皇帝と停戦

 スールーンまで戦線を押し上げた王国だが、秋の収穫期を前に行軍は停止せざるを得なかった。

 農兵はゼスリード平原の開拓地に戻され、少数の騎士達だけでスールーン防衛にあたる事となる。


 時を同じくして、タリオン伯とミニエールが治めるロアンヌ地方は帝国に対し一時的な独立を宣言。

 魔女の身柄の引き渡しを皇帝に直訴すると、これにスールーン以東の領主が同調。


 帝国が真っ二つに割れてしまった。


 皇帝は追い詰められている。

 だが、現人神とまで言われた皇帝がこのまま引くハズがない。


 翌年、夏を前にして、再び戦争が始まる。



 皆がそう思っていた。


 ……なのに、だ。

 一年後、王都でのんびりしていたユマ姫に驚きの一報が入る。



「停戦、ですか?」


 ユマ姫はポカンとした顔で問い直す。

 帝国から停戦協定の打診が入ったと言うからだ。


 そう言えば、停戦の協定を結んだのはミニエール達。

 彼女達が一時的に帝国から独立を宣言した今、帝国とは停戦していない事になる。


「そうは言っても、魔女をなんとかして貰わないと……」

「それも、飲むそうですよ。皇帝はこれで内乱も終わりと宣言しています」


 皇帝はミニエールの訴えを全面的に受け入れ、魔女を差し出す、心を入れ替えると、そう言う事だ。

 だから、王国も手出ししてくれるなと、正式に停戦の運びになった。


 嘘ではないと、シノニムは資料をめくる。


「左様でございます。皇帝の署名も入っております。これを受け女王陛下は停戦受け入れを宣言なさいました。先方は調停にあたり、女王もしくはユマ様の出席を希望されています」

「えー? ヨルミちゃんは忙しいし、じゃあ、私が出席する事になるんですよね?」

「そのようです。私としては、むしろキィムラ様からネルネも同席するようにと要望があった事が気になるのですが……」

「むふふ、そうですよね、去年はネルネが大活躍だったんですから」

「……はぁ」


 シノニムは今でも信じていない。


 なにせ、ユマ姫の言葉は荒唐無稽。600メートルの距離から敵将を撃ち抜いただの、橋の上から敵の火薬を撃ち抜いて数千の兵を蹴散らしただの。

 とどめは、城よりも巨大な怪物をネルネが大砲の一撃で撃ち殺しただの、信じられるハズがなかった。

 しかし、キィムラからの手紙を見るに、全てがウソではないらしい。とにかく、シノニムは今年も留守番となった。


「ええ? 私、また戦場ですかぁ止めましょうよー」


 しかし、危ない思いをした当のネルネは、もう全く乗り気ではないのだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そうしてゴトゴトと魔導車に揺られ、ユマ姫はスールーンに辿り着く。

 貴人を乗せての旅となればあまりスピードも出せず、長い旅路と相成った。


 流石のユマ姫も、一ヶ月近い移動にはゲンナリと元気をなくし……


「何ですかぁぁぁ! この街はぁぁ!」


 いや、元気一杯に木村が待つ執務室へと殴り込んだ。


「どうしました?」

「どうしたもこうしたも、私の扱いが悪化してるじゃないですか!」

「あ~!」

「あ~! じゃない!」


 バンバンと机を叩く。


 どう言う事か?

