いたみ
惜別もなく別れたはずの二人がどういう過程を歩めば、父親から車を借りてまで、ドライブへ出掛けられるのか。過剰な泣き笑いは必要なかった。それは、明日の天気を占うような他愛のない会話から始めてみてもいいかもしれない。「おはよう」と言われれば、「おはよう」と返す。
単純なことだが、俺にとってそのような日常会話さえ、非現実的だった。それでも、この人が俺の身を必要以上に案じることはない。何故なら、自ら手放した子どもを労わることは、あまりにも身勝手で無責任な振る舞いだと理解しているからだろう。踏み込み過ぎれば、いともたやすく壊れる薄氷の関係であったが、通りすがりの目を借りたなら、どこにでもいる普通の母と子に映るはずだ。
「大丈夫なの? 俺と一緒に居るところを見られたら」
「うん、言ってないから」
暗澹たる未来を見据えたような空目使いであった。話題を提供するには些か物足りない、郊外の風景は口寂しさに拍車をかける。どこにでも出店し、住民の生活を支えるチェーン店の連なりと信号機の多さは、なかなかに気が滅入る。あまつさえ、抜き去ったはずの自転車がするりと横を抜けていくものだから、舌を鳴らす一歩手前までいった。
「どこに行くの?」
募る話も忘れて、ひとえに楽しんでもらいたい。最後の最後まで楽しんでもらいたい。
「着いたら、わかるよ」
それは秋風が吹いて赤く染まる、祝い仕立ての山のマスゲームであった。パレード代わりに車を走らせる。
「綺麗ね」
ざわざわと枝葉が揺れて、山は色めき立ち、見つめ合えば消えしまう瞳の儚き輝きを盗み見た。
「ここで降りよう」
苔と蔦に侵食されたトンネルの入り口の手前に、岩盤が削れて出来た空間がある。車のUターンも行える程度の広さだ。そこに車を止めた。俺は車を降りて、トランクに回る。
「そこを登って行くんだ。少し急だけどね」
獣道めいたその道順を指差すと、見事にあの人が背中を見せてくれた。トランクから腰丈のスコップを取り出し、まるで警戒心がない後頭部に向かって振りかざした。鈍く手が痺れる。感覚を取り戻そうと握り直している合間、水に浮かぶ虫のように蠢く影を眼下に見た。
今度は、薪を割るかのようにスコップを大きく振り上げる。感傷や感慨、耽る間隙などないまま、俺はスコップを振り下ろす。空気の抜けたボールを殴ったような感触がスコップから伝わり、身震いした。
寝返りを打つ気配を感じさせない、脱力した身体の具合は俺が自ら作り出した。次にやるべき事として、この人をランドセルのように背負って山へ足を踏み入れる工程があり、淡々とそれに向けて右腕を担いだ。
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