王蜘蛛蛇

 ――ギョォォォ


 化物の咆哮が木霊こだまする。

 は、およそ真っ当な生き物とは思えない姿をしていた。

 通常の魔獣は動物が巨大化、もしくは複数混ざった生き物であるのに対し、この魔獣だけは元になった動物が解らない。

 地獄から這い出て来たかの様な不気味な姿で知られていた。


 王蜘蛛蛇バウギュリヴァル


 極めて珍しい魔獣である。


 長命なエルフであろうと、一生に一度も目にしないのが普通なほど。

 それでいて、知らぬエルフは一人も居ない。


 矛盾するようで矛盾しない。この魔獣は常に彼らの神話と共にあった。

 時には勇者の前に立ち塞がり、時には偉大な王の誕生を促した。


 お伽噺を彩るべき、伝説の魔獣がソコに居た。


 ――ギョギョギョョョォォ!!


 本来は、エルフ達が軍をもって対処する魔獣である。

 だと言うのに、相対するは、たった一人の黒衣の剣士。


「コイツぁ、グロテスクだな!」


 田中であった。

 自慢の刀を抜刀するや、走る。


 ――ギョォー


「あっぶね!」


 一直線に突き出された触手を紙一重に避ける。


 蜘蛛と蛇の王。


 そんな意味の名前こそ冠しているが、そのビジュアルは無数の足が生えた巨大なウジ虫と言った方が理解が早い。

 或いは『ハルキゲニアみたいな姿』。そう言って伝わるならばソレが一番近い。

 少なくとも、この魔獣の数少ない目撃者であるエルフの姫はそう感じた。

 

その体から生える無数の触手は、移動にも攻撃にも使用される恐るべき武器。


「オラよ!」


 だが、田中の一振りでアッサリと切断される。しなやかで柔軟性のある触手は、斬り裂いてみれば極めて柔らかく、そして脆かった。

 痛みを感じないのか、それでも尚、王蜘蛛蛇バウギュリヴァルは攻撃の手を緩めない。

 鞭の様に打ち付ける触手、槍のように突き込まれる触手。

 暴風の様に襲いかかる無数の触手を、田中は全て躱していく。


「ヨッ! ヨッ! YO!!」


 ノリノリであった。

 タイミング良く、躱し、斬る。それだけの繰り返し。

 簡単に見えて、全ての瞬間に自らの命が掛かっている。


 ソレが心底楽しい。そう言う男であった。


「お手々がもう無ェみてぇだゾ?」


 田中は転がる触手の中心で笑う。苛烈な攻撃を全て凌ぎきった証であった。

 既に王蜘蛛蛇バウギュリヴァルには振り回すべき触手が残っていない。


「結構強かったぜ? あのイノブタより大分マシじゃねーか?」


 刀を手にしてこちら、田中は魔獣に苦戦した記憶が殆ど無い。

 そんな中で、目の前の奇妙な魔獣は、グリフォンを例外とすればダントツに強かった。


「あばよ」


 だが、それでも敵では無い。サックリと胴をぶった斬る。

 触手をなくし巨大なウジ虫と成り果てた化物の、図太い断面が晒される。


「見た目だけじゃなく、斬った感触までロクでもねーな」


 チン、と涼やかな音をたて、納刀。

 戦い終わったそんな時に、ジャケットとズボン、帽子までも深緑で揃えた男が滑り込んでくる。


「田中ァ! 終わったのか?」

「おせぇよ」


 木村であった。

 ユマ姫と話し込んで少しだけ出発が遅れた。その差と足の差が合わさり、到着した段には戦闘に幕が降りていた。


 ――いや、幕が降りた。 と、思い込んでいた。


「危ねぇ!」


 木村は叫ぶ。コチラへ向き直った田中の背後、切断された巨体から無数の触手が伸びていた。


「ぐぉ!」


 田中は触手に弾き飛ばされ、地面を転がるハメになる。木村の声で慌てて体を捻ったが、それでも僅かに遅かった。

 不格好に体勢を整え、刀を抜いて振り返る。その眼前に、のっそりと立ち上がる異形があった。


 触手は全て切り離した。

 頭すら切り落とした。


 それでも王蜘蛛蛇バウギュリヴァルは前と変わらぬ姿で蘇った。


「ユマ姫かよ!」

「いや、失礼じゃね?」


 田中の暴言に流石の木村も顔を顰める。

 傾国の姫な少女とは比べようも無く、途轍もなくグロテスクな化物である。


 共通点と言えるのは、精々が頭を切り落として尚、死なないと言う事ぐらい?


