少女に殺意が宿るとき
陣内は人いきれでむせかえるようだった。
カチャカチャと響く鎧の擦過音、馬の嘶き、転がる荷車、駆け出す兵士、足元で跳ねる泥、獣染みた叫び声。
無数の音が幾重にも重なる。
雑然とした中に、確かに漂う緊張感。
――戦争が近い。
誰もが激しい
そんなピリつく男達のド真ん中、一際派手な馬車が乗り付けた。
皆の視線が集まる中、ガチャリとドアが倒れてタラップに変じる。居合わせた兵にとっては見たこともない最新の馬車。
どんなお貴族様かと見守る中、その少女が姿を現した途端……
――それまでの緊張感を、次元の異なる緊張感が、塗りつぶす。
「ユ、ユマ姫だ!」
誰かが、叫んだ。
開戦前の陣中へ、
噂に名高い美姫が、
突然の来訪。
普通なら、兵士が快哉に沸くべき場面。
しかし、声が出せたのはホンの僅かだった。
多くの兵士は言葉無く、ただ固唾を飲む。
漂うは、戦場よりも尚濃厚な死の予感。
「呪いの……姫君」
誰かが、呆然と、呟く。
歴戦の傭兵ですら、恐怖に直視出来ずに居た。
それもそのはず、ユマ姫はあまりにも異様な風体。
目隠しをされ、口には猿ぐつわ、リボンが幾重にもあしらわれた衣装は華麗に見えるが、その実、グルグル巻きに体を固定されて、自由に手も伸ばせない。
これではまるで、拘束具だ。
たった一人の少女にここまでするか、ここまで厳重に封印せねば、呪いが味方にまで牙を剥くのか。呪いの強さを理解するに十分な光景。
「こんな、バケモノを……」
戦争に使うのか? 呻いた兵士のひと言にユマ姫が反応する。目隠しに、猿ぐつわ、表情が見通せない顔を兵士に向けた。
「ひっ、ひぃ!」
ソレだけで兵士は腰が抜けてしまう。
ソレを見たユマ姫は……いや見えているか居ないかは判然としないが、とにかく興味を無くしたように歩きだした。
「あっ、う」
ユマ姫が足を踏み出せば、遠巻きに見ていた兵士達が同じだけ後ずさる。だれも呪いの姫君に近づけない。
呪いの姫君に付き従うのは、同じくエルフの少女がたった一人。目を伏せ、呪いの姫の手を取り、ただ静々と進んでいく。
誰も二人に立ち入れない、凍り付いた空気の中で、兵士達は少女達の姿を見送った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「何ですかぁ! 完全にバケモノ扱いじゃないですか!」
「文句を言いたいのはコッチですよ! また私まで戦場に連れ出して!」
不可侵なる呪いの姫君と付き従うエルフの侍女。
一歩陣幕の中に引き籠もれば、正体はコレだ。
少女二人は
ココは作戦司令部と化した王国軍が徴収した小屋の中。連れて来られたのはユマ姫と、そしてネルネ。
そう、ネルネはまたしても、ユマ姫とセットで戦場に駆り出された。
シノニムはプラヴァスの件以来、セレナとエリプス王の居るピルタ山脈の遺跡に派遣される事が増えている。
木村も開戦を前に武器の輸送に忙しい。
暇なユマ姫に付き従えるのは、ネルネだけと言うワケだ。
「だって、私ひとりじゃ寂しいじゃないですかぁ……」
「巻き込まないでくださいよぉ、もう戦争なんてこりごりですから」
ユマ姫とネルネは昨年の戦争で敵に囲まれ、一歩間違えば死ぬ所だった。
それだけに、絶対に戦場には行かないぞと頑張ったのだが……
「申し訳ありません、ただ、敵将は百戦錬磨のテムザン将軍、敵軍は意気軒昂で侮りがたし、戦意を挫く手段がなんとしても欲しいのです」
待ったを掛けたのが他ならぬこのオーズド伯だ。
ユマ姫を危険視してた
恨めしげに睨みつけるユマ姫に苦笑しながら、作戦を伝える。
「何も戦場に立てと言うワケではございませんので」
「当たり前ですよッ!」
「ただ、宣戦の使者にひと言挨拶をして頂きたい、それだけですから。エルフと我らの同盟を誇示し、エルフの代表として侵略戦争を仕掛けた帝国の蛮行を追及する者が必要でしょう」
「むぅ、確かに……」
もちろん、嘘だ。
オーズドの狙いは、ユマ姫の呪い。その風聞だ。
昨年の戦争以来、ユマ姫の呪いは想像以上に帝国で話題になったらしい。信心深い農兵たちはユマ姫が戦場に出ると言うだけで腰が引け徴兵に支障が出たと言うからよっぽどである。そして銃が中心の軍隊となれば、むしろ騎士よりも主役となるのがその農兵達なのだ。
