吸血鬼伝説

 俺は禁書庫で記録を読み漁っていた。


 禁書庫と言ってもエルフの禁書庫ではなく、ビルダール王国の、つまり人間の禁書庫である。

 禁書庫と言うとヤバイ技術がてんこ盛りみたいなイメージだが、そんなモンが有るのはエルフの禁書庫ぐらいだ、ってーかアレがオカシイ。

 なんだよ火薬が作り放題って。

 窒素を固定って言ってもさ、空気の80パーぐらいが窒素らしいじゃん?(木村曰く)それって空気を固めて火薬作ってるみたいなモンじゃねーか、どんなチートだよ!


 まぁ良いや。まるで良くないけど! 悩んでも眠れなくなるだけだしさ、スタンガン魔法で寝るのはもう嫌だ!


 で、禁書庫だが、実態は機密ファイルの保管庫だと思って欲しい。機密ファイルと言われると陰謀論者の血が騒ぐがUFOの目撃情報では無く吸血鬼の目撃情報だったりするから、流石のファンタジー世界。


 そんな訳で欠損した体が取り戻せないかと吸血鬼伝説を調べていた。今の俺の立場なら国家機密も見放題。

 するとまぁ出るわ出るわ。出ちゃあイケない記録のオンパレードですわ。機密として封印するのも頷ける。


 まず基礎知識として、この世界でも吸血鬼なんざおとぎばなしの妖怪であった。

 『あった』と過去形なのはそれがある時を境に、現実的な輪郭を帯びてくるからだ。


 ――オルティナ姫の処刑によって訪れた混沌の時代。

 荒れ果てた王都はいつしか悪鬼羅刹がはびこる地獄へと成り果てた。


 そんな下りで始まる伝奇小説は王都に来て以来よく見たモノ。

 日本で言うとアレかな、平安時代? 鬼とか陰陽師とかでワチャワチャしてるイメージ。


 もちろん、俺は吸血鬼なんて信じていなかった。平安時代の鬼だってフィクションだろう?


 オルティナ姫の死後、国が荒れていたのは間違いないだろう。

 そういうときは、ちょっとした流行り病で人が大勢死ぬ。人々の恐怖心や苦悩が幻覚を生み出すのは良く有る話。吸血鬼だってその手の話と本気にしていなかったのだが……


「本当、なのですね……」


 ふぅーとため息を一つ、資料の束をバサリと机に投げ出した。

 当時の衛兵が書き殴ったメモを紐で纏めただけの代物だが、それが逆に説得力を増していた。

 俺達が苦戦したグリフォンみたいな妖獣が、ワッサワサと王都に大量発生したのは間違い無さそうだ。


 その化け物達を調ちょうぶくして混乱の時代を終わらせたのが当時のティタン王、そして彼の息子である四人の王子達だと言われている。

 王子達は競うように魔獣を打ち倒し、それぞれが個性と能力を発揮。協力し合って魔獣を討伐していく英雄譚は人気で、目が肥えた俺ですら面白いと思った程。


 だが資料を読む限り、実際には協力して魔獣を討つどころか壮絶な足の引っ張り合いの記録ばかり。どうやってあのグリフォンみたいなのを打ち倒したのかサッパリ解らない。

 資料に無いと言う事は文官達は本当に知らなかったのだろう。


 ――そこに登場するのが吸血鬼だ。


 その姿は一見普通の人間の様だとある。一方で吸血鬼は数多の妖獣の中でもとびきり粗暴だと記されていて、魔獣と素手で取っ組み合うイラストが禍々しく描かれていた。

 赤髪で牙を生やし、素手で魔獣を組み伏せ喉笛を食いちぎり最後には血を啜る。それ故に吸血鬼の名で呼ばれるようになる訳だが、俺が知ってる吸血鬼とは大きく違う点がひとつ有った。


