閑話4 雪空のおとしもの(4)

 小さな家には新しい家族を受け入れるべき部屋はありませんでした。

 ですからヴィーラはディーのベッドで共に眠り、ヴィタのカップを使い、そうして兄妹の持ち物を少しずつ借りながらの生活を始めました。


「うわっ、なんだこれ」


 一緒に暮らすと決めた翌日の朝、ヴィタがトトトという小刻みに鳴る音に誘われて台所を訪れると、美味しそうな匂いに満ちていました。

 彼の驚きに気づき、ヴィーラがにこりと微笑みます。ディーから借りたエプロンを身につけ、ちょうどカップを棚から出しているところでした。


「あ、おはようございます。朝食を作ってみました」


 テーブルに並んでいるのは焼いたパンと豆のスープ、そしてドレッシングがかかったサラダ。

 どれも質素な具材ばかりですが、親を失って以来食べるだけで精一杯だったヴィタには、まるでお店で出されるもののように輝いて見えました。


「お前、料理が出来るんだな」


 目の前の少女が普通ではないと頭で分かってはいても、ヴィタは驚かずにはいられません。


「出来る、なんてほどのものではありません。それより、冷めてしまう前にディーさんを起こしてきて頂けますか?」

「あ、あぁ……」


 むろん、ディーが大喜びしたのは言うまでもないことです。


「すっごーい! これ、ヴィーラが作ったの? うん、おいしー!」

「おい、そんなに急いで食べるとのどに詰まらせるぞ」

「へーきへーき。こんなに美味しいんだから、ヴィーラも食べられたら良かったのにね」


 わきあいあいと食べる兄妹を微笑ましげに見詰めるヴィーラの手元には、今日もお湯が入ったカップが一つ。

 その小さな両手からどんなに美味しい料理を生み出しても、「人でない」彼女が口にすることはありません。食べる必要も意味もないからです。


 それを知った時、二人は疑う眼差しを向けたましが、たしかに昨晩から何も口にしていないにも関わらず、空腹を感じている素振りはありませんでした。


「喜んでもらえただけで十分です」


 ひとしきり食事を楽しんだあとは、仕事に出掛けようとするヴィタに弁当を渡すことも忘れません。


「行ってらっしゃい。お気を付けて」


 二人の日常は、こうして少しずつ、そして明らかに変わっていきました。



「ほら、こうすると……」

「あっ、染みが消えた! すごーい! よかったぁ~」


 ヴィーラが服の染みをまるで魔法みたいに消してしまったのを見て、ディーが歓声を上げました。


 家の裏に木のタライを並べて、一心に洗濯物と格闘する小さな背中が二つ。シャツにシーツ、白いものがさらに白い泡にまみれて、溢れんばかりに膨らんでいます。


 未だ雪がとける季節には早かったけれど、ディーにとってその光景は春の訪れにも似ていました。

 山から流れてくる川の水が指先をしびれさせるほどに冷たくても、誰かが隣にいてくれることがこんなに暖かいものなのだと、気づきました。


「これが終わったら次は掃除に取りかかりましょう」

「うん!」


 一人では気重だった家事も二人でやると楽しく、あっという間に終わってしまいます。


 それというのも、ヴィーラの腕前が料理だけに留まらず、掃除や洗濯においても発揮されたおかげです。

 どの作業にだって体力や知識が必要であり、彼女はその両方を持ち合わせていました。はたきで棚の埃を落としながら、ディーがしみじみと言います。


「ヴィーラってほんと凄いよね。見た目はいかにも儚げって感じで、風に吹かれたら折れちゃいそうなのに、重いものも軽々と持ち上げちゃうし、色んなこと知ってるしさ」


 お母さんみたい。そう思ったけれど、同い年くらいの女の子に言うのはいけない気がして、心の中だけで呟きます。ヴィーラは箒を動かす手を止めて微笑みました。


「自分の身を守り、そしていつかは使命を果たすために授けられた力ですから、そんなに凄いものではありませんよ」

「ふうん」


 返事をしつつも、幼いディーにはピンときません。彼女の言う「使命」についても想像するだけで追求はしませんでした。

 あまり深く訊ねて困らせたくはありませんでしたし、聞くことで新しい家族を失ってしまいそうな気がして怖かったのです。


 ヴィタも、当初はハラハラしながら様子を窺っていたのが、生活がスムーズに回り始め、妹の屈託のない笑顔を見るにつけ、口元が綻ぶ回数が次第に増えていきました。


「こらっ、いつまで起きてるんだ。早く寝ろ!」

「だってお喋りするの楽しいんだもん。まだいいでしょー」

「ロウソクだってタダじゃないんだぞ!」

「えー」


 夜にやり合うこんな喧嘩も、傍らで笑うヴィーラがいるだけで空気が和らぎます。


 そのうちに雪深い季節が過ぎ、鳥の声や冬眠から目覚めた動物たちの足音がするようになり、台所の食器棚にヴィタが作った丸みのあるカップが並ぶ頃。


 ――この秘密めいていて幸せなひとときは、唐突にきしみを上げました。

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