舞踏会

「ユマ姫、どうか僕と一曲踊ってくれないかい?」


 小腹を満たし、別室からダンスホールに戻った俺はそんな風に声を掛けられた。


 ――ざわり、と周囲がどよめく。


 声の主は、それこそ見た目から王子様然としていた。


 歳の頃は二十の半ば、金髪碧眼で白い上着にブルーのズボン。生地は光沢を放ち、装飾には金糸がふんだんに使われている。


 そして何より外国の姫扱いの俺を形式上、様付けで呼ぶ必要がない人物は限られる。


「えっと……?」


 俺は可愛く小首を傾げ、挨拶を促した。


「これは失礼、挨拶がまだだったね、バルコニーでお披露目する時に紹介する予定だったから、とっくに名乗ったつもりでいたよ。僕の名前はカディナール・ラ・ゼルト・ビルダール、ここの第一王子さ」

「そう、……だったのですね」


 見た目通り王子様だった、しかも第一王子。次期王に最も近い存在。

 だとしたら愛想良くしてご機嫌を取らなきゃならない相手の筆頭と言える。



 ……が、気に食わないッ!


 優し気な眼差しに柔らかい表情で、一見柔和な印象を受ける王子。


 だが俺は騙されない。


 頭が空っぽの貴族のお嬢様はそれで参ってしまうのだろうが、今生とオルティナ姫の二度のお姫様生活の記憶に加え、情報化社会で生きていた高橋敬一の記憶も訴える。


 笑顔は笑顔でも、相手を陥れようとする嫌らしい裏の顔が張り付いているのがハッキリと見て取れる。

 優し気に取り繕った目の奥には、ドブ底の様な腐った物が詰め込まれ悪臭を放っている。


 コイツは駄目だ、コイツだけは信用出来ない。


「それでどうかな? それとも僕と踊るのは嫌かい?」


 優しい物腰だが、それゆえに嫌らしいし、その考えも透けて見える。


「まさか、婚約者のシャルティア様を差し置いて最初のダンスの相手に誘うのか?」

「王子はご乱心か?」


 集音で聞くに、周りの貴族はこの誘いの意味に気が付いて居ない。馬鹿ばかりか。

 しかし、気が付いた者もちらほら、俺の侍女にしてシノニムさんもその一人だ。



「カディナール王子、ユマ姫は王都に着いたばかり、ダンスは愚か曲目すらご存じありません。今日の所はご容赦願います」



 そう言って頭を下げるシノニムさん。


 彼女もまたドレス姿で舞踏会に参加している。


 同じ侍女とは言えネルネは完全にメイドさんだが、シノニムさんはどっちかと言うと付き人みたいなモノで「末席とは言え貴族の身分も持っています」との事だった。


 と、言うか俺の立場を考えれば侍女として下級貴族の娘が送られてくるのが普通で、行儀見習いみたいな立場で平民のネルネが送られてくるのは、普通だったら怒っても良い案件なんだと。