 血を吸うに止まらず、そのまま貪り食べてしまうのだ。


 グロテスクなその姿を見るだけで、王国の民は震えあがったとかなんとか。


「可愛い様にも見えるのですが……」


 俺は思わずこぼしてしまう。

 吸血鬼の特徴はこうだ。


 『赤髪の長髪を振り回し素手で魔獣と戦い、鋭い牙で血肉を食らう少女』


 まぁ、この世界の人間にとってみれば不吉かも。

 だが、アニメと漫画で育った俺に言わせればカッコイイまである。


『ダークヒーロー感あるよな』


 日本語で呟いたのはダークヒーローにあたるコッチの言葉が見つからなかったから。

 俺がそう思うのも吸血鬼が少女であるからだ。禍々しいイラストも女性と言われれば確かにそう見える。


 なんせ神は言っていた『人間に追い立てられ、最後の一人になった吸血鬼は愛した男と心中した』と。

 魔獣の一種の様に描かれる彼女こそが実は妖獣を討ち倒した功労者だった可能性は大いにある。だとすれば彼女は本当にダークヒーローだ。


 魔獣を喰らうと言うのもコッチの人には不気味だろうが、俺としてはアリ。

 その程度のパンチが効いたヒロインなど、アニメや漫画ではゴロゴロしていたのだから。


 何より嬉しいのが「失ったハズの腕が数日後には元通りになっていた」と言う記述。

 腕が生えてくるなんてただの噂話と覚悟していたのに、公的な資料にそう記載されていれば否が応でも期待してしまう。


 今まで俺は前世の記憶に触れる度にその能力を手に入れてきた。

 記憶と言うのは経験なのだから当たり前だが、赤棘毒蛙マネギデスタルの毒で溺れ死んだパルメスの豊富な魔力みたいに、説明が付かないモノもある。


 元より俺に出来ることは殆ど無い。吸血鬼の記憶を手に入れて身体欠損がどうにかなる可能性があるならそれに縋るしか無いのだ。


「この辺りが怪しいですね」


 分析の果てに俺は地図上に丸を描く。王国内の一地方、ピルタ山脈の麓の村が吸血鬼の拠点とアタリをつけた。

 もとより本を読むだけなら参照権で事足りる。サッと目を通して後は部屋で思い出すのが一番楽だ。


 しかし分析をしながら資料を探すなら図書館に籠もった方が良かった。

 吸血鬼の目撃情報を時間軸に纏め、場所を記述。それらを信頼性でランク分けして足跡そくせきを繋ぐことで、拠点とおぼしき場所を割り出した。

 そうして割り出した場所からほど近い村での怪談話や領主への陳情を漁ってみれば、それらしい記述が頻出したと言うワケ。

 こうなったら後は現地で調査するしか無いだろう、手当たり次第に捜索するなら人手が必要だ。


「面白くなってきましたね」


 俺は図書館で一人、ニヤリと笑うのであった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 フィダーソン老はユマ姫の私室へと招かれていた。