 スールーンに到着するなり、ユマ姫はスールーンの住民や、騎士達に一斉に目を逸らされたのだ。

 もう、例の不気味な衣装も着ていないにも拘わらず、である。


「去年の戦争も、終わり頃には私の誤解も解けてたのに!」


 そう、ユマ姫の恐ろしい噂も、閉じこもって居ればこそ。

 しかし、ゼスリード平原からスールーンまでの長旅で、ジッとしていられるユマ姫ではなかったワケだ。

 ひとたび人目に触れる機会さえ増えてしまえば、ユマ姫の、そのにじみ出すヌケた愛らしさは隠しようも無かった。


 最終的には、皆に面白おかしく弄られる程度には、愛されキャラに収まっていた。


「それが、却ってマズかったのだ」

「ミニエールさん!」


 現れたのはミニエール。

 彼女もまた停戦の準備の為にスールーンに逗留していた。


「実はな、去年お前をからかっていた男が居ただろ」

「はい! アイツいつも私をおちょくってー!」

「死んだんだ」

「え? しんだ?」

「そうだ、死んだ」

「死んだ、んですか?」

「ああ」

「そんな!」


 これには大変ショックを受けたユマ姫だ。

 戦争だから人は死ぬ。祖国を侵略された時から嫌と言うほど知っている彼女だが、この停滞で彼が死んでいるとは思っていなかった。


 お調子者の男にからかわれ、馬鹿にされ、怒りまくっていたユマ姫だが、呪いの姫君として一般兵から避けられていた彼女が馴染めたのは彼のお陰。


 解っているからこそ、本当に嫌いなワケでは無かったのだ。それどころか一番仲良くしていた兵士。


「なんで?」

「知っての通り、奴はお調子者でな」


 だから、スールーンから飛び出して、偵察に行った先で流れ弾で死んだ。


「ううっ」

「運がなかったんだ、部隊の中でアイツだけが死んだ。それで、な」


 ミニエールを除けばユマ姫が一番仲良くしていたのが、あのお調子者の男だった、不敬にも小馬鹿にしたように弄り回していた。

 だから呪いで死んだのだと噂が回るのに、ソレほどの時間は掛からなかった。そう言う訳だ。


「しかもだ、今回の停戦もユマ姫の呪いを恐れての事らしい」

「地方領主が次々と皇帝に直訴していますね。テムザンみたいになりたくないと」


 木村の補足に、ミニエールは更に付け加える。


「それどころか、魔女自身が停戦に乗り気と言うぞ?」

「えー、ソレは怪しいじゃないですか!」

「いや、どうかな? 領主も魔女も、きっと見たんだろうアレを……な」

「え? ええ?」


 皆の視線が、ユマ姫の後ろにくっついてきたネルネに集中する。


「アレだけ巨大な生き物が、粉々に砕け散った。現場にはまだ星獣の死骸が転がっている」

「誰も、アレを見てユマ姫と戦おうとは思わないでしょうね」


 頷き合う二人とは裏腹に、ココで名前が出た事に、ユマ姫は飛び上がる。


「え? なんで私? アレは、ネルネが……」

「誰も、そうは思っていないのだ。残念ながらな」

「そ、そんな! あんな怪物を倒す女の子と結婚する人、居る訳ないじゃないですかー」


 ユマ姫は遠ざかった婚期を自覚して、頭を抱えてへたり込む。しかし今更だ。そんな事を言うのなら呪いの姫君を名乗った時点で手遅れである。

 木村とミニエール、二人がソレに苦笑する中、笑えなかったのがネルネである。


「え? 結婚出来ないとか、そう思ってたのに、私に化け物殺しを押し付けようとしてたんですか? ねぇ! 答えて!」

「えぇ? でも、倒したのは本当にネルネなんだし……」

「じゃあ! 私の婚期はどうなるんですか! 毎年毎年こんな遠くまで引っ張り出されて! 出会いもないんですよ!」

「そ、そこは世界を救った英雄として、いっそお嫁さんでも娶れば良いんじゃないですか?」

「いいワケあるかぁ!」


 ユマ姫を突き飛ばし、地面に転がすネルネを見て、また騒がしくなったなと笑う木村であった。


「…………」


 一方で、木村と違い、笑えなかったのがミニエールだ。


 ミニエールは気がつき始めていた。

 このネルネと友達なのだから、ユマ姫だって普通ではありえない、と。


 自分には解らないだけで、この一見まぬけなだけのお姫様にも、きっと何かあるのだと予感せざるを得なかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「な、中々可愛いですね」


