こんぜん

「おい、あれ見ろよ」


 だが、問題ない。後ろに引き下がるべきなのは向こうだ。毅然とした眼差しで睥睨すると、山肌が抉れて出来た広場のような空間に一台のマウンテンバイクが止まっていることへの注進だと気付かされる。律儀な施錠を見るに、投棄されたわけではなさそうだ。


「こんな時間に、こんな山道を自転車で登るとは相当な物好きに違いない」


 私もそう思う。地元の人間だと考えてみても、登る苦痛と引き換えに得られる恐怖は、自ら醸成した虚飾のものに過ぎず、お化け屋敷やホラー映画を見たほうが遥かに建設的だ。物好きな見物客に魅せられて誘引された怪訝さは、サイドミラーに目付きの悪さを窘められるほどだ。損なった機嫌の案配は、催した吐き気も相まって、私は粗野に言葉を投げる。


「早く停めてくれるかな。外に出たいから」


「はいはい」


 友人はハンドルを細かく切って、車を隅に寄せる。私は停車と共に忙しなく外へ飛び出す。三半規管の狂った私の足は、段差もない平坦な地面の上でさえ、躓くのに苦労しなかった。喉の奥で顔を見せる熱気を、間近に迫る砂利に落とすかどうか、押し引きする。


「背中をさすってやろうか?」


 くるくると車の鍵を人差し指で回す友人に、人を労る純然たる器量など持ち合わせていないことは明白だ。


「結構です」


 どうやら山が息を吐いたようだ。分厚い白い壁のように霧が湧いて現れ、闇を掃くために用意した懐中電灯の光が散乱する。このような不明瞭な視界を喜ぶのは、闇夜に紛れて犯罪行為に及ぶ心疚しき者ぐらいだろう。


「中止すれば?」


「馬鹿言うなよ。ここまで来たんだ。行くに決まってる」


 そのご足労は友人に限った話ではないし、私の意見を聞き入れる気のない意固地さに呆れた。


「ここから数百メートル先にトンネルがあってそれを抜けると、俺たちの目的であるキャンプ場が見えてくる」


 ここは、幽霊の存在を愛し、見聞きしたいと願う人間ならば知っていて当然の場所だ。地図でいえば県境にあり、お誂え向きの人気のなさは、後学する猟奇殺人の舞台となった。それは未解決事件の一つに数えられ、有象無象の怪談話が拵えられる。フットワークの軽い若者たちが度胸試しに集まり、道程で起きる車両事故も相まって、名実共に心霊スポットと呼ばれるに相応しい場所になってしまったというわけだ。


「先客も困ってたりしてな」


 友人がマウンテンバイクを照らす。車輪は再び回り出す瞬間を待ちわびて滔々と光りを返す。友人は一向に動き出す気配のない私を見て、手足に焦燥を巻いた。


「どうしたんだよ、急に。俺に着いてきたんだから、やる気はあったんだろう?」


 私の胸中を引き出そうと必死な友人に対して、軽薄なやり取りでお茶を濁す方法は少々下品だと思い、黙然と考えをまとめ直す。確かに、私はここへ強制的に連れてこられた訳ではなかったし、庭師として困っている人を助けるのは吝かではない。どうしてこんなにも機嫌が芳しくないのか。車に酔ったことや、霧の存在は勿論、無性に苛立つ理由はきっと、性別を起因とする生物的な生理現象か。

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