 招かれたと言っても事実上の召喚と言っても良い、ユマ姫は既にこの国で一番の重要人物だからだ。


 フィダーソン老はユマ姫が現れてからの激動を思い出す。


 森に棲む者ザバと言えば少し前までは敵性種族だった。だから帝国が森に棲む者ザバを滅ぼしたと聞いても、帝国を褒めこそすれ怒る者はどこにも居なかった。


 だが森に棲む者ザバの姫が王都に落ち延びるや、森に棲む者ザバの評価は一変した。


 森に棲む者ザバの姫であるその少女はそれ程に美しく、虜になる者が続出したのだ。


 蔑称だった森に棲む者ザバはエルフに呼び名を変え、美しい姫の悲劇の物語は王都を席巻しエルフへの好感度はうなぎ上り、対して帝国へのてきがいしんは燃え上がった。


 調べれば劇も歌もすべてユマ姫自身が仕掛けたモノ、まだ十二歳でしかない少女の手腕に震え上がった記憶がある。


 どんな化け物かと興味を持っては居たが、フィダーソン老にしてみれば、自分から会いに行く程の人物とは思えなかった。

 それは王族の中ではマシな方と後援していたボルドー王子の婚約者に収まった時ですら、老の重い腰は動かなかった。


 ある日、そんな相手が自分のテリトリーである図書館に現れた。


 確かに息を飲むほどに美しかった。図書館の淡い光の下でも輝くような銀髪と、左右で色の異なる銀とピンクの瞳から目が離せない。


 それでも話してみれば賢しげな所も無く、亡国の姫と言う割には思い詰めた部分も無い。


 本当に、本当に掛け値なしに年頃の初心な少女の様にしか感じられなかった。

 だからこそ、当時のフィダーソンは少女の背後に絵を描いている人物が居ると判断し、その正体を新興貴族のキィムラ男爵だと思い込んでいたほど。


 そんなユマ姫がただ一つ、オカシかったのはパラパラと本を捲る速度だけ。

 初めは資料を探しているのだろうと思っていた。

 だが年若い乙女が好む恋愛譚でもペラペラ捲って終わりにしてしまう姿が、些か奇妙に映ったモノだ。


 だが、普段の世間話で気がついた。気が付いてしまった。

 少女はペラペラと捲った書物、その全てを余す所なく記憶していたのだ。


 それを知ったときの衝撃は死ぬまで忘れないだろう。あり得ないのだ、そんな事は。


 だが事実は揺るがない。コレではオルティナ姫の生まれ変わりで神の使徒と言う妄言を信じてしまう者が出るのも頷ける。

 その後の回復魔法の披露、婚約パーティーを経て、終いには婚約者であるボルドー王子の死。


 フィダーソン老は取り繕っていた幼気な少女の器が割れ、中から怪物が飛び出してしまったような恐怖を味わった。


 何の変哲も無い少女の姿は、ただの擬態に過ぎなかった。


 いや、違う。家族を失い、国を追われ。助けてくれた傭兵も殺され、すっかり壊れてしまった少女がなんとか心を癒やし、元の姿を取り戻した矢先。


 ――再び完膚なきまでに破壊されたのだ。


 その痛々しさ、破滅的な美しさと病的な儚さはいっそ磨きが掛かり、不安定な少女は一層目が離せない存在となった。


 トドメはあの公開裁判だ。訴えたのは第一王子カディナール。そしてそこで少女は片腕も失う事になる。しかも、王子の目的は少女の剥製だったと言うのだから、猟奇的に過ぎた。