 ま、俺にもシノニムさんにも都合が良いので文句は無いが。


「へぇ、でもおかしいな、ユマ姫はオルティナ姫の生まれ変わりなんだろう? 舞曲の一つや二つ、いや、僕より得意でもおかしくないと思うんだけどな」


 王子はそう言って嗤う。嫌らしい事この上ない。


 そもそも、交流の無い外国の姫を招いて初っ端から舞踏会ってのが酷い。


 以前には王への謁見と聞いていたが、王都に来る直前になって「皆がユマ姫に挨拶をしたいと言っていて――」と舞踏会に変わっていた。


 シノニムさんも、「曲も知らない異国から来た姫に舞踏会など開いても、壁の華になるしか無いでは無いか」と憤っていた。

 勿論、今回はご勘弁頂くと言う段取りで納得して貰い、俺は踊らないと告知していたので誰も俺が誘われる事は無かったのだが……



「そうか! オルティナ姫と言うなら王族として古典舞曲は知っていて当然!」

「踊れない時点で偽物、そう言う事ですな」

「こればかりは知識を幾ら詰め込んでも形になりませぬぞ」


 集音魔法を使うまでも無く、沸き立つ貴族たちの声が聞こえて来る。

 其れを聞いて悔しそうに顔を歪ませるシノニムさんを押しのけ、俺は前に出た。


「ではサルートンは如何でしょうか?」

「へぇ、踊れるのかい?」

「!? 姫様?」


 俺の言葉に、王子もシノニムさんも驚く。


 それも無理はない、ビルダール王国の古典舞曲の一つサルートンは、激しい転調と、早いテンポのステップ、トドメにリフトと言った派手な動きも特徴だ。


 とても素人に踊れるモノじゃないし、下手をすれば怪我をするのは女役として振り回される俺の方。


「よし、良いだろう。オイ!」


 そう言って、王子は執事に言って曲目を伝えた。


 ……速やかに曲調が変わる。

 サルートンの調べ、最初はゆったりとした始まりだが、間もなく激しい戦いを思わせる転調を果たすハズ。


「では踊って頂けますか? ユマ姫」

「喜んで」


 そう言って俺は意地悪王子の手を取った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「嘘でしょう!?」


 私、シノニムはホールの真ん中で踊る二人を見て驚きの声を上げる。

 私だけじゃない、楽士たちが奏でる舞曲をかき消す程に動揺の声がさざめきとなって広がった。


「完璧じゃないか」

「美しい!」

「何と絵になるお二人か」

「ユマたんハァハァ」


 ……若干、謎の声が混じったが、変わり者で通った王都の商人だった。


 兎も角、ユマ姫の踊りは完璧。日頃の寝ぼけた様な態度やヨタヨタとした動きは鳴りを潜め。今はリズミカルな足さばきを見せている。

 ……まるで人が変わった様、そう思った時、ゾクリと背筋に冷たい物が走る。


「オルティナ姫!」

「正にオルティナ姫の再来なのでは?」

「ま、まさか!」


 そう思わせる程のダンスの冴え。病気により盲目となったオルティナ姫だが、そうなる前はやんちゃな姫だったと伝えられている。

 盲目となった後も、体を動かす事を好んだがどうしてもやれる事が限られる。


 その中でこの社交ダンスは数少ないオルティナ姫の楽しみだった。ユマ姫が真にオルティナ姫の生まれ変わりなら、得意も得意で当たり前なのだ。


 だが、それでは本当にユマ姫がオルティナ姫の生まれ変わりと認める事になる。


「まさか、本当なのですか?」


 自然と口をつく、アレだけ信じると言っておきながらコレだ。

 我ながら嫌になる部分があるが、私はリアリストだ。ましてやお伽噺や夢物語を信じる歳じゃない。

 生まれ変わり、そんな物が本当に有ると言うのか? いやそれこそ何らかのエルフの秘術なのか? 考えても答えは出ない。


「オイ、なんだ?」

「ふらついてるぞ!」


 思考に沈んだのは一瞬、その間に誰かが声を上げた。


 まさか姫の体調がいよいよ崩れたか!?


 と注視すれば足元が覚束ないのはむしろ王子の方。

 何故? 王子だって社交ダンスはしっかり叩き込まれている筈、それに相手役のユマ姫は小柄で体重は軽い。リードするのに負担は無いはずだ。


「なっ!」


 理由を求めて踊りの細部を見ると気が付いた。ユマ姫は相手に思い切り体重を預けている。

 時には勢いさえ付けて、飛び掛かる様に体重を預ける。あれでは王子の負担は相当な物だろう。


 と言っても見苦しく嫌がらせをしている訳では無い。


 一歩間違えれば大怪我をするのはユマ姫の方なのだから、逆に余程相手を信用していないとあの様な事は出来ないのだ。


 そして、もし王子がしっかりとユマ姫の体重を支えていれば真に華麗な舞踏となる筈。つまり姫は何一つ間違っていない、恥をかいているのは王子の方だ。

 恐らく王子は普段、身長の釣り合う相手に気を使われながら踊っているのだろう。

身長が格段に違う相手に大きく動かれれば対処が出来ない、所詮王子はその程度のダンスの腕前と言う事だ。


 だが、危険だ。このままでは一歩間違えば大事故になる。


 そしてその予感は現実になる。

 曲はいよいよ激しくなり王子の顔にも玉の汗が浮かぶ。足取りは益々怪しく、ふら付き始める。そこへ持たれ掛かる様に勢い良くユマ姫が体重を預けに行く。

 その時だ。


――ベチャリ


 ユマ姫が大理石の床に倒れ、潰れた様な音がした。


 「ヒッ」と思わず悲鳴を上げたのは、私自身かそれとも他の誰かか、誰もが呆然とし曲も時間も止まったかに思われた。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ゆったりとした曲が流れるホールで、壁際の椅子に座りユマ姫様は脚をブラブラとさせていた。

