第2話 第三王子の策略
あれからリィナは一人だけ離宮の傍にある別棟に隔離された。そう、隔離されていたのだ。寝室と居間が扉続きになっている客室から決して出してもらえず、給仕や掃除に来てくれた侍女達は口と鼻を布で覆い、手には手袋。リィナは食事前に石鹸を贅沢に使って手洗いをさせられ、食後は使ったテーブルを念入りに拭かれた。食後や室内の掃除が終わった後の室内にはつんと鼻を突くようなアルコール臭が残されており、消毒されているのが分かる。特にリィナが触るだろう椅子や窓辺といった場所は念入りにしている所を見て、その徹底された衛生管理にリィナは舌を巻いた。まるで感染症の病人に対する対応だ。これを隔離と言わずになんというのだ。リィナが腹痛を訴えたことから予想したのだろうか。それにしては判断が適格過ぎる。ユリウスに得体の知れないものを感じながら、リィナは別棟で過ごした。
ユリウスと再会したのは、九日後のことだった。給仕や掃除をしてくれていた侍女達は鼻と口を覆っていた布を外し、リィナの身なりを整えた。そして、離宮の応接間で待っていたユリウスの下へ案内されたのである。
「やあ、九日も不自由をさせて悪かったね」
リィナに座るように促したあと、彼は綺麗な笑顔を浮かべてそう言った。
「まずは君の孤児院の現状を語ろう。彼らはこの離宮で会食を行ったあと、昨日まで滞在をしてもらい、今朝孤児院へ帰ったよ」
それを聞いてリィナがホッと胸を撫で下ろす。自分が不敬な態度を取ったせいで彼らが罰せられないかとびくびくしていたのだ。そんなリィナの様子を見て、彼は片眉を上げる。
「なぜ彼らがここに滞在していたかを聞かないんだね?」
「えーっと、きっと殿下は私が病気にかかっていると察していたのではないかと思いまして……」
「ご名答、まったくのその通りだ」
彼はぱちぱちと手を叩いたあと、テーブルに肘をついた。
「まず、君が腹痛を訴えた事から、下痢や嘔吐などの症状がでないか見させてもらった。過去に吐しゃ物や排泄物を処理した者が同じ症状を訴える事例があったと記憶していた為、侍女の人数も限定させ、別棟に閉じ込めていたわけだ。それに今回の食事以外が原因で腹痛を起こしているなら、そのうち孤児院の者達にも症状が出る恐れがあるため、彼らも昨日まで滞在してもらっていたというわけだ」
病気の中には潜伏期間というものがあるとリィナも耳にしたことがある。これだけ長く症状が出なければ大丈夫だろう。しかし、まだ疑問点がある。
「もし、そうであれば、離宮とはいえ王宮に病を連れ込むようなことをしない方がよかったのでは?」
「それでも、病かもしれないと分かっていて見捨てるわけにもいかない。私の訪問は孤児院の視察も兼ねているからね。それに私が用意した食材でそう言った病気が流行ったと吹聴されても困る。シャルマ、こちらへ」
彼はそういうと、後ろに控えていた青年を呼んだ。
癖の強い黒髪に、柔らかな薄紫色の瞳をした青年。それほど顔彫りが深くなく、少年にも見える。髪色や顔立ちから異国の血が混じっているのだろうとリィナには分かった。
(こんな人、孤児院に来てたかしら……?)