彼らが震え、錯乱すれば、銃と火薬の少なさを十分に補える。
キィムラ商会に依頼した呪いの姫君の衣装も驚いた。
コレなら呪いの姫君の説得力も抜群、流石は演出家としても知られたキィムラ子爵とオーズドは唸った。
だが、ユマ姫としてはその衣装が頂けない。
「あの、この衣装なにも見えないし、口は痛いし、なにより可愛くないんですけど……」
「宣戦の使者に手出しは厳禁、それは知ってますね?」
「もちろんですよ」
「それは、刃物を突き付け驚かす事も含めてです。ですが、ただの少女に勝手に驚くならどうでしょう? コチラは何も悪くない」
「う゛~!」
ユマ姫にも話が見えた。先ほどの腰が抜けた兵士の姿を思い出したのだ。それだけ、この衣装は悍ましい。
勇ましく宣戦布告をしに来た使者が震え上がって逃げ出せば、相手の戦意が削がれるに違いない。
「じゃあ、ちょっと脅かすだけですからね」
「ご厚情痛み入ります」
オーズド伯はユマ姫相手でも腰が低い。
総司令官で四十を過ぎた自分が、異種族の小娘に必要以上にへりくだった態度を見せる事こそが、何より呪いの姫君の噂を広めるのに効果があると理解しているのだ。
しかし、ソレを理解しないユマ姫は、もちろん良い気になって調子に乗った。
「私にはちゃんと三食、温かくて美味しいモノを用意してくださいね。レーションなんて食べませんからね!」
「それは、もちろん」
オーズド伯は金で解決する問題なら、どこまでも妥協するつもりである。
「ふむふむ、良いでしょう。しかし、蒸し暑いですね。ちょっと外を回ってきて良いですか?」
ユマ姫が言う通り、この季節は蒸し暑い。
仰々しい衣装を着ているのだから尚更だ。有る意味でコレは当然の欲求。
でも、コレは即座に却下された。
「いえ、外に出るのは控えて頂きたく。どうしてもと言うならソレを付けて頂かなくては」
オーズドが指差したのは、異常に動きにくい木村が作った目隠しと口枷、それに体を縛るリボン。こんなモノを付けたら外に出たって暑いだけだ。
「え~やだぁー」
「まぁ、そう言わずに……」
宣戦の使者が来るまでの数日、オーズド伯はユマ姫をなだめるのに難儀するのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お初にお目に掛かる。私は帝国軍、竜騎兵部隊の隊長、騎士ミニエールだ」
それから四日後、オーズド伯待望の宣戦の使者がやって来た。
しかしソレは、オーズド伯が思い描いた姿とは大きく違っていた。
オーズド伯は、当然に帝国を代表する音に聞こえた『もののふ』が来ると信じて疑って居なかった。
「まさか、使者がこんな美しいお嬢さんだと思わず、殺風景な陣で申し訳無い」
「いえ、私など」
ミニエールは美しい騎士だった。
通った鼻筋に薄い唇。意志が強そうな瞳は澄んでいて、なにより長い金髪がキラキラと華やいでいる。
これでは驚かせる策が裏目だ。
彼女が泣きながら陣に帰れば、敵軍に戦意が漲るに違いない。完全にしてやられた格好。
そのミニエールが司令部である小屋の片隅をチラリと見て、ぶるりと震えた。
ユマ姫だ。
目隠しに、口枷までされた少女の姿。毅然とした態度を心がけていたミニエールにして、腰が抜けないようにするのがやっと。
おどろおどろしいユマ姫の噂は数あるが、実物は輪を掛けて悍ましく思われた。
なにせ、ここ数日のユマ姫は暑い中をロクに外出も許されず、ようやく外出できたと思ったら拘束具姿で、兵士に挨拶をすれば悲鳴をあげて逃げ惑うのだから堪らない。
じくじくと恨みつらみを抱え、いっそ本当に呪ってやろうかと不機嫌そのもの。部屋の隅には真っ黒なオーラが渦巻いている。
ソレを見て、「すぐ引っ込めますんで」と言いそうになったオーズドは、必死に言葉を飲み込んだ。
「あ、とりあえず彼女の事は後で……」
「は、はい」
そうして宣戦の儀が始まった。
「どうやら我々は
「残念です」
そして、終わった。
まぁ、こんなモノは儀式に過ぎず、ここで戦争を止めるなどあり得ない。
つつがなく終わってくれればソレで良い。
