少し前の話

 時は少し前、ユマ姫や木村達が遺跡に入った直後まで遡る。


 場所は同じくピルタ山脈。

 大森林とビルダール王国を遮る世界屈指の難所である。

 ゴロゴロと岩ばかりが転がり、切り立った崖に左右を挟まれた谷の底、高いモーター音を轟かせ疾走する漆黒の機体があった。


 その正体は?


 この世界の人々ならば腰を抜かす威容だが、地球人からすれば間違えようも無い。



 自動二輪車バイク



 ファンタジーにあるまじき異物。

 漆黒の機体は、漆黒の剣士を乗せていた。


 もちろん田中である。


 ファンタジックなマントを背に、腰には刀を佩き、SFチックなバイクで駆ける姿は中二病的な格好良さに溢れている。


 漆黒の剣士が、スロットルを吹かせ、漆黒のバイクを加速させる。

 獲物を求め、獰猛な笑みを浮かべていた。



「やべぇ、どこ? ココ?」



 だが、迷子であった。


 獲物を求めるも何も、完全に敵を見失っていた。

 まぎれもなく、田中は迷子であった



 ノエルとソルンが罠を張る遺跡に踏み入らなかったのは、罠を警戒してでも何でも無い。


 なにせ田中は大森林に土地勘が無い。超人的な視力と気配察知で追い続けたが、一度目を離してしまうと捜索は困難を極めた。


 そしてソレを誤解したのがノエルとソルンの二人だった。

 どこまでもしつこく追跡する田中を、彼らは優秀なハンターと誤解していた。勘と五感に任せた追跡を技術によるものと思い込んでいた。

 猟師であれば見逃さない程度のバレバレの痕跡を残して罠としたつもりが、田中はしっかりと見落とした。

 ワザと居場所をバラそうとする動きは、田中の勘を惑わす事に成功していたのだ。


 まず逃走経路に裏を掻かれた。彼らが逃げたのは東、王国側だ。

 帝国とは真逆の方角になぜ奴らが逃げ込んだのか? 田中にはそれが解らない。

 エルフの戦士と手分けして、見え見えの痕跡をどうにか掴んだのは、つい最近になってからであった。


「足が無かったら終わってたぜ」


 跨がっているのは大型三輪バイク。ドライバーの魔力をキーに魔石で稼働する魔道具であった。


 その超科学の正体は、古代遺跡から発見した遺物をエルフの技師が整備、改造の末にエルフの魔石でなんとか動くように仕上げたシロモノ。

 コレはエルフの王都を奪還した立役者として、田中に大々的にプレゼントされたもの。

 初めて見た時、田中はファンタジー離れしたそのシルエットに感動し、とんでも無いモノを貰ったと喜んだ。普段は図々しい癖に、本当に良いのかと何度も確認した程だ。


 だが、セーラから言われたのは「そんなモンに乗る奴が居ない」の一言。


 この世界のバイクはあくまで『娯楽』なのだ、いっそハンググライダーのソレに近い。


 なにせエルフが一人移動するなら魔法を使った方が早くて安全だ。勿論、エルフにだって魔法を使えぬ者は少なくないが、魔法が使えねばバイクの魔力に呼び寄せられる魔獣に対処不能である。

 なにより運搬能力が無い。荷物を運ぶなら魔導車で良いとなってしまう。


 なるほど確かに、バイクと言うのは地球でも趣味性が高い乗り物だった。でも、だからこそ欲しがる奴は少なくないのでは?

