第44話 完売御礼
「今日も完売だなんてすごいじゃない。これもリリスさんのおかげね」
あれからジャクリーヌさんが復帰するまでという約束で毎日売り子をしているのだが、ここ数日は開店前から行列ができてあっという間に完売するようになった。
パン自体はとても美味しいので、やはりジャン=パンメトルさんの接客が問題だったということだろう。
ただ、客の一部は明らかに俺を目当てで来ている。エロフだけあってやたらと見た目がいいうえにこの制服だ。俺だって近所にこんなパン屋があったら通う気はするので気持ちは分かるのだが、なんとも複雑な気分である。
「これなら安心して赤ちゃんを産めるわ。ありがとう、リリスさん」
「はい。ジャクリーヌさんが復帰できるまでは頑張りますよ」
「ふふ、頼もしいわ。むしろずっといて欲しいくらい」
「ありがとうございます。でも冒険者ですから……」
ありがたい申し出ではあるが、動画のネタを探さなければいけないのでずっと一ヵ所でというのは難しいだろう。
「そうよね。エルフのお嬢さんで、記録の女神アルテナ様の使徒ですもんね。うちのお店だけで独占するわけにはいかないわね……」
ジャクリーヌさんはそう言うと寂しそうに微笑んだ。
「そうですね。でも、きっちりお店の評判を上げておきますから。ジャン=パンメトルさんは美味しいので、一度食べたらきっと常連さんになってくれますよ」
「そうね。あなたのパンは美味しいものね。ね?」
「あ、ああ……」
話を振られたジャン=パンメトルさんはぎこちなくそう答えた。
しばらく接してみて分かったが、ジャン=パンメトルさんはとことんコミュニケーションが苦手なタイプだ。ただ黙々と何かの作業をやるのは得意なので、こうして美味しいパンを焼く技術はものすごい。
気になるのは一体どうやってこんな美人のジャクリーヌさんのハートを射止めたのかだが、なんと猛アタックしてきたのはジャクリーヌさんの側かららしい。
なんでもあまりにも美味しいパンにジャクリーヌさんが惚れこんだらしく、半ば押しかけ女房のような形で結婚したのだとか。
そのうえジャクリーヌさんはジャン=パンメトルさんのようなちょっと厳つい寡黙な年上男性が元々好みだったそうで、ジャクリーヌさんとしては割と理想の夫ということになるらしい。
この結婚に周囲は大変驚いたそうで、まあ、なんというか、うん。俺もそう思うが、二人が幸せならばそれでいいのではないかと思う。
「それじゃあ、今日はこれで失礼します」
「リリスさん、ありがとうございました。明日もよろしくお願いしますね」
「はい」
こうして俺はラ・トリエールを後にし、冒険者ギルドへと報告に向かうのだった。
◆◇◆
「リリスさん、おかえりなさい。今日もまた早いですね」
受付カウンターではいつものお姉さんが俺を出迎えてくれる。
「はい。最近は開店前に行列ができていて、すぐに売り切れますから」
「お噂は伺っています。ラ・トリエールさんからも感謝のお声を頂戴しております。奥様が復帰されるまでとの契約でお受けしていますが、この調子でしたら次のお仕事もすぐにご紹介できると思います。何かご希望はございますか? 売り子やそれに類する仕事でしたらより高級店でのお仕事もご紹介できますよ」
「……そうですね。もう少し色々なことをしてみたいです」
「色々、ですか。やはり魔物退治などのお仕事をご希望ですか?」
「それもしてみたいです。少なくともゴブリンであれば倒せますし」
すると受付のお姉さんは眉をひそめた。
「……ゴブリンですか。ご存じかと思いますが、ゴブリン退治は女性の冒険者にはオススメしておりません。ただ禁止というわけではありませんので、狼や猪などの害獣駆除を通じて実力を証明していただく必要がございます」
「なるほど」
たしかにミニョレ村郊外での惨事を考えれば女性をゴブリンから遠ざけるという判断は妥当だろう。おそらく集中的に狙われるだろうし、トマのようなやつが味方にいれば囮にもされかねない。
俺としてはイカ臭い点を除けばゴブリンは食料なので構わないわけだが……。
「どうなさいますか?」
「そうですね。まだ先ですのでどうするかはちょっと考えてみます」
「かしこまりました。それでは本日もお疲れ様でした」
「いえ」
こうして俺は今日分の報酬を受け取り、ギルドから出ようと歩きだした。
すると併設の酒場で飲んでいた巨漢の冒険者たちが赤ら顔で近づいてきたかと思うとニヤニヤと好色な笑みを浮かべながら俺に声をかけてくる。
「よう、姉ちゃん。魔物退治の依頼を受けてぇえんだって? なら俺らが連れて行ってやろうか?」
「はい?」
「魔物退治の依頼はパーティーが基本だぜぇ? なら俺らがその手ほどきをしてやるよ」
何やらそれっぽいことを言ってはいるが、こいつらの視線が俺の胸に突き刺さっている。
強かな女であればこういう男を手玉に取って上手く利用するのだろうが、生憎そんな器用なことはできそうにない。
「ごめんなさい。今は大丈夫です」
「なんだよ。つれないこと言うなよ。なぁ?」
「そうだぜ? そんな細腕で一人で外に行くなんざ、危ねぇぜ?」
「そうだぜ? 外じゃ何が起こるか分かんねぇからな」
「魔物を倒すはずが、モンスターにヒイヒイ言わされるかもしれねぇぜ?」
そう言うと、男たちは下卑た笑い声を上げる。
魔物? モンスター?
意味が分からずにいると、受付のお姉さんが大慌てで駆け寄ってきた。
「ロドリグさん!」
「あ? なんだよ」
「今の発言は、リリスさんを町の外で襲うという予告にも取れます。今後、もしそのような事態が発生した場合は真っ先にロドリグさんたちに疑いの目が向けられることになりますよ?」
「ぐ……な、なんだよ。ちょっとした冗談だよ。なぁ?」
「おう。そうだそうだ。そんなことするわけねぇだろ?」
「……わかりました。くれぐれも迷惑を掛けないようにしてください」
「ちっ。わかったよ」
そういうと男たちはぞろぞろと自分の席に戻っていった。
「リリスさん!」
「は、はい」
「いいですか? リリスさんはただでさえ男性冒険者に目をつけられています。レティシア様のご紹介ということで多少の抑えは効いていますが、それでもあのように絡んでくる者もいます。話しかけられてもきっぱりと断って、あとは無視してください。エルフであるリリスさんの見た目は人間のそれと比較して際立っていることをどうぞお忘れなく」
「あ、はい。すみません」
こうして俺は受付のお姉さんに助けてもらい、なんとか冒険者ギルドを後にしたのだった。
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