 調停式を前にして、ユマ姫はまた例の呪いの衣装を着させられるのかとゲンナリしていた。

 しかし、木村が用意したのは真っ白なゴスロリ風衣装だったのだ。


 ユマ姫は鏡の前で一回転。


「今までの、黒くてドロドロしたのとは全然違います」

「動きやすいとは言いませんが、前よりマシでしょう?」

「ずっと良いですよ」


 白いビスチェに、白いスカート、白いストッキングまで穿いて、しかし紐やリボンだけはピンポイントで銀を使い、シャープにみせている。

 この世界にはゴスロリファッションなどないのだから、過剰なまでにレースがあしらわれた衣装は、異様なまでに華やかだ。


「そして、コレですよ」


 とどめにと、木村が取り出したのは眼帯である。

 この男、中二ファッションを極めるつもりでいた。


「また、目隠しですか? 嫌ですよソレ」

「いや、片目だけですから。コレで姫様のピンクに染まった片目を隠すんですよ」

「こうですか?」

「思った通りだ、美しい」


 トドメに真っ白な眼帯で右目を隠す。銀髪のユマ姫は真っ白で、雪の精霊の様だった。


「それで、ピンチになったらこう、思わせぶりな仕草で、眼帯を外す!」

「……こうです?」

「そう! すると、真っ白な中に輝くピンクの瞳! 呪いが発動! 相手は死ぬ!」

「遊ぶなぁぁ!」


 白いハイヒールで木村を蹴っ飛ばすユマ姫。

 しかし、可愛いとは思ったのか、やはりこの衣装で停戦調停に臨む事にした。


 調停式の布陣。こちら側はミニエール、ユマ姫にネルネ、オーズド伯に護衛の田中、木村は留守番だ。

 他には立会人としてプラヴァスのリヨン氏も呼ばれている。


「相手は魔女と、それに皇帝が来るんですよね?」

「そうですね、他には帝国の有力者が何人か」


 ユマ姫はむぅ……と唸って難しい顔をする。


「おかしくないですか? こっちはヨルミちゃんが出てないのに。皇帝が自分を格下だって認めるようなモノじゃないですか」

「そうですね、しかし、そんな嘘をついて意味がありますか?」

「うーん」


 ユマ姫は悩んでしまう。

 権威の問題なのだから、影武者を使っても意味がない。言ってしまえばコチラとしては皇帝と名乗る別人が来たとしても構わないのだ、正しく帝国の代表として来てくれれば十分。

 だから、皇帝が魔女に操られてるとしても、問題ない。

 問題なのは、皇帝を名乗る人物が何を企んで、何をするかだ。


「調停の場所が、帝都に近い見晴らしの良い丘の上ってのも、どうなんです?」

「狙撃の心配ですか?」

「そうですよ、危ないじゃないですか」

「だとしたら、私や軍団長を舐めすぎでしょう。別にオーズド伯やユマ姫が居らずとも、その場所から帝都を攻撃するのは簡単です。卑怯にも停戦の場で狙撃など士気にも関わる」

「えー」


 その想定は、調停式に出席して殺される場合のコト。仮定としてもゾッとしない。


「あり得ないと思います。何にしても、停戦の場にユマ様が居ないのは無理があるでしょう」

「うー」


 ユマ姫はエルフの王族で、王国との渡りをつけた人物だ。一応そうなっている。彼女が参加しない道理はない。


 割り切れない思いを抱え、調停式の日はやってくるのだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 当日、まだ朝露に濡れる夜明けの草原を装甲車が走る。

