獅子身中の姫

 マークスを始め、ロアンヌの騎士達は堂々と帝国に向けて馬を走らせた。それも、あろうことか進軍する王国兵に混じっての行軍だ。


 これはユマ姫の発案だった。


 騎士達は馬こそ取り戻したモノの、自分の剣や鎧までは見つからない。

 しかし、コレを逆手にとった。


 揃いの鎧さえ無ければ気が付かれない、とはユマ姫の弁だ。


「お、驚いた。本当に誰も気にしない」


 マークスは呆然と呟く。


 半ば、やけくそになっての行軍だった。

 なにせ真っ直ぐ帝国に帰るルートは王国軍が塞いでいる。

 かと言って、大きく迂回してこの機を逃せば、渡河の際に味方に撃たれかねない。


「だったら、王国軍に混じってしまえば良いのでは?」


 ユマ姫の言葉を聞いた時は正気を疑った。

 しかし、理に適っている。


 半裸で脱出したマークス達は、王国陣地から支給品のチュニックやズボンを拝借している。

 もちろん、質はそれなりだ。

 立派な馬に乗りながら、みすぼらしい姿。

 戦場で浮いてしまうかと思えば、違う。


 何も馬に乗るのは騎士だけではない。

 我先にと突撃していく騎士に遅れて、身分の低い従者が主人の荷物を担いで、或いは替え馬を曳きながら、後に続くのだ。


 マークスたちの姿は、見事この集団に溶け込んだ。


「見たかよ? 俺は見たぜ! 英雄タナカの勇姿をこの目で!」

「マジな! 鳥肌が止まらねぇよ!」


 気楽な従者達が方々で、興奮冷めやらぬと戦いの感想を語らっている。


「なにシケたツラしてんだよ? まさか見逃したのか? あの戦いを」

「あ、ああ……」


 突然、隣を走らせる従者に話を振られ、マークスは言い淀む。


 こう言った雰囲気には不慣れな男だった。


 そこに、底抜けに明るい声が割って入る。


「キャハハ、コイツさぁ、タナカが現れる前にブルってケツ抱えて逃げやがったのよ、だから肝心のトコを見てねぇの」


 まさか、と、目を剥いたマークス。


 なんと、その声の主はユマ姫だった。


 今の彼女は目立つドレスを隠すべく、ボロ雑巾のようなコートを羽織った姿。姫らしくない下品な喋りで偽装してるとは言え、これは余りにも豪胆な振る舞い。

 ギョッとしてマークスはユマ姫を見つめるが、そこでイタズラっぽく笑うユマ姫と目が合った。


 マークスはアレだけ錯乱していた頭が、急に冴え渡る思いだった。


「あ、ああ、恥ずかしいぜ、お前もあんまり大声で言わんでくれ、叱られちまう」

「どうしようかなぁ?」


 必死で取り繕うマークスを、軽薄に笑うユマ姫。


 しかし、その姿はどうしたって目立つ。


 ボロボロのコートを着こみ、フードを目深に被って顔も見せない。

 全身を隠すその様は、従者の中にあっても異質に過ぎる。


「おい! お前、その格好は何だよ?」


 当然の疑問にマークスは内心舌打つが、ユマ姫は淀みなく答える。


「あぁ、俺はコイツみたいに早とちりしたバカのケツを蹴っ飛ばす役よ、ワリぃけど仕事柄、顔は見せられない」

「へぇ、そんな役目もあるのか」

「まぁな、勝ち戦でも臆病風に吹かれて逃げ出すヤツは少なくないんだ、この馬だって拾いモンよ、こう言うのを戦場に戻してやるのが俺の仕事ってワケ」

「へぇー、確かに立派な白馬だなぁ!」

「ユマ姫のじゃねぇかって思ったが、ハズレだ。姫は馬車でお帰りさ」

「ちぇッ、姫には俺の勇姿を見て貰いたかったんだが」

「ぶつくさ言ってないで早く進めよ。あんまりサボられると、名前を聞かなきゃならんくなるぜ?」

「げぇ、勘弁してくれ」


 そう言って従者は勢い良く馬を走らせた。その姿を呆然と見送ったマークスは、白馬に乗った少女に尋ねる。


「今の男は、知り合いで?」

「まさか! 初めて見た顔です」