 いや、やっぱりどちらも大概だな。そう思いながらも木村はこの化物をユマ姫と一緒にはしたくない。


 なにしろ木村は王蜘蛛蛇バウギュリヴァルが復活する瞬間を目撃していた。

 晒された断面から無数の触手が湧き出し、切断された頭と結合。その姿に鼻から飛び出す角栓を思い出した木村は、思わず吐き気を催した程である。


「スライムみたいなモンだと思った方が良いみたいよ?」


 その様子から、これはユマ姫が言っていた伝説の魔獣。それに間違い無いと木村は確信した。


 しかし、そう言われても田中には強さがピンと来ない。


「スライムぅ? 雑魚じゃネーか!」

「伝統的なファンタジーじゃ、物理攻撃無効の結構な強敵なんだぜ?」

「物理攻撃無効って、ゲーム脳も大概にしろよ」


 笑いながら駆けだした田中は再び無数の触手を切り落とし、またも王蜘蛛蛇バウギュリヴァルに肉薄する。


「シッ!」


 裂帛の気合いと共に切断。今度は胴が幾つものカタマリへと分断されていく。

 今度こそ無力化に成功したかに思われた。


「チッ! クソッ!」


 しかし今回、田中は斬ってすらいなかった。王蜘蛛蛇バウギュリヴァルは斬られる前に自ら分裂。

 囲うように田中の退路を断ってみせた。


「ヤベェなオイ!」


 田中を取り囲んだ胴体達は一斉に体を震わせる。ソコから吐き出されるは更にその数を増した触手であった。

 360°ドコにも逃げ場が無い。白い牢獄が哀れな獲物を捕食する。その瞬間。


 ――パーン!


