終わりの始まり

 ユマ姫が戦う沼から6kmほどの山中。


 甲冑で固めた兵士がズラリと居並び、たった一人の少女の帰還を今か今かと待っていた。


 ここは渓谷の入り口にあたる場所である。

 渓谷は道幅が狭く、いざと言う時に巨大な星獣から逃れるには絶好の地形と言えた。

 兵士達は、星獣が来たら命懸けで食い止め、少女を守ると決めていた。


 そんな中、屈強な男達に混じり、ひょろりと神経質そうな男が一人。真剣な表情で、少女の無事に気を揉んでいた。


 木村だ。


 木村は散開して逃げた場合の合流地点を前もって定めていた。なれど潰走した後となれば、三分の一も集まらないのが普通。しかし生き残った騎士達は欠ける事無く合流していた。

 寄せ集めどころか、敵対する王国と帝国の混成部隊。相対するは無敵の巨獣。それでもユマ姫を案じれば、逃げる事など誰にも出来なかったのだ。


 そんな中、一際遅れて到着した男が居た。それも、約束を違え、たった一人で。

 激昂した木村は、男の襟を掴む。


「てめぇ! どのツラ下げて一人で来やがった!」

「このツラだけど?」


 怒りが収まらない木村に、田中はバイクに乗ったまま飄々とした顔で答える。


「ふざけ!」

「ふざけてねぇ!」

「じゃあ、なんで、一人で行かせたんだよ」


 木村は震える拳を固め、田中の胸当てを殴った。しかし力が籠もらない。怒りよりも悲しみが勝っていた。

 死にたがりのお姫様が、自分達を置いて行ってしまった。そんな感情に支配されていたからだ。

 だが、田中の見解は違っていた。


「良いか? アイツは俺を足手まといって言いやがった、俺が、だぜ? ンな事冗談で言ってみろ、その場でぶん殴ってる」

「じゃあ! 本気であの化け物をユマ姫が倒すって言うのかよ! たった一人で!」

「ああ」


 だから平然と言い放つ。澄んだ瞳で真っ直ぐに木村を見つめていた。


「どうやって!」

「知らねぇよ、スゲー魔法でもあるんだろ?」

「ンなモンあったら真っ先に使ってるだろ!」


 見ている方が寿命が縮む星獣の体表での追いかけっこ。あんなモノまで披露して、まだ奥の手を隠しているとはとても考えられない。

 食って掛かる木村に困って、田中はガリガリと頭を掻く。


「いやさ、オマエはなんで、アイツが死にたがりだって思ってるワケ?」

「そりゃ……」


 大っぴらに言うには恥ずかしいが、木村は以前、ユマ姫に一緒に死のうと持ちかけられた事がある。


 だからこそ、ユマ姫がふとした拍子に死んでしまうのでは無いかと怯えているのだ。


 それは田中も知っているが、だとしたら言いたい事がある。


「それはよぉ、お前となら死んでも良いって事だろ?」

「……そりゃ」


 改めて言われると恥ずかしい。木村は面食らった。


「で、今回、お前も、俺も、一緒に死のうと誘ってはくれなかったワケで、そりゃどう言う心境の変化だ?」

「…………」


 言われてみると、解らない。木村は首を傾げた。


「まして、事が終わったら助けてくれとまで言って来たんだぜ?」

「ホントか?」

「ホントだよ、ありゃ死ぬって感じじゃねぇよ。アイツは星獣を倒す気だ。ってか、繰り返すが俺の事を足手まといと言いやがって、そんで只の自殺だったら許さねぇ、こっちは死にそうなアイツを何度助けたか数え切れねぇンだぞ?」

「まぁ確かに……」


 ようやく木村は納得したが、だとすれば、どうやって倒すのか?



