第1章

エルジュヴィタ伯爵家の青い姫

 生まれ落ちたコーディリアが青い瞳を開いたとき、父は娘の未来が閉ざされたと知って涙し、母は「生まなければよかった」と悲嘆に暮れたという。

 青は特別な色だ。この世を創造した神鳥は青い翼で万物に祝福を贈り、青い瞳で力を用い、青い身を横たえて海を染めた。神鳥の魔力は世界に満ち満ちて空を青く染めたのだという。

 それゆえに魔力は青い色をしている。青いものは魔力を持ち、青い瞳を持つ人間はその目で魔力を操り数々の奇跡を起こすことができた。その瞳が青ければ青いほど、髪色や肌の色素が薄いほど、その能力は極めて高くなった。

 能力の高さはいつしか特権の象徴となり、このアルヴァ王国では青い瞳の魔力持ちは多くが貴族だった。国王もまた、政への才能や意欲よりも魔力の有無で選ばれてきた。

 政治的腐敗が続いた国は当然のように膿み、変革を求めて立ち上がった者たちは数多けれど魔力を持つ者たちによって征伐され、厳選された婚姻によって魔力を保持する王侯貴族によって人々は長らく圧政のもとに生きている。

 そんな国で、エルジュヴィタ伯爵家に生を受けたコーディリアは空と海よりも深い青の瞳と銀の髪の持ち主だった。

 そしてアルヴァ王国において高い魔力を持つ者は例外なく王族との婚姻を求められる運命だったのだ。

 遅かれ早かれ王家に奪われる娘に何ができるのか、コーディリアの父母は必死に知恵を絞ったそうだ。髪を染めてしまうか。顔や身体に醜い傷をつけてしまうか。密かに国外へ脱出させるか、いやそれが発覚して自分たちは処刑されたときコーディリアの防波堤が誰一人としていなくなる。ならばいっそ命を奪おうか……。

 王家が生後一ヶ月も経たぬ娘との婚約を求めてくる前に、二人は答えを出した。

「この子を正しく育てよう。できる限りの知識や教養、道徳心を身に付けさせ、危機や困難を乗り越えられる術を学び、自分の未来を切り開いていける強い心と優しさを持った人間になるように」

 幸いにもエルジュヴィタ家は辺境伯として国境の防衛に努め、最低限の武力や独自の人脈という有力な基盤を持つ、希少で善良な貴族だった。承諾する以外に道はない婚約を受け入れた二人は、未来の王妃にふさわしい教育を施すという名目であらゆる術をもってコーディリアの教育に尽力したそうだ。

 たとえば母に叱責されてコーディリアが泣いたとき。

 周りが銀の髪と青い瞳を持つ自分を持ち上げるので三つか四つのコーディリアは得意になってずいぶん傲慢に振る舞った、それをこっぴどく叱られたのだ。

「あなたの髪も瞳も、その魔力も、すべて偶然と巡り合わせの産物です。あなた自身が手に入れたものではありません。努力せずに得たもので自身が優れているなんて決して思わないように。もし同じことをしたいのなら、エルジュヴィタの名も魔力の有無も関係のない『ただのコーディリア』として尊敬されるようになるのですよ」

 細かな部分は異なっているだろうけれど概ねそのような警告だったと思う。何故ならいつの間にか「家の名前も魔力も関係のないただのコーディリア」として努力しなければならないと考えて行動するようになっていたからだ。

 ただ、楽しい毎日だった。部屋にこもって授業を受けたり礼儀作法を教え込ませられるのは辛いときもあったけれど、舞踏室で舞踊を習い、音楽室で覚えたての曲を奏で、楽譜が読めるようになれば古い歌曲を探して歌い、図書室で少し難しそうな本を背伸びをして読んだ。庭に出れば研究者に教えてもらった植物の名を誦じ、虫や動物、生き物を観察して季節の移り変わりを感じた。馬丁と彼の飼っている犬と仲が良かったので早くに馬に馴染み、一刻も早く乗馬を習いたいとわがままを言った覚えもある。両親からそのように言い含められていたのだろう、料理長も、洗濯や掃除を担う女中も、庭師も、屋敷中の人間がコーディリアが「やりたい」と言ったことを安全に配慮してやらせてくれた。

 青い瞳は日々輝きを増し、長く伸びた銀の髪はいっそう青白く透き通るようだったコーディリアは、そのようにして自分を愛おしんでくれる人たちにいつからか『青の姫様』『青姫様』と呼ばれるようになっていた。


