2 傲慢な第一皇子


 ◇◇◇


「いよいよ国境だ。覚悟はできたか?」


 背後で手綱を取る男に冷たく言われ、フェリスはフードを深くかぶった。


「……できているわよ、とっくにね」


 男の名はノクト。本名は知らない。


 アンスリウム皇国潜入にあたり、ヨハンが私設騎士団の一人を護衛として貸してくれたのだ。


『彼なんていいんじゃないか? 髪もきみに近いブルネットだし瞳も青い。兄妹ってことにしたら?』と決められた。


 長い前髪で片目を隠している男で、不愛想で口が悪く、フェリスのことも訓練時に容赦なくぼこぼこにするような奴だ。似ていないから嫌だと言ったが、似ていない兄妹など山ほどいるから問題ないと押し切られてしまった。


 そしてフェリスは今から『ユーフェ』になる。


 ユーフェ・エバンス。十六歳。

 出身は国境にあるノルド村。……数日前、小競り合いが起きて壊滅した村だ。

 たった一人の家族である兄と命からがら逃げだし、助けを求めてアンスリウム皇国側に辿り着いた。――という設定だ。


「そっちこそ覚悟はできた? 足を引っ張らないでちょうだいね」


「誰に口利いてんだテメェ。ヘマしたら俺もお前も取っ捕まって処刑だ。ヨハン様が助けてくれるなんて甘い考えは捨てろよ」


「…………。……言われなくてもわかってるわよ」


 フェリスは苦い気持ちで微笑むと、手綱を持つノクトの左腕をナイフでぶっ刺した。


「チッ!」


 痛みをこらえるノクトにもう一撃。ぐぐ、と力を込めて動かしてから抜くと、傷つけた血管からは大量の血が溢れた。


 血に塗れたナイフはノクトが無事な右手を使って茂みの方に投げる。


 手綱を握ったはアンスリウム皇国側に向けて駆けだした。国境付近には警備兵が配置され、詰所も作られている。


「誰かぁっ! 助けてくださいっ!」


 大声で叫ぶ。

 思惑通り高所にある見張り台に立つ兵は弓を構え、門を守る数人の兵士は剣を抜いた。


「何者だ! 止まれッ!」


 ユーフェは慌てて馬を止める。

 被っていたフードを外して長い髪を出し、自分が若い娘であることを見せつけた。後ろではノクトが腕を抑え、ぐったりとしている。血が映えるように薄い色のマントを着ているため、兵たちにもノクトが怪我をしているのがよく見えるはずだ。


 ユーフェは涙を浮かべながら叫んだ。


「助けてください! 兄が野盗に襲われて大怪我をしているんです!」


「お前たちはどこから来た!」


「ノルド村です! 数日前に戦でめちゃめちゃになって……、わたしと兄はどうにか逃げ出して潜伏していたんですが……」


「……残念だが、あの辺り一帯は聖ポーリア国の支配下に置かれることになった。よって、敵国に所属しているお前たちを我々が助けることはできない」


 上官と思しき男は厳しい口調でユーフェたちを追い払った。

 もちろんそう言われるだろうことは想定済みだ。

 ユーフェは涙を浮かべ、必死に食い下がる。


「ひどい出血なんです! どうか助けてください!」


「聖ポーリア側に助けを求めなさい。馬でならこの広陵地帯をまっすぐに走り続ければ着くだろう」


「そんなっ! お願いします、せめて手当だけでも……!」


「それ以上近づけば射る! ……引き返しなさい。我々も手負いの民間人を手にかける真似はしたくないのだ」


 この上官が、民間人だろうと鎌まずに見せしめに殺すような人間ではなくて良かった。

 うなだれたユーフェに、ノクトがよろよろと身を起こす。


「……諦めよう、ユーフェ……。俺なら平気だから……」


 かわいそうな兄妹は背を向けて去る。

 背後の警戒が解かれたことは肌で分かった。


 いくばくもしないうちに、ノクトはわざとらしく馬から落ちた。もちろんユーフェも同じく、わざとらしく、大げさに血相を変えて飛び降りる。


「兄さま、兄さま! しっかりして……! きゃっ⁉」


 さあ、ほら。

 ここからよ。


 ユーフェは驚いたように叫び声を上げた。まばゆい光がユーフェの手から現れ、切り裂かれたノクトの腕に収束していく。


 聖ポーリア国の女性にしか発露しない希少な治癒魔法だ。


 瞬く間にノクトの怪我を癒したユーフェは驚いた顔で固まり、ノクトは「き、傷が治ってるだと⁉」とこれまたヘタクソな芝居をしたが、アンスリウム皇国側はそんなノクトの棒演技など気にも留めない様子でどよめき声を上げた。


