第7話 二人の“けーちゃん”
慧との浮気を“けーちゃん”に謝って以来、浮気して“けーちゃん”に謝るという流れをこの一年で五度繰り返した。
彼女はその度に心を乱され、明らかに衝撃を受けていたのだ。
そんな”けーちゃん”を見るのが楽しくて、つい煽るように「”けーちゃん”は可愛かった。また”けーちゃん”を抱きたいな。」などと言おうものなら、彼女は髪を振り乱して叫んだものだった。
いっそ三人で……なんて考えた事もあるが、そんな事をしてしまえば恵奈が完全に狂ってしまうだろう事は想像に難くない。
こんな俺だが、そこだけはギリギリ踏みとどまった。
でもさ、俺だって苦しかったんだ。
復讐してやるつもりで彼女を弄んでも”けーちゃん”が別の男と抱き合っていたあの光景が頭を離れず、気持ちは冷めていてもそのストレスばかりは取り除けなかった。
彼女は最近精神が不安定になってきている。眠ったかと思えば突然叫びだす事が時折見られ、熟睡出来なくなってしまっていた。
悪夢を見ているらしいが、自分では何の夢を見たのか思い出せないそうだ。
いつも目の下にクマを作り、食事もなかなか喉を通らないようで、食べる量も以前の半分以下だ。
街を歩けば人目を引いてしまうその綺麗だった容姿がくすんでしまっている。
何度抱いても美しいと思うその肢体が、病的な痩せ方をしている。
流石の俺もここまで来ると、彼女の回復を優先するようになった。
そんな彼女は「心配しないで。大丈夫だから。」と再会したあの頃のような笑顔を俺に向けてくる。
俺は彼女が心配だった。死んで欲しいと思っている訳じゃない。ただ二人の“けーちゃん”と仲良く遊びたかっただけだ。
俺には二人も幼馴染がいる。この世で最も心許せる幼馴染だからこそ、大変な時は三人で助け合っていきたい。
ある日三人で病院へ行くと、医師からは解離性健忘症だと言われた。
心因性のストレスが原因とされ、何かしら起こった出来事を忘れてしまうらしい。長い場合は10年以上も治らない病気なのだそうだ。
慧を一方的に敵視していた彼女は、何故だか普通に仲良くしている時がある。かと思えば、親の仇かのように憎んで暴言を吐く時もある。
もしかして、もう一人の“けーちゃん”との浮気も忘れているのかもしれない。彼女自身も記憶に欠落があると自覚しているようだ。
(あれ? 俺は“けーちゃん”がどっちも好きで、どっちとも付き合ってたのに……何で浮気だなんて考えるんだ?)
“けーちゃん”は二人とも優しいから、どっちとも付き合っている今の状態を許容してくれている。
通院する日々の中で三人の絆はより深まっていった。
病気の方の“けーちゃん”は昔から優しかったが、最近物忘れの激しい俺の事を特に心配してか、自分が病気にもかかわらず良く気にかけてくれる。
(全く……自分の事を優先して欲しいものだ。それが恵奈の良い所でもあるんだが……。)
もう一人の“けーちゃん”もそんな俺と病気の“けーちゃん”をサポートしてくれている。
そんな二人だが、二人の“けーちゃん”は一時期仲が悪かった。何で喧嘩していたのかは分からないけど、今は仲が良い。
「二人とも“けーちゃん”なのに喧嘩なんて変だね。」
と言えば二人は笑いながら
「そうだね。変だよね。」
と言って二人して俺にくっついてくる。
こんなに仲の良い幼馴染はなかなか居ない。我ながら人間関係に恵まれているんだと思う。
通院の甲斐もあってか、病気だった“けーちゃん”はすっかり良くなっていた。睡眠時叫ぶこともなく、食事もしっかり摂れている。
以前のような健康さが戻ってきているようだ。
でも、三人での通院はまだ続いている。二ヶ月前、先生もすっかり良くなったね!と“けーちゃん”に太鼓判を押してくれた。
(経過観察的な感じなのかな?)
二人に聞いてみると「安心してね。“けーちゃん”がついてるからね。」と涙を堪えた表情で言ってくれた。
何か辛い事があったのだろうか?
俺は二人が大好きだから。“けーちゃん”にそんな顔をさせる奴がいたとしたら許せない。
そう伝えると……
「いっくんは忘れちゃってるけどね。私が……“けーちゃん”が酷い事しちゃったから、それを思い出しちゃうんだ……。」
と目に涙を浮かべる。
「俺忘れっぽいからさ。そんな事全然覚えてないよ! 気にしない気にしない。」
なんて俺がおどけて言ってみせると、二人は堪えきれなくなり嗚咽を洩らす。
(そんな泣く程? まぁ忘れてるって事は俺にとって大したことじゃなかったんだろ。)
今は三人で一緒に住んでいる。喧嘩もないし、穏やかな日々だ。
物忘れの激しい俺だけど、二人の“けーちゃん”との約束は忘れてない。
(ねぇいっくん。わたし
絶対いつかまた会うんだから。ずっと好きでいてね。
僕だって忘れないよ。ずっと好きだからね。
すぐに大きくなって、けーちゃん
絶対だよ?
うん。絶対の約束。)
ほらね?
まるで昨日の事のように思い出せる……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます