第二十一話 祈りの織姫

 マリーが学校に戻ってきた翌日には、ギルアンとプリシラ先生が行っていた行為は学校中に知れ渡っていた。

 やはり、男子生徒と女教師の淫行というのは話題になりやすいらしい。

 しかも女子寮の鍵をギルアンに渡していたという衝撃的な事実に、女生徒達は不安に駆られたらしく、あちこちで大騒ぎになっている。

 授業の進行すらままならず、しばらくは自主学習となった。

 元より教師達は逮捕された二人のことで、今後の対応や学内の警備など多くの話し合いで授業どころではなかったようだが。


「まさか、ギルアンとプリシラ先生がそんな仲だったとは……ビックリしたわね。噂だけかと思っていたわ」


 食堂で朝食を一緒に食べていたミッシェルが、そうマリーに耳打ちした。マリーは「そうね……」と、うなずく。

 カルロは今日は事件の後処理に追われているため、朝食は一緒にしていないのだ。

 ミッシェルはギルアンに叩かれたマリーの頬を見つめる。


「ほっぺ、少し赤くなってるわよ」


「えっ? あ、あぁ……寝相の跡かしら」


 そう誤魔化し笑いをした。

 マリーがギルアンにさらわれたことは、公にはしないことになった。

 貴族の子女が誘拐されたことが広まると、たとえ何事もなく帰ってこられたとしても手を出されたと下卑た噂されるだろう、という配慮からだった。マリーとしても周囲からあれこれ詮索されたくないから賛成した。

 これでもう幼馴染に怯えて生活することもなくなるのだ、と思うと心の底から安堵する。


(カルロ様のおかげだわ。またいつか、改めてお礼をしなきゃ……)


『ギルアンと覆面男達は斬首刑が妥当です』とカルロは言った。

 しかし、マリーはたとえ嫌いな幼馴染でも自分のせいで死なれるのは嫌だった。だからカルロに減刑してもらえるよう頼んだ。

 結局、カルロはかなり渋々だったが、刑を軽くしてもらいたがっているテーレン家に交渉してくれることになった。内々にシュトレイン伯爵家に多額の慰謝料を支払わせることで終身刑に落ち着かせようということになっている。


(たとえギルアンでも、やっぱり処刑されてしまうのは寝覚めが悪いし……それに、借金の肩代わりしてもらった分以上のお金をシュトレイン伯爵家に渡せそうで良かった)


 今やスカーレットは破産し、全ての店を手放したと聞いている。暴漢に襲われた傷を癒すために田舎で療養しているらしい。さすがに、そんな相手にお金を取り立てることはシュトレイン伯爵家もできなかったのだ。

 とはいえ、エマはまったくお金のことなど意に介した様子もなかったのだが……。小心者のマリーは借金の肩代わりをしてもらっていたことを気にしていたのだ。


(そして町中で騒動を起こした少年達は……)


 彼らはヴァーレンの生徒だったらしい。

 調べるとギルアンに煙管きせるを吸っていたところを目撃されて脅され、喧嘩さわぎに加担してしまったようだ。二週間の謹慎処分と十日間の学内の掃除がくだされることになっている。

 プリシラは職を失っただけでなく、現在は帝都の拘置所に搬送されて処分を待つ身だ。

 貴族の子息子女が集うヴァーレンで起きた不祥事は大きな騒動になっているらしく、近々保護者説明会も開かれるらしい。


(おそらく、プリシラ先生は二十年の禁固刑くらいになるだろうってカルロ様が話していたわ……)


 マリーとしては処分が重いのではないかと思ったのだが、生徒との淫行よりもマスターキーを男子生徒に渡したことの方が問題だったようだ。


『もしかしたら部屋で待ち伏せされて女生徒が乱暴されていた可能性だってあるんですよ? それに、きみは旧校舎にいたからともかく、もし女子寮にとどまったままだったら無事では済まなかったかもしれません。ギルアンはきっと、きみを狙ったはずです。未来の皇太子妃をそんな危険にさらす危険があった、というだけで重罪でしょう。むしろ処刑しても良かったくらいです。これは温情ですよ』


 と、カルロにさらりと言われて、マリーは何も言えなくなった。


(確かに私の誘拐未遂とミッシェルのドレスを破かれただけで済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれないわ……)