 その足首は痛ましい程に腫れ上がり、紫色に変色している。


「なんであんな無茶を!」

「とりあえずコレでもう動かなくて済むでしょう、運動したので少しお腹が減りましたね」

「ネルネ!」

「は、ハイィ!」


 私が怒鳴るとネルネは軽食を取りに飛んで行った。


「そんなに怒る事無いでしょう? 婚期を逃しますよ?」

「もう逃しています! そんな事より、何故あんな無茶を?」

「解っているでしょう?」


 そう言って、椅子に座ったままこちらを見上げる目はゾッとする程冷たい。


 姫の言いたい事は解る。それはコレだけの怪我にも関わらず、辞去せずにホールに居座っている事から明白だ。

 ユマ姫は膝を抱え、紫に腫れた足をプラプラと見せびらかす。

 これは王子に対する嫌がらせだ。その上で同情まで集めようとしている。それほどまでにあの王子が気に食わなかったのか。


 ……しかし、解る気がする。


 私もあの王子はいけ好かない。

 私もそう人生経験が長い訳では無いが、性格の捻じ曲がった人間とは悲しい程に縁が有る。


 アレはその類だ、碌な物では無い。

 私の思いを悟ったのか、満足そうに姫が微笑む。


「あの王子はいけません、それが第一王子と言うのはむしろ運が良いと言えますね」

「何がです? 危険なだけでは?」

「第一王子と言う事は、安定を望むでしょう? イレギュラーの塊である私が邪魔な筈、蹴落とすのに気兼ねせず済みます」


 ゾッとする声。この少女はこれだから底が知れない。

 何時もはのんびりと間抜けの様にも見えるし、楽しい事が有れば無邪気に笑ってみせる。能天気なご令嬢と言った雰囲気で、確かに姫と言われても納得出来る品が有る。

 が、それが突然に邪悪な笑みを浮かべ、不気味で不吉な事を言う。

 馬鹿の様で、突然に賢くなる、上品なのに突然下品になる。


 この多面性は何なのか? エルフではこれが普通なのか?

 答えは見えない。

 今だって、この腫れなのだ、痛くない訳は話無いのに平然としているのが却って怖い。


「もっと派手に、顔にでも怪我をすれば良かったかも知れませんね」

「冗談でしょう!?」

「本気ですよ? 傷物にされたと言えば上手く抑え込めたかも知れません」

「……最悪、消されますよ?」

「覚悟の上です、そうですねシノニム、この足の関節を外してくれませんか?」

「……何を! 何を言ってるんです!」


 意味が解らない、恐怖で手先が冷え、声が震える。

 手鏡を取ってくれと言わんばかりの気軽さで放った言葉が「この足の関節を外して」だ。私が恐怖に駆られるのも無理はないだろう。


「そう、では自分でやります」

「えっ?」


 ――グリッ


 ユマ姫は抱えていた膝を降ろし、腫れた足を地面に付けた。それだけでも痛々しいのに、あろう事かそのまま足を捻ってしまう。


「え? なんで? えっ?」


 変な方向に曲がってしまった姫様の足を前にして、取り繕う事も出来ず、自分のではないみたいな声が出た。


「こんな! 酷い! 下手したら歩けなくなりますよ!」

「それ! 良いですね。常に椅子に座ってプレッシャーを掛けましょうか」


 そんな他人事みたいな! と声を上げる前、姫の足を触る私の手に、ポタリと何かが落ちた。

 えっ? と見上げれば跪く私を見下ろすユマ姫と目が合った。


 ――ユマ姫の顔はびっしょりと脂汗に濡れ、その目は血走っていた。


 痛いのだ、痛くない訳は無い。大の男だってのた打ち回る様な痛みに違いない。

 なのに! なのに! 姫は笑っている。


 ――狂ってる!


