研究所
田中と木村。
魔女の痕跡を辿って忍び込んだ洋館は、地下に巨大な研究施設を備えていた。
そこに現れたのは、田中ですら斬れない漆黒の蜘蛛。
鋼鉄よりもなお堅い、無敵のロボットが二人を追いかける。
二人が打つ手無く尻尾を巻いて逃げる先、行く手を塞ぐは洗脳済みの魔獣達の群れ。
魔女の洗脳能力だ。やはり、魔女はここに居る。
確信すると同時、あまりの多勢に、二人は慌ててUターン。
しかし、背後には通路を塞ぐ漆黒の大蜘蛛。
間一髪、足の間をくぐり抜けた二人だが、ピンチは続く。
「やつら、同士討ちとかしないの?」
「どうだかな」
駆け抜けざまに背後を窺う。
蜘蛛型ロボットと、洗脳された魔獣達。
危険な挟み撃ちを脱した結果。
二人を追う勢力が、通路で鉢合わせになっていた。
向かい合う両者に、僅かな間。
――ピッ!
「ええっ?」
同士討ちどころではない。
蜘蛛が脚で示す先に、魔獣が走りこんでいく。
逃げる二人を追い詰める様に、回り込ませる指示だった。
「嘘だろ?」
蜘蛛が魔獣を操っている! そこには確かな意思の疎通が感じられた。
「マズいぜ」
同士討ちどころではない。
今になって思えば、最初の挟み撃ち自体が偶然ではない。
初めから魔獣達は蜘蛛の指揮下に居る。
「どーすんの? どーすんの?」
「それはお前が考えンだよ!」
「じゃあ、ソルンを探そう。アイツを人質にするしかないわ」
「だな」
頷くと同時、田中が走る。それも全力だ。
たちまち木村は置いていかれるが、
「下だ!」
「あいよ!」
見つけた階段を落ちるように下りていく。
以前、回復ポッドがあった遺跡は、階段の位置がバラバラで一気に階下まで下りられない設計だった。恐らくはテロを想定した作り。階層は二十を超えていた。大型シェルターだ。
だが、今回そんな事はない。
「そっちじゃねぇ、コッチだ」
「マジ?」
しかし、田中は最下層に降りず、一階上から木村を呼んだ。
考えてみれば、頷ける話ではあった。なにもラスボスではないのだ。逃げ場の無い最下層で敵を待つ道理はない。
それにしても驚くべきは田中の本能と嗅覚、いや気配を視るワザか。
「ここか? いや、コッチだ」
何かを探る様に、田中はどんどん奥へと入り込む。すると様子が変わってきた。
大学のような無機質な廊下が、少しずつ生活感と温かみを増していく。さらに奥に行けば、壁紙は華やかに、明かりは品の良いランプになった。
走りながら、木村はどこか奇妙に感じていた。
どうにも、あのソルンの印象とはかけ離れている。どちらかと言うとコレは……。
「ココだ!」
「ここなの?」
辿り着いた終着点。
廊下の突き当たりを塞ぐ姿は、地下の研究施設に似つかわしくない。
洋館に逆戻りしたような、木製の豪華な大扉。
「いや、これ……」
「斬るぜ」
木村の言葉を待たずに、田中は剣を振るった。木製の大扉はあっさりと断ち切られ、崩れる。
そこは真っ白な部屋だった。
まず真っ白な壁紙が目に飛び込む。右には真っ白な天蓋付きのベッドに、左には同じく白いクローゼット。
そして部屋の真ん中に陣取るは、華奢な作りのテーブルと、二脚の椅子。これも白い。
「あら? どなた?」
その椅子に座り、優雅にお茶を飲むのは、黒峰だった。
まさか、本当に生きていたのか。木村は息を飲む。
「邪魔するぜ」
だが田中は躊躇わない、扉を蹴飛ばし、ズカズカと踏み込んだ。
「呼んでないわ」
それでも黒峰は構わずお茶を飲み続ける。
とんでもない肝の太さ。
いつもの体の線が出る黒いドレスが、真っ白の部屋の中で強い存在感を放っていた。
なにか、おかしな所はないか?
