10/1 キッズ・ルーメン

 「ほないってくるでー」って声にねぼけながら「うーん」って返事してまたねる。

 その後宅配便のピンポンに起こされて起きてそのままきのうの晩ごはんの肉(味噌っぽい焼き肉のタレ?的なんがからめてある肉。言葉で表現しにくい)ごはんにかけて卵かけてまぜて焼き肉卵かけご飯にして食う。うまっ。

 食いながらにじFesの放送見る。きのうのFANTASIA DAY1よかったなーめっちゃ。

 母さんはさっき京都の母方の実家に行ったし父さんは父さんでけっこうまえから福岡の父方の実家にいってるからこの土日は家にひとり。ふたりとも両方のおばあちゃんの状況がちょっとよくなかったりで介護とかにいった感じ。ちょっと心配やな。

 てわけでひとり。ってかそれ以前にそうおれ実家住みやねんな。たぶんこれまで書いてへんかったけど。ようするに「子供部屋おじさん」ってやつやな。KidsRoomManや。

 

 ピーナッツくん - KidsRoomMan (Prod. nerdwitchkomugichan)

 https://www.youtube.com/watch?v=TpTCfdTESAs

 

 ピーナッツくんはすげぇよな「子供部屋おじさん」って言葉をこんな感じでポジティブに捉え返す表現ってこれまでほかのひとやってた? おれが知らんだけかもしれんけどなさそうやんなー。

 じつはこれ日記小説書いてる理由とも関係あるから書いとこ。きのうクッキークリッカー小説ひとまず完成して初稿として提出したんで第2部開始って感じやな。ま。ようするにピーナッツくんみたいなことがしたいんよな。

 じつはクッキークリッカー小説よんでもらってもわかることではあるんやけど。これはおれ含む子供部屋おじさんとか。そうじゃないひととかの人生をまるごと肯定したくて書いてる。それが必要やと思うから。それができたら意味も価値もあると思ってるから。

 ほかに理由がないわけでもなくて唯一ってわけでもないけどそれが理由のひとつ。

 通常小説にはならんような。物語にはならんような人生をあえて小説にする。それは小説とか物語って制度への批判であり批評でありつつ。それが排除してしまう人生たちを肯定するための試みでもある――みたいな感じ。

 やっぱこうふだん小説書いてると。どうしても気になることがあるんよな。「小説」を書いてるなーってか。小説として物語として成立する為に題材も展開も描き方も無数の選別がかかってる。それはべつにわるいことではないけど。それによってゆがめられたり排除されてるもんはあるよなーって感じるから。そうじゃないもんも書きたいし。それとは独立して。そういう偏りとか選別によって小説や物語に救われるひとたちの属性も偏って選別されてる気がするからそうじゃない人に届きたい物語もこの世にちょっとくらいはあってええやろー。って気持ちがある。だから書いてる。

 まぁそういう動機を形にする方法はこれだけではぜんぜんないからたぶんまたぜんぜんべつの形で実現しようとするときもあるやろうけど。いまはこれ。って感じなんよなー。

 って感じ。

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