彼がリィナに向かってしっかりと頭を下げると、ユリウスは続ける。
「彼は当時あの食事を毒見した者でね。君達と会食をした三日後に吐き気と腹痛で倒れたんだ」
「え……」
「そろそろ孤児院の人達を帰してもいいかなって考えていた頃だった。幸い対応が早かったから周囲に広まることもなく助かった」
「そ、そうだったんですね」
言われてみれば、隔離されてから数日後、消毒の回数が増えていた気がする。それは彼が倒れたのが原因だったのだろう。
(それにしても、これだけ素早い判断ができるなんて……)
あの時、リィナが腹痛を訴えたとしても、ユリウスが隔離を命じなければ、感染が広がっていただろう。彼のおかげで最小限に食い止めたといっても過言ではない。
「元気になってよかったです」
これでリィナも解放される。リィナが安堵を漏らした時、ユリウスの瞳が冷たく光った。
「ところで、真っ先に腹痛を訴えたはずの君が、こうして元気なのは、どうしてなのかな?」
さーっと音を立てて頭から血の気が引いていくのが分かった。リィナの様子を見て、ユリウスの笑みはさらに深くなる。
「君が口にしたサラダを鑑定の祝福を持つものに見せたが毒は入ってなかった。何らかの病だろうと推測し、私は会食以前に摂った食事が原因だろうと思った。しかし、孤児院の者達も君も元気だったのに対して倒れたのは毒見役の彼だけ。君と同じサラダを口にした彼がね」
リィナの心を探るように緑色の瞳が真っすぐと向けられる。彼の目を逸らすことが出来ず、必死に思考を巡らせた。
彼はリィナが毒、もしくは病に関する何かしらの祝福を得ていると確信している。でなければ、腹痛を訴えたはずのリィナが元気でいることがおかしい。
何より、勘違いされて困るのは……
「祝福で私の食事に何かを仕込んだことへの罪悪感に耐えかねて、下手な芝居をうったとか?」
「ち、違います! 命に代えても違うと誓えます!」
祝福は能力の種類も様々でまだわからない部分も多いのだ。変な言い掛かりをつけられて罰を与えられることだって考えられる。
「じゃあ、教えてもらおうか。一体、君の祝福はなんだい?」
有無言わせない笑みを浮かべたユリウスを見て、リィナは心の中で十字を切った。
グッバイ、私の平和な食生活。ハロー、毒見の満漢全席。
前世のことを省いた自身の祝福について白状すると、ユリウスは興味深そうにうなずいた。
「ふーん、口にしたものを詳細に調べられる祝福ねぇ……君はそれを摂食分析って呼ぶんだ?」
「はい……主に、食べ物専門ですけど……」
「なるほど、それで病が潜んでいたのが分かったというわけか。たしか、食中毒というんだったな? 毒とつく名前なら鑑定でも分かりそうだがな……」
「腹痛の原因になったのは、毒物ではなく菌なんです。見つけるのは難しいと思いますよ」
鑑定の祝福は万能ではなく欠点がある。それは自身が知らないものは鑑定できないのだ。知識を蓄える、もしくは何度も鑑定を繰り返し、経験を積むことでより精度を上げることができる。そのため、鑑定の祝福を持つ者の多くは美術品や宝石専門とする。なぜなら鑑定の精度を上げやすい上にお金になるからだ。おそらく、毒専門の鑑定は毒となるものやわざと毒を仕込んだ食事を何度も鑑定させて精度を上げるのだろう。
ユリウスが一瞬眉をひそめたような気がしたが、すぐに感心そうに頷いた。
「なるほど、鑑定は知識と経験が物をいう。知らなければ鑑定が不可能というわけか。となると、君は何度もその食中毒に侵されていることになるが?」
ぎくーっ!
リィナの場合、何度も口にすることで経験を積む。祝福の能力が分かってから、口に入れても大丈夫そうなものはどんどん口に入れていった。その間に傷んだ食べ物や毒があると知らずに食べてしまったものもある。リィナの祝福のいいところは嚥下までは必要ないということだが、残念なことに今回はしっかりと食べてしまっていた。
「どうなんだい? 吐いたとはいえ、毒見をした彼は相当苦しんだよ? それなのに君はピンピンしてるよね?」
「あ、いや、その……」
にこにこと笑いながら問いかけてくるユリウスに、リィナはしどろもどろになる。
答えたくない。しかし、もう黙ってはいられない状況だ。意を決してリィナは口を開いた。
「私……その、いわゆる……二つ持ちってやつみたいで……」
ユリウスの目が大きく見開かれる。彼の後ろに控えていた従者や護衛も息を呑んだのが分かった。
「食べた毒や感染した病気は全部無力化するみたい……です」