木村は慎重にその様子を観察し、二人の会話に耳を傾ける。
「つれない事言うなよ。はるばる会いに来たんだぜ?」
「私は会いたくないのよ」
その言葉は真実に思われた。
黒峰の目に、以前はあった怨念じみた殺気や、恨みがましいモノが見られない。
毒気を抜かれたようにサッパリとしていた。
木村は眉をひそめる。
何かが違う。
だが、その何かが解らない。
見た目は完全に黒峰だ。ソックリさんではない。
ではクローンかと言うと、ソレも違う。その眼差しは余りにも知性に満ちている。
思い出したのは、ソルンと同じ顔の男の古代人、ノエルが語った言葉だった。
細胞からクローンを作っても、記憶のない人形にしかならない。幼児のような大人が出来るだけ。
その例外になったのは『参照権』を持つユマ姫だ。
ユマ姫の魔石が魂の核となり、『参照権』で記憶を取り戻す。蘇るや、強固な意志で、たちまちノエルを刺殺してみせた。
同じ例外が、黒峰にも適用されるのか?
「てっきり死んだかと思ってたんだがな」
「死んだわよ」
アッサリと言い放つ。
その声はすっきりとして、全てを断ち切ったように見えた。
「死んだ? 生きてるじゃねぇか」
「あなたも知ってるでしょ?
それはオカシイ。
参照権だって、ユマ姫の魔石が必要だった。それも死にたてホヤホヤの魔石が必要だった。
黒峰は星獣に食われ、その星獣は隕石に砕かれ。あの状況で回収出来たとは思えない。
「私からは、あなた達にもう関わらないわ。それじゃダメなの?」
「そう言われてもな、また星獣でも呼び出されたらたまらねぇ」
「そう言うの、もううんざり。平和に暮らしたいだけよ」
本当にウンザリして見える。
まるで憑きものが取れたような黒峰に、二人は違和感が拭えない。
いや、違う。
木村は違和感の正体に思い当たった。
むしろ、コレが、これこそが黒峰さんだ。
前世で良く知る、頭が良くて、すこし自分勝手で、周りを小馬鹿にした、冷めた少女。
コレこそが黒峰さんだ。クラスメイトの頃、こんな女性になるんだろうなと想像した姿。
おかしかったのはむしろ今まで。
狂った様に世界を恨み、悪辣で破滅を望む黒峰は、それこそ恐ろしい魔女であった。
何が彼女をあそこまで変えてしまったのか? 木村は長い間、訝しんでいた。
それが、消えた。
そして、今の彼女にはどこか余裕があった。
勘の鋭い田中が、その事に気が付いて居ないハズが無い。
「お前、変わったな」
「そう? こんなものでしょう?」
「今のお前なら、悪くない。なぁ、ソルンに言って、俺等を追い回すのを止めさせてくれ。俺達はスグに出て行くぜ」
「そう? でも、私は彼に何か言う立場にないわ」
寂しそうに黒峰は肩を竦める。
コレもオカシイ。かつては口を出しまくっていた。自分こそが首謀者にして黒幕だと。尊大な態度で誇っていた。
「ソコを頼むぜ、お前が言ってくれれば奴も……」
≪無駄だよ≫
そこに聞こえて来たのはソルンの声だ。三人の会話は聞かれていた。
コレも、木村には少し意外に感じられた。ここは黒峰の部屋である。
自室が盗聴されていたと言うのに、黒峰はケラケラと笑うのだ。
「あら? 心配してくれるの?」
≪そうさ、まだ君は不安定なんだ。それに変な約束をして欲しくない≫
「そう?」
≪ああ、ココを知られたからには、生きては帰せない≫
「ふぅん?」
それでも余裕を崩さず、黒峰はコチラを見る。
「らしいから、死んでくれる?」
「嫌だね、何ならお前を人質に」
「触らないで!」
田中の手を打ち払い、黒峰は拒絶した。
その反応がどうにも劇的で、木村はまた違和感を抱く。
腕力で田中に敵うはずがない。それが解っていながら、それでも大声で拒絶する。先ほどまでの余裕が嘘のよう。
まるで男嫌いの潔癖症。
それこそ木村からすれば違和感が無い。いや、無さ過ぎる。
中学生の頃のまま。初心な少女みたいだ。それが逆にオカシイ。
コチラで見かけた黒峰さんは、どこか退廃的で、婀娜っぽい所があった。それが消えている。男に触られる嫌悪感で剥き出しだった。
そして、中学生の黒峰さんとも違う所がある。
男が嫌いで潔癖症な前世の黒峰さんにして、田中だけは例外。興味津々、自分から絡みに行っていた。きっと好きなのだと思っていた。
その黒峰さんが、こうも田中を拒絶する。それが不思議だった。
田中に触った手が汚らわしいとばかり、黒峰さんは鋭い言葉で吐き捨てる。
「もう、どうでも良いのよ。こんな世界好きにすれば良い」