 ああは言ったが、木村は狙撃の可能性を考慮して周囲を警戒していた。狙撃に限らず迫撃砲や地雷なども警戒するが、そんな痕跡はドコにもない。

 周囲に怪しい仕掛けはドコにもない、木村は拍子抜けした思いでいた。


 一方で丘の上、会場に護衛として同行した田中も拍子抜けしていた。


「やる気がねぇな」

「まぁね」


 現れた魔女、黒峰の気怠い仕草には覇気が無い。

 ココから一波乱起こしてやろうと言う気持ちが見えない。


「良いのかよ? 身柄の引き渡しが決まれば良くて縛り首だぜ?」

「あら、そんな事? それなら人形を用意するわ」

「そんなんで納得するかよ」

「じゃあ、挨拶ぐらいはしても良いけど?」

「逃げらんねぇだろ?」

「途中からすり替えてくれれば良いじゃない? 同郷のよしみでそのぐらいお願い出来ない?」

「俺が従うとでも?」

「別に、従わなくても良いわ。死んだらそれまで」


 そう言って椅子の背に身を預け、ひらひらと手を振る。あまりにも捨て鉢な態度。


「本格的に覇気がねぇな」

「そりゃあね」


 黒峰は片目で田中をチラリと見た。


「この世界、私は主人公じゃない」

「ンだと?」


 今更、子供みたいな事を言い始めた黒峰に、田中は眉を顰める。


「オカシイと思わない? 何かが噛み合わないのよ」

「そりゃ、ろくでもない悪だくみばかりしてるから……」

「天使とか、悪魔とか、そう言うモノが干渉してるならいっそ納得するけどね、私達はそんな存在がいないと知っているでしょう?」


 それはそうだ。この世界は神の実験場。彼らは天罰を与えるような存在ではない。


「でも、オカシイの、上手く行くはずなのに、上手く行かない。こんなのはあまりにも不自然よ」

「負けが込んだ奴はみんなそう言うんだ」

「そうかもね」


 いっそサッパリした様子で黒峰は息を吐き出す。


「何をしても上手く行かないから、私はもう何もしたくない」

「そうかよ……」


 コレなら、特に警戒は必要ないな、と田中は黒峰の警戒を一段下げる。


「じゃあ、皇帝はなんで今更停戦しようとしている? こんな場所で」

「さぁ?」

「知らねぇのか?」

「知らない。ただ、何か企んでるかもね。私を引き渡すことに最後まで反対してたのも彼よ、私は良いって言ったのに。でも彼は私の無実を証明するって」

「無実なのか?」

「少なくとも、あの怪物を呼び出したのは私じゃない。呼び出したいと思ってたけど、上手く行かなかった。あのタイミングで出て来たのは偶然よ、私にとって最悪のね」

「他には? テムザンや、親衛隊を改造したのは? それにプラヴァスに毒を撒いただろ?」

「それは私よ、でもね? テムザンを治療してくれって言うから私は治しただけ、親衛隊が強くなりたいって言うから強くしてあげただけよ。プラヴァスは、地球の戦争を導入しただけ。似たような事、アナタもやってるじゃない」


 そう言って、黒峰は田中の日本刀を指差した。それで何人斬ったのかと言っている。それに火薬を作って泥沼の殺し合いを始めたのもお互い様。

 田中は舌打ちを返すしかない。


「ねぇ、私の質問にも、ひとつ答えてくれる?」

「なんだよ?」

「星獣は、どうして死んだの?」

「…………」


 この質問に田中は黙った。彼自身測りかねていたからだ。


「知らねぇ」

「なによそれ」

「お互い様だ、マジで知らねぇ。ただ犯人は知ってる。だが俺が勝手に言う訳にもいかねぇ」

「ふぅーん?」

「なんだよ?」

「木村でも、あなたでも、ないのね?」

「違うな、呪いや魔法でもない。神懸かった技の一種だと思ってる」

「なーんだ」


 そう言って、黒峰は足を投げ出した。


「神のやつ、人類最高峰のチートをくれるって言ったのになぁ」

「お前が言うかよ、お前の力は洗脳能力。そうだろ?」

「まぁ、そうね」

「使い方次第で、何でも出来たハズだ、違うか?」

「更新権」

「なに?」

「私の力よ。相手の領域にデータを書き込む。でも、そんなに便利じゃないのよ? 書き込めるのは僅か。相手の人生をひっくり返せるほどじゃない。思考誘導能力って言う方が近いかもね」