 銃声が響いた。一回ではない、同時に複数の炸裂音が重奏する。

 逃げ場が無かったハズの牢獄に大穴が空き、好機とみた黒ずくめの大男が転がり出る。


 その先には煙を噴く無数のマスケット銃。


 自在金腕ルー・デルオンを使った複数同時発射。

 木村は十挺ものマスケット銃を担いで持ってきていた。一挺が4kg程でも十挺で40kg。

 弾丸や火薬も含めると50kgを越える。木村が田中から大きく遅れるのも当然と言えた。


「また助けちまったな!」

「またカスったんだが?」

「また狙った!」

「またクッソ!」


 二人の会話に意味など一切無い。口を衝いた単語を垂れ流しているに過ぎない。


「また斬って!」

「また撃って!」

「また斬ってぇ!」

「また撃ってぇ!」


 リズムを刻むように、田中は触手を切断し、木村は図太い胴体に銃弾を叩き込む。


「また斬ってぇ!!」

「また撃ってぇ!!」

「また斬ってぇぇ!!!!」

「また撃ってぇぇ!!!!」


 ヤケクソであった。

 それでも二人の息はピタリとハマり、お互いの隙をカバーしながら王蜘蛛蛇バウギュリヴァルを削って行く。

 ……だが。


「またキリがねぇ!」

「また奇遇だな! 俺もそう思ってた!」


 体力も弾丸も無限では無い。王蜘蛛蛇バウギュリヴァルは僅かに体積を減らしただけだ。


「クッソ! ホントはどうやって倒す魔獣なんだ?」

「ユマ姫が言うには、こうやって少しずつ削るのが王道らしい」

「邪道なのを頼む! 俺は裏技やハメ技が大好きなんだ!」


 元来、軍の物量で押しつぶす魔獣。たった二人で取れる策では無かった。


「そう言われても、簡単に出来るモンじゃねぇんだよ」

「物理攻撃無効と言ったな? 魔法か?」

「ぶっぶー! 魔法も無効です!」

「ふざけんな! 無敵か!」


 文句を言いながら触手を切断する田中。答えを焦らす木村に苛立ちを隠せないが、別に木村だって意地悪で言わないワケじゃ無い。

 木村は必死に攻略方を探すが、簡単にできる事では無かった。


 それ程に規格外の魔獣なのだ。


 幾ら切っても死なず、膨大な健康値で魔力を打ち消す。

 魔剣と魔法で戦うエルフの天敵。


 セレナは相手の膨大な健康値すら上回る異次元の魔力で、強引に風と炎の刃で焼き切ってみせた。

 エルフの蔵書を読み切り、知識を蓄えたユマ姫すらも目を剥いた、常識外れの魔力を持つセレナだけが可能な攻略法。

 ソレを人間でこなそうとすれば、一体どんな手があるか?

 優れた頭脳を持つ木村にも妙案は出ない。


「焼き切っちまえば、もうくっつく事がないらしい。使えないのかよ! フォースとか!」

「無理でーす! ジェダイじゃありませーん!」

「パォォォン!」

「うぜぇ! もうマンモスはヤメロ!」

「チューバッカなんだが?」

「解るかボケェ! おいヤベェ! ふざけてる場合じゃない!」


 冗談を言っている間すら、触手の攻撃は容赦が無い。

 相手は幾ら攻撃を食らっても復活するが、コチラは一度でも良いのを喰らえばソレで終わり。

 フェアな戦いではない、しかも悪い事は続く。


「ソルン! クソ! てめぇ!」


 王蜘蛛蛇バウギュリヴァルの背後、ソロリソロリと破られた隔壁の隙間から外に出て行く銀髪の青年の姿があった。


「冗談だろ? 明らかに守ってやがる!」


 回り込もうにも王蜘蛛蛇バウギュリヴァルが触手を伸ばす。どうあっても倒さねばソルンの確保は不可能。


「逃げられちまう!」


 既にその背中は見えない、ただでさえタフな敵に時間制限のオマケ付き。

 ココで木村は賭けに出る。


「仕方ないな! 奥の手だ! 田中ァ! できる限り細かくぶった切れ! そんで俺が合図したら伏せろ!」

「嫌な予感しかしねーんだけど?」


 文句を言いながらも田中は再び駆ける。流石に疲労でキレが無い動きだが、田中はココはリスクを取るべきと、長時間の観察から来る見切りで補う事にした。

 紙一重どころか皮膚一枚を犠牲にするほど最小限の回避。無数の触手が作り出す僅かな隙間をすり抜けて行く。

 頬に受けた一筋の傷跡から滲む血液が一滴。ポタリと落下するだけの僅かな間、田中は既に懐に潜り込んでいた。


「ありったけだ!」


 斬った後は考えない。

 包囲を抜け出す余力を度外視した六連斬。


 斬ったモノも、斬る前に勝手に分裂したモノも、全部含めれば王蜘蛛蛇バウギュリヴァルは九つに細かく分割された。


 そして、小さくなった分、田中はすっかり取り囲まれる。


「オイ! 出番だぞ!」


 田中は叫ぶ。むしろ、叫ぶのが限界。無理な姿勢での斬撃により、転げたような無理な体勢。

 逃げるにも一呼吸の間が必要であった。


「おわっ?」


 田中は足を掴まれズリズリと引き摺られた。いつの間にか足首に巻き付く金属のワイヤー。自在金腕ルー・デルオンの一本であった。

 残ったワイヤーが触手を牽制、開いた包囲網の僅かな隙間から田中を引き摺り出すや、交換とばかりに閉じていく包囲網に投げ込まれる革袋。


「弾けろ!」


 木村の声と同時、触手で編まれたかまくらみたいな姿となった王蜘蛛蛇バウギュリヴァルの隙間から閃光が溢れる。


 ――バァァン!