女神の祝福は誰もが持っているとされている。しかし、稀に二つの祝福をその身に宿す者がいた。世には気づいてない人もいるだろうが、リィナはたまたま摂食分析と噛み合って気づいてしまっただけなのだ。
ユリウスの様子をちらりと窺うと、彼は額に手を当てたまま俯いていた。
「あ、あの……殿下?」
「二つ持ち……それも、毒や病に造詣が深い上に、耐性持ち…………ふふ……ふふふふ」
ユリウスの口から不気味な笑いが漏れ出る。そして、その笑いが止まったかと思えば、青年らしい爽やかな笑みを浮かべた。
「採用」
「嫌です!」
間髪入れずにリィナはそう叫んだ。
「おや、私はまだ何が採用か言っていないが?」
「言わなくても分かります! 私を毒見役にしようと思っているのでしょう? 何か勘違いをされていますが、私は毒見の経験がありません。今回だってたまたま分かっただけなんですから!」
毒や病の耐性がある上に、人よりも毒を見つける精度は高い。王族からすれば、喉から手が出るほどの人材だろう。しかし、リィナは決して毒に対して知識が豊富なわけではない。興味本位で孤児院の子ども達が誤って収穫してきた毒性のあるキノコや野草を口にしたことがあるが、それでも圧倒的に経験が足りないのだ。
(食べることに関しては経験豊富だから、身体に悪いものは感知できるけど。原因まではきっちり分析結果してくれるわけじゃないからな……)
摂食分析はリィナが便宜上そう呼んでいるだけで、実態はつかめていない。鑑定と同じように経験や知識が必要であり、知識がないまま毒を食べれば「有毒」と危険信号を出すだけなのである。彼がこれだけでは退くとは思えないが、言っておかねばならない。
「大丈夫。知識や経験は時間をかけて養えばいい。それに聞いた話では、あと三年もすれば、君は孤児院を出て行かなければならないんだろう?」
「そ、そうですけど……?」
「自分の祝福を隠したままでは、安定した職を得られない。この国では適材適所の職につくのが当たり前だからね」
「うっ……」
祝福は即戦力として優遇される。職につけたとしても専門系の祝福持ちとそうでない者では賃金の差もあるし、転職もしにくい。
「それなら、主の身元もはっきりとしていて、お給金も高く、住み込みも可能で、寝食に困らない職というのは、孤児院出身の君には厚待遇ではないかな?」
「うぐっ!」
王子の毒見となれば、それなりの手当もつくだろう。普段の食事よりいいものを食べられるし、住み込みも可能なら寝る場所にも困らない。孤児院の子どもの引き取り手は基本的に職人や商家が多く、それに比べればかなり優遇されている。
「ガジェット、例の物を」
「はい」
すぐ隣に控えていた従者。彼は会食の場にいた青年である。ブロンドの長い髪を一つに結わい、眼鏡を押し上げる姿はいかにも神経質そうだ。
ガジェットは、リィナに一枚の紙を渡す。
「うわっ……」
それは、リィナが働いた時にもらえる給料の想定額と雇用形態が書かれたものだ。
基本給、危険手当、残業手当、賞与、有給、勤務時間、かなり手厚い福利厚生をしている。よく見ると、毒見だけではなく侍女の仕事も行うことになっている。
「侍女とは……?」
「主人の身の回りなどを世話する女性のことだ。君は専属の侍女になってもらう。もちろん、しばらくの間は君に教育係をつけて仕事の勉強をしてもらう」
「そ、そうですか……」
にこにこと微笑みかけてくるユリウス。その隣にいるガジェットは品定めをするような目付きでこちらを睨みつけている。
(なんだろう、このお姑さんみたいな目……仕事に余念がないんだろうな)
破格の申し出だが、身丈に合わない好条件は己を滅ぼしかねない。仕事をする以上、慣れるまでは仕事と毒見の勉強もしないとならない。
(これからバンバン毒を食べさせられるのか……身体に害はないとはいえ、食べる気が失せるんだよね)
食べられないことはないが、精神が摩耗するのだ。何も考えず食事ができていたあの頃が懐かしい。
リィナが遠い目をしていると、ユリウスが咳払いをする。
「リィナ。何か心配事があるなら聞かせてくれ。働くにしても働かないにしても、相互理解は深めるべきだと思う。なるべく君の意見を尊重しよう。心配なのは侍女業務? それとも給金?」
「そ、その……しょ、食事って……」
「ん?」
「どのくらいの頻度で毒が仕込まれてるものなんですか……?」
流石に毎回毒が仕込まれているわけではないだろう。民から人気のないという噂が本当なら彼は勢力争いから外れているはずだ。
