第十八話 お姉様

 ミッシェルは一晩休んで気持ちが落ち着いたらしい。

 マリーが目を覚ました時には、ミッシェルはすっきりした顔で鏡の前で髪に櫛を入れていた。

 普段は結い上げている淡い金髪をおろしていると、たんぽぽの綿毛のようにモワモワとふくらんでいる。


「マリー、私は部屋に戻るわ。ありがとう」


 ミッシェルの言葉に、マリーは戸惑う。


「えっ、でも……大丈夫?」


「うん。ずっとマリアの部屋にお世話になっている訳にはいかないもの」


 そうミッシェルは自嘲の笑みをこぼす。


(ミッシェルの部屋の扉や窓に鍵がかけられていたというなら、部屋に入れるのは学校関係者……女子寮に入っても不審な目で見られない人物というと、女生徒と考えるのが自然なのかしら……?)


 けれど、マリーはそんなことをするような相手が思い浮かばない。

 女子寮に悪意を持った人物がいると思うと怖気おぞけ立ってしまう。

 ミッシェルのことが心配になって言う。


「プリシラ先生に言って、鍵を替えてもらうっていうのは? 難しいかもしれないけど部屋を替えるとかも……」


 ミッシェルはゆるく首を振った。


「ううん。私のために、そこまでさせられないわ。それに、もしかしたら私が鍵をかけ忘れてしまっていたのかもしれないし……」


 ッシェルは思い返すようにしながら首を傾げている。


(ミッシェルが鍵をかけたおぼえがあるというなら、犯人は鍵開けの達人とか……?)


 世の中には針金だけで鍵を開けてしまう盗人もいるらしいし。

 しかし、それは恐ろしい想像だったので、口をつぐんだ。むやみにミッシェルを不安にさせられない。

 マリーはミッシェルと別れて食堂でカルロと食事を取った後、急いで女子寮と男子寮の間にある約束の広場に向かった。

 すでにそこにはエマとロジャーが待ち構えていた。


「遅くなって、すみません……!」


 マリーは慌てて深く頭を下げた。カルロが一緒に行くとごねて、なかなか放してくれなかったのだ。


「いや、気にするな。私達も今きたばかりだからな」


 そう気安くエマは言う。


「あの……じつはご相談したいことがあって……」


 マリーは申し訳なさを感じながら今の状況を説明した。

 昨夜、ミッシェルのドレスが破られたことを。そして、その代わりの衣装を作るために全力を尽くしたいと思っていることを。

 エマとロジャーは黙ってマリーの話に耳を傾けてくれた。

 全て話し終えると、エマはそばにあったベンチに座り込み、片手で顔を覆って大きなため息を吐く。


(呆れられた……?)


 当然だ。マリアの身代わりになると約束したのに、それができなくなるのだから。

 マリーの正体が【織姫】だということを知る者は多くはない。しかし、彼女の素性を知るギルアンが同じクラスにいる以上、マリーがドレスを本気で作れば彼に見破られてしまう可能性が高まる。

 それはシュトレイン伯爵家の破滅につながってしまうのだ。責任のある立場のエマがそんなことを許すはずがない。

 マリーは気持ちが揺れるのを感じた。


(ミッシェルのために本気のドレスを作りたいと思うのは、愚かなことなのかしら……)


 それでも、どうしても譲れなくて、マリーは深々と頭を下げる。


「本当にごめんなさい……っ! お金は全て返します。これが終わったら、私は学校を去りますので……お約束が守れなくて、本当に申し訳ありません……!」


 そう口にした後で、これがカルロと離れ離れになってしまう決断だということに気付いた。


(いえ……最初から期間限定の婚約者だったのよ。マリア様が戻ってくるまでの)


 分かっていたはずなのに、マリーは己の想像に深く傷ついた。

 それなのに、職人としての│矜持きょうじを捨てられない。悲しげなミッシェルの顔が脳裏から離れなかった。

 しばらく何か考えている様子だったが、エマがぽつりと言った。


「いや……これで良かったのかもしれない」


 ロジャーが不満げに眉を寄せた。


「エマお嬢様……」


 エマはゆるりと首を振る。


「これは私達の……そして、マリアの責任だ。妹がやった馬鹿な行いの責任を、マリーに取らせる訳にはいかないだろう。そもそもが無理な入れ替わりだったんだ」


「しかし……」


 そう言いかけたロジャーをエマは片手で制する。


「これは次期シュトレイン伯爵としての決断だ。マリーはヴァーレン祭が終わったら行方をくらます。お父様にもそう伝えよう。この事態の責任は私が取る。──なぁに、元の状態に戻るだけだ。しばらくマリアは病気で療養のために休学しているという設定にしておく。一年くらいは、それで誤魔化せるだろう。その間にマリアを死に物狂いで探すさ」