「いや、そ、そうですか……」


 マークスは隣を歩むユマ姫が、急に恐ろしく思えてしまう。深窓の姫君と思ったが、これでは話が違うではないか。


 そんな疑惑の瞳を受けて、ユマ姫は馬体を寄せて耳元で囁く。


「私が今、帝国兵が居るぞと大声を出したら、どうなるでしょう?」

「なっ!」


 ギョッとしてマークスは首を巡らせる。確認するまでも無く、周囲は王国兵だらけ。団員は散り散りになっている。


 マークスの背筋に冷や汗が噴き出し、口内は瞬時にカラカラに渇いた。

 ハメられたのかと息を飲む瞬間、ユマ姫はイタズラっぽく笑って、可愛らしく舌を出す。


「冗談ですよ。私の事を守って頂けるんでしょう?」

「え、ええ、勿論ですとも」


 良かった、ユマ姫のイタズラだったとマークスは胸をなで下ろす。

 大人びて見えたユマ姫も子供らしいイタズラをするのだと、むしろ安心してしまう。


 だが、確かにマークスは、この瞬間にハメられたのだ。


 もしもユマ姫が裏切るつもりなら、あそこで声を上げていた。

 そうすれば難なく自分達を葬れた。


 そう考えるほどに、ユマ姫を疑うという選択肢が頭の中から消えていく。


 少しずつ、でも確かに、今までの捕虜と看護婦と言う関係とは異なる毒をマークスに流し込みながら、ユマ姫一行はゲイル大橋にまで辿り着いた。

 この橋さえ渡れば帝国領である。


 白馬を目印に再び集合した騎士団は、決闘の熱気が冷めやらぬ橋上を避け、人気の無い橋の下に潜り込んでいた。


「このまま真っ直ぐ川を渡りましょう」


 なんと、ユマ姫は橋の下を渡河すると宣言する。


「いっそ、橋を渡ってしまうのはどうです?」


 副官のラグノフは油断しきった王国兵を見て更に大胆な提案をするが、ユマ姫は首を振る。


「恐らく、橋の出口では案内役の伝令や将校が居るでしょう。橋は混雑してますし、どこにどんな目があるとも限りません」

「なるほど」


 ラグノフは然りと頷いた。良く見れば、橋を避けて渡河を試みる騎馬は、少ないながらも他にも数騎居るようだ。

 逃げ場の無い橋を寿司詰めで渡るより、川を渡った方が安全と考えるのは特別不自然ではないだろう。


「お前達、馬筏うまいかだの訓練は忘れてないな?」

「勿論ですよ、隊長」

「馬筏とは、何です?」


 ただ一人、解っていないユマ姫が尋ねる。


「渡河の際には、密集して支え合いながら馬を泳がせるのが鉄則です。その訓練を日々、我々は積んでいるのです」

「まぁ! そんな技術が必要なんですか? 私、馬術はあんまり得意ではないのです……」


 項垂れるユマ姫の肩を叩いて、マークスは励ます。


「心配は無用です、ユマ姫には馬筏の中心を進んで貰います。水流の影響を受けず、最も安全に渡河出来る位置ですから、ユマ様なら問題無いでしょう」

「あ、ありがとうございます! お願いします」


 ユマ姫は目を輝かせてお礼を言った。フードに隠れて独占したあどけない笑顔に、マークスは照れ笑いを隠せない。

 そうして、一行はユマ姫を中心に密集隊形で橋下からの渡河を試みる。


「本当は川の流れに乗ってナナメに渡るのですが、橋脚を支えに垂直に渡ります」

「わかりました!」


 やる気満々の微笑ましいユマ姫の仕草に、騎士達は大いに癒やされた。

 橋の下を渡るなら橋桁が彼らの姿を隠してくれるし、不測の事態には橋脚にしがみつき耐える事も可能。ココまで来れば帝国兵とバレてもどうと言う事は無い。


 何事も無く橋を渡りきるかと思われた。


 しかし、渡河を試みる一行は進み行く先、橋脚にしがみつく老人を発見する。


「あれは!? まさか、タリオン様!」

「どうしてココに!」


 騎士達が叫ぶのも無理はない。

 この老人こそ、彼らが主君タリオン伯なのだった。