「何にしろ、超常の力だ」

「でも、あんな怪物は殺せない。そうでしょ? それとも、あなたなら出来る?」

「出来ねぇよ、人類最高峰の身体能力を貰ったが、アレはそう言う次元じゃねぇ」

「そうよね、やっぱりオカシイのよ。何かが、神をも越える何かが、干渉してる。神よりも……」


 そう言って、黒峰は顎を摘まんで考え込んだ。何かを思い出したのだ。


「ねぇ……ドコに居るの? 高橋君は、本を正せば彼が全ての元凶でしょう?」

「……知らねぇ、俺達が一番知りてぇよ」

「そう……何にしろ、もうどうでも良いわ。異世界転生してチート能力で好き勝手出来るかと思ったら、ただのモブキャラなんだもの」


 本当にやる気をなくした魔女が居た。


 これは演技か? いや、そんなモノかも知れないと田中は思う。

 人間は何もかも躓くと、途端に投げやりになってしまう。思い返せば魔女はあまりにも運が悪かった。彼女が撒いた種は悉く、どこか理不尽に摘み取られてしまった。

 思い返せばそこには常にユマ姫が居た。田中はやはり自分の直感は正しかったと確信する。

 アレは敵に回してはいけない。あの寂れた村で出会った時から、不気味なモノしか感じていない。


 そして、調停式が始まった。


 皆が席につき、しんと静まり返った会場で、最後の最後、やって来たのは皇帝だ。

 この場でもっとも格上とされる人物ゆえに、それは問題無い。ただ、ココに来て、まだ顔を隠した装束である事だけが問題だった。


 派手な被り物にヴェールを流したデザインは、全てを覆い隠してしまう。これでは真贋定まらず、調停どころではない。

 王国側の静かな苛立ちを知ってか知らずか、皇帝は上座に座るなり苛立たしげに被り物を脱ぎ、机に転がした。


「ふん、空の対席と調停か」


 晒された顔に、帝国有力者は息を飲む。皇帝の顔はこのように晒される習慣がないためだ。何せこの会場は、皇帝の意向もあって丘の頂点で全軍に晒されている。

 つまり、陣幕ひとつ張られずに完全な野ざらし、皆に歴史的な瞬間をみせるため、皇帝の趣向と説明されていた。


 果たしてその顔は、恐らくは十代なかば、幼いとまでは言わないが、年若く生意気盛りの少年のモノだった。恐ろしく整ってはいるが、神かと問われれば、そうではない。


 そして、空の対席とは?


 向かい合う席には、同格の者が座るべきとされている。

 今回で言えば、長机の短辺、俗に言うお誕生日席には主役である皇帝が座り、向かい合う席は空になっていた。


 座るべきヨルミ女王がおらず、代わりに王冠のみが鎮座する。


「それで、余は誰と調停すればよい? そこの王冠か?」


 皇帝の皮肉を受けて、オーズド伯が王冠を抱き立ち上がる。


「このオーズドが、主の名代として」

「ふん、早くしろ」


 なんとも投げやりだ。ここでも田中は眉を顰める。

 全て諦めて、ヤケクソで停戦する。それなら良いが、年若い皇帝はそんな潔さとは無縁に見えた。


 しかし、調停は進む。皇帝は乱雑な筆致でサインを重ねた。


「これで良いか?」

「確かに」


 皆が疑問に思う。皇帝はこんな雑な仕草を皆に見せつけたかったのかと。

 しかし、その時は最後にやって来た。


「書類だけでは味気ないな、余は森に棲む者ザバいや、エルフの姫と挨拶がしたい」


 これにはザワリと会場が揺れた。


 なにせ、ザバの姫と言えばユマ姫しか居ないのだ。呪いの姫君と恐れられる彼女とワザワザ挨拶するなど、危険な意図があるとしか思えない。

 しかし、皇帝はザバという蔑称からエルフと言い換えるだけの分別をみせた。


 ――どうだ? 呪いなどモノともしない姿を民衆に見せつけたい、それだけなのか?


