戦車と怪獣

 危機は去った。


 ざあざあ降りの雨は嘘みたいに過ぎ去って、雲の合間から差し込む光が、すり鉢の底まで照らし出す。

 先程までの絶望が嘘のよう、希望に満ちた光景だった。


 魔女の罠をしのぎ切ったのだ。

 勝利に気が抜けたこのチャンス、虎視眈々と窺っていた女性が一人。


「私は魔女を誅する! かの悪女、もう罷りならん。皇帝陛下の御乱心を正すのだ!」


 ミニエールである。


 白馬に跨がり、軍旗を振りかざすミニエールの勇姿。まだ神話は終わっていないのだと印象付けるに十分だった。


「我らは戦乙女と共に!」

「正義は聖女にあり!」


 農兵達を中心に大きな声があがり、動揺する騎士の間にもぽつぽつと賛同の声が広がった。神話のような奇蹟の連続に、その場の全てが呑まれていた。


 ソレを見て、上手く行ったとミニエールはホッと息を吐く。


 なにせ魔女クロミーネはおろか、神に等しき皇帝の乱心まで口にすれば、もうタダでは済まない。後戻りなど出来ない。非常に危険な賭けだった。


 だが、なぁなぁで済ませれば、また自分が悪者にされる。


 彼女は皆が見つめる中、テムザン将軍の首を刎ねてしまった。

 もう全部の罪を魔女になすりつける以外に道が無いのだ。


 ところが、魔女は皇帝陛下のお気に入りでもある。皇帝の浅慮を正さなければ。自分は良くても自領ロアンヌの未来は閉ざされる。ミニエールはそうした妄執に囚われていた。


 一歩間違えば、皇帝への反逆とも取れる、ミニエールの行動。

 押し通すチャンスを彼女は狙っていたのであった。



 後世の絵師は、証言を頼りにこの瞬間を絵画に残した。

 かの有名なジャン・グアール作『神との決別』である。


 虚空を見つめる戦乙女の眼差しが印象的な一枚は、天才絵師ジャンの出世作。

 彼は一枚の絵画にも徹底的な取材を重ねる事で有名で、この眼差しも当時の行軍日誌を元に描かれている。


 日誌には「感情の読めない瞳に神性を見出す兵が続出した」とだけ。


 しかし、この時のミニエールの思考、歴史家の間では議論の的だ。


 なにせ、帝国にとっての皇帝は神も同然。

 半生を辿れば、それまでミニエールが敬虔たる皇帝の信望者だったのは疑いようもない。


 それが突然の転換。

 本当に神と交信していたのでは? と議論が尽きない。


 しかし、実のところはどうだろう?


(ヒヒッ、やってやる! も、もう! 行くところまで行くしか!)


 ミニエールはヤケクソだった。

 目はグルグルと渦巻き、正気は失われている。


 なにせ、彼女を悩ませるのは帝国内部のイザコザだけではない。

 王国軍と停戦を結んだのは他ならぬ彼女である。

 王国から見てこの騒動はどう映ったか?