 まるでマジックだろう。

 『可哀想』と『可愛い』で全ての注目を集めた後。その少女を舞台の上で無残に破壊してみせる。


 しかも今度は我らがビルダール王国こそが少女を傷つけた加害者である。

 その少女が新女王となったヨルミ様の隣でビルダール王国の国民へ健気に笑うのだ、無理が見え見えの笑顔と失われた左手を上げながら。

 国民の全てが罪悪感に胸を焼かれ、姫のためなら命を投げださんとする勢いだった。


 実際に命を投げ出す者も居た。ユマ姫が乗る馬車が一人の浮浪者を轢いてしまい、大怪我をさせてしまったのだ。

 慌てたユマ姫が回復魔法で浮浪者を癒やすべく飛び出すや、浮浪者は衛兵に介錯を願い、命を捨てた。


 ユマ姫の回復魔法が自信の生命力を分け与えるモノと聞いていたからこそ、浮浪者は手を煩わせる前に命を投げだし、衛兵もそれに答えたのだ。

 それに涙するユマ姫の姿は語り草で、浮浪者をたたえる歌すら出来るほど。


 だがフィダーソン老にはコレも仕込みの様に思われてならない。何の信条も無い浮浪者ですらユマ姫の為に命を捨てるのだぞと言う宣伝と圧力だ。

 だが、それをすんなり信じる者が続出するほどには、王都はユマ姫の信者で溢れていた。


 庶民の人気はこの通りだが、上流階級への影響はどうだ? 彼らは上っ面のお涙頂戴には左右されない。


 しかし回復魔法の力で軍部はスッカリ掌握されている。彼らは戦争となれば何の疑いも無くユマ姫の為に死ぬだろう。

 つまりユマ姫がクーデターを起こせば正面から王家の乗っ取りも可能なハズだ。ユマ姫にはオルティナ姫の生まれ変わりと言う大義名分すらあるのだから。


 では歯止めを掛ける役割の貴族は? それすら今となっては骨抜きになっている。


 ユマ姫の回復魔法は貴婦人のシワやシミを治してしまう。

 久しぶりに社交界に現れた婦人の顔が、妙に艶やかに若返っていたらユマ姫が回復魔法で癒やしたと思って間違いない。

 普通なら殺し合いが始まる程の醜い争奪戦が起こる事は想像に難くない。


 だが婦人たちは、あの美しいユマ姫の生命力を譲渡されたのだから若返るのも当然と納得し、ユマ姫の強烈な信奉者になっている。

 それにユマ姫は既に王国の地盤を固めている以上、どんな大貴族と言えども無理は通せない。


 いや、逆だ。大貴族とて無茶が通せない段になって、初めて危険で強烈なカードを切ったのだ。


 そして、最後に女王であるヨルミ様についてだ。彼女はユマ姫と仲が良かっただけで何の地盤も無い存在。ユマ姫の影響力を使ってなんとか政治をしているに過ぎない状態だ。


 事実上、このビルダール王国はとっくにユマ姫に占領されている。


 そんな相手がこの老いぼれにどんな用があるのかと、呼び出された応接間のソファーで身を固くしていたのだが……


「吸血鬼の根城を探し出したいのです、心当たりのある人物はいませんか?」


 やっと現れたユマ姫が言うのは、そんな荒唐無稽な命令だった。

 最近のユマ姫は失った体を補う様に眼帯にフックを身につけている。普通なら痛々しいだけの姿だが、不思議と力強く感じるのはどんな魔法か。


 儀礼用の軍服にも似たジャケットに、物々しいフック。

 可愛らしい顔には眼帯、可憐なスカートと編み上げのロングブーツ。

 相反しミスマッチにも思えるのに、不思議な魅力を持っていた。


 フィダーソン老はいよいよユマ姫が可愛いと可哀想だけでなく勇ましい、にまで手を伸ばしている事に危機感を強めた。


 ユマ姫が国民皆兵として、最後の一人まで帝国と戦えと命令する未来を幻視したからだ。


 だが、その一方で今回の命令は意味不明で狙いが全く見えない。

 この少女が夢見がちに伝説を信じて事を起こすとは思えなかった。


 フィダーソン老はユマ姫の瞳の奥を覗き込む。


「一人、心当たりがありますな。オルティナ姫死後の騒乱期の専門家でして、妖獣などの伝説に詳しい人物です」

「興味深いですね、すぐに会えますか?」


 だからこそ、意味がわからない。

 早速に専門家を紹介すると直ちに吸血鬼狩りが始まってしまった。名目はオルティナ姫の失われた秘宝を取り戻すため。


 そんな秘宝など聞いたことが無いし、どんなモノかも判然としない。


 そんなあやふやな説明で、近衛兵の半分と即日動かせる直轄兵団の三分の一、千人以上の投入を即断する。


 勿論独断、誰の了解もとっていない。


 これほどの規模となれば費用も莫大だ、だが誰も反対が出来ないのは目に見えた。この状況は王国にとって極めて危険だ。

 貴族であっても舐めろと言われれば衆人の前でユマ姫の足を舐めかねない状況。


 ……と、言うよりだ。


「あの、ユマ姫様。この老いぼれに状況を説明して頂きたいのじゃが?」

「作戦目標なら説明したでしょう? 吸血鬼が奪った秘宝を取り返すのです」

「いや、そうでは無いのじゃ」

「? では何です?」


 フィダーソン老がスッと視線を下に移すと、スカートからはみ出した健康的なユマ姫のおみ足が覗いた。


 もうすっかり現役を退いたフィダーソン老とて、ドキリとする景色。


 室内ゆえに硬いブーツは脱ぎ捨てられて、大胆に素足が晒されている。



 いや、しかし、問題はソコではない! そんな事ではない!