 田中は政治を知らない。

 ただ、皇帝の投げやりな一挙手一投足に目を配る。


 しかし、皆が反応を示す前に、ユマ姫が立ち上がる。


「光栄、と申し上げるべきでしょうか?」


 立ち上がったユマ姫は美しかった。

 レースをふんだんにあしらった純白の衣装に、銀の髪とリボンが踊り、呪いとは真逆の神秘を纏っている。

 今日は普段の無邪気さもなりを顰め、猫を被ってお姫様らしい仕草をみせる。

 その姿は皇帝をも唸らせた。


「ほぅ、美しいな、噂とは違う」

「事実とは噂と異なるモノなのです。そのお言葉は、死んでいった民に頂きたかった」


 ユマ姫の言葉に、皆が息を飲んだ。そしてあまりの猫被りに、お前は誰だと田中は苦笑する。

 言わんとするのは、悪鬼の如き森に棲む者ザバの悪評も所詮は噂だと、帝国の大森林侵略を責めているのだ。


「ふんっ」


 このユマ姫の一刺しに皇帝は鼻を鳴らし、それでも挨拶にユマ姫と向かい立つ。


 右手で左手の肘を握り、左手を女性に差し出す仕草。貴婦人へ向けた挨拶で、女性が手を取れば悪からず思っている事の証明、友好の証と言える。

 皇帝から差し出された左手にユマ姫はすこしばかり顔を顰めるが、それでも左手で皇帝の手を握った。右手を胸に当て、軽く会釈する。これもまた、マナーに沿った所作である。


「おおっ」


 誰かが、或いはその場の全員が、感嘆の声を抑えられない。


 年若い皇帝も見映えは悪くない。


 悪くないどころか、豪華な衣装に輝く金髪、鍛えられた体つきは誰よりも目を引いた。


 それこそ美形と言うだけなら同席するプラヴァスの太守、リヨンも一流ではあるが、年齢的にもユマ姫とは少し釣り合わない。

 ユマ姫と並び立つなら、ザイア広しと皇帝しか居ないと、そう思わせるだけの優美さがあった。


 まだやわらかな朝の日差しを受けて、二人の影が長く伸びる。

 太陽を背にどこまでも神々しく歴史的な和解の瞬間。


 なるほど、皇帝はこれがみせたかったのかと、誰もが納得した瞬間。


 それは、起こった。


 ――パァン!


 乾いた銃声。


「ぐっ!」


 皇帝が撃たれたのだ。

 その腹部、豪奢な召し物に滲んだ赤。皇帝は声を絞り出す。


「ビルダール王国、ひ、卑怯なり!」

「違う! 我らではない!」


 オーズドは声を張る。実際、計略ではない。その意味もない。

 一部始終を見ていた田中は、秘かに舌打ちをひとつ。


 犯人は皇帝が投げ捨てた被り物だ。


 そこに仕込まれた自動発射装置が皇帝の腹を抉ったのだ。


 自作自演。ヤケクソの自傷行為に違いなかった。


 挨拶の為と言え、すこしばかり不自然な皇帝の立ち位置は、その調整をしていたに過ぎない。


 この会場にありながら、検査を受けずに持ち込めたのは皇帝の召し物だけだ。

 良く見ていれば気が付く事。

 この場にも察した者は少なからず居るだろう。


 だが、その場の勢いと言うのは恐ろしい。

 皇帝の怪我は、彼を現人神と崇める帝国民をパニックに陥れる。冷静な判断力を奪ってしまう。

 帝国兵が王国への敵意を漲らせるに十分な一助となる。


 これこそが、この自作自演が、皇帝の狙いだったのか?

 いや、違う!


「私は、呪いになど屈しない」

「きゃぁ!」


 皇帝は、ユマ姫の手を強く引き、後ろ手に締め上げる。右手にはリボルバー。そのままユマ姫へと突き付ける。

 ユマ姫を人質にとったのだ。そして高らかに宣言する。


「呪いも、不死なる力も、我が前に無力と知れ!」



 いや、違う!

 これは人質では、無いッ!


 皇帝は自作自演によりユマ姫の呪いを受けて、なお無事な姿を見せるだけでなく、その不死性をも祓おうとした。


 皇帝の権威を前にすれば、全ての奇蹟が揺らぐのだと証明しようとした。


 だから、すぐさま引き金を引く。

 自らが唯一の神だと証明するために。


 ――パァン


 ユマ姫の顎下に突き付けられたリボルバーは彼女の脳天を貫通した。

 この場の誰もが、それを目にした。


「薄汚い女狐め!」


 そればかりか皇帝はユマ姫を蹴り飛ばし、力なく倒れたユマ姫の死体目掛けて引き金を引く。


 ――パァンパァンパァン!


