心の夜陰

 防ぎ切った刹那、隙をついて黒い影がコーディリアに肉薄する。

(しまった、もう一人いたのか!)

 素早く展開した魔力の盾が相手を弾き飛ばしたものの、わずかでも遅れていれば確実にやられていただろう。

「……人間二人を追いやってなお、衰えぬ魔力」

 先ほどの三人とはまったく異なる声音に全身が緊張する。

 弾かれてもそこに立っていられる四人目の男の、氷色の目がコーディリアを捉えた。

「ただの村娘であるはずがない。何者だ?」

「答える義理はないわ」

 薄くとも青い瞳の持ち主だからか軽い抵抗に遭いながらも、魔力で確実に締め上げた。

 抗って痛みを感じたのだろう、男は「ぐっ」と苦しげに呻いたが、コーディリアが覆面を引き剥がした下に心底嬉しそうな笑みをたたえていた。

「その名その身の上を知らずともいずれ見顕せられるぞ。そのとき引き起こされる禍いに例外なく周囲は巻き込まれる」

 男はすでに引き起こされうる禍乱を愉悦の目で眺めている。

 コーディリアは傲然と見下して男の顔も見えなくなるほどの濃い魔力を放出した。力持つ者の悲哀を知るこの無法者を、自分の知りうる最も遠い場所に追い払うために。

「望もうと望むまいと、それほどの魔力の持ち主なら、必ず。それが王か神なのかは知ら、ん……が……」

 青い渦が内へ渦を巻いて、巻いて、巻いて。

 解けたそこに男の姿はなかった。今頃きっと南の海のはずだ。

「……うっ」

 くらりと目眩を覚えて額に指先を当てる。

 想定よりも大量に魔力を消費してしまっていたが、この視界の暗さはそれだけでない。

(禍いが引き起こされる? 言われずともわかっているわ)

 見顕されるぞ、という言葉は祈りめいて耳の奥にこだましていた。それは確かにコーディリアが心の内に抱えていた不安と恐怖を見事に言い表す呪言だった。

 軽い頭痛と揺れる視界を真っ直ぐに正しながらコーディリアは壁際に倒れて呻いていた最後の一人のもとへ行き、魔力で動きを封じてから問いただした。

「あなたが最後の一人よ。正直に答えてちょうだい。あなたたちはどこの誰で、何が目的でこの廃城に侵入したの?」

「……う……」

 朦朧としている男の頭に魔法で水を浴びせかける。大きく咳き込んだ男は苦しげに呼吸をしながら怯えた顔でコーディリアを見た。

「俺、たちは……さる方にお仕えする、特使で……」

「要は密偵でしょう。『さる方』とは誰のこと?」

 無駄話をする気はないのが髪から滴る滴の冷たさで実感できたのだろうか。男はがくりと項垂れた。

「……国王陛下だ」

 やはりと思いつつも平然と質問を重ねる。

「この城には封印が施されていたはずよ。それを解いて、ここで何をしていたの?」

「封印を解いたのは俺たちじゃない」

 コーディリアが目を細めると、男は慌てた様子で身を乗り出した。

「嘘じゃない! 俺たちがここに来たときには封印は解かれていた。ここを探れと命じられたのは、もし封印が解かれているなら城主がいる可能性があったからだ」

「ここは廃城よ。それに領主であるロジエ家は過去に取り潰されているわ。城の主なんて」

 反論しかけた言葉を止めると、そうだと男は頷いた。

「この城の、真の主だ」

 ――翼公。この国にも、もちろん自分にも縁がないと思っていたものが存在感を大きくしていく。

 だがコーディリアが困惑するように男も懐疑的だった。

「何故陛下が突然そのようなことを仰ったのかはわからん。妙な強迫観念に突き動かされているのか、それらしい先触れがあったのか。ともかく見つけられたのはそこの子どもたちだけだ。何か知っているのではないかと思って捕まえていたが、どうやら偶然忍び込んできただけのようだな」

 最初のときよりも幾分か人間味が感じられる砕けた物言いで「それ以上は何も知らん」と首を振るが、コーディリアを見る目はこちらの正体を推し量ろうと油断なく光っている。

「お前……いや、あなたこそ何者か。神鳥の一族の関係者か、そうでなければ」

「余計な詮索は身を滅ぼすわよ」

 取り巻く魔力が強くなったので男はぎょっとして身をよじる。

「こ、殺さないでくれ! 頼む!」

「無闇に命を奪うわけないでしょう。あなたの主人と一緒にしないでちょうだい。けれど害があると判断した場合はこの限りではない、当たり前のことよ」

 心の底から不愉快だ。気分を害したとわかって男の声はますます大きくなった。

「わかった、あなたのことは忘れる! 約束するから!」

「あなたの知りうる有益な情報を提供してくれるのなら手加減するけれど、何かあるかしら?」

 魔力の渦が転移の発動を前にぐるぐると大きく膨らんでいく。ただ遠方に移動させるだけがそうとは知らない男は、激しく混乱し、目を回して動揺しながら必死に頭の情報を繰っている。

「何がある? 何が知りたい!? あなたが聞きたいのは、ええと、ええとええと……おっ、王太子殿下はまだエルジュヴィタ伯爵令嬢を見つけられていないらしい! だからあなたほどの魔力の持ち主ならたとえ身分が低くとも愛妾になれる可能性が」

 コーディリアはにっこりした。

「さようなら」

「まっま待ってくれ! 続きがある! 婚約者に逃げられた王太子殿下はたいそうご立腹で、たとえ地の果てに逃げようとも必ず捕まえてみせると息巻いておられる。だが国王陛下は、エルジュヴィタ伯爵令嬢を発見しても王太子に知らせるなと我々に厳命されている。それが何故だかはわからないが!」

 これでどうだと言わんばかりの大声は魔力の残滓とともに消えていった。

 残されたのは魔力を使った倦怠感と未だ解けない緊張、そして男が最後に残した国王の不可思議な指示だ。

(私を見つけてもマリス殿下に知らせるなという、その意図は?)

 密偵は主の目的を知らされないものだから男たちの誰を尋問してもあれ以上の情報は得られなかっただろう。王宮を一年離れたコーディリアも、国王と王太子が対立しているか否か判断がつかないし、心当たりもなかった。

(……頭が痛い……目が、霞む……)

 吐き気がひどく、すぐにでも横になりたいがいまは、と石の木にいるはずのヨハンたちを振り返ると、彼らは同時にびくりと身体を震わせた。食い入るようにこちらを見る顔は、コーディリアが彼らを見つけたときよりも青白く強張っている。

 無理もないと、かすかに引き攣れた心の痛みを隠してコーディリアはゆっくりと近付きながら「みんな、怪我はない?」と語りかけた。

「もし怪我をしていたら教えて。ウルスラとグウェンに薬を頼むから」

 身を縮こまらせたまま三人は言葉もなく視線を交わす。答えが返ってくるとは思っていなかったので、コーディリアはただ微笑んだ。

「大丈夫そうね? それなら、いまからあなたたちを村に帰すわ。次に目が覚めたときは村の広場で、恐ろしかった出来事はすべて夢になるから安心してちょうだい。さあ、目を閉じて」

 コーディリアを見ていた三人の目の焦点が合わなくなっていく。催眠の魔法の意識を奪われてぼうっと前後に揺れていたヨハンは、起き上がった反動ではっと息を飲んだかと思うと体当たりするかのように飛びついてきた。

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