脅かすまでもなく、こちらにはユマ姫が居るぞと見せただけで十分と言える。
オーズドはホッと息を吐く。
ただ、部屋の隅ではすっかり諦めの境地。いじけてしまったユマ姫が儀式の終了を待っていた。
「あの、彼女は?」
「あ、ああ。紹介していなかったな。彼女こそが
「やはり、そうか。どうか、彼女と少し話が出来ますでしょうか?」
「……どうぞ」
女性ながら宣戦の使者、流石に肝が据わっている。
ミニエールの方から話したいと言うならオーズドに止める道理はない。
「ユマ・ガーシェント姫! コチラへ」
「…………」
オーズドに呼ばれたユマ姫がしずしずと部屋の中央へ進み出る。
しかし、髪はボサボサ、足元はおぼつかない、更には目隠しに猿ぐつわの異様な姿。待ちくたびれただけなのだが、それが呪いの姫君らしいうらぶれた雰囲気を演出していた。
その口枷を、侍女のエルフがゆっくりと外していく。
「なんでしょう?」
可愛らしい、声だった。
「コチラがミニエール殿、帝国からの使者である。彼女が
「承知しました」
それだけ言って、まだ目隠しは外さない。
本当の所は純真無垢な瞳を見せない為なのだが、ミニエールには不気味に映った。
とはいえ、まずは挨拶。これでも相手はお姫様である。
「ご紹介にあずかりました。ミニエールです」
「……どうも」
何とも淡白。ユマ姫の声はどこまでも平坦で、感情が見えない。
実際に、何も考えていないし、何もかも面倒になっているのだが、ミニエールにしてみれば恐ろしい。
帝国軍の使者、ユマ姫にとっては仇であるハズ、それを前にして感情の起伏が見られないとは。これほど不気味な事は無い。
ミニエールは緊張しながらも言葉を紡ぐ。
「我が大将、テムザン将軍がユマ姫に会えたなら、
まず、大森林への侵攻があの様な惨事になったのは、本意では無いと」
「そうですか」
明らかな挑発。
なのに、気のない言葉。まるで他人事。
それがミニエールには不気味であった。
「そして、あの様な悲劇を繰り返さないためにも早期の降伏を望むと」
「…………」
それでもユマ姫は無反応。下らないと鼻を鳴らした。
「それだけですか?」
「え、ええ」
「はぁ……じゃあネルネ、コレ外して下さい」
「は、はい!」
流石に顔も見えないと、仇だろうが何だろうが反応に困る。
ユマ姫にしてみればタダそれだけだった。
いよいよ、ユマ姫の目隠しが外される。
――かわいい。
それがミニエールの第一印象だった。
その目は純粋で邪気が無い。子供が好きなミニエールは、親戚の子供の面倒を見ることが多かった。だから解る、これは紛れも無い子供の目。ユマ姫は十四と聞くが、もっと幼く感じる程だ。
その純真さは、呪いの姫君などタダの噂だと断じるに十分だった。
視線は落ち着きなく漂い、オーズド伯を見つけると、いじけて、睨んで、口を尖らせる。
拗ねているのだ。
その仕草がいちいち良い子で、可愛くて、思わず笑みが漏れる。
そのクリクリとした瞳が巡り、ミニエールを捉えたときだ。
忙しなく動いていた瞳がピタリと止まった。
まん丸に見開かれ、スッと感情が消えたのだ。
「ッ!?」
ミニエールは悲鳴を飲み込むのでやっと。
目の前で、幼気な少女が呪いの姫君に変わってしまった。
――突然に。
「それだけ、ですか? ほんとうに?」
「え、ええ……」
最後だったハズ。
ミニエールがそう思いながらメモを確認すると、小さな文字で追記があった。
ミニエールはこの時まで忘れていた。
テムザンが最後、思い出した様に付け加えたひと言を。
「ああ、そうだ。最後に一つ。テムザン将軍が言っていました
ユマ姫殿、貴女の髪を結える日を待ち望んでいると……」
だと言うのに、ユマ姫の反応は強烈だった。
まんまるの瞳に涙が溜まり、嗚咽が漏れそうな唇を必死に噛み締めて耐えている。
「ッ!?」
呆気にとられたミニエールは、突然立ち上がったユマ姫に、反応が遅れた。
ユマ姫は
「どぉしてぇぇぇ、なんで、そんな事するのぉぉぉ!」
ユマ姫は、泣いていた。
ボロボロと涙を流し、縋るようにミニエールに抱きつくと、そのまま押し倒す。
「痛っ! なに?」
「ううぅぅ!」