 首を傾げた二人は、空に光るモノを見つけてしまう。



 ……それは、前世の三人を殺したモノだ。


「……クソッ、よりによってが勝ち筋かよ」

「あ、え? マジで?」


 太陽の下、雲の合間から飛び出したのは帚星。

 光を纏う隕石が迫っていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ママ、流れ星!」

「ホントねぇ」


 隕石は、遠く離れた王都からでもハッキリ見えていた。

 最初に気が付いたのは、王都に住むごく普通の親子。小さな女の子が見上げた空に、雲を斬り裂き輝く光が尾を引いていた。


「わたし、ユマ姫様の無事を祈るね」

「まぁ! サーシャは良い子ね」


 母親は娘の優しさを喜び、娘は流れ星に姫の無事を祈る。流れ星に祈るのはこの世界でも一般的だ。

 但し、願いが叶うなどの俗なモノではなく、旅の無事や、健康を祈るモノ。


 なにせ大気圏に覆われた地球と違い、この世界には隕石が多かった。こんな風に真昼でも見える隕石すらも珍しくない。


 だから流れ星に気が付いた王都の民は、揃って従軍中のユマ姫の無事を祈る。


「ユマ姫様、どうかご無事で」

「捕虜になったって本当かな?」

「俺なんかどうなっても良いから姫だけは助けてくれよ……」


 それもそのはず、まだ最新の情報が入らない王都では、戦況は劣勢、姫は捕虜になったと噂される段階だった。

 だから民はユマ姫の無事を祈り、こぞって流れ星に祈る。


 なれど星への祈りなどただの願掛け、残念ながら気休めに過ぎないモノだ。


 星に祈るとは、元来そう言うモノ。

 誰だって、何時だって、何処だって。

 本当は意味など無いと思いながらも、祈るしか無いから星に祈る。


 しかし、今回ばかりは、その祈りは天に届く。


 数万の民がユマ姫の事を思って隕石を観測する時、さしもの『偶然』も不確定要素を混ぜ込めない。

 観測されない不確定の揺らぎだけが『偶然』の関与する余地なのだから。


 そうとは知らず、人々は純粋に祈りを捧げる。


「……あの隕石、帝都の方に落ちるんじゃないか?」

「まさか」


 まして、隕石と言うのは領域の外、人間が住めない土地に落下するモノなのだ。

 人間が住む領域は分厚い健康値の膜に守られ、地球の大気圏以上に、外敵の侵入を許さない。


 だから『偶然』により因果律を越え、特大の隕石が姫の頭上に落下しているなどとは、誰も夢にも思っていないのだ。

 まして、自分達の祈りが姫を救うとは、まして、姫を狙う巨獣を討つなどとは、及びも付かない。


「綺麗!」


 だから、皆、ただ特大の流れ星に、ユマ姫の無事を祈るのだ。


 ……純粋に。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 まず、白が世界を埋め尽くし、次に強烈な爆風と破裂音が襲いかかった。


「うぉぉぉ!」

「ぐぇぇぇぇ!」


 閃光と爆風の嵐に晒され、木村と田中はひっくり返って痙攣していた。

 何も二人だけではない、星獣から逃げた全軍がそんなありさまだった。


 スタングレネードよろしく、強烈な光と爆音は体の自由を奪う。当たり前の事だが隕石の落下など誰しも初体験だった。

 厳密には二人にとっては二度目だが、前回は体感する間もなく肉体が消滅している。


 コレだけの衝撃に晒されれば、一日動けないでも不思議では無い。


 なのに僅かな間で立ち直った男が居た。


「行ってくる!」


 田中だ。ひっくり返る木村に大声で叫び、バイクのスロットルを吹かす。


「ンでだよ!」


 しかし、不発。強烈な電磁波が入り乱れ、バイクは動かない。

 たとえ正常にモーターが回っても、鼓膜が破れた田中にはその音が聞こえなかったであろうが。


「装甲車も駄目だ!」

「聞こえねぇよ!」


 同じく立ち直った木村が装甲車から叫ぶが、みんな耳が潰れている。精一杯叫ぶものの、意思疎通が出来ない。

 田中はフラつく頭を押さえ、震える足を叩いて活を入れる。


「行ってくる!」

「お、おれも!」


 駆け出す田中に木村が追いすがるが、田中はそれを手で制した。


「あ・し・で・ま・と・い・だ!」

「クソッ!」


 当てつけに放たれた言葉は、音が無くても大げさな口の動きで十分以上に伝わった。

 田中としては木村には軍を率いて欲しかった。落下地点、何が起きているかなど想像も付かないのだから。


 なので田中は一人、走る。

 健脚を誇る田中だ次々と景色が後ろに流れていく。神から授かった世界最強の肉体による圧倒的な速度。

 比肩する者など、この世に居るハズが無い。


 ――ヒヒィィーン!