 彼女が思うに、停戦を反故にされ、罠に嵌められたも同然と怒っているに違いない。恐らくこのまま引っ込む事はないだろう。

 同時に、王国だけでなく、ミニエールは帝国からの突き上げも恐れていた。


 この戦争で何人の兵を失ったか解らない。

 責任を問われ、殺されかねない。


 かといって、間近でネルネの呪いを目にすれば、もう王国軍と争う選択肢はない。


「思えば、大森林への進軍も、全てが魔女の描いた絵図。我らは諍う様に仕組まれたのだ!」


 だからここでも軍旗を振り回し、呪いの矛先を魔女に向けるのを忘れない。帝国も王国も、全ての恨みつらみを魔女に向け、この場を乗り切るつもりであった。


 実際に殆ど魔女が悪いので、罪悪感もない。なにより必死である。


 しかし、彼女の暴走に頭を抱えてしまったのが、他ならぬ王国軍の総司令、オーズド伯だ。


「ぬぅ……」


 ミニエールの宣言は寝耳に水。

 混乱冷めやらぬ内に流れを持っていかれた。


 実のところ、オーズドは一刻も早く戦争を終わらせたかった。

 ミニエールが罠にはめたとは思っていないし、そうだとしても責めるつもりもない。この混乱から手を引けるなら安いモノ。多少の損は目を瞑るつもりでいた。


 そこにあの宣言だ。

 もう味方の騎士達はすっかり魔女を討つ気でいる。


 ここで手を引けば腰抜けと笑われるに違いない。

 そればかりか、仇を討つ絶好の機会を棒に振ったと、エルフとの同盟まで危うくなるだろう。

 魔力の関係で轡を並べる事は難しくとも、魔導車の提供だけで戦争が大きく変わったのは将校なら誰でも感じる所。

 ソレを敵に回す可能性。


 帝国が二つに別れ、エルフがミニエール派への鞍替えとなると非常にマズい。

 ミニエールはエルフの侍女を背に乗せて戦場に舞い戻った。既に何らかの話が済んでいる可能性もある。


 オーズド伯は、ネルネをユマ姫が連れて来たエルフの連絡員だと思い込んでいる。


「やられたな……」


 オーズド伯にしてみれば、ミニエールにしてやられた格好だ。

 なにより、タイミングが素晴らしい。

 オーズド伯ですら演説に胸を打たれた。


 こうして王国軍は、まんまと帝国の内乱に巻き込まれてしまったのだ。誰も望まぬ形のままに。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 かくして、戦乙女率いる帝国と王国の混成軍が、帝国領に切り込んだ。


 そこに戦闘は発生しない。

 勇ましくも美しいミニエールの勇姿に、誰もが黙って道を譲った。


 なにせ、魔女を誅し、皇帝を諫めるだけが目的の進軍だ。


 敵である王国軍も混じっているが、王国に切り取られるのは、ゼスリード平原までと既に決まっていると言うのだから、領主たちに無理して戦う理由がドコにもない。


 更に、世論は完全にミニエールの味方だ。


 奇蹟の連続を目の当たりに、帝国兵の口が回ること回ること。

 噂話はあっと言う間に伝染し、反皇帝の機運が高まっていく。


 そうして帝都までも窺える場所、スールーンまでやって来た。


 かの地は泥炭の産地であるが、乾季となれば燃えさかる乾いた土が舞い、魔獣がウロつく地獄である。


 しかし、何もない荒野と言う事は、魔女の軍勢が決戦の地に選ぶ可能性が高いと言う事。


 魔女は機動力に勝る魔導車を大量に保有している。

 だからこそ、すり鉢の包囲もアレだけ迅速だったのだ。


 魔導車で鉄砲隊を運用し、距離を保って銃を撃たれれば、どんな軍勢でも勝ち目がない。乾季であるが故、雨の心配も無い。


 向かうところ敵無しのミニエールと王国軍も、スールーンの荒野に立ち入るには躊躇し、直前で野営を張った。


「思った通りだ、奴らスールーンで決めるつもりだぜ」


 単身バイクで先行していた田中が舞い戻る。その顔にはらしくないほど憔悴が浮かんでいた。


「何を見たんだ?」

「聞いて驚け、奴ら戦車を作ってやがった。それも大量に!」

「おいおい! マジで?」


 叫ぶ木村と対照的に、ピンと来ないのがこの世界の人々だ。木村はかいつまんで説明した。


「早い話が、この装甲車に大型の大砲を積めば完成です。矢も槍も刺さらず、一方的に攻撃されます」

「そんなモノ相手に、我々はどうすれば?」

「…………」


 ミニエールの言葉に、木村とて、黙るしかない。

 コチラも大砲で迎撃するか、田中の魔剣で戦うしかないだろう。それぐらい戦車と言う存在は厄介だ。

 今回の帝国は、ゾンビではなく、戦車を揃えて戦うつもりでいる。


 さて、何故コチラの世界ではコレほど帝国の戦法が異なるのか?


 実は誰よりも魔導車に可能性を感じていたのは、帝国情報部のギデムッド老。あの時はゼスリード平原でグリフォンに殺されてしまったが、この世界では生き延びて、魔導車の改造に心血を注いでいた。


 そのため、予算が足りず、魔女のゾンビ計画や、星獣の復活計画は立ち後れて居たが、ソレを補って余りある程の成果として戦車をズラリと揃えてみせた。


 騎士がえいやと戦う世界に、鉄板で補強され大砲を備えた車両が走り回れば、騎士など一方的に蹂躙するのが必然である。


 もはや戦場は戦車が闊歩する近世の領域に踏み込んだ。

 騎兵と火縄銃を幾ら揃えても意味がない。


 ――バァァァン!