 田中がそう水を向けると、これだけ国が傾いているのに、趣味もクソも無いと言われてしまう。


 なるほどと納得した田中だが、彼にとってはこれ以上無い実用品だった。


 なにせ、田中は体が大きい。

 馬に乗ったら馬の方が参ってしまう。田中の体重に加えて野営道具一式を背負ったらマトモに走らない。

 仕方無いので馬に荷物を持たせて田中は歩くのだが、途中から田中が馬を引っ張る始末。

 田中はこの世界の馬が地球より遅いのかと訝しんでいる程である。


 だが、実の所、地球の馬と大差は無い。

 田中がイメージする馬は競走馬であり、時速60キロ以上の速度が出るが、普通の馬であれば40キロ程度が限界。


 どちらも荷物も無い短距離での話で、長距離はと言うと馬の旅でも一日に50キロも走れば立派なもの。

 そんな中、田中は荷物を担いだ状態でも一日に100キロは優に走破してしまう。


 馬鹿な! と思うだろうが、こと超長距離走となると人間は下手をすれば馬より早い。

 例えば江戸時代の飛脚は一日に130キロ超を走破したと言う。


 一方で普通の馬は一日に100キロなんて走ってはくれないのだ。


 そんな田中にとって、馬なんざ要らないとなるのは当然。

 傭兵として護衛任務などもあったので乗馬はこなせるが、高い金を出して買う物では無かった。

 ユマ姫との旅だって、最初の内こそ馬に乗ったりもしたが、ユマ姫が風魔法での高速移動が可能と知るなり、とっとと売り払ってしまったりもした。


 だが、そうは言っても疲れるには違いない。

 敵を追い詰めたは良いが、息も絶え絶えでは返り討ちに遭うのがオチ。ピラークとか言うダチョウみたいのでも借りてみようかと田中は悩んでいた。


 と、ソコにバイクだ。田中が色めき立つのも当然。


 いや、理由抜きに、田中はこのバイクが気に入ってしまった。

 マットブラックのカーボンフレームに前輪が二輪で後輪が一輪の三輪バイクは未来的で途轍もなく格好良かった。

 しかも、魔力が濃いピルタ山脈を転がす分には燃費も非常に良い。


 ――ブモォォォォォ!


 しかし、ご機嫌なドライブで快走する前方。向かってくるのは牙猪ギルゴール

 そう、コレこそがバイク最大の欠点。

 魔石で駆動するが故、噴出する魔力で魔獣を呼び寄せてしまうのだ。

 並の兵士では束になっても叶わぬ相手、エルフの戦士でも安全な樹上から射る事が討伐の肝となる難敵である。


 だが……田中はバイクの速度を一切緩めない。


 そのまま、すらりと刀を抜く。


 冴え冴えとしたすぐが反射し、ギラリと冷たい光を放っていた。


 ――ブキョォォォ!!