 今すぐに助け出そうと気が逸る騎士達を、マークスは必死に押し止める。


「陣形を崩すな! 流されるぞ!」


 馬筏は比較的安全な渡河の手段だが、それも無理のない進行で足並みが揃ってこそ。

 ひとたび足並みが崩れれば、一人で渡るよりもむしろ危ない。


「そのままお待ちを! タリオン様!」

「お、おおぉお前たち! ああ、ワシにもお迎えが……」

「違います! 気をしっかり! タリオン様!」


 タリオン伯はギリギリの所で踏み止まっていた。そこに愛する騎士団を目の当たりにした事で最後の糸が切れようとしていた。


 切羽詰まった声で、ユマ姫が叫ぶ。


「マークス様、タリオン様は一騎打ちで怪我を負っています」

「なんと! いや、そうか」


 マークスの知るタリオンは、老年ながら並の騎士より遙かに強かった。

 実戦で磨かれた初見殺しの妙技を考えれば、この老人よりも一騎討ちに向いた人間はそうは居ない。


 しかし、そんなタリオンが橋下で惨めな姿を晒しているのだ、王国にも猛者が居るのだとマークスは気を引き締める。


 ちなみに、その猛者、ゼクトールはさっさと川を泳ぎ切って自陣に引き上げている。

 川に飛び込む寸前、遠目にタナカの姿を認めたゼクトールは、その後の展開に何も心配していなかったからだ。


 一方で、愛娘だけでなく、自慢の騎士団すらも失い、一騎打ちでも不覚をとったタリオンは生きる希望を失いかけていた。


 ゼクトールに突かれた腹の傷は水の中で塞がる事も無く、ひたすらに血を流し続けている。


「くっ! タリオン様! 私です! マークスです!」

「おおっマークス! 帰ってきた、無敵の騎士団が私の下に……」


 しかし、騎士団の顔を見て安心し、もはや天国なのだと誤解した事が、復讐を糧にギリギリで張り詰めていた心の糸を断ち切ってしまう。


「タリオン様ーッ!」


 辛うじて橋脚に引っ掛かっていたタリオン伯の体が、力を失い流され始める。このままではスフィールへと下る急流に巻き込まれ、命を落とすに違いなかった。


「私が出ます」


 そこに飛び出したのがユマ姫だった。


 コートを脱ぎ捨て、馬上を抜けだし、他の馬を飛び石の様に渡りながら先頭に躍り出ると、呆然とする騎士達を尻目にそのまま急流へと飛び込んだ。


「ユマ姫! クソッ私も出る!」


 団員の命を預かるマークスも、堪らず水中へと飛び込んだ。


 無謀に思えるユマ姫の行動の理由だが、彼女は元より運命光を確認し、タリオンを助けるつもりで渡河を提案しているのだ。


 ここで助けられねば面白くならないと、少しばかり焦っていた。


「お願い! 目を覚まして!」


 訴えながらもしっかりとした泳ぎでタリオン伯に迫る。


 この世界には水泳の授業などない。だから、前世の記憶を持つユマ姫の泳ぎは、この世界の標準から見ればかなり立派であると言えた。


 更に言えば、騎士団から十分な距離を取れば、健康値の範囲を逃れたユマ姫は魔法を使う事も出来る。


「『我、望む、進み往く先に水の奔流を』」


 風の魔法を応用すれば水流を作り出す事も可能だった。

 そうしてタリオン伯の元へと泳ぎ着いたユマ姫だったが、タリオン伯の運命光は消えかけていた。


 水流は容易く人間の体力を奪う。

 怪我を負った体は、年齢的にも限界だった。


「ああ、ミニエール……今、会いに行く」


 しかし、それ以上にタリオン伯の精神が生命力を手放そうとしている。


 ユマ姫は少女らしくない舌打ちをひとつ。

 水流に揉まれながら、イチかバチかの賭けに出た。


 歯を剥き出して、狂暴な顔で口の端を吊り上げる。


「ミニエール? 来るわけが無いだろう」

「な、に? 何故だ?」


 弱々しく問いかけるタリオンに、邪悪な顔でユマ姫は宣言する。