 どんよりとした空気が支配する陣地の中、火薬の爆ぜる音が遠くに響いた。


「なんだ?」

「随分と遠いが?」


 断続的に聞こえ始めた爆発音に、皆が顔を見合わせる。


「スールーンだ! 奴ら、もう何かと戦ってやがる!」


 誰よりも耳が良い田中がバイクに跨がりアクセルを吹かした。

 ソレを止めたのが木村だ。


「待て、俺達も行く」

「危ねぇぞ!」

「だが、チャンスかも知れない。戦車を潰せる機会があるのなら今しかない」

「知らねぇからな!」


 そうして、戦乙女連合軍は田中を先頭にスールーンへと駆けだした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 戦車が待ち受ける戦場。

 そこに駆け込んだ田中達が見たモノは?


 パニックに陥る戦車部隊と、それを踏みつけ蹂躙する巨獣の姿だった。

 まるで安っぽい怪獣映画みたいな光景に、田中はあんぐりと口を開く。


「な、何だよ? アレは!」

「星獣……本当に居んのかよ」

「木村? お前アレを知ってんのかよ? あんなの魔獣じゃねぇ、怪獣だぜ?」


 そう言われても木村だって、資料で見ただけだ。古代人の記録の中に、怪獣映画が混じったのかと訝しんだ程。

 その非現実が目の前で暴れている。


「マズいぞ、奴らがやられたら、次は俺達だ」


 戦車砲の一撃も、星獣にはまるでダメージを与えて居なかった。

 ギデムッド老率いる帝国情報部が次々と蹂躙されていく。


「マズい、コッチに来る!」


 誰かが叫んだ。

 その通り、星獣の狙いは王国軍でもあったのだ。全軍がパニックに陥り、来た道を慌てて引き返す。


 スールーンに、今回もまた、星獣が現れる。


 前代未聞の撤退戦が始まった。



 しかしなぜ、スールーンに星獣が現れたのだろうか?

 前回と同じに見えて、理由は今回、全く異なる。


 まず、今回魔女は一切関わっていない。

 先々で野望を砕かれて、星獣に関する知識も、予算も、まるで足りていない。


 更に今回、星獣の坊やは非業の死を遂げていない。

 既にザイアは魂を手に入れて、完全体になっているからだ。


 前回のザイアは、『坊や』が持つ巨大な魂を奪うべく、母に子殺しを命じた。

 今回は、ただ前回の運命をなぞるようにひっそりと坊やは病で死んだのだ。


 母は大いに悲しんだが、恨みはない。


 なら、なぜ星獣は暴れているのか?


 ザイアの命令だった。

 星のエネルギーで活動する星獣は、惑星の命令に逆らえないのだ。

 そして、完全になったザイアは、今の状況が面白くない。


 全てが予定調和に満ちたハズの世界。

 なのに、調和が壊れてしまった。


 世界にイレギュラーが混ざっている。

 慌てて地上を調べ始めた。

 そして、解った。


 運命がねじ曲げられて、死ぬべき人間が生き残っている。

 そんなイレギュラー共が一堂に会するスールーン。


 星獣を送り込み、一網打尽にするつもりだった。


 だからまず、ギデムッド老が踏みにじられた。

 彼はもっと早く、ゼスリード平原でグリフォンに喰われ、死んで居るハズの人間だ。


 そうなれば次はもちろん戦乙女連合軍。

 彼らはもっと数が減っているべきなのだ。


 ――ガァァァァ!

 << あなた達、死になさい! >>


 耳をつんざく咆哮。ドスドスと音を立て星獣が迫る。


「全軍ッ! て、撤退!!」


 ミニエールは叫ぶ。オーズド伯もだ。


 しかし、軍の後退は簡単ではない。まして背後は一本道だ。

 回れ右して駆け出そうにも、後ろが詰まって逃げられない。


 オーズド伯とミニエールは声を張り上げ、陣形を組み替えようとする。

 しかし、間に合わない。

 このままでは残らず蹂躙される。


「どうした? お前! どこに行く!」


 その時、勝手に隊列を離れたのがミニエールだ。


 正確に言うと、その愛馬であるサファイアがミニエールの手綱を無視して駆けだした。旗印である戦乙女の単独行動、帝国軍は大いに動揺した。


 しかし、誰より慌てたのはミニエールである。


「コラ! 言う事を聞け! どうしたんだ?」


 そんな事を言われても、白馬サファイアは死にたくなかった。

 もちろん主人であるミニエールも殺したくない。来た道を取って返すと言う事は、後続の軍隊に詰まってしまう。だったら一人で逃げた方がマシ。

 のろまな軍隊と心中などゴメンとばかり、主人を背に乗せ、たった一人で単独行動。軍隊から離れ、敢えて星獣の横を駆け抜けるルート、スールーンの荒野をひた走る。


「ミニエールさん? まさか、逃亡?」

「いや、待て! ちげーぞ!? 良く見ろ!」


 撤退の指揮を執るべきミニエールが、一人で勝手に逃げ出した。

 慌てる木村の叫びを田中が遮る。


 ――ガァァァァ!

