きつねっこの恩返し

ハシバミの花

一つひととき人のもと

「キツネがきーんと鳴いたら気をつけるが良いさ。そいつは君を化かそうとしている合図だから」

 友人があるとき、そのようなふしぎを言いました。

 はて、キツネというのはたしか「こーん」と鳴くのではなかったかしら、そうきくと、

「化かそうとするキツネは、きーんと鳴くのさ。なんでもそれは、キツネが人を化かすときにだすかけ声だとも言うから」

 さように申します。

 そういえば、わたくしの里にも人に化けるキツネの昔語りがございました。

 それは、たいそうかわいらしい話でございました。



 ヤタロ、というのがこの物語の中心になる人物であります。

 貧しい生まれの男ではございましたが、性根やさしく、手先が器用なもので、季節ごとに職人のような行商のような、腰のすわらぬ生活をしておりました。

 時は江戸のなかばから末ごろでしょうか、雪のとけはじめた山道を、ヤタロは大きな荷物をかついで登っておりました。

 春の頃、なりの大きな体を右にえっちら左におっちら、問屋に桜草さくらそうをおろしにいった帰り道、家でこしらえる面やら竹細工やらの材料を風呂敷いっぱいにかついで歩いておりましたところ、

「おや、あれはなんだろう」

 下生えの中で、がさりがさりと音をたてるものがございます。

 こんな人里はなれた街道でもない山道に、まさか追いはぎでもあるまいなと、一応用心しながら近づきますと、こんがり黄色い、毛づやのよい体が見えます。

「なんだ、キツネっこじゃないか」

 どうやら仕掛け罠にかかってしまったようで、細縄に取られつりあげられた後ろ足を引きぬこうと、ずいぶん難儀なんぎしております。

「かわいそうに。しかしこいつをしかけた猟師のことを考えると、気楽に助けてやるというようにもいかないなあ。はてさて、どうすべきか」

 ヤタロが行商するのも仕事なら、猟師がキツネをとるのも仕事です。

 人里で獣肉は好かれませんが、山に住む者のあいだでは、キツネは珍味として鍋などに好まれております。

 そうはいっても目の前のキツネの小さく愛らしいこと。

 あれこれと悩んだ末、ヤタロはキツネを助けてやることに決めました。

「こらこらそんなふうに暴れるんじゃない、すぐに楽にしてやるから。ほうら、もう自由だ」

 縄の仕掛けを外してやりますと、キツネはとびあがってかけだし、しばらくふしぎそうにうろうろとして、ヤタロをじっと見つめて、それから薮に分け入って姿を消しました。

「もうつかまるんじゃあないよ」

 そう声をかけてやると、林の奥から

「こーん」

と鳴き声が返ってまいりました。

 とりのこされたヤタロでございますが、そのままにしておくのは猟師に悪いと思い、夜ごはんの楽しみにと町で買いこんでおいたニシンのひらき干しを一つ、キツネっこをつかまえていた縄にむすんでやりました。

「キツネ罠を仕掛けた猟師はたいそうおどろくだろう。なにせ、山に仕掛けた罠で海の魚がとれたんだから。もしかして、キツネに化かされたとかんちがいするかもしれないな」

 一人でおかしそうに笑いながら、ヤタロはまた、帰りの道を急いだのでございます。



 夜になり、ヤタロが囲炉裏いろりのかすかな火をたよりに、材料をより分けたりちょうどよい長さにきったりしておりました。

 ふと風もないのにおき火がゆれ、

「きーん」

 家のそとで声がしたかと思うと、トントントトン、誰かが戸をたたきます。

「はて、このような夜おそくに一体誰だろう。山の奥の奥になるこのあたりには俺一人しか住んでいないし、たずねる者などごくまれなのになあ」

 また旅人でも迷いこんだのかもしれない。

 もしそうなら一夜の宿と朝ごはんぐらいは出してあげよう、ヤタロが不意のまれびとをおしはかりながら戸を開けてやりますと、そこには夜風と虫の声しかございません。

「誰もいないなあ。どうしたのだろう。風で小石でも飛ばされたのかしら」

「ここよ」

 胸元で声がしたので見おろしますと、わらしが一人、ヤタロを見あげておりました。

 山のほうばかり見ていたので、背の低いその子を見のがしたのでしょう。

「おや、お前さんは?」

 ヤタロがたずねますと、わらしはとたんに恥ずかしそうにもじもじといたします。

 じっと見ると、なんともめんこい女の子でございます。

 ほっぺにまだ赤みの残る、おかっぱで細面の、黒目がちなつり目が、幼いながらも貴げでありました。

「一体こんな小さな女の子が、このように遅くになにごとだろうか、見たところ灯りも持っていないようだし、物騒におもわないのだろうか」

 この時代、山道を灯りなしでわたるのは、今よりもずっと恐ろしいことでありましたので、はてもさても今はわきに置いておき、ヤタロはその子を家にあげてやりました。

「そとはたいそう寒かったろうな」

 と囲炉裏のそばに座らせ、白湯を椀にそそいでやりますと、女の子はときどき熱そうにしながら、ぴちゃぴちゃと舐めるように飲みます。

「面白い飲みかたをする子だ。まるでけもののような作法だ」

 そう思ってよく見ますと、囲炉裏の火に照らされたむすめの影には、ぴーんと立った耳が二つと、大きく長い二又のしっぽがひょこりひょこりと動いているではありませんか。

「ははあ、おいむすめっこ。お前は昼間のキツネっこだな?」

 女の子はびっくり目をみひらいて、あわてて頭に両手をのせます。

 それからお尻もぱたぱたとはらいます。

「耳もしっぽも見えないよ、影には出てしまっているけども」

 女の子がふり向いて自分の影に耳としっぽを見つけると、影のまねして、体のほうにもひょっこり耳としっぽが出てまいりました。

「くーん」

 悲しげに泣いて、大きくふっさりしたしっぽを胸に抱きしめます。

「おおかた罠にかけられた仕返しでもしに来たんだろうが、あれを仕掛けたのは俺ではないよ」

 まだ小さいキツネでしたので、道理がわかっていないのだろうとそのようにさとしてやると、

「しってるよ」

 しっぽをかかえたまま答えます。目にはまだ、こぼれそうに涙をためたまんまです。

「あたしを助けてくれたの、しってるよ」

「そうか」

「だから、お礼をしにきたの」

「そうか」

 キツネのくせに、変に義理がたいことを申します。

 ヤタロはもう一度、キツネのむすめっこをじっと見ます。

 まっすぐな目をしていて、面だちに曇りはございません。

 だからヤタロは、むすめの言うことを信じてやろうと思いました。

「命のほかに取られて困るものなどないし、俺を化かしてもつまらないだろう。それに、一人での暮らしにも、ずいぶんと退屈していたところだ」

 一人でいるのになれているとはいえ、外の世界も知っているヤタロです。

 時には人恋しくもなりましょう。

「おい、白湯をもう一杯どうだい?」

 ヤタロが言ってやりますと、

「いらない」

 キツネっこが応えたのと一緒に、小さなおなかが、きゅうきゅうとちぢむ音がいたします。

「おなかが空いているのか。まっていな」

 音をきかれてまっ赤になったキツネっこに、ヤタロが笑いながら鍋をとり出し、粥の残りを椀についでやりました。

 箸もつかわず鼻先をつっこんでせわしなく食べちらかすむすめに合わせて、耳としっぽがひょこりひょこりと動きます。

 そんな様子を、ヤタロは笑ってながめておりました。

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