第10話 クリス
グラハムは帝都にきてから暮らしてた宿屋から、王宮にほど近い小さな屋敷へ引っ越した。
王宮から支度金が出たので見栄を張ったのだ。今後は王宮に出仕し様々な助言をすることもある、そのためある程度の身なりと生活をしていないといけない。
屋敷といっても少し大きめの家といった感じだ。小さな庭があり井戸もある。生活するには十分だ。
「ロイア殿、なにからなにまですまない。この恩はいずれ返そう」
グラハムは隣のロイアに礼を言う。この家を見つけてきて各種手続きやら生活必需品を仕入れてきてくれたのはすべてロイアの手配だ。
「なにをいっているのですか、グラハム卿。陛下からあなたの世話をするようにと命令を受けています。…それと私の名前はロイアでかまいませんよ」
「ああ、…了解だ。ありがとう、ロイア」
「いいえ、どういたしまして。…片腕ではなにかと不自由でしょう。あなたの生活を助けるものを呼んでおきました…クリス来てくれ」
ロイアが家の外に向かって声をかけると、一人の少女が現れた。銀の髪、碧眼のロイアによく似た少女だ。
「僕の双子の妹、クリスだ」
「クリスといいます。よろしくお願いいたします」
「…グラハムだ。よろしくたのむ」
グラハムはいきなりのことで面食らったものの、慌てて挨拶を返す。
ロイアとクリスは双子というだけあってそっくりだ、切れ長の瞳にスラッとした立ち姿まさに美形兄妹だ。
クリスの表情がいささか硬いがこれはグラハムと初めて会ったからだろう。
「…ありがたいが、俺は自分のことであれば一通りできるので、世話役とかはとくに不要なのだが」
グラハムは従軍経験もあるので自分のことは一通りできる。伯爵家の長子であれば士官待遇で従卒もついたが父親の方針でほぼすべて一人でやっていた。
「その腕ではなにかと不便ですよね? 妹は家事全般できるのでまかせてください…たださすがにベットの相手はさせる気はないので、希望するならクリスと交渉したうえの自由恋愛でお願いします」
面白がっているようなロイアの言葉にグラハム微妙な顔を返す。
「…よろしくお願いいたします。兄さんの戯言などは気にしないください。グラハム様」
クリスは硬かった表情をさらにこわばらせて再び挨拶する。
クリスは隠しているのかもしれないがグラハムから見ると、警戒心丸出しでまるでハリネズミのようだ。
自分はそんなに女に飢えているように見えるのだろうかと、グラハムは少しショックを受ける。
「とりあえず今日の夕食を作ります。ついでだから兄さんも一緒に食べていくわよね? …グラハム様、よいですか?」
「ああ、もちろんだとも」
ついでに兄妹で泊まっていけば、トラブルもないだろうにとグラハムは思いながら返事をした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
帝都での日々は、ゆるやかに過ぎていく。
王国も帝国も人々の営みは変わらないのだとグラハムはしみじみ思う。
グラハムは王宮に出仕し官僚の真似事をしている。帝国にきたばかりの自分に任せてよいものかとか思っていたが、どうも王宮内を粛清しすぎたせいで人手が足りないらしい。
あの幼い皇帝陛下は予想通り苛烈極まりない性格のようだ。
汚職している役人や税収をごまかしている貴族を、次々追放や縛り首にしていく。
最初に後継争いで有力者がほとんどいなくなったため、一人残った皇帝の権力が集中したのだ。
さすがにやりすぎなのではと思ったが、皇帝自身が有能なことと、皇帝自ら平民から引き立てたものが優秀なため国が回っている。
皇帝の強烈な意思は、各部に浸透し大車輪のように帝国を動かしていく。
優秀な皇帝がいる限り、国が強固になる正しいやり方なのだろう。
クリスとの日々も問題なく過ごせている。お互いを尊重してあまり立ち入らないのが功を奏しているようだ。
ロイアも妹が心配なのか頻繁に顔をだして泊っていく。
利き手を失った生活は予想以上に不便だった、助けてくれるクリスには感謝しかない。
グラハムはクリスへの日頃の感謝を表すため、焼き菓子をつくろうと市場で材料を買って来た。
小麦、砂糖、卵、バターなどだ。
帝国では食糧事情のせいかお菓子類はあまりない。なにか美味しいお菓子でもと思ったがなにもないため仕方なく自分で作ることにしたのだ。
露店によく売っている金細工のアクセサリーなども検討してみたが、墓穴を掘りかねないのでやめることにした。
送った品物がなにか特別な意味を持っていたなどということは避けるべきだ。それらは帝国の風習を理解してからでも遅くはない。
「…グラハム様、いったい何をされているのですか…?」
厨房でガタガタと作業しているグラハムをみて、クリスは戸惑った声を上げる。
「クリス!、いま焼き菓子を作ろうとしているところだ。もうしばらくかかるがあとで一緒に食べよう!」
「焼き菓子ですか? もしかしてグラハム様がつくられるのですか…?」
「うむ。恥ずかしながら料理は俺の気分転換の趣味みたいなものなのだ。さすがに帝国にきてからはやっていなかったが…結構うまいといわれていたぞ」
そこまで言ってグラハムは主に食べさせていたがニーナであることを思い出した。ニーナは何を食べさせても美味しいとしか言わなかった。それが本心だったのか偽りだったのか、いまとなってはわからないが。
元々しょっちゅう小腹を空かせていたニーナのために料理を覚えたのだった。
もはや苦い記憶でしかない。