「私が殺した。森に棲む者ザバの私がな、もう二度と会う事は叶わない」

「そうか! 貴様が!」


 カッっと目を見開き、ユマ姫の剥き出しの肩を掴むタリオン伯の指先に、騎士らしい力強さが戻っていた。


 一方で、急に元気になったタリオン伯を持て余したのがユマ姫だ。


 暴れる上に、健康値が阻害して魔法が使えない。岸まで泳ぎ着いてからにすべきだったと後悔する。


 このままでは水流に飲まれて共に死にかねない。地味にピンチであった。


 ――ヒヒィィィーン!


 そこに馬の嘶きが割って入る。


 ココまで乗って来たミニエールの白馬、サファイアだ。

 そのままタリオン伯の襟元を咥えて、悠々と川を渡っていく。


「サファイア! 生きていたのか」


 タリオン伯は馴染みの白馬の献身に感極まった様子だが、ユマ姫はいよいよ余りに頭が良すぎるサファイアを「馬かコイツ?」と恐怖し始めていた。


「…………」

「…………」


 お互いに気まずい思いで見つめ合う、白馬と姫。


 お伽噺から飛び出したような組み合わせだが、そこに甘やかな空気は一切無い。


 いっそこのまま殺すことすら、お互いの脳裏を掠めているのだが……


「…………」

「…………」


 お互いに、まさかと考え直し、ひとまず生き残る為に川を渡る。


 しかし、フィーナス川は急流だ。

 小さい体のユマ姫はそろそろ体力の限界が迫っていた。


「ぐっ、『我望む……』あぶっ」


 呪文を唱える度、丁度良く波打つ水面に飲み込まれて詠唱を阻害される。

 これが『偶然』の力かと歯噛みするも、水流はあっという間に少女の体温を奪っていく。


 これはマズいか?


 と、いよいよ水流の怖さに気が付いたユマ姫だったが、少しばかり遅かった。


「ぐっ!」


 最悪のタイミングで足が攣ってしまったのだ。


 パニックに陥ると同時、ぽちゃんと頭まで水に沈んでいく。キラキラと輝く水面に向けてユマ姫は必死に手を伸ばした。


「掴まって下さい!」


 ユマ姫が水に沈んだ直後、ようやく追いついたマークスがなんとかその手を掴み、抱き上げた。


「ゲホッ、あ、ありがとうございます」

「良いから、黙って下さい、それにしても無茶をする!」


 気が付けばマークスだけではない、騎士団の全員がユマ姫を守るように陣形を組んでいた。

 ……主君であるタリオンそっちのけである。


 それからは問題無く渡河を成功させ、ついに一行は帝国領へと踏み込んだ。


 しかし、サファイアに運ばれ、川辺に寝かされたタリオン伯は、いよいよ意識が混濁していた。


 まだ出血が止まらないからだ。


 ユマ姫は蹲り、病状を診て表情を引き締める。


「とにかく傷を塞ぎます」

「お願いします。タリオン伯は我らの主人。助けて頂ければ貴女への誤解も、説得してみせます」

「いいえ、私がミニエール様を殺した事は事実ですから」

「ですが!」

「まずは治療です」

「……はい」


 濡れそぼったユマ姫が呪文を唱えると、魔力の光が立ちこめて、みるみるタリオン伯の傷が塞がっていく。


 騎士団はその光景を奇跡と呟くが、それもそのはず。


 ユマ姫は騎士団を治療するときは効果を絞って少しずつ治療していた。騎士団を籠絡するために、敢えて時間を掛けたのだ。


 それに引き換え、タリオン伯には容赦なく全力の回復魔法。効果の程が全く違う。


 怪しまれるだろうか?

 ユマ姫は内心ビクビクしていた。


 しかし、そんな細かい事を騎士団は気にしない。

 水に濡れ、必死で呪文を唱え、魔法の光で輝くユマ姫の姿が、見とれるほどに美しかったからだった。

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