 その光をマトモに見てしまった牙猪ギルゴールが眩しさに怯んだ瞬間、田中はアクセルを全開に。


 ――ザンッ


 すれ違い様に振り抜いた刀。振り返るまでもない。

 二つに開かれた牙猪ギルゴールの死体を置き去りに、変わらずバイクは疾走する。


「ご機嫌だぜ!」


 田中は悦に入っていた。もう追跡がどうでも良くなる程にドライブが楽しくて仕方が無い。


 だが、楽しんでばかりも居られない。いくつかの谷を越えた先、銀の鎧がきらめく大集団を目撃する。


「なんだぁ? ありゃ」


 取り出したのはふところのオペラグラス。

 これもまたエルフからの献上品。田中の圧倒的な視力と合わせれば、相手から悟られぬ距離からでも一行の正体は知れた。


「王国軍、奴らも帝国の動きに気付いたか」


 鎧の意匠で大体の所属が解る程度には、田中もこの世界に馴染んでいる。

 かといって、やあやあ我こそは田中なりと乗り込んでいくのは気が引けた。


 ユマ姫からの手紙で王国が事実上の同盟関係である事は認識している。


 そして田中自身もユマ姫を救った手柄などで、大変な有名人だとも聞いている。

 それでも写真など無いこの世界、バイクに跨がる異様な風体の自分が乗り込んでも歓迎されない事ぐらい、田中にだって予想がついた。


「さて、どうするか……」


 微妙な味方は下手な敵よりも始末に悪い。

 バイクで捜索するのに彼らは邪魔であった。


 いっそ魔獣に襲われてくれれば、華麗に助ける事で味方だとアピール出来るのだが……


 そんなテンプレ展開にうっすらと期待して、こっそりと様子を窺う事にした。

 一見馬鹿みたいなアイデアに思うだろうが、なにせココは魔獣がはびこるピルタ山脈。田中の狙いはそこまで分が悪い賭けでも無いハズだった。


 登場するなら上からだよな……と、切り立った崖をバイクのフルスロットルで大胆に駆け上がると、そのまま崖上を走らせ崖下の様子を探る。そんな時だった。


 ――何だ? 斥候? しかもこの距離で気付かれたか。


 田中が拾った気配は二人の人間。一人は微動だにせず、一人はコチラの存在に反応するや即座に隠れる動きを見せる。

 考えて見れば当然のこと。崖下を行軍する以上、崖上からの奇襲は最も警戒するべきで、斥候ぐらい出しているのだろうと田中は理解した。


 だったら幸い。その斥候に面通しを願えば良いと切り替える。

 ピンチに頭上から颯爽と登場するプランが崩れたのは残念だが、一対二なら穏便に(力尽くで)話を聞かせる位は訳が無い。

 と、気配のする方向に進むと、森がポッカリと空いた中央。田中の見たモノは果たして地面に転がる生首だった。


「驚いたぜ、ここらじゃ人間が生えてるのか?」

「お前は? タナカ!」


 答えたのは生首、いやよく見れば地面に埋まった人間だった。


「オイオイ生きてるのかよ? ひょっとして岩盤浴って奴か? ダイナミックだな」

「ふざけた事を! クソッ! アレはお前の差し金か! 解った話す。だからココから出してくれ」

「何の話だ?」


 田中には意味が解らない。気配を辿たどれば、見つけたのが地面に埋まった人間なのだから仕方が無いだろう。


「よく見れば、お前、見た顔だな、アイツらの仲間か?」

「よくもヌケヌケと!」


 田中は顔を覚えない。だが、命がけで追い回したノエルと共にあった男の顔とあれば、流石に記憶に残っていた。

 だとすれば、この岩盤浴にいそしむ男は帝国軍情報部第一特務部隊の面子と言う事になる。


 それなりにヤル連中だ。少なくとも田中から逃げ切る程度には。それを捕まえると言うのは相当な手練れ。

 そう、この男の趣味がダイナミック岩盤浴でないならば、生き埋めにされ尋問中だったと考えるのが妥当だろう。では、誰が捕まえたのか?


「出てこいよ、居るんだろ?」


 田中が森に向かって叫ぶ。見つめるは一点。樹上に忍ぶ一つの気配。


「アラ? 見つかっちゃったわ」


 現れたのは豪奢な金髪の美しい女性。


 シャルティア、いやシャリアちゃんであった。


 今の彼女は斥候として目立たない紺色のボディスーツを着ているのだが、体に張り付くデザインは女性らしいメリハリの利いた肉体を強調していた。


 男なら生唾を飲み込む魅惑のスタイルであるが、田中は違うところが気になった。


「アンタどうした? 随分と顔色が悪いじゃないか?」

「……そうかしら?」


 とっさにとぼけたモノの、田中が指摘する通りシャリアちゃんの顔色は蒼白。


 それには幾つかの理由がある。

 マズは魔力に敏感なシャリアちゃんが魔力溜まりのピルタ山脈で魔力酔いを起こしていた事。

 二つ目に、息を潜め、心音すら制御可能な自分の位置をアッサリと見破られた事。


 三つ目、そして何より、一目で田中の強さに気が付いたからだった。



 ――とても勝負にならないわ!



 覚えが無い程の冷たい汗がシャリアちゃんの背筋を伝う。

 修羅の中でしか生きられない彼女であっても、こうも打つ手が無い状況はかつて一度も無かった。


 ……シャルティアは決して無敵の戦闘力を誇る暗殺者ではない。


 真っ正面からの戦いでは騎士一人と切り結ぶのがやっとである。

 そうは言ってもこの世界の騎士はエリート中のエリートであり、朝から晩まで鍛錬を重ねたパンパンの筋肉と、剣術の腕を誇っている。

 そんな相手と持ち前のセンスと動体視力だけで同等に立ち回れるシャルティアの技量は驚異的と言える。


 だが、そんな騎士の中でも選りすぐりのセンスや視力、体格などを持つ近衛兵達と比べてしまうと、シャルティアと言えども分が悪い勝負になる。

 それでも、シャルティアが最強の暗殺者である事に議論の余地は無い。

 なぜなら彼女は負ける状況では決して勝負を挑まないからだ。

 勝てない相手なら、勝てる状況を作る。

 暗闇で、トイレで、寝入った時。


 絶対に勝てる状況でのみ、シャルティアは勝負を挑む。

 勝てる状況が訪れるまでジッと待つ。


 即ち、シャルティアは相手の実力を絶対に見誤らない。


 シャルティアはコレほどに強く、厄介な相手を終ぞ見た事が無かった。


 ――ダメだわ! 逃げる事すら出来ない!