 もうそんなレベルでは無く、もっと大胆で異常な存在。ユマ姫は完全に無視して会話を続けようとするが、無理な話である。



 足元で、一心不乱にユマ姫の足を舐めているメイドが目について仕方が無い!

 ブーツを脱ぎ捨てたユマ姫の素足をペロペロと舐めている。


 コレは???????



「彼女は確か……」

「シャリアちゃんです!」


 有無を言わせぬユマ姫の態度。

 カディナール王子の婚約者だったシャルティア嬢に足を舐めさせる事で、裏切ったらどうなるかを見せつけているのだとばかり思っていたが、その割に舐めさせられている本人ばかりが愉悦に浸って居た。


「ぐへへへ……」

「……これは、気にしないで下さい。お願いします」


 ユマ姫は困惑と羞恥が入り交じった顔で懇願してきた。


 なるほど、やらせているワケでは無さそうだ。と言うより清純なユマ姫のイメージからこんな見せしめは逆効果でしかない。

 そもそも、舐められすぎたユマ姫の足裏はふやけきっており、薄くなった皮からは血が滲み始めている。


「おいちい! おいちい!」

「痛い! 山羊責めなの?」


 それでも舐め続けるシャルティア嬢。


 コレではどっちの見せしめなのか解らない。おそらく初めから見せしめなどではなく、好きで足を舐めているのだろう。

 アレだけプライドが高く、貴婦人の中の貴婦人と言われたシャルティア嬢が見る影も無く床に這いつくばり、ライバルであったユマ姫の足を舐めることに生き甲斐を見いだしている様は異様に過ぎた。


「ユマちゃんしゅきぃ」


 シャルティア嬢は舌先で足の指の間はおろか、爪の間までねぶり尽くしていた。


「んあっ!」


 時折ユマ姫が切なげな声を上げるのがなんとも悩ましい。見てはいけないモノを見せつけられている。とても現実の光景とはとても思えない。


 ユマ姫の魅力はココまで人間を壊してしまうのかとフィダーソン老は恐れを抱くのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 私、ネルネは洗脳されてユマ姫の命を狙う間者に仕立てられてしまった過去がある。

 幾ら不可抗力とはいえ、暗殺となれば一族郎党死刑が当たり前。それが命を助けられ、今まで通り働けるとはユマ姫の温情に感謝をしなければなりません。


 今まで森に棲む者ザバとのハーフとして、愛されずに育ったと思っていました。だけど、私を引き取った宰相様が自らの進退すら賭けて私の助命を嘆願したと聞いて涙したものです。



 私、案外みんなに愛されていたのかも。



 そうやって自分に自信が持てる様になったのですが、行軍に同行するのは流石に怖いです。


 なんせ、私が乗る馬車の周りは騎士達がグルリと取り囲み、勇壮な蹄の音と振動が鳴り響いているのですから。


「スゴイ! 速い!」


 私は馬車から窓の外を見つめて歓声を上げます。


 いえ、馬が牽いていないのですから馬車とは言えないでしょう。

 コレは魔石で動く魔導車なのです!


