墓参り

「あらあら、今年も来たのかい?」

「ええ、よろしくお願いしますわ」


 馬車から降りた俺は、左手を胸に、右手で優雅にスカートをつまんで会釈する。目上への格式張った挨拶だ。


「良いんだよ、そんなの。もうあたしはただのおばちゃんなんだからさ」

「そんな訳にはいきませんわ……本来なら王太后様なのですから」


 やって来たのは湖からほど近い、こぢんまりとしたお屋敷だった。

 俺は今年も会いに来たのだ、ボルドー王子の母、キュリアナ元王妃に。


「まったく……もう、良いんだよ。あの子の事なんざ忘れてさ……」

「……それは、自分だけが憶えて居れば良いと言う意味ですか?」


 俺はキュリアナさんの服をジッと見つめる。


 彼女が来ていたのは園丁えんてい服、決しておしゃれ着ではないし、以前王子と二人で訪ねたときも、同じ様な野良着のらぎを着ていた。


「……まぁ、あたしが一番忘れられないのはホントだね」


 キュリアナさんは自分の服をつまんで自嘲気味に笑う。貴族らしくない野良着姿、だけど以前と決定的に違うのは、その生地の色だった。


 茶と黒で彩られた園丁服。


 あれから二年が経とうとしているが、彼女はまだ喪に服している。


「忘れられないのは、私もです」


 言いながら、俺は風にたなびくフリフリのレースを手で押さえる。


 俺が着ているのはゴスゴスロリロリしたドレスである。白を基調に差し色の赤と黒がド派手に映えて、キュリアナさんの喪服とは対照的。極めつけは締め付けて体にフィットする腰回りには、フェティッシュなエロ味がある。


 田舎には場違いなドレス姿であった。流石におかしいと思ったのかキュリアナさんは俺のドレスをジロジロ見てくる。


「そういや、去年もその服を着ていたね」

「ええ、婚約披露宴で着たドレスですから」

「ッ!」


 キュリアナさんはハッとした表情で息を飲んだ。去年は特に聞かれなかったので説明しなかったが、場違いな女と思われてしまっていたかな?


「彼との思い出の一着ですから」


 ニッコリと微笑んでみせると、キュリアナさんは切なげに俯いた。哀れな女と思われたかも知れないが、知ったことか。


 自分が一番、ボルドー王子を忘れられないとか思って貰っちゃ困る。

 なにせ、俺は、初めから忘れる事など不可能なのだから。

 俺は、俺だけは、彼との思い出を、少しも色褪せないままに思い出せる。


 俺の思いに気圧されたキュリアナさんを、ジッと見つめて誘い出す。


「行きましょう。彼が本当に眠る場所へ」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 湖が望めるちょっとした丘。未遂で終わった王子とのキス。そこに小さなお墓があった。