 それだって、もちろん悲しいことだが、もしかしたら他の女生徒が性被害に合うことだってあり得たのだから。

 そんな考えごとをしていると──ふいにマリー達のいる席にエセルが近付いてきた。その背後にはクラスの女生徒も五、六人いる。

 また先日みたいに突っかかってこられるのかと怯えた様子のミッシェルに、エセルは気まずげに言う。


「ミッシェルさん……その、この前は……どうやら、あなたの部屋を荒らしたのはギルアンだったみたいですわね」


「え、ええ……」


 戸惑うミッシェルに、エセルは目を釣り上げる。


「その……私も言い過ぎましたわ! あなたの自作自演だなんて言ってしまって……申し訳ないですわ」


 ふんぞりかえった偉そうな態度でエセルは言う。

 目が点になるミッシェルとマリー。

 ミッシェルが困惑しながら問いかける。


「え? あの……もしかして、謝ってくださっているのですか?」


 エセルはカッと頬を赤らめた。


「私は別に謝りたくありませんのよ! 皆さんに責められたから仕方なく謝ってあげるのですわ! ま、まあ、私もちょっと言い過ぎたかな、とは思いましたけれど……ッ。あ、いえ、こう言いたいんじゃなくて……、私は……!」


 慌てた様子で口をもごもごさせるエセル。


(良かった……やっぱりエセルさんは良い子だったわ)


 意地悪だけど根は良い子なのだ。それにマリーは安堵した。さすがに気まずい空気が流れる中ではミッシェルも良い演技ができないだろうから。


「その、だから……今日は気を取り直して皆で練習しますのよ! ご飯食べたら、さっさと多目的ホールに来てくださいませ!」


 そう高飛車に言い捨てると、リスのしっぽのような髪をクルンと揺らして去って行った。

 マリーはミッシェルと目を合わせた後、クスクスと笑いあった。






 ヴァーレン祭まで残りわずかだ。

 カルロとエマ達には休むよう勧められたが、マリーはそうも言っていられず、ドレスを作り始める。

 破られたドレスは修復ができない部分と損傷の軽微な部分があった。直せる箇所は元の形を生かし、難しい場合は新たに作り直す。


(もっと……ミッシェルなら、こういうドレスが良いわ)


 ふと思いついて、マリーは職員室にミッシェルの母親がいた当時のヴァーレン祭を知る者がいないか聞きに行った。

 すると教頭のフレデリック先生が驚いた様子で現れて、カーテンが仕切られただけの応接間へ案内してくれる。


(ここって、ギルアンがプリシラ先生といけないことしていた場所だよね……)


 カルロから話を聞いていたマリーは、それを思い出して顔をしかめる。なんとなくソファーに座るのを躊躇してしまう。心情的に。

 紅茶を持ってきてくれたフレデリック先生はカップをマリーの前に置いて、深く頭を下げた。


「すまない。プリシラが男子生徒とみだらな行為を行っていたというのは聞いている。しかも寮監という立場を利用して、マスターキーを男子生徒に渡して好きに使わせていたなんて許されないことだ。きみにも迷惑をかけたね。教頭としておわびする」


 予想外の謝罪を受けてマリーは慌てた。


「あ、頭を上げてください……! 今日は謝罪をいただくために来た訳ではないので……っ」


 教頭のフレデリック先生はマリーがギルアンにさらわれたことを知っている。ギルアンがミッシェルのドレスを破いたことも。

 マリーはミッシェルとともに、一度校長から陳謝されているのだ。マリーはそれで充分だと思っている。


(一回り以上も年上の先生に謝られるなんて、落ち着かないわ……)


「わ……私がここにやってきたのは、教頭先生が、かつてアリアさん──ミッシェル・ダンのお母さんのご担任だったと伺ったからです。彼女のことでお話を聞きたくて……」


 そう言うと、フレデリック先生は青い目を見開いた。


「アリアか……懐かしい名前だ」 


 そして、フレデリック先生はアリアの名を噛みしめるように口にして目を伏せる。


「そうか……ミッシェルはアリアの娘だったか。あの時の……」


 今の今まで、そのことに気付いていなかったのだろう。

 いつしか平教師から教頭になっていたミッシェルの母親のクラス担任は、職員室のきしむソファーに深く腰かけて白髪頭を掻いた。

 目をすがめて当時を思い出すように長い息を吐き、悲しみの混じる瞳でマリーを見る。


「……それで、何を知りたいんだい?」


「アリアさんがヴァーレン祭で着ることになっていたドレスがどんなものだったか、知りたいんです。おぼえていらっしゃいませんか?」


 マリーの言葉はフレデリックの予想外のものだったらしい。目を丸くして、唸りながら顎を撫でている。


(さすがに十六年も経っていれば忘れていても仕方ないよね……)


 ダメで元々で尋ねたのだ。

 しかし、長い教員生活の中でも退学した生徒というのは海に沈んだいかりのように記憶に苦く残っているものらしい。


「そうだね、あの時のドレスは確か……」


 マリーはフレデリック先生の言葉を必死にメモする。


(なるほど……当時の流行りを考えると、刺繍の形のパターンはこれかしら?)


