告白の夜

「君については名前だけは最初から把握していたんだ。翼公になると決まってから、実際にルジェーラに赴くまでの準備に含まれていたから」

「側仕えの名簿のことよね」

 ここで初めてコーディリアはアルグフェオスのこれまでの行動を知ることとなった。

 神鳥の一族が神殿島を出て翼公となる際、まず先触れとして聖職者が圏域内の情勢を調査するらしい。国が複数あればその数だけ、国政、経済、国民性や生活習慣、そして翼公になった際の不安要素を調べ上げるのだという。もちろん魔力の安定性や、番がいない場合は候補となる側仕えとその身の上についても含まれる。

 アルグフェオスの最大の懸念はアルヴァ王国が魔力持ちを偏重する価値観が存在することだった。国内で最も強い魔力を有するコーディリアが次期国王の婚約者である、それ自体は問題ない。だが事前の調査で婚約者とは不仲であることが妙に気になったらしい。

「…………」

 当時のマリスとの関係を知られていたのがいたたまれないでいると、すまないとアルグフェオスは呟いた。

「極めて個人的な事情だ。知られたくなかっただろうね」

「いいえ、聞きたいと言ったのは私だから。続きを話して」

 コーディリアは淡く微笑んで、大丈夫だと言うようにそっと腕を叩いた。

 当時、アルグフェオスは一応コーディリアを側仕えにしたい旨を王宮側に打診したという。もちろん王太子と婚約中であると断られていたが、神官たちが調査を行った結果、マリスが他の女性と恋仲であること、その醜聞がコーディリアの評価を下げ多くの人々に侮られている状況にあると知った。その報告した神官たちも早急にコーディリアを保護するよう進言していたらしい。

 コーディリアの状況について問い合わせた際の回答は裁きの場でアルグフェオスが糾弾した通りだ。

「実は君に接触を図ろうとしていたんだけれど、きっと知らなかっただろうね?」

「え? つまり、私に会おうとしていたの?」

「そう。真意を確かめて、必要なら保護するつもりだった。ことごとくマリスに邪魔されていたけれど」

 コーディリアは目を見張り、知らない知らないと何度も首を振る。

「そうだろうね。面会の約束は何度も反故にされたし、押し掛けてみれば長時間待たされた挙句に君は不在で、伯爵家に神官たちを向かわせてみれば君はマリスの急な呼び出し城にいる、そんなことばかりだったんだ。よほど君を渡したくないのだろうと思ったんだが、いま思うとこれも悪手だったな……余計な執着心を煽ってしまった」

 思い出しながら悔恨を滲ませる彼を見つめていると、大丈夫だと微笑まれる。

「結局君に会うことは叶わなかった。投獄の末逃亡した君を、この騒ぎのごたつきのせいで追いきれなかったんだ」

 王宮内の混乱で情報が錯綜し、騒ぎの原因を突き止め、コーディリアが本当に逃亡したのだと判明する頃には行方を辿るのは難しくなっていたのだという。

 だがこの国に問題があることははっきりした。コーディリアを見つけ出すことは翼公の着任の障害となるアルヴァ王国の内政干渉のきっかけになり得る。情報を求めた彼は、最も近しい圏域を治める翼公を訪ねることにした。自らの治める地の外ではあるが異変の際の即時対応のために動きを見守る義務が課せられていると知っていたからだ。

「アントラエルを訪ねたとき、エルジュヴィタ伯爵家の人々が保護されているとわかった。その話は聞いた?」

「ええ。アントラエル様が助けてくださったって」

「彼もアルヴァ王国の問題は理解していて、念のために伯爵家一行の身柄を確保しておきたかったらしい。私の着任が遅れると自分に面倒ごとの処理が回ってくるからね」

 打算的な思惑もありつつ、アルグフェオスの後押しを狙って先に手を打ったのだ。翼公になるだけあってやはりアントラエルはただものではない。

「このときも君の保護を推奨されたけれど、アントラエルも君の顔を知らなかったし、伯爵家の人々も君の絵姿の類はすべて置いてきてしまったという。伯爵の許可を得て屋敷を探させたけれど肖像画はすべて破棄されていた」

「それで私に会ってしばらくはわかっていなかったのね」

「ああ。私が君について知っていることは多くなかった。――銀の髪と青い瞳、理知的で凜然とした美しい女性(ひと)。自制的で頑なで、踏みにじられようとも涙も痛みも押し隠して顔を上げて前を見据える強い人」

