3-10 売り込みですか

「ああ、普通に考えたら不可能だ。だからこそ侯爵夫人に直接コンタクトを取ろうとする連中が出てくるだろうし、侯もそこを警戒する筈だよ。迎えに出るのも正しいと思う」


「うん……ただ侯爵領まで行ってしまうと、片道5日くらいはかかるでしょう? 馬車だともっと。そこからまた戻って来るのは、今の父の仕事の範囲から言っても、日程的に厳しいと思ってて……あと、ただ屋敷で父を待っていると、公都ザーフィアよりも侯爵領に近い貴族の誰かが屋敷に突撃して、余計な事を吹き込んじゃうかも知れない。だから明日、明後日にでも、誰か先行して出て貰って、先に母とデュシェルで公都に向かって貰って、どこか途中の街で合流するのが結果的に一番良いんじゃないかな――と」


 上目遣いにキャロルがエーレを見上げれば、エーレの眉間に一瞬、皺が寄った。


「……まさかとは、思うけど」


「いやいやいや、さすがに私は行かない! そこはもう、父に一任したから! 多分、一週間くらい軍を離れる許可を求めてくると思うから、そこだけ伝えておきたくて!」


「……なら、良いけど。確かにそれ以上になると、大叔父上の負担が限界を超えるだろうね。ディレクトア王国との折衝も、自身に関わる事だから、責任持って自分でやると言っていたから」


 当代皇帝の代理として、先々帝皇弟おうていとして、エイダルが直接グーデリアン国王に連絡を取る事は、外交上の非礼にも当たらない。


「多分それで、ディレクトアの王族から一人と、スフェノス公爵家から一人が、婚姻の儀への参列を装って、確認に来るように誘導すると思うよ。公国側こちらとしては、勝手に来られるのが、一番困る訳だから」


 えぇ……と、呻くようにキャロルがポツリと言葉を落とす。


「……それ、スフェノス公爵家からだけの訪問にならないのかなぁ……」

「キャロル?」


「私、王家主催の夜会に出たり、重鎮フォーサイス将軍と組んで、アーロン殿下に放たれた刺客潰したり、結構上層部に面が割れてると言うか……」


 それも、キャロル・ローレンスとしてだ。


 スフェノス公爵家の誰かが第一王子クラエスが失脚したあの夜会にいたとしても、そこは血まみれだった事を理由にとぼけても良さそうだが、国王であるグーデリアンや、次期王位継承者となるだろう、第二王子アーロン・ゼルト・ディレクトアなどが国賓として来れば、キャロルとしてもシラの切りようがないのだ。


「……ああ。カラパイア公爵家の不正を暴きに行って貰ってた時に、色々あったんだったっけ」


 エーレも、キャロルも躊躇の原因には気が付いたようだった。


「……アーロン殿下のご正妃は、アデリシア殿下の異母妹いもうとぎみなの」


「…………大叔父上に、相談だけはしてみるよ」


 決して短くはない沈黙の後、エーレはそれだけを呟いた。


「最悪、俺がアデリシア殿下から君を掠奪したと言う悪評をこうむる事は、覚悟しているから」


「なっ……」


先々アズワン帝の前例を思えば、特にディレクトアの方には、血筋だと納得されるんじゃないかな」


「そんな、エーレ……っ」


「俺は、君さえ分かっていてくれればそれで良いから」


 キャロルの反論を封じるように立ち上がりながら、エーレは言った。


「さて、それじゃあ私室に行こうか。リーアムには湯浴みの用意と、飲み物を持って来るように言ってあるから――話の続きはそこで」


 パッと聞くと、リーアムに話があって呼びつけているようには聞こえない。


「……っ」


 ダイニングの出口でさりげなくキャロルの右手を取り、手の甲に口づけたりするのだから尚更だ。


 皇妃1人に側室ゼロなど有り得ない、と思っている連中への牽制だから、全部笑って受け入れてとエーレは言うが、恥ずかしすぎていたたまれないアレやコレやが多すぎる。


 結局『恋人つなぎ』の筈なのに、何故か捕獲されている気分で、キャロルはダイニングルームを後にした。




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「お帰りなさいませ陛下、キャロル様」


 部屋に入るなり、エーレ個人の侍女頭から、皇帝践祚せんそに伴い宮殿全体の侍女長となったリーアム・メイフェスが、そう言って頭を下げる。


「…………」


 どこに置くつもりだったのか、その手で抱えている寝間着ネグリジェに、エーレ、キャロル、二人共の目が点になっている。


(フリル――って言うか、冬なのに生地薄いスケスケ! そもそも、リボン付の前解き型って、どういう用途⁉︎)


 二人の視線が、手元に釘付けになっている事に気が付いたのか、リーアムが意味ありげな微笑を浮かべた。


「こちら、メイフェス商会が今、支援を検討しております取引先の商品見本でございます」


 リーアムの婚家は公国内でも指折りの商会であり、夫は嫡男ではなく、あくまで会頭補佐であるため、リーアムが夫人として来客対応などもする必要はないと、むしろ宮殿向け営業担当として、暗躍しているとか、いないとか。


「ぜひ湯浴ゆあみの後、キャロル様にご着用頂きまして、お二人のご意見を伺いたく」


「え、私⁉︎ って言うか、二人の意見って⁉︎」


 まさか自分が着るのか! と、声が裏返ったキャロルに、真面目な表情のまま、エーレが口元に手を当てる。


「……新しい産地と言う事か。生産量と品質のバランスを考慮して、貴族階級を中心に売り込みをかけたい、と」


 先ほどから、リーアムが「陛下」呼びである以上は、私的な話ではないと言う事だ。


「ご明察でございます、陛下。商会としては、ゆくゆくは輿入れ道具の中に加えていきたいようです。陛下やキャロル様の名を、箔付として利用する予定はないとの事で、純粋に着心地や手触り、解けやすさや、縫製の確かさ――あと、でのアリかナシかを、忌憚きたんなく教えて頂きたいと……義兄あにが」


「……〝迎賓館〟に帰るっっ‼︎」


 真っ赤になって、きびすを返したキャロルだったが、そもそも、手を繋いだ状態で、この部屋に入って来たので、逃げられる筈もなかった。


 あっという間に引き戻されて、抱きすくめられてしまった。

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