 見ていないので完璧な再現はできないが、近い形にはできそうだと内心嬉しくなる。

 お礼を言って席を立とうとした時、フレデリック先生から話しかけられた。


「僕はあの時、アリアを助けてあげられなかったんだ。どうにか男爵家とは話をつけさせ、示談金も渡させることはできたけど……しかし、やっぱり退学だけはどうしようもなかった。それがずっと心残りだったよ」


「そう、だったんですね……」


「アリアがヴァーレン祭にやってくると聞いて楽しみになったよ。ミッシェルの舞台も、きみの作るドレスも楽しみにしている」


 フレデリック先生が柔和に笑うと、歳月を感じさせる目じりのしわが濃くなる。

 マリーは胸がぎゅっと絞られるような心地になった。


(やっぱりギルアンは大噓つきだ。こんなに多くの人の気持ちを乗せる服が、ただの布のはずがない……)


 マリーは改めて決意した。


(──作ろう。ミッシェルのために、最高のドレスを)






 教頭のフレデリック先生にドレスのデザインを聞きに行ったものの、実際にそれを取り入れるかはミッシェルの意志にゆだねるつもりだった。これまでのデザインの方が気に入れば、そのままでいこうと。

 しかしミッシェルは新しいドレスのデザインを見せると、顔を輝かせた。


「とっても素敵ね!」


 前のデザインを見せた時より良い反応だと感じたマリーは、それがミッシェルの母親が着ていたものを模していると知らせた。

 ミッシェルはとても驚いた様子だった。そして彼女は神妙な顔で紙に描かれたデザインを撫でて「これを着てみたいわ」と言った。

 だからマリーは覚悟を決めた。


(……今までで一番の修羅場になるわね)


 それからマリーは死ぬ気で手を動かし続けた。

 それは、これまでの最短記録を更新するほどのスピードだったが、しかし『作業は丁寧に、正確に』をモットーに、機織り機で布を織っていく。

 刺繍レースに関しては、幸い途中まで個人的にミッシェルのために作っていたものがあったので、それを活用することで時間を短縮することができた。

 とはいえドレスは本来なら数人の職人が一日の大半を費やしても完成まで数週間、下手したら数か月もかかる代物だ。

 手が早いマリーであっても仕上がりまで果てしなく時間がかかるものだった。

 授業中はさすがにできなかったが、放課後や休憩時間は時間が許す限り作業を続けた。「納期……納期……」と、ぶつぶつ呟きながら一心不乱に手を動かし続けるマリーは、心配して様子を見にきたエマもたじろくほどだったという。






 放課後、寮長室で黙々と針仕事をしていたマリーの前に、湯気の立つティーカップが置かれる。カルロが用意してくれたのだ。


「少しは休憩しないと持ちませんよ」


「……あ、ありがとうございます。カルロ殿下自ら……」


 テーブルワゴンにはティーセットが載っていた。

 カルロが厨房に伝えて手配してくれたのだろう。

 皇太子に手製のお茶を振る舞われるという恐れ多い行為に、一般庶民のマリーは内心のけぞった。


「あ、あの……やっぱり私が淹れますよ」


「いえ、お気になさらず。お茶を淹れるのは好きなんです。良かったら、毎日でもきみのために用意しますよ」


 そう言うカルロに、さすがにマリーの頬も引きつってしまう。


「そ、それは、さすがに恐縮なので……」


 ──と、マリーはそこでようやく己の寮長の仕事に手をつけていないことに気付いた。


「あ、すみません! すぐにやりますね」


「ああ、僕がやっておきました。なので、後で確認だけお願いします」


 いつの間にかカルロがマリーの机の書類の束を処理してくれていたらしい。マリーは慌てた。


「えっ、そんな……カルロ様に悪いです」


 それに女子寮のことなのに、カルロには分からないことも多かっただろう。そう思い、マリーはますます申し訳なくなる。


「いえ、じつはこれまでマリアの仕事の大半は僕がこなしていたんです。今さらですし、気にしないでください」


「えっ……」


(そ、そうだったの……?)


 マリーは今まで真面目にやりすぎていたことに気付き、青ざめた。

 言葉をなくしたマリーに、カルロが優しく言う。


「きみにはミッシェルの衣装を作ることに尽力して欲しいんです。これは僕が舞台の総監督だからというのもありますが……僕が純粋にきみの作ったドレスを見てみたいんです」


 そうカルロに微笑まれて、マリーはドキリとした。


(し、心臓に悪い……)


 なぜか心がふわふわして落ち着かなくなり、目を泳がせて「そ、そうですか……」と言うしかできなかった。


「触れても良いですか?」


「えっ!? な、何に……?」


 どぎまぎしていると、カルロは笑った。


「刺繍レースですよ。きみが作っている物が気になりまして……マリアに触れても良いなら喜んで触れますけど」


「え、あ、あぁ……そうですよね、刺繍! はい、どうぞ!」


 マリーはうつむいたまま、勢いよく刺繍レースを差し出した。

 顔が真っ赤になってしまっているので、とても見せられない。


(自分の勘違いが恥ずかしい……っ)


 カルロがためつすがめつ長細い刺繍レースを眺めながら、感嘆の息を吐く。


「素晴らしい意匠です。……今までまじまじと見たことはなかったのですが、刺繍の幾何学模様って、たくさんの魔法陣が連なっているように見えますね」


 マリーはギクリとした。


(普通の人にはただの模様のようにしか見えないはずだけど……)


 魔法陣の存在は知られてはいけないという母親の約束がある。マリーができることは、ただの【おまじない】なのだと言い張っているのだが……。


(……できれば、【織姫】の正体は知られない方が良いわよね。マリア様が戻ってきた時も面倒になってしまうし)


 マリーが【織姫】だと知っているのは、ギルアンと娼館のお姉さん、そしてエマ達だけだ。

 だから正体不明の【織姫】がマリアと知られてもそこまで危険はない──はずだが、やはりマリアには似合わないことなら秘密にしておきたい。

 カルロはぽつりと言った。


「私達の身近にある模様──衣服や皿などの装飾は、古代魔術国家にルーツがあると言われています。彼らが残した遺跡や遺物の中に、すでに似た文様が存在するからです」


 マリーは戸惑いながら、じっとカルロを見つめる。


「そう、なんですか……」


 カルロはふっと息を吐いて笑う。


「……もしかしたら、ラグラスの民の生き残りが作った文様が世界中に広まり、我々が普段使う意匠として残ったのかもしれません。けれど僕らには魔法は使えない。ラグラスの王族だけが使えたという失われた魔法は……その文様からきているのではないか、と考古学者の間では推察されています。それらの図柄は、古代語で【祈り】と言うそうですよ」


「【祈り】……?」


 マリーがつぶやくと、視界で精霊達がざわめいた。キラキラと嬉しそうに粒子が舞う。まるで、『そうだよ』と言っているかのように。

 カルロには見えていない精霊達を、マリーはじっと見つめる。


(もしかしたら、私はラグラスと何か関係があるの……?)


 今まで考えてもみなかったことに、ひどく胸がざわめく。


(……いや、まさかね。私が失われた国の王族だなんて……そんなこと、あるはずがないわ)


 けれど否定することもできない。

 物思いにふけるマリーを見て、カルロは苦笑する。


「……すみません。くだらない長話をしてしまって。冷めてしまうので、飲みましょう」


「あっ、すみません!」


 マリーは慌ててカップに口をつける。少しぬるくなったけれど、猫舌のマリーにはちょうど良かった。


「僕たちの歌劇は最終日です。そしてヴァーレン祭の最後には後夜祭──ダンスパーティがあります。もし良かったら、そこで僕のパートナーになってくれませんか?」


 カルロの問いかけに、マリーは驚きつつも「……はい」と、うなずく。

 婚約者なのだからパートナーになるのは当然だ。けれど、カルロは無理強いしていない。その思いやりに、マリーは嬉しくなる。

 ──と、そこで気付いた。ダンスをするということは、また彼と密着しなければいけないということに。


(……私、心臓が持つかしら)


 頬に両手をあてて、マリーは熱のこもった肌を感じる。

 そして、ちらりとカルロの方を見ると、全てを見通しているような──とても優しい笑みを浮かべていた。



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