 指の背がさらりと頬を撫で、魅入られるような輝きを持つ青い瞳でコーディリアだけを見つめる。

「……会えばきっとわかると思っていた。人々がそのように言う君が実在するのなら、わからないわけがないと……」

 囁き声はまるで羽のように耳をくすぐる。速まる鼓動のせいで息ができない。

「あ、あの……、続きを……」

 たどたどしさをくすりと笑われる。

「もっと触れてもいいということかな?」

「ちがっ、話の続きっ!」

 くつくつ笑われて揶揄われたことを知る。むくれてしまうのを耐えるコーディリアは、しかしさらに彼を楽しませることになったようで嬉しそうに笑っている。

「うん、その後何があったかだね」

 翼公の着任準備を進めながら、ルジェーラ、神殿島、アントラエルの城と行き来してコーディリアを捜索するも、アルヴァ王国側との挨拶を含む話し合いがなかなか進展せず、悩ましい状況だったのだとアルグフェオスは言った。カリトーやレアス、アエルや神官たちの助けがあっても多忙だったのは想像がつく。

 そうして一年後、アルグフェオスはそれと知らず城で倒れていたコーディリアを見つけることになったのだった。

「いかにも訳ありな私を匿ってくれたけれど、私が刺客だとは思わなかったの?」

「少しは警戒したよ。あのときは王宮側に私が動いているのを知られないようにしていたからね。内政干渉を警戒しているのはわかっていたし、それまでのマリスの行動を踏まえれば君の捜索は間違いなく邪魔される。でも直前の君の行動を証言する者たちがいたし、君の同居人だった二人のおかげですぐ危険はないとわかったから問題にはならなかった。むしろすごく興味をそそられたよ」

 髪を染め、魔力の使い方を知らず、けれどただの村娘ではなさそうだ、なんて怪しさしかないが、興味関心を優先できたのはアルグフェオスが翼公という強者だったからなのだろう。

「銀の髪と青い瞳の持ち主だとわかったとき、もしかしたら、とは思った。この国にそんな特徴を持つ人間は稀有だ。しかし他国人であったり、髪色を隠して国側に見つからないようにしたりしている可能性はある。カリトーとレアスには翼公の遣いの仕事をしてもらいつつ『エルジュヴィタ伯爵令嬢』と『コーディリア』が同一人物である確証を得るために動いてもらって、私は君を知ることにした。そのうち正体を明かしてくれることを期待しながらね」

 コーディリアはわずかに身を引いた。

「……やっぱり、懐柔するつもりだった?」

「正直に言うと、そうだ。真実を打ち明けてくれることが最も望ましい、でもそのうち別にいいかとも思った。素性を明かさなくても君の人となりや葛藤は感じ取れたし、焦れたし、もどかしかった」

「もどかしい?」

「そう。何故打ち明けてくれないのだろう、信頼されていないのだろうかなどと考えていた。私がここにいるのに、と傲慢な感情を抱きながらいますぐ君のすべてを暴いてしまえたらと、言葉を交わすときも、診察のときも、そうでないときでも思っていた。気付けば君がエルジュヴィタ伯爵令嬢でなくても関係ない、側にいてほしいと望むようになっていたんだ」

 鼓動がまた、どきん、どきん、と強く大きく高鳴っていく。

 あのとき彼がどれほどの望みを抱いて側仕えの話をしたか微塵も理解できていなかった。自らの願いと復讐心に囚われてその手を跳ね除けてしまったのに、なおも彼はこうして隣にいてくれる。思いを素直に告げられなかったコーディリアの言葉に、まだ耳を傾けてくれている。

「……私も……その手を取れたら、と思っていたの。でも……」

「マリスとの歪な結びつきを断ちたかった、君の願いは当然のものだ。それだけのことをされてきた」

「違うの、私の弱さがあなたたちを傷付けたのよ。たった一言でよかったのに。あなたは何度も、あなた自身や羽子のみんなを通じて伝えてくれていたのに、どうしても言えなかった。『助けて』と、一言言えていれば、あなたを……」

 後悔に滲む瞳を伏せるコーディリアを上向かせるように、アルグフェオスの手が頬に添えられる。これ以上何か言えば涙を落としてしまいそうなコーディリアの震える唇に、彼の唇が静かに落ちてきた。

「アル、」

「いまは、何も言わなくていい」

 宥めるような、小鳥が啄むのに似た口付けを繰り返しながら、アルグフェオスはその後のことをゆったりと話してくれた。それはコーディリアが両親やウルスラとグウェンから聞いていたものと重なる内容だった。

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