 エルフの技術で作られたモノで、速度も騎兵と足並み揃えて進軍が可能な程、これだけの速度と言うのに振動も少なく、キュイーンと鳥みたいな鳴き声がするぐらいしか欠点がありません。

 もーたー音と姫様は言っていますがそんなに気になる程では無いので最高の乗り物です、エルフの技術は本当にスゴイと姫様に興奮を伝えます。


「凄いですね! 姫様!」

「ええ、ですが欠点も有るんですよ」


 ……ですが、姫様はそうやって謙遜します。何か欠点があるように私には思えません。そりゃ貴重な魔石を消費するのは痛いですが、貴族が乗ったり軍用に使うには障害にならないでしょう。

 ……そんな事より気になるのが。


「あの、姫様、くすぐったくは無いのですか?」


 先ほどから姫様に後ろから抱きつき、エルフ特有の尖った耳を舐め回している新入りメイドの存在です。


「……くすぐったいですが、諦めています」

「不敬じゃ無いですか! 止めさせるべきです!」


 全く意味が解りません。と、言うかそんな事をして良いのなら私だって姫様を舐め回したいです!

 そう言ったら、頭を抑えて「頼むから止めて下さい」と言われたので諦めたのですが、なぜ新入りのメイドはそんな無礼が許されているのでしょうか?

