狂気の侵食

「あ、あああああ、ああああああ!」


 俺は悪夢にうなされ、豪華なベッドから飛び起きた。


「こ、ここは? 何処?」


 寝ていたのは天蓋付きの豪華なベッド。しかし見慣れたエルフの文明による物では無い。


 今は、……夜?

 ガラス窓の外は真っ暗だ。


 ここは何処だ?

 クソッ記憶が! 混濁している!


 丁度、前世の魂の記憶を取り込んだ時のよう。頭にかなりの負荷が掛かっていたに違いない。


「参照権」


 俺は薄暗い部屋で一人呟く。実際は呟く必要も無い、無いのだが気持ちを切り替え、覚悟を決める為、敢えて呟いた。


 …………


 お、思い出した……そうだ……田中が……


 ……死んだ!


 俺は慌ててベッドのサイドテーブルを探る。

 そしてランプの横、大事そうに添えられた、歪んだ黒い針金を手に取って抱きしめる。


「う、うう、あああああ」


 俺は谷底で田中の死体を見つけた。


 あの高さから落下して、元々が人間だったと信じたくない程に損傷した姿だった。


 ほくろや歯並びなんかで判別がつくかと思ったが、そんな生半可な姿じゃ無かった。結局は体格と服、なにより潰れた顔に埋まったこの眼鏡が決め手。


 信じたくは無かったが、信じざるを得なかった。


 俺は結局また、田中を巻き添えに殺してしまった。


 ……いや、違う。前世じゃ俺は自分の不幸が他人を巻き込むなんて、思っても居なかった。


 だが今回はそれを知っていて、それでもあいつを巻き込んだ。

 全ては俺の復讐のために。


 結局、俺はアイツを身代わりにしてでも、自分が助かる為に田中を味方に付けたんだ。

 それも、国を追われた哀れなお姫様の立場を使ってだ!


 そうすれば、田中の事だ。おいそれと俺を見限る事など出来ないと見越しての行動だ。


 ……結局は俺の正体からなにから、田中にバレバレだったみたいだが、全てを知った上、それでも俺を守ってくれた。


 思惑通りに行ったぞ?

 笑えよ俺! 笑えよユマ姫様よぉ!


「くぅぅ!」


 笑えない! 笑える筈が無い、結局の所、覚悟が無かった。


 まるで漫画やゲームの主人公みたいに強くなった田中なら、俺の偶然にも負けず、俺を守ってくれるんじゃないかと、都合の良い希望を押し付けた。


 それで死んだ。無残に死んだ! あんな状況、俺なんて置いて逃げれば良かったんだ。


 あのとき俺は吐いて、泣いて、死体を引き上げる事も出来ず、埋めた。


 形見と言えるのはこの歪んだ眼鏡だけ。金目の物は財布は勿論、セレナの形見のブローチだって何処を探しても見付からなかった。


 帝国兵の残党、もしくはたまたま居合わせた山賊に、死体を漁られた可能性が高いとシノニムさんは言っていた。


 それらと出くわすのは余りに危険と、シノニムさん達はすぐに撤収してしまった。その時の俺は茫然自失で、ロクに抵抗も出来なかった。


 妹の形見は、それらしい逸品が市場に出回るか監視してくれると言っていたが、その価値を知らなければ話題になるとは限らない。


 そもそも、ブローチから宝石を外されたりしてしまえば、もう見つける事など不可能だ。


 結局残されたのはこの歪んだ針金だけ。


 その後の俺は、それこそ壊れていた。


 茫然自失のまま、促されるままに乗った馬車が向かったのはスフィールの隣、ネルダリア領の領主の館だ。

 領主のオーズド・ガル・ネルダリアとも面会したが、すっかり壊れた俺は、気の無い相槌を返すのみ。


 ショックによる精神的退行も見られるとかで、病気療養の真っ最中。

 ……あれから何日経った? 五日? 六日? 参照権を使っても、意識を失っていた時間が長く、正確な日付が解らない。


「ハァハァ、こ……ろす、殺すぅぅ!」


 問題は感情の制御がまるで利かない事だ。

 先程までは胸が締め付けられる程に悲しかったと思ったら、今度は腹が煮える様に熱いのだ。


 全ては勝手な勘違いが原因だった。

 シノニムさんが言うには、帝国やグプロス卿は、魔力を動力にした車を狙って俺達を襲撃した節があると言うのだ。


 確かにエルフの国に魔力で動く車はあるが、魔獣を呼び寄せてしまうのでとてもじゃないが気軽に使える代物じゃ無い。


 しかし、俺の魔法と田中の足は早過ぎた。

 足跡を辿れば、高速の移動手段があるに違いないと思われてしまった。


 そんな勘違いで、田中は殺されたのかよ……


 殺したい! スフィールの領主、グプロス。そそのかした帝国情報部の奴らもだ!