 加えて言うなら、田中とは絶望的に相性が悪かった。

 先程、真っ正面から斬り合えば近衛兵に負けると言ったが、煙幕を張って視界を制限するだけで、シャルティアは近衛兵を圧倒できる。


 それこそシャルティアが最強の暗殺者である二つ目の理由。


 シャルティアは視力に頼らず、魔力と図抜けた聴力での気配察知で相手を正確に捕捉できる。その上で自分が動く時は衣擦れの音ひとつさせないのだからタチが悪い。


 目を瞑っての斬り合いであれば誰にも負けないとシャルティアは自負していた。

 だが、目の前の相手も自分同様、光や音以外の何かで、コチラの位置を正確に補足できるのだと、シャルティアは持ち前の洞察力で確信していた。


 果たして、その確信は的中していた。


 ――随分と強烈な気配をもってるじゃねーの。


 田中はシャリアちゃんの気配に目をみはる。

 一般的に言う気配とは、呼吸や心音、衣擦れの僅かな音、磁界の歪み。

 それらを無意識に感じ取ったモノを気配と呼ぶのだが、田中が感じる『気配』はそんなあやふやなモノでは無い。


 田中の魂が相手の魂と共鳴し、感じる『運命』の強度。


 ユマ姫が引き継いだオルティナ姫の運命視に近い特異な能力である。

 シャリアちゃんの気配、いや運命は、狂乱に満ちた苛烈さを表す様に、尖りに尖った存在として田中には感じられた。


 顔を覚えぬ田中にとっては、何よりの目印。

 煙幕を焚いたところで、見失う事はあり得ない。


「王国の人間だよな? 悪ぃけど、ユマ姫のところに案内してくんねーか?」

「アラ? 私じゃ無く姫様にご用かしら?」


 答えながらもシャリアちゃんは首筋の組紐を緩め、胸元をはだけさせる。敵わない相手とみるや即座に色仕掛けを行う切り替えの早さは流石と言える。


 しかし、その実、全く余裕は無い。


 敵の狙いがユマ姫と聞いた以上、刺し違えてでも阻まなくてはならない。

 覚悟を決めたシャリアちゃんに対し、田中は余裕があった。シャリアちゃんの危険さには気付いていたが、そもそも敵では無いからだ。


「まぁな、ちょっとした昔なじみよ、その前にコイツなんだけどな?」


 田中は剣先で地面に埋まった情報部員を指し示す。


「そうね、でも渡す訳には行かないわ」

「いや? 要らねぇけどよ? 話ぐらいは聞かせてくれよ、コイツが俺が追ってる奴の行方を知ってンだよ」

「追っている?」


 そろそろシャリアちゃんにも事情が飲み込めてきた。潜んでいた帝国の斥候を締め上げている途中での乱入者だったため、当然に敵と決めつけていたがそうでは無い可能性に思い至る。