彼は「そうだな」と自分の顎を撫でながら考えると、静かに頷く。
「昔、一度だけ仕込まれ以来、私の食事はこの離宮で専属の者に作らせている。危険があるとすれば、外部との会食くらいか。腐っても王宮だからね。食事の質は保障する」
それを聞いてほっと胸を撫で下ろした。
(良かった。それならあまり肩肘張らずに毒見ができそう……)
「ただ、君には祝福の精度を上げてもらうため、通常の食事に毒を入れた物を用意するつもりだ」
「えっ⁉」
「もちろん、毎食ではないさ。決められた日に勉強で得た知識を補完し、実践で経験を積んでもらう。父上達が君を欲しがることも考えて、君にはちゃんとした毒見の方法も勉強してもらうつもりだ」
「毒見の方法……? それに欲しがるって引き抜かれるってことですか?」
毒見というのはただ食べるだけではないのだろうか。
「君の祝福は稀な上に、かなり利便性がある。国王はもちろん、他の妃や兄上が私から君を取り上げることも考えられないことじゃない。だから、毒見の仕方を覚え、君の祝福が有能過ぎるものではない印象を与える必要がある」
(なるほどー……)
十分にあり得ることだ。前世の歴史の中でも暗殺される権力者は多かった。この世界でもそうなのだろう。弟の毒見役を引き抜こうと思うほど、人材確保に逼迫しているのかもしれない。
「まあ、やり方はおいおい覚えてくれ。じゃあ、これが契約書ね」
そう言って手渡された契約書を見て浮かない顔をするリィナを見て、彼はガジェットにペンを持ってこさせた。そして、ユリウスは契約書に直筆で条件を追加する。
「え、これは……っ!」
「いい条件だろう?」
ユリウスの手で追加された内容。それは『食べたい食事があれば、毒見なしで優先する』というもの。
「やります!」
平和な食事を望んでいるリィナにとって、もっとも優先される事項だった。リィナは契約書にサインをするとユリウスがガジェットに契約書を預けた。そして静かに後ろで控えていた男を呼び寄せた。
たしか、シャルマという男だ。
「彼女を部屋まで送ってくれ」
「御意。それではご案内します」
「は、はい」
立ち上がり、部屋がある別棟まで案内される。
(別に一人でも大丈夫なんだけど……)
離宮を出れば、すぐそこが別棟だ。応接室も出口からそう遠くない。迷うはずがないのだが、逃げられると思われているのだろうか。
別棟の部屋の前まで来ると、リィナにずっと背を向けて歩いていた彼がようやくこちらに振り返った。品定めするようなユリウスやガジェットの目とは違い、薄紫色の瞳は優しく見下ろしていた。
「リィナ嬢、改めてご挨拶をさせてください。オレはシャルマと申します。従者としてガジェット様とともにユリウス殿下に仕えています」
「あ、はい。リィナです。これからよろしくお願いしま……」
彼はリィナに向かって深々と頭を下げた。
「あの時は、自らを顧みず殿下に危機を救ってくださりありがとうございます」
「そ、そんな、大したことでは! 確かに自分の祝福がバレるのは嫌でしたが、あれは当然のことですから!」
王族の一大事だ。自分や孤児院の保身為でもあったが、隠していられなかった。しかし、シャルマは小さく首を振る。
「いえ、自分の祝福を知られたくない気持ちは分かります。この王宮には色んな思惑が交錯していますから。それに貴方のおかげでオレも救われました」
「あ……」
そうだ。あの時の毒見役は彼だった。とても苦しんでいたとユリウスが言っていた。
「あの時、本当の毒見役はオレじゃありませんでした。偶然だったとはいえ、感謝しています」
真摯な言葉と向けられた薄紫色の瞳に、リィナは恥ずかしくなる。
「あ……どういたしまして……?」
素直に受け取ってよかったものかと思いながら彼に目を向けると、彼がやんわりと微笑んだ。その素朴な印象を与える笑みに、リィナは頬が熱くなるのを感じた。
「では明日の仕事に入る前に、ざっと離宮を案内しますね。また午後にあなたの教育に関わる侍女を連れてきますので、よろしくお願いいたします」
「は、はい!」
シャルマと別れ、リィナは部屋のベッドに身を預けた。
「これからどうなるんだろう……」
この部屋は一介の使用人が使うには豪華すぎる。すぐに別の部屋に移ることになるだろう。そうなれば誰かと相部屋になったり、仕事だけでなくユリウスと関わる人間の顔も覚える努力が必要だ。
「はぁ……憂鬱だな」
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