 その一言を飲み込むのに多大な精神力を必要とした。

 パクパクと口を動かすだけで、何も言えない私を他所にネルネが軽食を手に戻って来た。


「ユマ姫様、サンドイッチとギットの実って果物を持って来ましたー ……って、さっきより腫れてるじゃないですか!」

「ええ、どんどん腫れて来てしまって」

「そんな! 流石にお医者様に見せましょう」

「でも今はなるべく多くの人の名前を覚えたいのです」


 何をぬけぬけと、と思うがともかくネルネに先程の様な狂気は見せたく無いらしい。


「でも、でも」


 慌てるネルネだが、こうも腫れてしまうと冷やすぐらいしか無いだろう。

 そこに、一人の男性から声が掛かった。


「ユマ姫が怪我をしたって聞いたけど、本当かい?」


 優しい声色、だがユマ姫様はバッサリと切り捨てる。


「ええ、でも手当は結構です、部屋に帰ったらエルフの薬を使おうと思っていますから」


 勿論これはユマ姫の嘘、身一つで王都に来ているのに薬など有る筈無い。包帯やギプスで隠さずに腫れ上がった足を見せつけているのだ。


「そうか、でも兄がしでかした事だからね、怪我を確認したいんだ」

「あなたは?」

「僕はボルドー・ラ・ヴィット・ビルダール、第二王子でアイツの弟さ」


 そう言って、先程のカディナール王子を指し示すが、……似ていない。


「あの、本当に?」


 失礼にもそうやってユマ姫が聞いてしまうのも無理からぬ話、髪の色も瞳もくすんだ茶色で全く違う。だがネルネや周りの慌てた反応から間違い無さそうだ。


「よく似て無いって言われるよ、地味だってね。母が違うんだ、腹違いって奴だよ」


 そう言う第二王子のボルドー様は確かに地味な王子だった。

 ブラウンのジャケットにモスグリーンのズボンと言う配色からして地味だし、装飾も殆ど無い。

 顔も見た目は美男子だったカディナール王子と違って、肌はニキビ跡で凹み、頬骨も張り顎はガッシリとして朴訥とした印象だ。

 控えめに言ってもカッコ良くは無いだろう。


「一応、医学も齧っているからね、見せて貰っても? ああ、こりゃあ酷いな」


 確かに王族と言うよりむしろ医者と言う風情、あの王子の弟と言うが、兄と言う方がしっくり来るほどに落ち着いて居る。


「こうも腫れてしまうとテーピングも難しいな。湿布を巻いてなるべく負荷を掛けないようにね」


 そう言って、王子は松葉杖を侍女の私に渡してくれた。


「肩を貸すよりはこっちの方が歩きやすい筈だよ」

「いえ、ユマ姫様は私がおぶって部屋までお連れしますので」

「ははっ、そうか、ユマ姫は女の子だもんな。ワンパクだった僕とは違うか」

「いえ、ずっと侍女と一緒に行動する訳ではありません、助かります」


 そう言ってユマ姫は王子に薬を塗って貰ったりしながら話を重ねて行く、ユマ姫様はボルドー王子には好感を抱いた様だ。


「では、本当にこの国に危機が迫っている?」

「はい、それを伝える為にオルティナ姫として生きた記憶が蘇ったのだと。小さい頃は異国の姫として生きたぼんやりとした記憶が有るだけでしたが、この国に来てハッキリと思い出しました」

「確かに、あのダンスを見たけれどアレだけ踊れる森に棲む者ザバが居るとは驚きだね、ルワンズ伯の尋問も切り抜けたとか?」

「ええ、本当にオルティナ姫の記憶が有りますから、当然です」

「そうか、オルティナ姫の予知により見通せる、この国の危機か……」


 考え込むボルドー王子、その姿に不安を覚える。何か心当たりが有るのだろうか。


「いや、実は最近親父の体調が優れないんだ?」

「親父? ビルダール王がですか?」


 ユマ姫が尋ねるが、コレは余り突っ込まない方が良い話ではないだろうか?