 全てが命中し、全てが即死の一撃だった。

 少女一人を殺すには、どう見てもやり過ぎの追撃だった。


 皇帝もまた、心の底ではユマ姫の呪いを否定しきれて居なかったから。

 怯えと、恐れが、そうさせた。



 だから、死んだ。



「ぐっ」


 駆け寄った田中がリボルバーごと皇帝の右手を切り取る。

 しかし、それは少しばかり遅すぎた。


 あまりの事態に、彼にして行動が遅れていた。

 だから目の前で、皇帝の首が飛ぶ。


「なっ?」


 あまりの事に、田中が呻いた。

 キィィンと金属の澄んだ音が遅れて聞こえる。それほどの太刀筋。

 ほどなく聞こえたのは憤る女性の声。


「なんて事を!」


 皇帝を殺ったのはミニエールだった。


 彼女はただただ、恐れていた。


 それはユマ姫の呪いではなく、皇帝の死による帝国兵の狂乱でも、ユマ姫の死による王国の反撃でもない。


 ただネルネの凶弾が、真なる呪いが、全てを破壊することを恐れていた。

 だから、疾く皇帝の首を刎ねた。


 この謀略に、自分達は無関係と切り捨てた。


 この場で彼女が恐れていたのは、突然の事態に狂乱する軍でもなければ、自らの命が失われる事ですらない。

 たった一人の少女の苛烈な怒りだったのだ。


 城よりも大きな巨獣を一撃で仕留めた暴力が、もしも帝国の臣民に降り注いだら、一体どうなってしまうのか?


 ミニエールは止まらぬ冷や汗と強靱な精神力でもって、ユマ姫の侍女を探した。見たくないモノを、それでも目に収めようとした。



「ヒッ!」


 しかし、彼女は、ミニエールは、自らの目を疑う事となる。


 ある意味で、想像の何倍も恐ろしい光景を目の当たりにする。



 ネルネは、何の感情もなく佇んでいたからだ。



 狂乱する周囲をよそに、たった一人。


 その表情は、虚無。

 退屈にすら、見える。


 その姿はいっそ周囲から浮き上がり、異様であった。


 平時と変わらぬその姿に息を飲むミニエール。彼女の視線に気が付いたのか、ネルネはトコトコと歩き出す。机の水差しを手に取るとミニエールに近づいた。


「お清めになりますか?」


 はじめ、ミニエールはその意味が解らなかった。

 解らないままに首を縦に振った。


「ジッとして下さい」


 ネルネが布巾を濡らし、ミニエールを拭った事で、ようやく皇帝の返り血を自覚した。血塗れの姿であったのだ。しかし、今はそんな事はどうでも良い。


「私より、亡くなった君の主人を清めてやってくれ」

「? 亡くなった? ああ……」


 まるで、気のない、返事。


 これではまるで……

 ミニエールはゾッとした。


 死んだハズだ、これ以上ないほどに、これ以上どうやるのかと言うほどに。

 しかし、まさか。


 視線を送った先、倒れ伏すユマ姫を見ると、奇妙であった。


 そこだけ浮き上がって見えるのだ。

 現実感が乏しい光景。


 混乱するミニエールだが、彼女は持ち前の感性で、それでも良く観察した。


 違和感の正体。

 綺麗なのだ、皇帝に蹴られ、地面に転がり、それでも純白の衣装には泥染みひとつ見られ無い。

 浮き上がって見えるのも当然だった。


 ミニエールが息を飲んだ時、本当の奇蹟が起こる。



 真っ白な少女が、ユマ姫が、泥の中のっそりと立ち上がる。



「もう、いきなり突き飛ばしてぇ! 痛いじゃないですか!」


 被った猫もかなぐり捨てて、文句さえ言ってみせる。怪我ひとつ認められない。まるでそこに居る侍女とじゃれあってる時みたいな気軽さで。


 その姿、その場の全員が見てしまった。

 誰も、何も、言葉なく立ち尽くす。


「不死なる者」

「呪いの姫君」


 誰もが畏れを胸に抱いた。不死なる姫君に戦慄した。


「これは??? 一体?」


 そんな中、ミニエールだけは理由を求めてユマ姫の侍女を見る。



 すると、ネルネは諦めた様子で呟いた。


 そのひと言は、終生ミニエールの脳裏にこびり付き、彼女を苛む事となる。


「あんなんで殺せるなら、私がとっくに殺してますよ」


 なんっ???