 いや、居た。


 嘶きと共に、田中を颯爽と追い抜く者が。

 泥に汚れて居たが、それは紛れもなく白馬だった。


「お前……」


 田中は知っていた。コレはユマ姫の白馬、サファイアだ。


「乗せてくれんのか?」


 半信半疑、なにせ馬はデリケートな生き物。あの爆発で選りすぐりの軍馬すら泡を吹いて倒れていた。

 なのに、この馬だけが無事な理由が解らない。


 ましてこの白馬は気難しく、ユマ姫以外の誰も乗せないと聞いている。


 ――ブルゥ

「そうかよ!」


 それでも田中は白馬に飛び乗った。その顔に確かな意志を感じたのだ。

 そして、白馬は走り出す。


「おおっ! 速えぇ!」


 その速度は圧倒的。日頃、田中は馬など無用、走った方が早いと言って憚らないが、それは旅先で数十キロを駆ける時の事。数キロの距離ならば、人の身で馬の襲歩ギャロップに勝てるハズも無い。

 まして田中が知っているのは痩せた農耕馬、訓練された軍馬であるサファイアの足に瞠目するのは当然と言えた。


 そうして、モノの数分で沼へと舞い戻った田中は、地獄の様な光景を目の当たりにする。


 辺り一面、肉とも泥ともつかない破片が飛び散り、得体の知れない不快な匂いが充満していた。

 シリコンに近い半透明の肉と、アルコールやオゾンめいた血の匂い。通常の生命とハッキリ異なる死骸が山のようにそびえている。


 今さらながら、コレが一つの生命体だった事が信じられない。自然現象の一種と言われた方が信じられる。

 全軍がココに罠を仕掛け、駆けずり回ったのは今朝の事。僅か数刻で景色は一変していた。

 得体の知れない肉塊を慎重に避けながら、田中は更に歩みを進める。目指すは隕石の落下地点。


「嘘だろ……」


 田中にして、呆然と呟く。それは、あまりにも巨大なクレーターだった。

 淵に立って見下ろすと、マグマと化して赤熱する泥と、蒼い魔力光を放つ半透明の肉塊がまだらに飛び散り、悍ましい地獄が現出していた。


 クレーターのサイズは丁度ユマ姫が囚われていた帝国陣のすり鉢に近い。万の軍を捕虜に押し込めておける広さは、スタジアムに匹敵するものだった。そんな規模のクレーターが発生している。


 爆発の大きさに今更に戦慄する。駆けつけるつもりの頭とは裏腹に、自然と手綱を引いてしまった。

 そんな惰弱をあざ笑うかの様に、田中を乗せた白馬サファイアは既にクレーターの中心へと駆け出していた。


「お、オイ! やるじゃねぇか!」


 コレには馬上で面食らっていた田中も腹が決まった。マグマを避け、魔力の塊に健康値を削られながらも、それでもサファイアに乗ってクレーターの中心へ駆け降りる。


 いよいよクレーターの中心、煙吹き出す中心地まで辿り着いた。


「なにも見えねぇ!」


 クレーターの中心は雨水が溜まり、沸騰する湯気に視界は遮られた。


「熱ちぃ!」


 熱も問題だ。流れ込む雨水のお陰でマグマは冷やされたが、それでもグツグツと沸騰する湯は行く手を遮る。


 だけど、アイツはココに居る!


