第十四話 疑惑

 ヴァーレン祭まであと二週間と迫っていた日の休憩時間──エセルがとうとう我慢ならないというふうに机を叩いた。


「もう! ミッシェルさんは一体いつになったら、登校してくるんですの!?」


 マリーは自身の前の空の席を見つめた。ミッシェルは高熱で五日間も授業を休んでいるのだ。当然、休憩時間や放課後の練習にも出られていない。


(一度お見舞いに行ってきたのだけど……とてもしんどそうだったわ)


 ライラ役をやるために張り切っていたから、無理をしすぎてしまったのかもしれない。

 しかし劇の練習に五日も主演がいないという状況では、他のメンバー達から不満の声が出てきてしまうのは当然と言えば当然だった。


「このままミッシェルさんは主演を辞退なさったらよろしいのにねぇ」

「そうよ。彼女には分不相応だと思っていましたもの」


 そう、エセルの取り巻きの女生徒達がせせら笑う。


(……ミッシェルだって、頑張っているのに……っ)


 拳をぎゅっと握りしめて、ミッシェルの顔を思い出す。まだ彼女の悪口を言い続ける女生徒達に我慢がならなくなって、マリーはとうとう立ち上がった。

 臆病な彼女にとって相手に注意をすることは嫌で仕方ないことだったが、ミッシェルの名誉のために言わねばならないと感じたのだ。

 スカートのポケットに入れたブローチをひそかに握りしめながら、どうにか勇気を絞り出してエセル達の元へ向かった。


「あ、あの……その、ミッシェルはライラ役にふさわしい方だと思います。そんな言い方は良くないと思い、ます……」


 声が尻すぼみになってしまった。

 声も体も震えていて少々情けない感じではあったが、どうにか反論できた。


「あら? マリア様が口を出してくるなんて珍しいですのね。……でも、ミッシェルさんはライラ役を降りた方が良いと思いますわ。衣装だってまだできていないようですし、それに練習にも長いこと参加できていませんもの。皆に迷惑をかけているんですのよ」


 そうエセルに小馬鹿にするように言われて、マリーは一瞬言葉に詰まる。ミッシェルの体調のことはどうにもできないが、ドレスについては別だ。


「ラ、ライラの衣装は……できています。衣装係の私が預かっているので」


 ちょうどミッシェルが休む前の日に衣装は完成していた。あとはミッシェルに渡すだけだったが、彼女が熱で休んでいたため未だに自室に保管してある。


「あら? そうなんですの? それなら、マリア様がその衣装を着て、オペラの練習に出てくださいません? ミッシェルさんの代わりに」


 突然そう提案されて、マリーはぎょっとする。


「え……? なっ、なぜ私が……!? わ……私は衣装係ですし、演劇なんてやったこともないズブの素人ですよ!? 無理に決まっていますっ」


「ライラ役がいないと私は上手く演じることができませんの。……それに、マリア様とミッシェルさんは体型が近いので衣装も入るでしょう? 衣装が完成したということなら、もうマリア様のやり残した仕事はないでしょうし」


「そ、それはそうですが……で、でも……っ」


「下手でも良いんです。マリア様に上手な演技なんて期待していませんもの。台本の台詞くらいはおぼえているでしょう?」


「そう……ですが……」


 エセルは髪をかき上げながら、大仰にため息を落とした。


「そこまでミッシェルさんがライラ役にふさわしいと豪語するなら、彼女が復帰するまでマリア様が代わりをしてくださるのが筋というものですわ!それができないなら文句を言わないでくださいませ。迷惑です!」


 そう言われて、マリーは息を飲んだ。

 確かにエセルが言うことももっともだった。マリーがしていることは外野から口出ししているだけなのだから。


(……きっと、エセルさんも真剣に舞台のことを考えているからこそ、そうおっしゃっているのよね……)


 一日や二日なら、皆も『そういうこともあるさ』とミッシェルの欠席を優しく受け止めただろう。

 しかし、現状いつミッシェルが戻ってこられるか分からないし、これ以上休まれると不安なのだ。


「……わ、分かりました。下手くそだと思いますが……その、やってみます」


 マリーは戸惑いながらも、そううなずくしかなかった。






(どうして、こんなことに……)


 マリーは内心べそをかきながら、放課後の渡り廊下を速足で移動していた。

 両手には大袋いっぱいの舞台衣装と針金で作った大きな補正具が入っている。自室で着て行っても良かったのだが、目立ちたくなかったので衣装を持って行くことにしたのだ。


(でもこんなの、どっちにしても目立っちゃうよ……)


 衣装なしでも良いじゃないかと思うのだが、エセルが『本番に近いほど良いに決まっているでしょう。役になりきるのです』と譲らなかったのだ。

 多目的ホールでマリー達の練習は行われる。近くに女子更衣室もあるから、そこでマリーは着替えるつもりだった。

 大荷物を抱えて角を曲がったところで、誰かとぶつかって袋を落としてしまう。一部の衣装が袋から出てしまった。


「あっ……ご、ごめんなさい!」


 マリーはとっさにそう言って、相手の顔を見て凍りつく。

 そこにいたのはギルアンだった。

 ギルアンは無表情で袋と衣装を拾い上げる。

 渡してくれるつもりなのだろうと察して、マリーは「……ありがとう」と言ってぎこちなく手を差し出した。手が震えないよう意識する。

 しかし彼は手渡そうとしない。


「……返して」


 早く立ち去りたくて気持ちが焦ってしまう。

 今すぐ回れ右して退散したかったが、ギルアンに衣装を取られている以上、ここから動くことはできない。

 まじまじとドレスのレースを眺めながら、ギルアンは言う。


「これ、お前が作ったのか? ふぅん……まあ、とてもマリーには敵わない出来だが、悪くはない」


 そう言われて、マリーは冷水を浴びせられたような気分になった。血の気が引いていく。


(大丈夫よ。そんなふうに言うということは、マリーだと疑われていないということだもの……)