 ミニエールには絞り出す声もなく、ヒュと息を吸い損ねた音だけが喉で鳴る。


 もう一歩も動けない。


 しかし、事態は収まらない。

 彼女だけでなく、その場の誰もが固まる中で。空より巨大な影が飛来する。


 ――ギョォォォォ!


 グリフォンだ、グリフォンが飛来した。


 調停の場、皇帝が狙撃され、ユマ姫が殺され、皇帝の首が飛び、ユマ姫が復活した。

 そこに幻想生物の降臨。


 皆が現実を受け止められずにいた。


「黒峰ぇぇ!」


 いや、ただ一人、犯人を察した田中は魔女に向かって剣を突き付ける。

 しかし、その黒峰にして、この事態は想定していない。


「知らない! その子は護衛の為に皇帝にあげたのよ」

「早く引っ込めやがれ!」

「言ったでしょ、そんなに便利じゃないの! 制御出来ない!」


 このグリフォンは皇帝を守ることだけを真っ白な脳みそに叩き込まれたクローンだ。

 このグリフォンも、被り物に仕込んだ銃と一緒、タイミングを測って皇帝の奇蹟を演出するハズだったパズルのピース。


 しかし、既に仕事をなくし、うろうろと皇帝だったモノの周りを回るしかない。


「ぷぎゃ!」


 その時だった、無惨にもユマ姫がグリフォンに踏み潰されたのは。


 そのあまりにあっけない死に様に、ミニエールは呆然とする。

 まだ皇帝の近くに居たのかと、あまりにも鈍臭く、あまりにもあっさりと、再びユマ姫は死んだ。

 アレだけの巨体に踏み潰されて、流石に生きている道理はない。


 確認の為にネルネを見れば、一顧だにせず面倒臭そうに落ちている皇帝の右手を拾っていた。


 それを見て、まさかと思う。自然、顔が強張る。

 そして、視線を戻せば、見たくないモノを、ミニエールは見てしまう。



 踏みしめるグリフォンの足の間から、何食わぬ顔でユマ姫が這い出してくる所を。



 殆ど恐怖の光景だ。ソレは足の間から這い出したと言うか、足を貫通して生えてきたような、木村が見たら出来の悪いゲームのバグかと疑う光景だった。


「ハァ、ハァ」


 腰を抜かし、過呼吸に陥るほどミニエールが恐れたのは、グリフォンか、それともユマ姫か?


 しかし、グリフォンは皇帝が死んでいる事に気が付いて。そしてその犯人にも気が付いた。皇帝の匂いがベッタリと染み込んだミニエールを見つけてしまった。


「なっ! くっ!」


 慌てて立とうとするも、立ち上がれない。


 ユマ姫を笑えない間抜けさだった。


 そこを助けたのも、またユマ姫だった。


「コラーッ!」


 可愛らしい声をあげ、グリフォンの背後に立つ。その姿は丘の上、朝日を背にして実物よりも大きく見えた。


「呪います! 呪いますよー」


 ゆっくりと眼帯を外す。ユマ姫、渾身のハッタリ。

 木村に教えられた通りの動き。


 しかし、動物相手には意味がないのだ。


 背後でうるさい少女に、グリフォンはのっそりと目を向けた。


 真っ白な少女に赤い目が灯るのを、その時、その場の、全てが目の当たりにする。


 ――そして。


 ――パンッ!


 軽い発砲音。

 まさかとミニエールがネルネを見れば、拾ったリボルバーを撃っていた。


 まるで落ち穂を拾うように、グリフォンを見てもいない。

 放たれたのは、たった一発の非力な弾丸。


 ――パチュン!


 そして、水を打つような音がした。

 ほどなく、グリフォンの巨大な体が波打つようにぶるりと震える。


 その時、ミニエールは。いやその場の全員が初めて呪いの瞬間を目の当たりにする。


 ――ベチャリ


 グリフォンだったモノは、全てを肉塊に変じてしまった。

 ドロリと崩れ、丘の上に広がるのみ。


 あまりにも不気味な光景。


 こうして、奇蹟と呪いを白日の下へと晒し、調停式は終わりを告げた。


 皇帝は死に、後嗣もない。

 ユマ姫の呪いは神話に至り、対抗出来るのは唯一、戦乙女の加護のみ。


 こうして、ミニエールは皇帝になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る