 端的に頭がおかしいとしか思えません。


「ぐへ、ぐへへ」


 鳴き声は完全に狂人のソレです。美味しそうに姫様の耳をしゃぶっています。正直羨ましいです。

 こんな気ぶりが何かの役に立つとは思えないのですが、姫様は重要な場所にこのメイドを連れ回します。本当に嫉妬でどうにかなりそうです。

 そんな新入りを睨み付けていると、姫様の耳をねぶるのを止め、ピクリと顔を上げました。蕩けきった顔から一転、怖いほどに鋭い視線を窓から遠くに飛ばします。


 そして、再び姫様の耳に口を当てるや何事かを囁きました。


 ソレを聞いたユマ姫が満足そうに笑い。


「確かにその様ですね、いよいよ現れましたか」


 そうやって呟くと、魔導車の屋根へと上がっていきます。


「あの、危ないですよ!」


 私は必死に止めますが、こういう時の姫様は絶対に止まってくれません。


「ネルネも来なさい、良いモノをお見せします」

「はぃぃ!」


 やな予感がしますがこうなってはとても逆らえません。私も屋根へと上がります。


 すると同時にプップーと警笛? が鳴らされ騎兵を含めて全軍が停止しました。そうして現れたのが姫様の腹心であるキィムラ男爵です。


「アレを撃つと聞いたのですが」

「ハイ、魔獣が現れました」


 え? 魔獣? と姫様が指さす方に目をやれば、遙か遠くからこちらに突撃してくるイノシシが一体居ます。

 でも、そのサイズがオカシイのです。距離を考えればちょっとした馬車ぐらいのサイズが有りそうです。


牙猪ギルゴールですか、大物ですな」

大牙猪ザルギルゴールに比べれば可愛く見えますね」


 望遠鏡を覗くキィムラ男爵は牙猪ギルゴールの名を口にします。ハッキリ言って村が壊滅するほどの魔獣の名前に私は慌てました。

 ですが、ユマ姫はそんな魔獣を可愛いと笑うのです。そんな人はこの世にユマ姫ただ一人でしょう。


「アレを使います」

「拝見させて頂きます」


 アレとは何でしょう? と、姫様が取り出したのはジュウと呼ばれる兵器でした。

 帝国が使うジュウよりは小型で、とてもあんな化け物を倒せるとは思えません。

 ですが、キィムラ男爵は信頼仕切った様子で距離を取り、地に伏せるように頭を下げたのです。

 こ、これはトンデモナイ威力なのかも知れません! 私も慌てて魔導車の上で伏せます。

 頭を下げたキィムラ男爵は真面目な様子でユマ姫に何事かを語りかけます。


『衝撃波でスカート捲れ上がってパンツ見えたりしない? むしろ見せて!』


 コレです! この不可解な言語こそが! キィムラ様とユマ様の二人だけ、神々の使徒のみが許された特別な言葉。


 きっと神聖な祈りを捧げる高貴な言葉に違いありません。


『ねぇよ! 誰が見せるか!』


 答えるユマ様の表情もキリッとしていて、神敵への怒りに満ちて見えます。


『派手に行くぜぇ!』


 不敵な笑みと共に呪文を唱えると、光の渦が姫様を中心に舞い上がり、ゴゥッ! と風が吹きすさびます。


「キレイ……」


 私が思わずそう呟いてしまったのも当然でしょう。


 魔導車の上で、真昼の太陽よりも強く輝く光とキュィィィンと響く充填音。途轍もない事が起こる予感に震えます。


 周囲の騎士達も呆然と見上げる者や、うつむいてひたすらに神への祈りを捧げる者など様々、コレから起こるであろう奇跡に胸が高鳴ります。


『ソレ要るぅ?』

『演出だよバーカ!』


 キィムラ様の言葉にも呆然としたモノが混じり、姫様は不敵に笑い返します。

 キィムラ様は不安になったのか、じりじりと姫様への距離を詰め直しました。


『ねぇ、ふらついたりしない? 押さえていようか? おっぱいとか』

『要らねぇよ! まずお前をぶち抜いてやろうか!?』


 物憂げな姫様は、構えたジュウを一転。

 キィムラ男爵へと突きつけます。私はその凶行に思わず悲鳴を上げそうになりましたが早合点でした。


 コレは騎士の肩に剣を当て、叙任する行為と全く同じ。キィムラ男爵のジュウを信頼していると言う意思表示に他なりません。


 ジュウを当てられたキィムラ男爵は決意の固さを悟ったのか目を伏せすごすごと距離を戻し、ユマ姫は再び銃に魔法を込め、更に強い光がジュウへと集まっていきました。


 そして仕上げの呪文を唱えた後、姫様はゆっくりとジュウを構え直し、既に近くへと迫っていた牙猪ギルゴールへと照準を合わせます。


 魔獣が迫っていると言うのに、騎士達は戦うでもなく道を空けました。


 きっとあらかじめ命じられていたのでしょうが、姫様への絶対の信頼を感じます。



 ……そして。



『死ね!』



 短い言葉と共に放たれた弾丸は、恐ろしい威力を持っていました。

 ゴゥ! と風が舞い。顔を背けたと同時、――パァンと何かが弾ける音。

 恐る恐る覗いてみれば……


「うそっ!」


 アレだけ頑丈に見えた牙猪ギルゴールの巨体が倒れ伏しています。

 それだけではなく、その内臓が飛び散るグロテスクな光景。

 突き出たイノシシの鼻先が無くなって、逆にえぐれて大穴が空く様子は不気味さと同時、神への恐怖を抱いてしまいます。


 ですが二人は飄々とした様子で会話をなさっていて流石です。



『コレが魔法と銃を組み合わせた威力かよ! エグいね』

『魔法とは言えないぐらいに単純な方法でさ、コイル状の回路で風の道を作って、中で弾丸を加速しただけ、まだまだ無駄が多いな』

『そうだな、俺、衝撃波でちびるかと思ったし。あ、パンツは見えました。ご馳走様です』

『え? 嘘ッ!』


 何事か、姫様は慌てた様子で下半身を押さえます。何かトラブルでしょうか?

 一方でキィムラ男爵は両肘を押さえる動作で頭を下げ、最上級の敬意と礼を返すのですから対照的。


『紐パンマジで履いてくれるとは、感謝感激の至り』

『うぅ、履くんじゃ無かった』


 顔を赤くして恥ずかしがるユマ姫は珍しく、可愛らしいモノでした。何か失敗したのでしょうか。


 それを励ますようにキィムラ男爵はユマ姫の肩に手を置きました。


『……あの、ホントは全く見えてなかったんで改めて見せてもらって良いですか?』

『はぁ?』


 呆気にとられるユマ姫様の表情は可愛いのですが、何なんでしょう?


 その後、貴重な弾丸を容赦なくキィムラ男爵に打ち込む姫様。そしてキィムラ様に空いた肩の銃創を渋々治す姫様の姿が魔導車にはありました。


 コレが世に言う神の試練なのでしょうが、凄く痛そうだったので私は良いかなと思うのでした。

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