 一針、一針。蝸牛のような、それでいて森鼠の臆病さで針を進める幼い侍女にコーディリアは優しく声をかける。

「肩の力を抜いて。一度深呼吸してみましょうか」

「は、はい……」

 コーディリアに合わせて呼吸を整えた侍女は、そこで力尽きて、膝の上に作成中の刺繍を置いた。

 午後の光が差し込む窓辺の近く、お気に入りの深緑の布を張った長椅子に腰掛けて、コーディリアは若い侍女と針仕事に勤しんでいた。コーディリアの膝上にはすでに青と金で薔薇を刺した手巾が完成している。淑女の嗜みとして教え込まれたので、よほどの大作でなければ時間をかけずに程々のものを仕上げられる。

「はあ、刺繍って難しい……」

「初めてにしてはとても上手だわ。最初は焦って失敗するものだけれど、贈り物としては十分な出来よ。お姉様のご結婚のお祝いにふさわしいと思うわ」

「すみません、お嬢様にお時間を取らせてしまって……」

 恐縮する彼女にコーディリアは笑って首を振る。

「謝る必要はないわ。声をかけて部屋に招いたのは私だもの」

 刺繍は目を酷使する細やかな手仕事だ。どうしても明るい場所で作業したくなるもので、屋外でせっせと針を動かしていた彼女にコーディリアが「何を作っているの?」と声をかけた。

 姉の結婚祝いに青い糸で刺繍した手巾を贈りたい、そう答えた彼女に「だったら私の部屋にいらっしゃい。代わりに、どんな図案なのか教えてくれる?」と交換条件を出して半ば無理やり部屋に連れてきたのだ。

「そうですよ」と控えていたお付き侍女のイオンが呆れたように言う。

「『お嬢様がなさりたいように』がエルジュヴィタ伯爵家の決まりですから。責任を持つのもお嬢様ですけれど!」

 そもそも主人一家と使用人の行動範囲は異なっていて交わらないのが普通なのだ。幼い頃から染み付いた「やりがたり」の影響で使用人の領域に堂々と越境してくるコーディリアが悪い。

 くすくす笑って「ほらね?」と微笑むコーディリアに、若い侍女は思わず、といった様子で吹き出した。

 そうは言っても自由になる時間には限りがある。次に集まる時間を決めて侍女が仕事に戻ると、コーディリアは時計に目をやった。

「少し早いけれど、登城の支度を始めるわ。マリス殿下のことだからお約束の時間よりも前に待っていないとは限らないもの」

 身を清め、鏡越しに準備された衣装や装飾品を見つつ爪を磨き、髪を梳る。長く伸ばした白銀の髪は、光の中では白く、暗がりでは青みを帯びて見える。

「髪型はどうなさいますか?」

「いつものように、編んで、きっちりまとめてちょうだい」

 王城に上がるときのコーディリアには長く伸ばした髪をしっかりまとめる習慣がある。銀の色をした長い髪を見るとマリスが不機嫌になるので、少しでも目立たないようにするためだ。

(鋏で切り取られそうになったのは十歳のときだったかしら。それから服の色も気を付けるようになったんだった)

 青や白といった魔力を連想させる色は避けつつ、流行遅れにならない意匠のものを。王太子の婚約者が野暮ったくていいと思っているのかと、これもマリスの機嫌を悪化させるからだ。

 この日選んだのは春を思わせる薄緑色のドレスだ。イオンが編み込んでくれた髪を確認しつつ、ここに至っても髪を切らない自分の強情さに薄く笑った。一度も刃を当てずに伸ばした髪は十七にもなると一種の執念だと思う。

「今日も青姫の呼び名に恥じないお美しさですわ、リア様」

「ありがとう、イオン。嬉しいわ、この生地の色を見たとき絶対春のドレスを作ってもらおうと思っていたから。下衣の袖を薄いレースで重ねて、裾は後ろに長く引く形にしてもらったの。まるで白鳥のようでしょう?」

 丸みに欠けた痩身のコーディリアは布の質感を生かした膨らみのないドレスをよく着ている。主流ではないものの根強い愛好者がいる意匠なのでコーディリアの注文のような新しい提案は喜ばれ、少しずつ流行の兆しを見せているという。

「本当にとってもお綺麗です。お嬢様の花嫁衣装姿が楽しみで楽しみで仕方がありませんわ。世界一美しい花嫁となったリア様を見るのが私の夢ですから」

「私も花嫁衣装『は』楽しみだわ」

 目を見交わして、くすっと二人で肩を竦めた。

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