Nigredo - 魔王伝説 -

Ellie Blue

第1章 王国

城下町と少年1

 夕暮れ時の城下町。少年が一人、人目を避けるように足早に歩いていく。ぼろ布の外套をまとい、目深に被ったフードを手でしっかと押さえ、足音を潜めてそそくさと歩みを進める。


 街の広場に差し掛かると、少年はフードと己の手の下からいっそう注意深く辺りを見回した。

 広場には人だかりができていた。その中心には楽器を携えた吟遊詩人。集まった人々はみな、期待の眼差しを向けて演奏が始まるのを待っている。少年はそっと広場に足を踏み入れ、人だかりをなるべく遠巻きにして通り過ぎようとした。

 少年が数歩足を進めたところでリュートの音色が鳴った。この国に住む者ならば幾度となく聴いているメロディだ。

 少年はフードを両手でつかみ直し、耳を塞ぐようにぐいと引き下げた。そのいささかばかりの覆いを容易く貫いて、吟遊詩人の声が広場の中心、群衆の間から、朗々と少年の耳に響く。


「やぁやぁお集まりの皆々様。明日からの祭典を控えた今宵、ご披露するのはこの唄以外にありますまい。ご存じ、この国の輝かしい生きる伝説。かの偉大なる勇者様と麗しの王女様の物語でございます。それではお聴きください、『勇者の唄』」


「あるところに たいそう美しい おひいさまが いました

 おひいさまは 大きなお城で 王さまと王妃さま

 たくさんの召し使いたちと一緒に 暮らしていました


 ところがある日 悪い魔女があらわれて

 おひいさまを 恐ろしい魔王の元へ さらってしまいました


 しかしそこへ 勇者があらわれました

 勇者は戦いの末 みごとその剣で 

 邪悪な恐ろしい魔王を 討ちほろぼしました


 勇者と おひいさまは 結婚して

 いつまでも いつまでも しあわせに 暮らしました」


 少年はもはやほとんどつんのめるようにして、広場から路地に駆けこんだ。後ろで拍手と歓声が聞こえる。少年は唇を噛んだ。転びそうになるのも構わず、そのまま二、三歩と足を進める。

 その時、突如強い風が吹いた。

 少年はハッとして、フードを掴んで押さえつけた。崩れた態勢にもろに風を受け、突き飛ばされたようによろめいてその場にうずくまる。

「…………」

 風が少年の体を叩くようにして過ぎていく。巻き上がった土ぼこりが路地に立ち込めた。その間、少年はただひたすらうずくまり地面に這いつくばっていた。

 ようやく少年がそろそろと上体を起こしたのは風の唸りの余韻すらもなくなった頃。強く握って更にひどくしわになったフードの下から周囲を盗み見る。

 辺りに人影はない。誰も見ていなかった。

 そのことを確かめると少年は立ち上がり、今度は注意深い足取りで路地を後にした。




 幾つもの通りを横切り路地を渡って街を行く。

 辺りが薄暗くなる頃、少年は街の中央にそびえる城の正門に辿り着いた。

 こんな時間にも関わらず城門は多くの人で溢れかえっていた。出入りする人間とその確認をする衛兵とで、騒がしくひしめき合っている。

「おい、追加の食材はまだか? これじゃ間に合わんぞ!」

「パレードも謁見も明日からですよ、奥さん。あまり早く来てもらっちゃ困る!」

「お届けものでござい! どいたどいた! 荷馬車が通りますよ!」


 人混みを掻き分け、しかし片方の手はしっかとフードを押さえつけたまま決して離さずに、少年は衛兵らの前まで進み出た。

「はい次の方! ……って、あぁ?」

 衛兵がじろりと一瞥する。少年は目を伏せたまま片手で薄汚れた木札を差し出した。

「何だよ、いつもの掃除夫のガキか」

 衛兵は己の肩越しに門の方をあごでしゃくる。

「さっさと行け、今日は忙しいんだ。シッシ」

 少年は無言で手を引っ込めるとフードを深く被り直し、再び人混みを掻き分けながら城壁の中へと入っていった。

 その後ろ姿を見やり、衛兵は顔をしかめて悪態をつく。

「……ったく、いつ見ても薄気味の悪いガキだぜ」




 城壁内も大層な人の賑わいと慌ただしさだった。侍女も兵士も貴族のお偉方すらも、みなせわしなく駆けまわっている。

 その間をすり抜け、少年は勝手知ったるといった風に進んでいく。そのうちに周りの人通りが減り、喧騒が遠く静かになっていった。


 少年は城の数ある中庭のうちの一つを通りがかった。王国騎士団の宿舎が併設された、広い砂地の訓練場だ。

「ニグレド!」

 その声に振り返る。少年はこの日はじめて笑顔を見せた。

「ミディア……!」

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