いない。


 その情報を持った上で俺達がこそこそしていたら、魔力感知なんてなくても一瞬でバレる。賭けてもいい。だったらとっとと知らせて、目の届くところに置いて俺のついでに面倒を見て貰うべきだと判断した。


「お前が師匠より気を付けないといけないのは、ウチのお姫様の方だぜ」

「お姫様って、セクティア様? なんで?」

「素性を知ってるって点では、あの人も同じだからな」


 俺をスカウトしようとした時に、あの人は周囲の人間まで隈なく調べている。決して悪い人ではないのだが、彼女には師匠とは別の意味で大きな問題があった。


「あのお姫様は好奇心の塊だぞ? このことが知られたら、散々羨ましがられた挙句に、……実験台にされるかもな」

「……あー」


『なかったはずの魔力を得た、ですって? どういうことなのかしら。せいぜい、く・わ・し・く教えて貰いましょうか。ついにで、色々とお願いしたいことがあるのだけれど?』


 妖しい笑顔とセリフがありありと頭に浮かぶ。うわ、駄目だ。バレた時に危ないのは、キーマだけじゃなくて俺も同じな気がしてきた……!



「じゃあ、その辺で適当にやってるからさ」


 キーマには、訓練場の端っこで古代語の綴りや発音を覚えるところから初めて貰うことにした。

 一応、兵士見習いになった時に一般教養として剣士も基礎だけは習うのだが、その後は放ったらかしだ。覚えている方が奇跡である。


「んー、んんー?」


 師匠に分身術の復習をさせられながら、ちらりと視線を送ると、案の定、記憶力の悪くないキーマでも文字の一覧を眺めて唸っていた。


 放っておいたら、細目で睨んだまま寝落ちしそうだ。そうしたらコイツの場合、朝まで爆睡コースだろう。ま、実際、一人で勉強するのってきついもんな。

 ……あぁ、そうだ、こんなのはどうだ?


「師匠、分身術じゃなくて、ちょっと別のことを試してみても良いスか?」

「別のこと? 何じゃ、また良からぬことを思い付いたのではあるまいな?」

「良からぬことって……」

「何かされるんですか?」


 離れたところで練習していたココも、気付いて近寄ってくる。っていうか俺の思い付きを「良からぬこと」と決め付けるのはやめてくれよな。良いアイデアの時だってあるだろ? たまには。……多分。


 俺は軽く思案した。狙っていることに使えそうなのは、まさに今復習していた分身術と、連絡の時に使っている伝令術だ。この二種類をうまく混ぜ合わせることが出来ればいけるはずだ。

 ふぅと息を吐き、短く吸った。


『揺蕩うは風、流るるは水――』


 前半は変装術や分身術と同じだ。魔力を練り、風と水で外側を形成する。ただし、その上に今回は伝令術で覚えた概念を上乗せする。人型でないものを作るためだ。


『形作るは闇、宿りしは光――』


 本当は、他にもっと良い術があるのかもしれないが、まだ教わっていない。だから、すでに知っている術を下地に、アレンジを加えることにした。


『――獣よ、小さき獣よ。我が呼びかけに応えて姿を現せ』


 魔力の塊に過ぎなかったものが、様々な要素を周囲から取り込んで膨張するのが分かった。それは仮初めの血肉を得て、俺の片腕にトトッと足音を立てて降りる。


「っと!」

「えっ、……ね、猫ですか?」


 ココが声をあげたセリフの通り、それは灰色の体に長い尾と青い瞳を持つ、一匹の仔猫だった。


「よっし、一発成功!」


 喜びを口にすると、仔猫は返事をするように「にゃー」と鳴いて腕を伝わり、頬にすりすりと体を擦りつけてくる。

 毛は短いながらも、ふさふさとしていて肌触りが良く、温もりもちゃんと感じられる。まるっきり、どこからどう見ても本物の仔猫だった。

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