「そりゃどうも、だが、ここを出れなきゃどうしようもねぇ」
「知らないわそんな事」
「手の一本ぐらい、斬っちまっても良いんだぜ?」
田中は余裕無く刀を突きつける。まるで三下の悪役だ。らしくないのはコチラもだった。余りにも余裕が無く、焦っている。
木村は思わずと背後を確認する。まだ追っ手の姿はない。それにホッとする。
この田中の余裕のなさ。ソレだけあの蜘蛛のロボが強いと言う事だ。こと戦闘となれば異様に目端が利くのが田中だと、木村は全幅の信頼を寄せている。
だからこそ、状況はあまりよろしくない。
このまま気を急いてクズみたいに振る舞えば、クズみたいな死が待っている。
そんな予感が拭えない。
木村は堪らず頭を下げる。
「頼むよ黒峰さん。俺達はもう君に関わらない。約束する。だからせめてあの黒い蜘蛛の機械だけは止めてくれ」
「蜘蛛。あぁソルスティスね」
「ソルスティスって言うのか。お願いだ。アレだけ止めてくれればスグに出て行く。いや、止めなくて良い。この屋敷を出るまで僕らを襲わないようにしてくれればそれで」
「無理よ……」
「無理?」
意味が解らない。無理とはどう言う事かと、木村も田中も首を傾げる。
「だって、私、あのコに嫌われてるもの」
余計に意味が解らない。
「いや、アレは機械だろ? 嫌われてるって」
「自律型なのよ。私の言う事なんて全然聞かない。さっきも言ったでしょう? 私生まれたばかりなの、ココは病室よ」
病室。
言われて木村には腑に落ちるモノがあった。
真っ白な部屋。全てが筒抜けに盗聴されて、それでも文句の言わない黒峰。
「まだ記憶も曖昧だし、本調子じゃないの。笑っちゃうわ、機械すら従わない」
「そんな……」
何かがオカシイ。
良く考えれば、どうして田中はココに来たのだろう? 木村の思考がグルグルと巡る。
その田中は厳しい目で黒峰を睨んでいた。
「なぁ?」
「なに?」
「俺達と、来ないか? 今のおまえなら俺達と一緒に、仲間になれる」
「ふん、願い下げよ」
「そうか……」
心底悲しそうに、田中は俯いた。コレもまたオカシイ。異常だと言って良い。
木村は焦燥に駆られた。歯車が噛み合わない。皆が見えているモノが、自分にだけ見えていない。
そのヒント、田中が小声で教えてくれた。
「ヤベェ」
「何だよ?」
「ソルンの気配が見えねぇ。俺に見えたのは
「何だって?」
それは、この場にいる生物の死が確定していると言う意味だ。
「ソレに、驚け。俺にはコイツが黒峰に見えねぇ」
「そっか」
それは、不思議と木村にもすんなり飲み込めた。
田中は尚も語ろうとする。
「そんでな……」
「何を二人で話してるの?」
黒峰が立ち上がり、コチラを見ていた。その目にはあの不気味な義眼はなく、眼差しは柔らかで、優しかった。
「もう、あなた達に興味は無いわ。死のうが、生きようが」
「そうかよ」
「私は、行くわ」
そう言って、背中を見せる。部屋の奥へと下がっていく。
「おい待て!」
「なぁに?」
黒峰が振り返ると同時、チーンと甲高い音。ソレが合図。
何もない部屋の奥、壁が割れた。中はひたすらに大きな空洞。そこに金属の檻がせり上がって来る。
コレは??
エレベーターだ! 壁だと思っていたのは、搬入用の巨大エレベーターだった。
何食わぬ顔で、黒峰は逃げようとしている!
「待てよ!」
「待ってくれ」
田中が走る、木村は
だが、金網が開いて黒峰がエレベーターにすべり込むと同時、入れ替わる様にエレベーターの中から先客が這い出して来た。
グチャグチャと音を立て、不気味な怪物が真っ白な部屋に侵入してくる。
「コイツ!」
「
遺跡でも戦った、不定形の怪物だ。
ひょろ長い体に、脚か角か解らない無数の触手を生やした姿。まるで太古のハルキゲニアを思わせた。
以前、二人は遺跡でこの怪物に大変な苦戦を強いられている。
この怪物には、剣も銃も効果が薄い。
効果があったのは火。ユマ姫の魔法と、灯油と火薬の爆発だ。
「木村ァ! 爆弾は?」
「コイツに効くようなのは持ってきてない!」
「はー、つっかえ」
木村はただの爆弾なら持っているが、灯油と組み合わせたアンホ爆薬は大型で、とても持ち込めなかった。
その間に、エレベーターに乗り込んだ黒峰は悠々とエレベーターを操作する。
たちまち閉まった金網が、二人の行く手を遮ってしまう。
金網の向こう、意地悪な微笑みを浮かべ、黒峰が命ずる。
「もう恨みもないけど、死んで貰うわ。バウちゃん、この二人を殺しなさい!」
――ギョォォォオオオ!