「まぁね、あんなに元気だったのに最近は寝込む事が多いんだよ、今日も来ていないだろ? まだ五十前だ、少しばかり気に掛かる」

「それは……心配ですね」

「ああ、一応これは秘密と言う事になってるから注意してね」

「はい、気を付けます」


 ……マズイ、どう考えても国が荒れる兆候にしか聞こえない。何より怖いのがユマ姫がニヤリと笑った様に見えた事だ。


「だから、僕は君の言葉を信じるよ。何か有ったら僕に知らせてくれないか? この国を守るためならなんでも協力するよ」

「はい、頼らせて頂きます」

「ハハッ、とは言っても地味で才気の無い王子だと評判で、味方も少ないから期待し過ぎないでね」

「ふふっ、ではご負担とならない程度にお願いします」

「お手柔らかに頼むよ」


 そうして王子は去って行った。その背を見つめるユマ姫の眼差しが獲物を狩る猟犬の様に見えて怖かった。


 その後、第一王女や第二王女とも挨拶したが、無難な会話に終始した。これで会っていない王子は第三王女のみとなる。

 第三王女は変わり者の王女としてダントツに人気が無く、公式の場にも姿を見せるのは稀らしい、噂には聞いていたが本当に出席していないとは驚きだ。


 ともあれ、舞踏会は終わった。後は帰るだけだ。


「ユマ姫様、おぶります」

「いえ、折角ですからボルドー王子に貰った松葉杖で帰ります」

「そんな! 余計に足を痛めます」

「私に王子の好意を無にしろと?」

「そんな事は王子も言っていないでしょう?」


 必死で説得するも、こうなるとユマ様はテコでも動かない。結局杖を頼りに足を引き摺る様にホールを出て行く。


 その時、姫はチラリとホールで所在なげにしていたカディナール王子に一瞥をくれた。

 目が合った王子は俯いて目を反らし、顔を真っ赤にしている。恥をかかせるつもりが恥をかいた。顔にそう書いて有る。

 女の子に、仮にも一国の姫に怪我をさせた事よりも、自分の恥が大ごとなのだ、取り繕った化けの皮は簡単に剥がれた。どう考えても碌な人間ではない。


 だがそんな事に怒るよりも、理不尽なのはユマ姫だ。継承順一位の相手をああも虚仮にして良い訳は無い。

 足を引き摺る様子は痛々しく、見ているこっちが辛い。パフォーマンスにしても行き過ぎている。

 ホールを出て、幾つかの角を曲がり。這うように階段を登り。やっと人目の付かない廊下に出た。


「ああ、もう誰も見ていません、もうパフォーマンスは十分でしょう!? お願いですからおぶわせて下さい」


 私はそうやってユマ姫様に願い出る。だが、あろう事か姫は想像も付かない行動に出た。


「そうですね、もう良いでしょう」


 そう言って、投げ渡して来たのは杖。体を支える松葉杖だ。

 そうして、ピョンピョンと軽やかなステップで廊下を跳ねて行く。


「馬鹿っ! なんで? そんな!」


 私はパニックになって奇声を上げながら、ユマ姫の足元に滑り込んだ。

 ユマ姫が痛みに強いのは解ったが、それだけに酷い無茶だと思った。


 本当に足を壊して再起不能になろうとしている様にしか思えなかったのだ。


 ……だが。


「え? なんで?」


 足の腫れはすっかり引いていた。滑らかで綺麗なおみ足がスラリと地面についている。


「治りました」

「まさか!」


 冗談ではない、全治一か月? 骨が折れていれば三か月。下手をすれば一生モノの怪我になってもおかしく無かった。それが数時間で治る訳は無い。

 呆然していると、トタトタとネルネも駆けて来て、蹲って姫様の足を見る。


「え? ホントに治っています。どうしてですか?」

「エルフの秘術です」

「そんなものが! えーっと、私には使えません……よね?」

「解りませんよ? 習ってみますか?」

「本当ですか! お願いします。実はおとぎ話の魔法に私、ずっと憧れてて!」

「ふふっ、私の特訓は厳しいですよ」

「望む所です!」


 そんな能天気な二人の会話が異世界の物の様に聞こえる。あり得ないだろう、あんな怪我が一瞬で治るなら街の医者はみんな廃業だ。


 ――魔法。


 精々が魔道具と同じ事が徒手で出来る。その程度かもと思ったが、違う。


 あの日、馬よりも早く走りながら自ら発光するユマ姫の姿を思い出す。

 不気味な言葉、人ならざる雰囲気。狂った目つき。


 何かの間違いでも、見間違えでも無かった。


 私が王都に連れて来たのは本当に森に棲む者ザバの、エルフの姫なのだろうか? もっと何か別の、恐ろしい何かを招き込んでしまったのではないだろうか?


「シノニム、何をボーッとしているのです? 置いて行きますよ」


 振り返ってそう言うと、ユマ姫は悪戯が成功した子供みたいな無邪気な笑顔で、踊る様に軽やかに廊下を歩いてみせるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る