 そして何より自分自身をぶっ殺したい。


「くそぅ……くそぅ!」


 しかし俺は結局のところ、ベッドの上で唸る事しか出来ないじゃないか!クソッ! どうすれば良い? セレナと田中、仇を取らなきゃいけない相手が二人に増えた。


 なのに俺の『偶然』は俺の周りの人間から殺していく。こうしてネルダリアに居るだけでネルダリアの人間を殺しているかもしれない。


 でも、俺が殺したいのは帝国やそれに与する奴らだ。なのに実際には俺の周り、味方してくれる人から殺しちまう。


「殺しちまえよ」


 俺の中の誰かが言った。


「全部、全員、目につく限り殺しちまえば良いじゃないか」


 そうだ、セレナが死んだ時、俺はそう思っていたはずだった。


「それともなんだ? 殺しちゃ困る人間でもいるのか?」


 居ない。

 そうだ、セレナが死んで、全部殺そうと思っていたのに。


 田中だ、田中が居る世界なら、悪く無いかと思えてしまった。でも駄目だ、やっぱりこの世界は俺から奪うだけなんだ。


「思いつく限り、スカっと全員殺せばいい。失敗して、死んじまっても別に構いやしないだろ?」


 そうだ、俺は、俺は……


 この体に詰まった臓腑の中、渦巻く怒りが熱を帯びる。

 じっとりと額に汗をかき、浅い呼吸の中、得体の知れない力が混ざる。


 魔力だ。

 今の俺の体には魔力が渦巻いている。


 霧の影響で、かき消されたハズの魔力。それがハッキリと戻っている。


 ……それどころか。


 俺はベッドサイド、歪んだ眼鏡の横に置かれていた魔道具に飛びつく。

 派手なティアラ、俺の秘宝、最後に残った唯一の秘宝だ。


健康値:45

魔力値:472


 高い。今まで見た事もない程に。


 渦巻く魔力、たかぶる原因はコレだ。しかしこの胸の奥から湧き上がる魔力の原因はなんだ?

 その時、視界の端、大きな鏡に映った自分の姿に違和感を覚える。


「『我、望む、この手より放たれたる光珠達よ』」


 放った光の玉は一つ。


 控えめな光を放つ筈が、強い光で部屋中を照らした。


「白い、いや銀か、元に戻った?」


 俺の髪、ピンクに染まった髪が幼い頃の銀髪に戻っている。片目はいまだピンクだが、それも少し薄まったかの様に見える。

 魔獣の肉を食べた事で過剰な魔力に侵され、俺の体は変質した。何日も寝込み、大きく健康値が削られた。余剰魔力が体内で結石みたいに固まって、体を圧迫していると診断された。


 今度は逆だ、濃密な霧で生命活動さえ危うい程に魔力を奪われ、精神的ショックで何日も寝込んだ。

 今や変質した体は元に戻り、凝り固まった魔石から溶け出した魔力が溢れ出している。


 魔力値が上がっているのはきっと一時的なもの、溶け出した魔力が無くなったらここまでの数字は出ないはずだ。


「じゃあ、今やるしかないだろ」


 俺は何時の間にか着せられていた、可愛らしいパジャマを脱ぎ捨て、下着姿でクローゼットに向き合う。


「全部フリフリしやがって」


 俺の為にわざわざ用意したのだろう。

 可愛らしいドレスばかりの中から、少しでも動きやすい服を選ぶ。

 選んだのはフリルがひらひらするミニスカート。

 だが短い分、動きやすいに違いない。


 ここ数日、侍女たちに着せ替え人形にされていた記憶が参照権で雪崩れ込む。

 ロングスカートの大半は、マトモに動けたものじゃない。

 エルフのドレスは大半がロングスカート。それでも纏わりついて動きを阻害する事が少なく、今更ながらに優れた物だと思い知った。人間の服ではそうはいかない。


 しかしスカートが短ければ、走れる。


 だが、生足を晒して駆けるのか? 論外だ、下草や枝に足がズタズタに切り裂かれるだろう。

 そこでお嬢様らしく、シルクっぽいストッキング。

 と言うにはちょっと厚めか? そいつに足を通して完了だ。


 部屋の端には元々の旅の荷物が袋一つに纏められていた。

 あれも半分は田中の遺品だ。手放したく無いとギュッと抱えていたのが良かったか。


「自殺行為かな、でも行かないと収まりそうにないんだ、ごめんな」


 誰ともなしに謝る。内からこみ上げる感情が、最早制御出来そうに無かったのだ。


「ああ、もう全てを殺したいんだ」


 俺の中の誰かが叫んでいた。

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