不定形の魔獣が、聞くに堪えない唸りをあげる。
……だが。
「バウちゃん? どうしたの?」
二人を襲おうとはせず、ただ、立ち塞がるのみだ。
本調子ではない、と言うのは本当らしい。
「コレだから。もう!」
毒づく黒峰。彼女を乗せたエレベーターはゆっくりと下降し始めた。最下層に逃げる気だ。
「さようなら。もう会いたくないわ」
それだけ言い残し、階下へと消えていく。間もなく壁も閉じ、白の部屋は完全に閉ざされた。
部屋に残されたのは、木村と田中、そして不定形の怪物のみ。
しかし、それでも怪物は動かない。
「どう思う?」
「洗脳が不完全みたいだな」
それが解っても、二人には打つ手がない。この化け物に背中を見せて、蜘蛛と挟み撃ちに遭う事こそが最悪だからだ。
「ちょっと俺にやらしてくんない?」
「よしキムラ、君に決めた!」
「人をポケ○ン扱いすんな!」
文句を言いつつ、木村は懐から小さな球体を取り出すではないか。
田中は目を剥いた。
「マジでモンスターボールを取り出すやつがあるかよ」
「黙って見てろって」
木村は
球体が燐光を放って、白い部屋を転がっていく。コロコロと転がる音だけが、部屋に響いた。
――キュ?
可愛らしい鳴き声で、
――転がして、転がして
そして、食べた。
「何ッ?」
「あれは、魔石だ」
「凶化してないのに、魔石を喰うのか?」
「
「そんで、なんだ? きびだんごで手懐けるのか?」
「まぁ、みてろよ」
呟いた木村が見つめる先、
――ギョォ? ギョギョギョ!
四方八方に触手を伸ばし、粘性の体がブクブクと泡立つ。終いには赤黒く変色する。
死に、瀕していた。
「オイ?」
「毒だね」
「ンなモンが効くなら、どうして?」
実際に、斬っても撃っても死なない不定形生物は無敵だった。火だって森の中では派手に使えないだろう。
それが、毒で死ぬなら、こんなに簡単な事はない。
「ただの毒なら効かないんだろね」
「何を使った?」
「あの遺跡は箱船だった、機能は停止し、空っぽになっていたけれど、全部の生命の痕跡が保存されていた。だからその中で一番強力なのをね」
それは
何百年前に絶滅した蛙の毒。
それこそが、
無敵の魔獣、
伝説の存在と成り果てるほど数を減らしたのは、この蛙こそが原因だった。
やがて
――ギョォォォォ!
遂に、
完全に死んでいた。もう、魔石が溶けた液体が流れるのみ。
かつての強敵がこんなにもアッサリと。田中は呆然と淡く光る液体を見つめる。
「良く、そんな毒のこと、知ってたな」
「ああ」
木村はユマ姫から聞いていた。
何度も何度も。
家族と旅行した湖畔での思い出を。
蛙の幻覚で旅行を台無しにしてしまった苦い記憶を。
だから、遺跡で蛙の毒を調べた。
そして苦戦した
そして奇妙な相関関係に気が付いた。
全ては木村の仮説に過ぎない。
でも、きっと正しい。
溶けて死んだ
「ちょっと待ってろ」
木村が感傷に浸っている間、田中が部屋の奥へと踏み込む。
壁を無理矢理こじ開けると、刀で金網を切り裂いていく。
そこにはガランとした空間が。
そのまま、ふぅと呼吸を一つ、腰だめに刀を構える。
「なにしてんの?」
「良いから見てろ!」
裂帛の気合いで振り切ると、田中が切り裂いたのは、エレベーターのワイヤーだ。
「はっ? なんで? 追うんじゃないの?」
「お前、このエレベーター乗りたいか?」
「いや……」
言われてみれば、敵が制御しているエレベーターなど檻も同然。
下りた先で待ち構えられたら何も出来ない。この辺り田中は戦い慣れている。
「コレでエレベーターは使えない。俺らはゆっくり階段で迎えに行こうぜ、黒峰と、ソルンをな」
「そーだな」
踵を返し、二人は階段に戻った。まだ蜘蛛の機械は姿を見せない。きっと何処かで待ち伏せしているに違いなかった。
目指すは先ほどの部屋の真下。そうして再び踏み込んだ最下層。地下五階。
しかし様子は一変していた。
「何も見えねぇ」
「明かりつけるわ」
電気が消えていた。真っ暗な廊下を木村のランタンが照らす。
不気味な廊下がひたすらに続いていた。
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