 ココは引けない。田中は感じ取っていた、ユマ姫の僅かな気配を、地下深くから。

 馬の鞍を外し、スコップ代わりに湯をかき出した。火傷にも構わず、ひたすらに泥を掘り返す。

 泥を掘るほどに温度は下がっていく、あまりの惨状に絶望的かと思ったが、コレならば生きていても不思議じゃ無いと思える程に。


 そうして二メートルを掘り返したとき、可愛らしいユマ姫の右手が泥から顔を出す。

 その時、不思議と安心よりも胸騒ぎが勝った。

 焦燥を振り払う様に、田中はピクリとも動かない手を握って、ユマ姫を泥から引っ張り出す。


 いや、出そうとしたが、出なかった。


 引っ張った右手がぶらんと垂れ下がる。付け根から千切れていた。

 流石の田中も血の気が引いた。慌てて泥を掘り返す。


 以前にはユマ姫が焼け焦げた焼死体になったときもあった。だがあの時、田中は死と遠いユマ姫の巨大な気配を感じていた。だからこそ少しも焦らなかった。


 今回は違う、確実に死が迫っていた。

 気配が薄い。だからこそ位置が掴みにくい。


 次に泥の中から現れたのは左手の指先、田中は一瞬の逡巡をみせる。


 細く、たおやかで、ただでさえ握れば潰れてしまいそうである。だが、それでも引っ張った。丁寧に掘り出している暇など、まるで無いのだ。


「よしっ!」


 こんどは繋がっていた。ユマ姫の頭と胸が顔を出す。


 ――ズルリ!


 しかし、ソコまでだった。胴は千切れ、内臓が零れていく。


 コレで……生きてるのかよ?


 百戦錬磨の田中にして絶望的な容体だった。

 クレーターの底、泥から引き上げたユマ姫の姿は悲惨のひと言。


 ココには不思議な古代の医療カプセルなど無い、現に気配は小さくなり続けている。


 田中は内臓が零れない様に気をつけながら、ユマ姫の体を逆さまに、口をこじ開け、背中を叩く。喉に入った泥を吐き出させる為だ。

 当たり前だが、欠損した体は赤子のように軽かった。それが不気味に感じる。


 泥は吐き出させた、しかし、必死に呼びかけるも反応は無い。呼吸も戻らない。

 ならばどうするか? 人工呼吸しかないだろう。

 田中はユマ姫の顔をジッと見つめる。怪我は勿論、美しい髪も、顔も、全て泥にまみれて見る影も無い。これがユマ姫だと言って、解る人間がどれだけ居るだろうか?

 そんな有様だ。



 なれど、ユマ姫は美しかった。



 地の底の泥から這い出て、地獄の中心にありながら、それでもユマ姫は美しかった。


 中天に輝く太陽が地獄の底まで光を届け、銀の髪と愛らしい唇を艶やかに浮かび上がらせる。

 まるでユマ姫の美しさを祝福しているようだった。零れるピンクの内臓すらも愛おしく思える。


 それが、田中には堪らなく怖かった。


 一刻も早く人工呼吸をするべき。頭ではそう思うが、その愛らしい唇が、堪らなく怖かった。

 意味不明な感情に振り回され、ゴクリとツバを呑む。


 ――ヒヒィィーーン!


 その時、背後から殺気を感じる事が出来たのは歴戦の田中にしても奇跡でしかない。


 それは、ユマ姫の愛馬、サファイアだった。

 彼はユマ姫を踏み潰そうと泥の底まで踏み込んでいた。


 なんで? どうした? 意味わかんねぇ!


 ユマ姫を抱え、飛び退いた田中には、事態が全く掴めない。

 だが、サファイアはずっとユマ姫を殺せる機会を窺っていた。

 今こそ千載一遇の好機。


 なぜサファイアはユマ姫の命を狙うのか?