 殆ど同時に爆音。


 木村が投げ込んだのは、ありったけの火薬と弾丸を詰め込んだ即席の手榴弾。

 爆弾は、王蜘蛛蛇バウギュリヴァルをべちゃべちゃに吹き飛ばし、その体積を大きく減ずる事に成功した。


 しかし、堪らないのが爆発を間近で受けた田中だ。


「クッソ! こんなのバッカリかよ!」

「一応言っておくけど、今度は狙ってないぞ」


 田中はまたしても体液でべっとりと体を濡らす。

 無理もない、距離を取っていた木村の足さえ魔獣の体液で白く染まるほどの爆発だった。


「おっ? 田中サン、色男になったじゃん! いや白いな? 白男??」

「口直しにお前の胴体もぶった斬っていい?」


 そんな二人の軽口をつんざく咆哮。


 ――ギョォォォオオオ!


 まだ生きていた。

 飛び散った液体がウネウネと寄り添い、結合していく。


 体積を半減しようとも、いまだに王蜘蛛蛇バウギュリヴァルは戦う姿勢を見せていた。


「マジで? 不死身じゃん!」

「こりゃ訂正するぜ! ユマ姫アイツの方がなんぼか可愛げがある」

「お、おぅ……」


 田中の失礼な物言いに、今度こそ木村はツッコム気力も無い。


 ……だが、ツッコム必要は無いだろう。


「果たしてそうかな?」


 不敵に笑う少女の声。振り返れば予想通りの姿があった。


「ユマ姫様! どうして? って、え? 誰?」


 いや、予想とは僅かに違った姿であった。少なくとも木村にとっては。

 しかし頓着せずにユマ姫は続ける。


「俺より可愛いと言うのなら、コレに耐えて貰わなくっちゃな!!」


 ……誰もそんな事は言ってない。


 そもそも王蜘蛛蛇バウギュリヴァルは喋らない。

 お構いなしにユマ姫が投げつけたのはステンレスの一斗缶。少女の細腕では到底不可能な遠投、魔法を使っての投擲だった。


「ホラよ!」


 掛け声と同時、さらに取り出したのはノエルが使っていたショットガン。


 ――パンッ! カンッ!


 発射された散弾は正確に一斗缶を打ち抜いた。

 中身は勿論、灯油。


 そして、……火薬!


――ドオオオォォン!


「うぉっ!」

「なんだ?」


 木村と田中。

 二人は爆風にゴロゴロと吹き飛ばされる。灯油は勿論、火薬を使ってもコレほどの爆発は起こせないハズであった。


 しかし、少しの灯油に火薬をタップリ混ぜたモノ、それは現代で言う所のアンホ爆薬と言われるモノに近い効果を生み出していた。


 ユマ姫が燃え死んだ爆発の正体でもある。


「ハハハハハ! どぉぉだぁ?」


 ノエルの頭をショットガンで吹っ飛ばし、コッチの方も誰かにやり返さなければ気が済まないと思っていたユマ姫だが、案外に早くチャンスが巡った。


 ――ギョョョ……


 炎の中、王蜘蛛蛇バウギュリヴァルのシルエットが力なく揺れる。


「そうだよな? 熱いよな? その痛み解るぜ、俺にも経験あるからね」


 炎の前まで歩み出た少女は、恐らく人類唯一の経験を自慢げに語ってみせる。


 ――ョォォォ


 燃え尽きていく王蜘蛛蛇バウギュリヴァル。それを見て少女は少しだけ寂しそうに笑った。


「セレナ、お姉ちゃんにも倒せたよ……」


 かつて自分を守ってくれた妹に黙祷を捧げる。

 静かな呟きは、聴力に優れる田中にすら聞こえない程にささやかな声だった。


 ごうごうと燃え盛る炎を背に、少女は個人的な感傷を振り払うように、バッと二人に向き直る。

 姫らしい威厳を取り繕い、ふんぞり替えってポーズを決める。


「どうです? 私の方がずっと可愛い!」


 そう言う話ではない。

 ないのだが。手が付けられないほど自信満々なので、対処に困る木村と田中。


「ナニ? アレ?」

「さぁ?」


 少女はそれでもポーズを崩さない。


「世界一! 可愛い!」


 何故なのか?


 ソレはソレとして木村には気になる事があった。


「あの、姫サマ? その髪の色は?」

「え? あ!」


 ユマ姫の髪色は、再びピンクに染まっていた。

 その事に本人は全く気付いていなかった。

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