第6話 侯爵家グリムナント

 ああ胃が痛い胃が痛い。何ということだ、まったくどうしたものやら。


 我がグリムナント侯爵家が曾祖父の代よりこの地の領主に封ぜられていままで、これといった波風も立たずに過ごして来られたというのに、余の代に何故突然このようなことが起きてしまうのか。


 一週間ほど前、隣国ギルミアスの使節を乗せた馬車が我が領内に入った途端、盗賊に襲われてしまった。言い訳がましいかも知れないが、これが定例の使節団ならこんなことを起こしはしない。前もって盗賊狩りをして安全を確保するのが通例である。


 しかし今回の使節は事前の連絡もない突然の来訪だった。無論、王都へは何らかの情報が伝わっていたのだろうが、こちらは何も知らない。なのに使節が盗賊に襲撃された責任を当家にだけ問われても、いったいどうしろというのか。


 ギルミアス帝国は怒り心頭で、一部には軍隊を動かせという声もあるらしい。我が国の王宮政府は王宮政府で、この国際問題をグリムナント家で解決せよという態度だ。あまりにも一方的であり、あまりにも理不尽ではないか。


 ああ胃が痛い。本当に痛い。何か良い知恵はないものだろうか。


 執務室のドアがノックされ、衛士がドアを小さく開いてこちらを向く。


「文官頭のマルオス様です」


「通せ」


 巻き毛のカツラに鮮やかな赤い服をまとった文官頭のマルオスは、白い手袋に銀色の盆を持って入ってきた。


「ご領主様、ハースガルド公爵家より使いの者が参りまして、ふみを預かってございます」


 ハースガルドが文だと? この忙しいときに何だというのだ。無視をしてしまいたいところだが、曲がりなりにも公爵、下手に扱って後々面倒なことになってもかなわない。用件だけは頭に入れておくか。


「読め」


 小さく手を振ると、マルオスは一瞬躊躇ちゅうちょを見せた。


「私が読み上げても構いませんので?」


 マルオスもいま当家に降りかかっている災難を知らぬ訳ではない。それに関わる秘密の文面である可能性を考えているのだろう。


「構わん。だがいちいち全部を読み上げる必要はない。読んで要約せよ、余はいま忙しいのだ」


「はい、それでは失礼して」


 マルオスは盆の上の封筒を小刀で開けると文を取り出し、素早く目を通した。


「要約いたしますと、リメレ村との確執解消について、ハースガルド公が間を取り持ちたいとのことです」


「リメレ村だと?」


 思い出した。いまのいままで忘れていたものを思い出してしまった。生意気にも我がグリムナント家に盾突く平民どもめ。税率を倍にすると脅しても言うことを聞かん。確かに二十五年前、当家が手配した代官の態度にも問題はあったのだろうが、それを実力行使で排除するなど上下をわきまえぬ不届き至極。軍を派遣してもよかったものを、外聞もあって穏便に済ませたら調子に乗りおって。


 何が間を取り持つだ、ハースガルドめ。どうせ平民どもの人気を得たいがための行動だろうが、貴族の末席を汚す立場の者が情けない。恥を知れ、恥を。


「そんな手紙は燃やしてしまえ。使いは追い返せ、くだらん」


 まったくどいつもこいつも腹立たしい。余が温厚な人柄だからと図に乗りおって。


「あの、ご領主様」


「何だマルオス、手紙は燃やせと申したであろう。貴様まで余を怒らせるつもりか」


「そうではございません。ただ、ハースガルド公の屋敷にはいま評判の占い師がいるとの話を聞き及んでおります。もしや何かの手助けになるのではと思いまして」


「ふざけるな! 占い師ごときに何ができるというのだ!」


 と、怒鳴ってはみたものの。占い師か。


 冷静になって考えると、今般の問題はどうにも道理に外れたことが多いように思えてならない。当家の知らないところで何かが動いているのではないか。占い師か。占い師。


「……その占い師はよく当たるのか」


「たいそう当たるという評判にございます」


 マルオスは静かに微笑んでいる。こやつめ、以前から知っておったな。


 まあ考えてみれば、リメレ村のことは二十五年も前の話だ。いま当家に実害が出ている訳でもなし、別にこちらが頭を下げずに済むのならハースガルドの顔を立ててやっても構わないといえば構わない。


 ふむ、占い師の意見を聞いてみるのも悪くはないか。もしマグレでも当たればもっけの幸いだ。余が損をすることはなかろうしな。

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