でも、それだけ。
ユマ姫はミニエールにのし掛かった体勢、俗に言うマウントポジション。それでも殴ることも出来ず、ただ泣くだけだったのだ。
「あの? 私が何かしただろうか?」
突然のユマ姫の反応に、ミニエールは困惑していた。
こんな少女を悲しませるなんて何事かと思ったのだ。
「だってぇ! どうしてぇ……ひどいよぉぉぉ! ひどいよぉぉぉ!」
それに対して、ユマ姫はただ泣くだけ。何を言ってるかも要領を得ない。感情のままに押し倒し縋りつき……
……しまいにはミニエールのカツラを奪ってしまう。
「ああっ! もう! ユマ様ったら!」
ココに来て、我に返ったのがネルネだった。お客様のカツラを取るなんていたずらにしてもやり過ぎだ。
「何やってるんですかユマ様! 突然暴れないで下さい!」
強引にユマ姫を引っ剥がす。
「何があったんですか? 暑いなら私が扇ぎますから――えっ?」
ネルネは、焦った。
ユマ姫が泣いていたからだ。
いや、しかし。
ユマ姫はよく泣く。
ピーピーと騒がしい程。
だけど、今回は違う。
本気で悲しくて泣いていた。
いつもお気楽で、憎たらしい位にマイペースなユマ姫が、泣いていた。
「だって、だってぇ」
「どうしたんですか? どこか痛いんです?」
「母様が、母様が……」
「お母様がどうしたんです? ミニエールさんに似てたとか?」
それとも、考えたくないが、ミニエールさんが母親の仇なのだろうか?
悲しい想像に唇を噛んだネルネの前で、ユマ姫は大切に抱きしめたカツラをネルネに差し出す。
「これが……母様」
「えっ?」
キラキラの金髪の、綺麗なカツラを渡されて、ネルネは呆然とするしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
傷心のユマ姫はスフィールに帰還した。
その道中、ずっと母親の髪の毛で作られたカツラを大切に抱えたまま。
スフィールの城内、人払いした一画に二人は引き籠もった。静まり返った城内に響く、正気を失した少女の怒り。
「殺してやる! ぶっ殺してやりますよ! 私がぁ! 絶対に! 殺してやります!」
ネルネだった。
ガンガンと地団駄を踏み、暴れ回る。
一方のユマ姫は、困惑していた。自分以上にキレ散らかしているネルネを目にして、ちょっと冷静になってしまっていた。
「あの、もう良いですから……母様の形見が手に入ったんですもん」
「良くありません! 悔しくないんですかぁ! ソレでも姫ですか!」
「姫は関係ないでしょう、いや悔しいですけど」
そうまで怒られたら、私の分の怒る分がないではないかと、ユマ姫は別の意味でいじけはじめていた。
「あのーお見舞いに来ましたよっと」
そこに現れたのが木村だった。
「キィムラさん! 良いところに! さぁ! 貸して下さい火縄銃を」
「え? はい……」
ネルネのあまりの剣幕。
当惑しながらも、木村はたまたま持っていた火縄銃を手渡した。コレは鋳潰すつもりでいた旧型である。
一方ユマ姫は、突然やって来た木村に少し嫌な予感がした。
「あの、何をしに……」
「一応、聞いておこうと思いまして」
「それは……」
「もう一度、戦場に立つ気持ちはありますか?」
「うっ……」
正直恐い。テムザンの強烈な悪意にあてられて、ユマ姫は人間が恐くなっていた。
しかし……
「殺ります、殺ってやりますよ! ユマ様はココでゆっくりして下さい。私が、私がっ!」
しかし、ネルネは止まりそうにない。ユマ姫はふぅっと息を吐く。
「もう! ネルネが居なかったら私の侍女が居なくなっちゃうじゃないですか」
「ぐっ、そんなの……」
「それに、私だってテムザン将軍をやっつけるトコをこの目で見ないとスッキリしませんもん、ネルネが行くなら私も行きますよ」
「ユマ様ぁ!」
少女達は泣きながら抱き合った。
木村はそんな二人の友情を利用するみたいで、死んだら地獄行きだなと少しだけ自己嫌悪するハメになったのだった。
あらゆる因果律を越え、そして少女に殺意が宿る。
そこにだけ、唯一の奇蹟があったから。
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