 だが、埋められても腐らないのが帝国情報部。こう言う時に多少の機転は利いた。


「タナカさん! お願いします! 助けて下さい! 俺アイツにぶん殴られて、気が付いたらこのザマで!」


 田中とシャリアちゃん。二人が知り合いでは無いと見るや、男は離間策に打って出た。


「はぁ? 何で俺がお願いされなきゃなんねーんだよ?」

「……タナカ?」


 しかし逆効果である。

 タナカと言う名前、シャリアちゃんにとっても知らない名ではない。百人からの帝国兵をたった一人蹴散らした男は既に伝説だ。


 ――この男がタナカ? たしかにこの実力なら百人とは言わず……


 シャリアちゃんがそう思ってしまう程、田中は強大に映った。

 確かに今の田中は当時よりも遙かに強い。仕草の一つ一つに自信が漲っていた。刀一本でこうまで変わる人間はそうは居まい。


「アナタがタナカなの? ユマ姫を救った英雄の?」

「英雄のつもりはねーけどよ」


 つまらなそうに田中は答える。死にかけたあの戦いは田中にとって誇れるモノでは無い。刀を手にして二回り上の実力を手に入れた今なら尚更。

 可哀想なのは地面に埋まった情報部員。二人のやり取りに墓穴を掘った事を悟り、焦りながらも破れかぶれに足掻いて見せた。


「いや、解ったよ! ノエル達の場所に案内する! だからココから出してくれよ!」


 惨めったらしくお願いする。しかしコレも計算の内だった。

 彼は帝国軍情報部第一特務部隊のウチの一人であり、主な任務は外の偵察。更には可能ならばタナカを発見した場合、遺跡の最奥までおびき出す事。

 その為には裏切ったフリや、敢えて捕まって場所を吐く事までも許されていた。


 なにせ仕掛けた罠が睡眠ガスと言うのが都合が良かった。案内すると言いながら一緒に罠に掛かろうとまるで問題が無い。彼らなりに作戦を詰めていたのだ。


 まさか姫付きの侍女に昏倒させられ、魔道具で地中に埋められるとは思ってはいなかったが……


 だからココで汚名返上と必死に足掻く。そんな男の必死の申し出を田中はアッサリと受け入れた。いよいよ迷子に飽き飽きしていたからだ。


「つーわけでコイツを掘り出して構わねぇか?」

「あ?」

「そんな奴、生かしておいても何にもならないわ。そう見えてソイツはプロよ」


 シャリアちゃんは情報部員の狙いを概ね見切っていた。

 案内すると言って罠に嵌める。見え透いた手である。大体は自死を覚悟の上での作戦になるが、その位の覚悟はありそうだと地に埋めた男を評価していた。


 実際、睡眠ガスではなく毒ガスだったとしても男は作戦を実行する覚悟があったので、見立ては正しいと言える。


 一方で、どんな罠でも蹴散らすつもりの田中はもどかしい。


「いやいや、俺は早いところ仕事を終わらせてーのよ、ヤベェ予感がプンプンするぜ?」

「コイツを生かしておく方がよっぽど危険よ」


 言いながら、シャリアちゃんはそっと田中に寄り添うと、色っぽく身をくねらせ胸元を強調する。

 しかし田中はソレを無視して土中に手を突っ込むと、ズルリと男を引き摺り出した。


「なっ!」


 引き摺り出された男も言葉を失う。ついでにズボンも靴も失う。土の摩擦を考えれば当然で、下半身裸のままに打ち上げられた。


 地面に埋められた男を引きずり出す。


 当然ながら、人間離れした凄まじい膂力無くして不可能な仕業である。


 ――危険だわ。あまりにも。


 話を聞かない田中にシャリアちゃんは焦燥感を募らせる。


 タナカの名前は有名過ぎて騙りの可能性も捨てきれない。

 加えて今の状況、制御不能な強者は危険に過ぎると判断した。


「もう! 困るわ。止めて下さる?」


 言いながら肩に手を掛ける。軽いボディタッチ。そう見せ掛けて袖から毒針を取り出していた。

 その毒は死苔茸チリアム。名の通った確殺毒だが、今や別の意味があった。


 ――人間界ではユマ姫だけが解毒可能な毒。


 今までより遙かに使い手がある毒として、シャリアちゃんは有効活用していた。


 針先に僅かな量を塗る事で、じわじわと対象を弱らせ、言う事を聞かせる事が可能。


 だが、今回は相手が悪かった。


「刺さらねーよ」


 田中はシャリアちゃんの暴挙を見切っていた。ソレでいて振り向きもせず、刺されるに任せる。それでも特殊繊維で編まれた防刃インナーは毒針を通さない。


「ッ!」


 シャリアちゃんにとってみれば、装備も能力も、全てが規格外の相手。

 同じ強敵であってもユマ姫の様な同類ではなく、ひたすらに自分の天敵なのだと心底ゾッとした。


「ったくヤンチャが過ぎるな」