 俺は二年前、ボルドー王子の死体を冷凍し、ココまで運び、埋めたのだ。


 王子の死を国民に知らせる訳に行かなかった当時の俺達は、王子が死んだ事を伏せ、冷凍した王子の死体を保存した。

 無惨に腐らせる訳にも行かず、俺は何度も王子の死体を冷凍した。

 そして、俺がカディナール王子に誘拐され、左手を失い気絶していた間も、王子の死体は腐らなかった。

 何故なら当時、大量に製造していたアイスと共に、専用の地下室に貯蔵されていたから。


 そして、目覚めた俺が真っ先に行ったのは王子の死体を王墓ではなく、二人の思い出の場所である静かな湖畔に運び込むことだった。


「あの時は驚いたよ」


 キュリアナさんは焼きたてのトルテをお供えして、ため息をついた。


「なにせ、あの子の死体を持って、ずぶ濡れのあんたが家の前に居るんだからね」


 あの日は土砂降りの雨だった。お陰で涙でグズグズになった顔が目立たず済んだ。


「泣きながら、ごめんなさいって繰り返して。……驚いたし悲しかったけど、数日前から胸騒ぎがあったんだ」


 プリンとアイスをお供えする俺をチラリと見ながら、キュリアナさんは続けた。


「あの子はね、なるたけ目立たない様に生きていた。あの子なりの処世術だったんだろうねぇ、なにせ第二王子で母親は名ばかり貴族。その方が安心さ」


 ぼやきながらもキュリアナさんは俺が持参したプリンに口をつけると……

 ……途端に目を丸くした。


「なんだいこりゃ? 卵焼き? 混ぜてあるのはクリームかい? 随分と贅沢だねぇ」

「口に合いませんか?」

「いいや、地味に見えてコイツはとんだご馳走さ」


 キュリアナさんの言うとおり、プリンは地味だ。黄色一色で、この世界のお菓子と比べても派手さはない。


 デザートには色味豊かなモノが好まれるってのは、この世界でも変わらない。例えば色とりどりのフルーツ砂糖漬けにして、ふんだんに盛り付けたタルトが代表だ。

 焼き菓子だって着色料でカラフルに仕上げてしまったりする。


 でも、プリンはソレまで王都にあった、どんなお菓子よりも美味しいのだ。


「ええ、まるでボルドー王子の様。彼もプリンは気に入っていました」

「そうかい、だったらあんたはこのアイスかね。うん、相性も悪くないよ」


 キュリアナさんはアイスも同時に頬張って力なく笑った。

 何と返したら良いのか困った俺は、目線で侍女に合図する。侍女が丸めたレジャーシートを広げると皆が揃って座れる程のスペースが出来上がる。


「積もる話はゆっくりしましょう。彼を交えて」

「そうだねぇ」


 プラヴァスで仕入れた葦で編まれたレジャーシートに、侍女や護衛の兵士も含めて座って貰った。


「見たことない敷物だね?」

「プラヴァスで購入しました。彼の地で私が絶体絶命のピンチに陥ったとき、彼が、ボルドー王子が九死に一生を救ってくれました。彼との思い出が私を守ってくれたのです」

「そりゃあ……」


 妄想癖のある可哀想な女の子を見る目で見られてしまった。でも、アレは気のせいじゃない。


「誤って毒キノコを食べようとした時です。お芋みたいなキノコの姿に、私が思い出したのは庭一杯に埋められたイモ畑と王子の姿でした。そうして思い出に浸る中。口にする直前に、それが毒キノコだと判明したのです」