 実はサファイア自身も理解出来ていない。


 サファイアは頭が良い。馬にしてはどころか、人間と比較しても圧倒的に頭が回る。

 突然変異と言える特殊な個体だ。


 獣の本能と、深い知性を併せ持った存在は並び立つ者が居なかった。

 人間の言葉など全て理解しているし、乗せた人間の意図を汲み過ぎて、手綱を無視した先回りで怒られた経験は数え切れない。

 それでもサファイアが一流の軍馬と評されるのは、彼が一度も間違えた事が無いからだ。知識と本能を高い次元で融合させ、未来予知にも等しい直感が完成していた。


 だからこそ、ユマ姫の事が理解出来ない。


 初めこそ、ユマ姫は大切な人達の仇で、危険な存在で、殺したくても殺せない悪魔。

 そんな認識だった。


 主人である女騎士ミニエールを殺したのもユマ姫だし、顔なじみのロアンヌの騎士が死んだ原因もユマ姫にあると確信している。タリオン伯など目の前で殺された。


 だけど、サファイアは理解している。ロアンヌの皆はユマ姫を殺しても喜ばない。それどころか、生きていればユマ姫を守る為に何度でも命を懸けるだろう。

 だから彼らの為にもサファイアはむしろユマ姫を守ろうと思った。実際に守った事もある。

 驚くべき事にサファイアは人間の社会性まで理解して、理性を持ってそこまでは納得しているのだ。



 それほどに賢い馬だった。



 なれど、獣の本能は刺し違えてでもユマ姫コイツを殺せと訴えた。



 ユマ姫を殺さなくてはとんでもない事になる。

 予知にも似た直感は、時間が経つにつれて警告を強くした。


 サファイアは星獣など怖くなかった。

 自分の背中に乗るこの人型の生命体こそが、最も恐ろしいと知っていたからだ。


 星獣とユマ姫が戦い始めた時、ユマ姫の勝利を微塵も疑わなかった唯一の存在が、彼だ。


 だからこそ、目を瞑り地に伏せ、決戦の時を待っていた。

 全ては確実に息の根を止めるため。


 田中に探させて、手負いのユマ姫を殺す。その為に連れて来たのだ。

 万全の体制を整えて、機会を窺い、それでもサファイアは失敗した。


 あまりにユマ姫が美しかったから。


 種族の違いすら無視して、サファイアは既にユマ姫に魅了されていた。

 彼自身も今の今まで、それが解っていなかった。


 一方で、乗って来た白馬の暴走に田中は付いていけない。或いは魔女の洗脳すらも疑っていた。

 満身創痍のユマ姫を胸に、田中は呆然と白馬を見上げる。


 その胸でユマ姫は動き出す。


 一人と一匹が確かに感じた不吉がそこに顕現した。

 大きく口を開けて、田中の顔に迫っていた。


「ッ!?」


 それが眼前に迫った時に、初めて田中は動き出したユマ姫に気が付いた。

 錯乱した頭は、人工呼吸を躊躇する自分に、ユマ姫がキスをせがんだように感じてしまう。

 冷静に考えればあり得ない、だけど一瞬、体が固まった。

 その時二人の意識が白馬から逸れた、やってきた再びのチャンスをサファイアは見逃さない。一息に踏み潰そうと、棹立ちの姿勢から前足を振り下ろす。


 ――ギシッ!


 しかし、その前足は小さな左手に止められてしまう。

 馬の全体重が乗った一撃が、だ。


 ユマ姫だった。


 いまだ意識は無く、本能だけの行動だった。だけど、それが、それこそが恐ろしい。

 下半身が潰れたユマ姫が、片手一本で馬の足をへし折り、泥の中に白馬を転がしたのだから。

 田中の腕を飛び出して、転がる白馬にのし掛かる。


 ――ガブッ!


 そして、そのまま白馬を食べ始める。生きたまま。


 体を欠損したユマ姫は、補う血肉を欲していた。投げ出された馬の腹に取り付き、口を真っ赤にさせながら齧り付いていく。


 まるで化け物。

 なのに美しい。


 悍ましい美が、確かにあった。

 だからこそ田中は胸から這い出した化け物から、目が離せない。


 キスなどとんでもない。コレは自分を食べようとしていたのだと、ようやく理解した。


 そして、サファイアもまた、理解した。

 生きたまま喰われながら、ようやく理解した。


 ああ、コレが、コレこそがロアンヌの騎士達が感じていたモノかと。


 生きたまま喰われる激痛を感じながら、それでもユマ姫の為に死ねる事に幸せすらも感じていた。

 意味不明なハズだ。こんなモノが頭で理解出来ようはずもなかった。そして、本能が警告する恐ろしさもまた理解出来た。

 こんな、命をねじ曲げる存在がまともであるハズが無い。


 自分を食らい、みるみる体を再生するユマ姫を見ながら、幸せすら抱いてサファイアは息絶えた。


 まるで世界の行く末を見ずに済む事が、なによりの幸福であるかのような、安らかな死に顔だった。

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