 田中は左手でグイッとシャリアちゃんの腕を引っ張り体を引き寄せる、ダンスの様に自然な仕草で、お互いの吐息が重なる距離。

 だが伸ばされた田中の右手は腰では無く首筋を押さえる。


 それだけで大きな右手にシャリアちゃんの細い首筋はスッポリと収まってしまう。これは田中にとっては軽い警告。


 しかし、シャリアちゃんは相手の力量を正確に見抜く力がある。

 いや、あり過ぎた。


 それ故に解ってしまう。

 今、田中が少し力を込めるだけで、絞まるどころかアッサリと首の骨が砕かれると言う事実。それを当の田中以上に感じ取れてしまう。


「ハッ、グッ」


 常に死を意識しているシャルティアだが、こうも手の平で転がされるのは初めての経験。

 不安がじわりと心に広がる。……いや、それは不安ではなく……


「なんだよ、そんなにビビるなら初めから仕掛けるなよ」

「グッ」


 恐怖だった。既に顔色は白に近く、体は僅かに震えていた。


 死ぬのは恐くないと思っていたが、何も出来ず、無様に死んで、守るべきモノを守れないのはこんなにも恐ろしいのかとシャルティアは愕然とした。

 守りたいモノが出来る前には、決して感じた事が無い感情であった。


 だが、そんな思いを全くしんしゃくしないのが田中なのである。


「おっかない女かと思ったけど、そうやって震えてると案外かわいいな」


 言われた瞬間、シャルティアの口からギリッっと音が漏れた。

 意識せず、歯を食いしばっていた。殺し屋として積み上げた矜恃を踏みにじられた気がしたからだ。

 恐怖が吹き飛び、蛇の様な目でめ上げるシャルティアの視線は、大の男でも震え上がる程の力を持っていた。


「わりぃ、怒らせたか? でも怒った所も可愛いと思うぜ?」

「…………」


 シャリアちゃんの顔が白から一転、朱を過ぎ、どす黒く染まる。

 視界が赤く染まるほどの怒りがあった。


 そして田中には断じて悪気は無い。


 田中は、魂の感受性が強い。だからこそ、他人の強い感情が刺さりやすい。特にシャルティアの様な尖った運命を持つ存在であれば尚更。


 只でさえヒリつく様な刺激を求めて、自ら死地に飛び込むような男である。殺意を胎んだ感情の爆発は好ましいほど。


 一方で、生と死の狭間、常に激情に晒された結果。

 細かい心の機微は無視する傾向にあった。


 即ち、そう言う意味でもシャリアちゃんの天敵なのだ。表面を取り繕ったお為ごかしや、化かし合いが通用しない。


 一方のシャリアちゃんだが、強過ぎる怒りが限度を超え、却って思考が研ぎ澄まされていくのを感じていた。


 そしてただ、怒りのままに感情と要求だけをヒステリックにタナカに叩きつけることにする。

 それは通常、殺し屋として絶対に許されない禁忌であるが。ソレだけが唯一有効なのだと直感で理解した。


 早い話、ブチ切れた。


「黙れ」

「そう怒るなよ。ちょっと借りるだけ、すぐ返すからよ」


 田中は尚、空気を読まず、へたり込む情報部の男の首根っこを持ち上げる。

 可哀想に男はシャリアちゃんの剥き出しの殺意と怒気に当てられ、既に意識を失っていた。


 シャリアちゃんは取り合わず続ける。


「お前が、ソイツを連れていくと言うなら、私には止められない」

「ンだな」


 田中は頷く。この娘には負けないと、絶対の自信があった。


「だが、お前が勝手をするなら私は死ぬ!」

「え?」


 シャリアちゃんはナイフを自らの胸に押し当てた。

 呆気にとられたのは田中、咄嗟にシャリアちゃんを取り押さえようと手を伸ばすが……


「それ以上動いても死ぬ。触るな下郎カス

「おい、何なんだよ急に」


 田中は狼狽える。強烈な怒りと指向性の無い全周囲の殺意だけがシャリアちゃんから溢れていた。


「急では無い。元から私の仕事だ。いい加減な気持ちで首を突っ込むな」

「……あ、ああ、そうだな」


 田中が折れた。

 珍しい事であり、親から言われた『面白半分で面倒に首を突っ込むな』と言う言葉を思い出したからでもあった。


 田中の悪癖。この世界に来てからは余計に酷い。


 田中としては面白半分どころか全部と言うか、何時だって命を賭けて死ぬ覚悟もあるんだから、好きにやると言うスタンスで生きてきた。


 命が軽いからこそ、何事も雑なのは田中としても否定出来ない部分であった。

 両手を挙げて降参する田中を一瞥して、シャリアちゃんは捕虜へと向き合う。


「黙って見てろ!」

「はい……」


 素直に頷く田中。


 そうして、観客一人の人間解体ショーが始まった。

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