 そう淡々と話すエマに、ロジャーは頭を深く垂れて言葉を詰まらせる。


「……主のお覚悟、受け取りました。お言葉通りにいたします」


「頭脳労働はお前の仕事だ。任せたぞ、右腕。なぁに、私は諦めた訳じゃない。マリアを見つけたら縄で縛ってでも連れ戻すさ。ギリギリまでどうにか足掻いてみよう。私は悪あがきが得意なんだ」


 エマはロジャーにそう軽口を叩くと、ひょいっと立ち上がり、マリーに向かって言う。


「……マリーへ渡したお金は迷惑料ということで受け取ってくれ」


「そんな……受け取れません!」


「良いんだ。他人のマリーをうちの騒動に巻き込んでしまったからな。そのくらいはさせてくれ」


 そうエマに言われて、マリーは唇を引き結んでうつむいた。


(他人……そう、他人なのに……)


 いつの間にか、『お姉様』と呼ぶうちに、本当の家族のような気持ちになってしまっていたのだろうか。

 そんな自分に気付いて、マリーは言葉を失った。シュトレイン伯爵を姉と思うなんて身の程知らずにもほどがある。


(──これも全て自分がした選択だわ。もう、『お姉様』なんて呼べない……)


 目が潤んできた。

 どうにか『マリア』の立場にすがりつきたいと思ってしまうのは、思った以上に居心地の良かったからだろう。

 姉妹のいなかったマリーに、エマは家族の存在を感じさせてくれた。


(……やっぱり、私は間違っているの?)


 ここでシュトレイン伯爵家に迷惑をかけてしまうなら、諦めるべきなのだろうか。答えの出ない問いにマリーは内心鬱々とした。

 エマはボソリと口にする。


「……まぁ、とはいえ、皇太子がマリーを手放すかどうかは分からないけどな。草の根をかき分けても探し出そうとしてくるかも……」


 マリーは驚いて目を丸くする。


「そうでしょうか?」


「ああ、以前の『マリア』ならともかく。今の『マリア』ならな。カルロ殿下はそうする気がするよ。昨日の溺愛ぶりを見ればな」


 昨日、食堂でカルロのマリーへの態度を見ていたエマは、そう感じたらしい。

 マリーは表情をくもらせる。


「……それなら、それだけカルロ様はマリア様を愛していらっしゃるということなのでしょう」


 ならば、なおさらマリーはこの立場ではいられない。本当の持ち主に『マリア』の名を返すべきなのだ。

 エマはすっきりしないのか首をひねりながら言う。


「なんか、釈然としないものがあるんだけどな~。何かを見落としているような……って、もうこんな時間か。マリー、行くぞ」


「えっ、ど、どちらへ?」


 困惑しながら問いかけたマリーに、エマはきょとんとした様子で言う。


「何を言っている? 残った時間はわずかなんだろう? ドレスを仕上げるために、足りない材料を町に買いに行くぞ」


「えっ? で、でも……」


 エマ達には手伝う義理もないはずだ。これはマリーがやろうと決めたことで、むしろエマには迷惑なことのはずなのに。


「私もそのミッシェルとかいう娘を放っておけないからな。私が困っている娘を見捨てるような冷血に見えるか? 手伝わせてくれ。この後のことは起こってから考えよう。……私たちは一蓮托生だろう?」


 その言葉にマリーの胸がじんと温かくなる。


「次期シュトレイン伯爵……」


「いや、まだ今は『お姉様』だ」


 エマは照れたように咳払いして訂正する。

 ロジャーは思慮深げな表情でこぼす。


「──我々配下は、ただ主の命令に従うのみです。エマ様、マリー様。それでは急ぎましょう」


 そうロジャーに急かされて、エマは「おう」と言って校門の方に進んで行く。

 従者に初めて『エマ様』と呼ばれたことにも気付かない様子で。


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