「…まぁ、とにかく完成したら食べてみてくれクリス、感想を聞かしてもらえるとありがたい」
「わ、わかりました。片手だとなにかとやりにくいでしょうから私も手伝いますね…」
クリスはおずおずといった感じでグラハムを手伝い始める。
「ありがとう、ではこちらでかたずけをたのむ。…うん、なかなか良い具合に焼けた」
グラハムはクッキーを皿にのせ、一枚を味見する。
「まぁまぁじゃないかな。クリスちょうどいいからこのままお茶にしよう」
「…わかりました、お茶を入れますね」
クリスは相変わらず微妙な顔のままお茶を入れる。
二人でテーブルに向かいあって座りお茶を飲む。真ん中にはグラハムの作ったクッキーがある。
クリスはなにか居心地が悪いのかソワソワして落ち着かないようすだ。
グラハムはクリスが淹れてくれたお茶を飲みながら、改めてクリスを見る。
肩で切り揃えられた銀髪の髪は整えられていて、光に反射して輝いている。切れ長の碧い瞳はともするとキツイ印象を与えかねないが、髪と合わることで柔らかい印象に変わっている。身体はスレンダーで兄のロイアとならんでも、体の凹凸にそう違いがないのではないかと思う。
「グラハム様、…何を考えてるのですか?」
視線を感じたのかクリスが目を細めて聞く。切れ長の目がさらに細間って氷のような印象受ける。
慌ててグラハムはなんでもないと首を振る。
改めてお茶を飲み、クリスに自ら作った焼き菓子をすすめる。
「王都であればこういう焼き菓子の屋台や店があちこちにあったのだが、帝国は正直食べ物屋が少なくて不便だと思うのだ。クリスには日頃世話になっている、その感謝を込めて作ってみたのだ。食べてくれないか」
「…あ、あのですねグラハム様。男の方が料理をする意味をご存じなんですか…?」
「意味? 確かに料理などは男がやるものではないという意見は多いが…帝国では屋台が少ないからな。日々の食事などを自分で用意する人間もおおいのではないか?」
「いえ、知らないのであればいいんです。ええ、問題ありません!」
クリスはクッキーを手に取ると口に運ぶ。
「あ! 甘くて美味しい…」
クリスは目じりを下げふにゃふにゃとした顔をする。
グラハムはクリスが喜んでくれてうれしく思うが、クリスの表情がここまで柔らかくなるのは意外だった。クリスはどこか抜き身の刀のような冷たいイメージがあった。
「グラハム様は、料理が上手なのですね。ありがとうございます。とても美味しいです!」
「よろこんでもらえて俺もうれしい。クリスには日頃から世話になっているからな、少しでも恩を返せているとよいのだが」
グラハムがゆっくりお茶を飲みながらクッキーを食べるクリスを見る。
そこに狙いすましたかのようにロイアが顔を出した。
「いや、二人でいちゃついているところ申し訳ないのですが…」
「いちゃついているって、…兄さん変なこというのは止めてください!」
クリスはロイをにらみつける。
「グラハム卿が作った料理を食べて、ふにゃふにゃになっている妹よ、ちゃんと返事はしたのか?」
「な、なにをいっているのですか! 変なことをいうのは止めてください!」
クリスは顔を赤くして慌てて立ち上がる。
ロイアはそんなクリスをしり目に微笑みながら爆弾発言をする。
「あの、実はですね。男性が料理して女性に食べさすことは、帝国ではプロポーズにあたります。
女性がそれを受けるのであれば、お礼をいって食べる。ということになります。帝国に古くからある風習なのですが…グラハム卿はご存じでしたか?」
クリスは真っ赤な顔をして座り込んでしまった。
「…すまない。そんな風習があるとは知らなかった。そういうつもりではなかったのだ」
グラハムは、クリスに頭を下げて謝罪する。
先ほどのからクリスが微妙な態度をしていたのはそのせいだったのかと、察しの悪い自分にうんざりする。
「いえ、大丈夫です。他国のかたにはあまりなじみのない風習ですから仕方ありません。気にしないでください」
クリスは顔を赤くして俯きながら恥ずかしそうにいう。
「えーすみません。僕もいうのは野暮かなとも思ったのですが。今後グラハム卿があちこちの女性に手料理をふるまったりすると、いろいろトラブルの原因になると思いまして…」
ロイアは頭をかきながら言う。
グラハムはそんなロイアを白い目で見る。
絶対こいつは面白がってただろう。グラハムはロイアの性格がだんだんわかって来た気がした。
「…せっかくだ、ロイアも食べてくれ。ちなみに男同士の場合はさっきの話は有効なのか?」
「さすがに男同士では聞いたことはありませんね。…あ!美味しいです」
「帝都で露店の屋台が少ないのもこれが要因なのか?」
グラハムが通りの屋台を思い出せば屋台の店主はほとんどが女性だったように思える。
「ええ、要因のひとつではあります。むろんこういう風習を気にしない人もいるのでそれほど影響はないかもしれませんが。
…ただ、もともと帝国は食料事情がよくないので、食料の値段が高騰しがちです。食材費が乱高下しやすいので食べ物屋をやるには少しリスクが高いですね」
「…なるほど」
「噂では近日に中に、食料事情が好転するかもしれないという話があるとかないとか…」
ロイアは肩をすくめながら意味ありげに笑う。
「…それはたのしみだ…」
グラハムは残った左腕で、爛れたあとの残る右顔面を触りその感触を確かめながらいった。
「ほんとうにたのしみだよ…」
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