<< あなたは、逃がさない! >>


 考えてみて欲しい。


 この場で、死んでいるべき人間は誰か?

 あの時は死んでいたハズの人間は誰だ?


 他ならぬミニエールだ。


 彼女は世界を壊しながらココに居る。

 だから、誰よりも星獣に狙われた。


「なんで? なんでコッチに来るの??」


 パニックになったのは、ミニエールとそして愛馬のサファイアだ。

 人間の大群を無視して、怪獣は一人と一匹を執拗に狙ってくる。ソレをみた王国軍の反応たるや、劇的だった。


 まずは田中が飛び出した。


「アイツ、一人で囮になる気だ」

「嘘だろ! どうして」

「自己犠牲、って感じじゃねぇな、やれると思ってるんだろ。行くぜ!」


 もちろん、後に続くのは戦乙女の信望者である帝国の兵士達。


「戦乙女を守れ」

「ミニエール様を化け物に蹂躙されてたまるか!」


 臆病なハズの農兵達ですら、見上げる程に大きい巨獣へと挑もうと駆けだした。


 そうして、怪獣と軍隊の追いかけっこが始まった。


 逃げる白馬に、追う巨獣、更にソレを追いかけるバイクに装甲車、騎士、遅れて歩兵の大群だ。

 ここでもまるで、お伽噺の一ページ。

 但し、追われる当人にしてみればシャレでは済まない。


 先頭を駆ける白馬に、真っ先に追いついたのはバイクに跨がる田中であった。


「よぉ!」

「たたた、助けて! 振り切れない」

「落ち着け、南で木村が沼地を作った。あのデカブツを沼に嵌めるんだ!」

「沼、どうやって?」

「企業秘密だ!」


 リヨンさんが雨を降らせて沼を作って待っている。


 実は、沼の作成こそが木村が立てた戦車への対抗策だったのだが、ソレをそのまま怪獣への罠として流用しようとしていた。

 全軍をソコに待機させ、沼に嵌まった瞬間を狙い撃つ。


 ……とは言っても、沼に嵌めて銃を撃ち、騎士が槍で突っついた所で、倒せる星獣ではないのだが、彼らはソレを知らずに居た。

 いや、知っていても愛する戦乙女を諦められなかったに違いない。


 しかし、バイクと違い、サファイアもミニエールも、体力の限界だ。


 なんとかミニエールから注意を逸らそうと、木村が装甲車から大砲を発射する。


「コレでも食らえ!」

――ウガァァァァ


 ソレはなんの痛痒も星獣に与えはしなかったが、爆音と煙は星獣を大いに不快にした。

 コレには、装甲車に乗っていたユマ姫が悲鳴をあげる。


「え? コッチに来ましたよぉ!」

「振り切ります。ユマ様はしっかり捕まって! ネルネさんは私に代わって大砲で気を引いてください、星獣を沼までおびき寄せます!」

「は、はぃぃぃ」


 運命の強制力は、再び、前回と今回を近づけようと引力を強めた。

 再び、沼での戦いが始まろうとしている。


「あの……」


 だから、運命が破壊されるのはここからだ。


 控え目に手をあげたのはネルネ。

 泣きながら手すりを掴むユマ姫とは裏腹に、装甲車の天井に取り付けられた大砲をじっと見つめる。

 ガタガタと盛大に揺れる車内から、木村に向かって言い放つ。


「別に、アレを殺しちゃっても良いんですよね?」

「…………」


 あんまりなネルネのひと言、木村は一瞬言葉に詰まった。


 幾ら相手が巨大とは言え、揺れる車内から撃てばただ当てるのだって一苦労。

 それどころか、狙い通り星獣の眉間にあてた木村の一撃ですら、何のダメージも与えていないのだ。


 絶望的な状況ながら、強がってみせる威勢の良いネルネのひと言。

 木村は勇気を貰った気がした。


「是非! お願いします!」

「ハイ!」


 そして、星獣は死んだ。

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