「ち、治癒魔法⁉ この娘、聖女か!」

「馬鹿な。聖女とやらは聖ポーリアの教護院で厳重に保護されているはずだろう」

「では、たった今覚醒したばかりの聖女なのでは⁉」


 ざわめく兵たちの中、あの厳しそうな上官が「静まれ!」と怒鳴った。

 ユーフェはすかさずビクッと怖がるふりをする。


 上官は丁寧な口調でユーフェに尋ねた。


「お前たちはノルド村から来たと言ったな。聖ポーリア国に行ったことや、あちらの国の人間と接触したことはあるか」


「あ、ありません」


「その不思議な力は、今、この場で初めて使ったのだな?」


「はい、そうです」


 上官は部下に武器を下ろさせると、門を開くように命じた。


「お前たち二人を保護しよう。娘、そなたは『聖女』として城へ上がってもらうことにする。処遇はおそらく――皇子殿下がお決めになられるであろう」


「皇子殿下……」


 驚きと恐怖に目を見開き、ユーフェは殊勝に頷いた。


 やはりヨハンの思惑通り、アンスリウム皇国側は聖女を無碍に扱わなかった。


 聖ポーリアではユーフェの能力など最底辺もいいところなのだが、治癒魔法を初めて見る兵ばかりのアンスリウム皇国側にとっては貴重な存在だ。皇族が住む城に付くまでは必ず丁重に扱ってくれる。


(第一関門突破ね)


 ユーフェとノクトは狙い通りにアンスリウム皇国に入国した。





 しかし。

「…………予定外だわ……」


 ユーフェは早々に壁にぶち当たった。


 王都へ行くまでは兄妹揃って丁重に扱われていたのだが、城に入ってすぐにノクトとは引き離された。皇子殿下の御前に出るのだからと豪奢な衣装を着させられ、一人謁見の間に連れていかれたユーフェを待っていたのは――


「ほう、これが聖女か? 田舎で拾った娘だと聞いたがなかなか悪くない見目ではないか」


 椅子の上で偉そうにふんぞり返っている第一皇子アレックスだ。


(あー、かぁ……)


 アンスリウム皇国には二人の皇子がおり、アレックスは俺様な性格として有名だった。


 良く言えばカリスマ性が高く、悪く言えば自分に逆らう奴は容赦なく切り捨てる。

 女好きとしても有名で、一度抱いた女は二度は抱かないとかなんとかかんとか……。ヨハンと同い年くらいの二十五歳と若く、顔も良いため、相手には事欠かないんだそうだ。


 もう一人の第二皇子は謙虚で控えめな性格らしいため、連れていかれるならそっちが良かったなあ……と思ったが仕方がない。


「お、お初にお目にかかります、アレックス殿下。わたしはユーフェ・エバンスと申します」


 ここまで護衛してくれた国境警備隊の上官が膝を折って報告する。


「手負いの兄と共に国境付近にいたところを保護しました。この娘は我々の目の前で兄の傷を治癒し、また、王都までの移動中にも、怪我を負った兵たちを治癒するところを確認しております」


「そうか。ご苦労だったな、サムス卿。そなたはもう下がってよい。……おい、そこの」


 アレックスは入り口の警備をしていた騎士を「こっちへ来い」と呼び寄せた。


 命令通りに側に駆け寄り、ユーフェの隣に跪いた騎士。

 立ち上がったアレックスは騎士の横まで歩いたかと思うと――剣を抜き、問答無用でその背を斬りつけた。


「ぐわあああああッ!」


「っ⁉」


「――娘、貴様が本物の聖女だというのなら今すぐ治してみせろ」

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