「ハハッ! なんだい、そりゃあ?」


 キュリアナさんは今日初めて、快活に笑った気がした。

 ……呆れられてしまっただろうか? 良く考えたらあんまりカッコイイエピソードでは無い。


「そりゃあ……なんともあの子らしいね。そうかい、死んでもあんたを守ったか……」


 キュリアナさんは泣いていた。泣きながらプリンを頬張っていた。

 言葉を失くし、俺もつられてキュリアナさんが焼いたタルトを口にした。


「ンッ!?」

「ふはっ! 気付いたかい?」

「うぅ……」


 涙目で呻く。口の中に広がる強烈な刺激。


「山椒が、キツイです」

「あんた、左手だけじゃなく、味覚も戻ったんだね。山椒フィクサの量は前とおんなじだよ」


 いたずらに成功したみたいに笑うキュリアナさん。

 だけど、嫌がらせだけのお菓子じゃない。癖のあるチーズタルトに強烈な山椒の刺激は中々に癖になる。

 覚悟しながら食べれば、決して悪いモノじゃない。そんな俺を見て彼女は微笑む。


「良かったよ。少しだけ思い詰めた所が減ったじゃないか」

「そう……でしょうか?」


 俺は、プラヴァスで実の父を殺した。


 だから、魔力欠乏に苦しんでいる父や、同胞に手を掛けている父の姿を想像せずに良くなった。

 殺しておいて、そんな事に救われている自分は何と卑しいのだろうかとも思う。でも、コレで後は自分の復讐だけを考えて戦えば良い。


 吹っ切れた様子の俺に、キュリアナさんは微笑んだ。


「プラヴァスで何かあったのかい?」

「ええ、とても大切なことが」

「そうかね。あの子がその助けになったなら良かったよ。そう言えば、今の女王様も南方の血が入ってるんだっけね」

「ッ! え、ええ」


 ヨルミ女王の話題を振られ、俺は密かに息を飲んだ。


 なぜならキュリアナさんは第一王妃の嫌がらせに嫌気が差してこんな田舎まで引っ越してしまった人物だ。人付き合いが得意ではない。

 気難しくヨルミちゃんの悪口でも並べられたら、俺はかなり気まずい事になる。


「昔にチラッと話をした程度だけど、とんでもなく賢い子だったよ」

「そうですね、私もそう思いますわ」


 良かった。悪口じゃ無かった。

 俺はホッと息をつく。


「器量はあんたほど良くなかったけどね」


 でも、茶目っ気たっぷりに付け加えたひと言は余計だった。


 俺の後ろに控えていた侍女が一人、身を乗り出してキュリアナさんをたしなめるじゃないか。


「ヨルミ女王にその様な口を利くとは、聞き捨てなりませんね」


 王国の民としてはもっともな諫言かんげん。だが、砕けた場には相応しくない物言いだ。堅苦しいのが大嫌いなキュリアナさんは露骨に鼻白んだ。


「なんだいあんた? こんな山ん中だ。誰も聞いちゃいないよ」

「いいえ、は聞いています」

「あんたが聞いたからって……アンタ!」


 侍女がニッコリと微笑む。



 彼女は……ヨルミちゃんだ。



 化粧をして、一見それと解らない。昔の姿しか知らないキュリアナさんなら余計に。

 だけど腹に一物含んでそうな、怪しい笑みは二人と居ない。


「なん……で?」

「妹が、兄の墓前に挨拶がしたいと思うのは変です?」


 ヨルミちゃんは笑顔だが、キュリアナさんは権力に激しい嫌悪がある。ジットリと汗を掻き、腰が引けていた。


「こんなの、人が悪いじゃないかい」

「ごめんなさい、説明する暇がありませんでした」


 俺は殊勝に謝った。


 王女ともなれば、こうでもしないと第二王子の母に会いに行くなど出来ない、呼び出すべきだと言われてしまう。

 ましてやボルドー王子の本当の墓があるなどもっと言えない。王子の死体は王墓にあるとされているからだ。


 別にドッキリ大成功とか思っていない。……ホントダヨ?


「どうする気だい。こんなおばちゃんを」

「なにもー? ただ久しぶりにお兄の事が話したくてねー」


 何でもない様にヨルミちゃんは笑った。


「お兄はねー、昔っから居場所が無かった私を気遣ってくれてね」


 王宮の隅っこで所在なさげにしていた彼女に、王子は居場所をくれたらしい。


「不細工な王女と馬鹿にされるなら、誰よりも知識を身に付けろって。女の子にハッキリそんな事いうのは酷いよね。でも、お陰で今は助かってる。いまだにお作法はサッパリだけどね」


 さみしげに語るヨルミは、ちっとも不細工には見えない。

 化粧だけじゃない、見られる事を意識してから彼女の見栄えは大きく変わった。女の子の不思議である。


「私ね、お兄だけじゃなく、ううん、お兄よりもずっとガルダさんのお世話になってたんだ。街の事とか、法律の不備とか、貴族の横暴とか、色んな事を教えてくれた」


 ヨルミちゃんは泣いていた。こんな風に泣く彼女は初めて見たかも知れない。


「だからね、ガルダさんが本気でお兄を想っていたのも知ってる。何となく解ってた。だから、それを利用してお兄を殺させた魔女を絶対許せない」


 ……そうか、そうだったのか。彼女はひょっとしたらガルダさんに憧れていたのかも。

 だからこそ、誰よりも魔女を許せない。

 遺跡やプラヴァスの顛末を話すとき、彼女が魔女の事を何度も問い詰めて来るのはそれが理由か。


 帝国を、魔女を恨むのは俺だけじゃない。


「倒そ! 帝国を。魔女クロミーネを!」

「ええ、倒しましょう!」


 俺はヨルミちゃんの手を取って頷いた。

 俺の戦争に王国を巻き込む罪悪感が、少しだけ和らいだ。


 コレはもう俺だけの戦争じゃない。俺はキュリアナさんに向き治った。


「もうすぐ大きないくさが始まります」


 帝国の物資集積量や人の動きからも間違い無い。

 女王ヨルミも静かに命じた。


「たとえ王国が亡くなっても、兄の愛した景色を守って下さい」


 間延びした口調を引っ込めた、彼女の真剣な願いだった。


「ああ、若いって良いねぇ。おばちゃんはココで墓を守るよ」


 キュリアナさんはそんな様子を眩しそうに見つめていた。


「……そうですなぁ」


 そして、護衛として付いて来たゼクトールさんは、ボルドー王子が好きだったらしい酒をチビチビ飲んで泣いていた。


 護衛する気あるのだろうか?

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