 そう自身に言い聞かせて、ぎゅっと目を閉じて深呼吸した後、強張った表情筋を無理やり笑みの形に動かした。


「そう? ありがとう。さっさと返してくれる?」


 マリーはそう言って手を差し出したが、ギルアンはいっこうに返してくれる気配がない。

 ギルアンは観察するような眼差しで言う。


「俺には幼馴染のマリーという女がいてな……じつは彼女が行方不明になっているんだ」


「へ、へえ……それはお気の毒だけど。どうして私にそんな話を?」


「彼女が、お前にそっくりなんだ」


(ダメよ……! 目を逸らしちゃ……!)


 顔を背けたら負けだ、と思う。

 マリアはそんな態度は取らないはずだから。いつも堂々としている彼女なら、ギルアン相手に臆する訳がない。


「……それが何?」


 マリーは恐怖心を抑えながらギルアンを見つめ続けた。昔のマリーだったら、とっくにギルアンから目を逸らしていただろう。


「いや……最初はこれほど似た人間っているもんだな~と驚いただけだったが。俺が前に言った言葉をおぼえているか?」


(ギルアンがマリア様に言った言葉……?)


 そんなもの分かるはずがない。二人はそんなに交流をしていたのだろうか。


(こんな時、マリア様だったら何と言う?)


 どう言えば不自然じゃないのか分からなかった。

 マリーは冷汗を流しながら瞬時に考えを巡らせる。悩んで悩んで、ようやく言った。


「さあ? あなたのことなんかに興味ないから、おぼえていないわ」


 カルロに会った記憶さえ忘れているくらいなのだ。


(マリア様は海賊王以外には興味がない……。だからこの返答で間違っていないはず)


 ギルアンは安堵したような落胆したような複雑な笑みを浮かべた。


「そう。それでこそ、マリアだ」


 ギルアンはマリーに衣装を押し付ける。


「……俺も馬鹿なことを考えたものだ。お前が『精霊のお姫様』のリオンのように、ライラに成り代わったのかと一瞬でも思ってしまうとは」


「……あ、あなたがそんなに想像力が豊かとは思わなかったわ」


 内心ギルアンの鋭さに驚き、おびえた。

 ギルアンは肩をすくめる。


「違いない。俺もずいぶん疲れているようだ。──じゃあな。俺はプリシラ先生に用事があるから、もう行くぞ」


 そう片手を上げて、ギルアンは職員寮の方に去って行った。


(やっと、どこかへ行ってくれた……)


 マリーは脱力して壁にもたれかかる。

 ギルアンがそばにいるだけで嫌な汗が噴き出すし、勝手に涙が出てきそうになるのだ。今回はどうにか誤魔化せたが、次はうまくいくか分からない。


(……どうか、これ以上関わらないでほしいわ)


 ため息を落とした時、すっと目の前に影がかかる。顔を上げると、そこはカルロが立っていた。


「カルロ様……」


 目を驚愕に見開く。


(もしかして、会話を聞かれてしまった……?)


 そう不安になっていると、カルロは「遅かったので迎えに来ました。皆さんもう集まっていますよ」と言った。

 その顔はいつもと同じ無表情で、何を考えているかは窺い知れない。


「あっ、そうだったんですね……。わざわざ迎えに来てくださったんですか?」


「……ええ。荷物重そうですから、僕が運びます」


 そう言って袋を持ってくれる。さすがに皇太子にそんなことさせられない、とマリーは断ろうとしたが、カルロは有無を言わせなかった。

 二人とも押し黙ったまま更衣室に向かっていく。


「あ、あの……さっきは何も聞いていませんよね?」


 マリーがおそるおそる尋ねると、カルロは足を止めて彼女を見つめた。


「さっきとは?」


「その……ギルアンとの会話を、もしかして聞かれていないかと思いまして……」


「聞いていたら何だと言うんです?」


「そっ、それは……」


 マリーは答えに窮して、うつむいた。

 ギルアンの話していた『精霊のお姫様』のように、マリアとマリーが入れ替わったのではないかと疑われてしまったら困る。

 しかし、この質問自体がボロが出るような発言だったかもしれない。

 マリーが落ち着きなく視線を泳がせていると、カルロは深く息を吐いた。


「……何も聞いていませんよ。僕がきみを見掛けたのは壁にもたれていたところからです。何かギルアンと話していたんですか?」


「い、いいえ……本当にくだらない話ですので。お気になさらず」


「……そうですか」


 そうマリーが言うと、カルロは先に歩き出してしまう。

 ──だからカルロがどんな表情をしているか、分からなかった。



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