悲しみと絶望と
「以上が、わたくしめがここに居る理由で御座いますユマ姫様」
「そう……」
カフェル、いやシノニムは、自らの事情をかいつまんでユマ姫に説明した。
自分は隣領を治めるオーズド伯の差配で、スフィールにスパイとして潜り込んでいた事。
グプロス卿と違い。オーズド様には、すぐにでも姫様を王都へとお送りする用意がある事。
そこまではユマ姫も納得してくれたようだが、今すぐにこの死地を脱し、隣領へと脱出する事に、どうしても首を縦に振ってはくれなかった。
「では? あの護衛、タナカと言う男の帰りをここで待つと言うのです?」
「ええ、私は彼と約束しました、ここで待つと」
「しかし! 姫様は怪我をしている! 一刻も早くちゃんとした場所で治療をすべきです」
ユマ姫の顔色は悪い。シノニムも森の中より様子を窺っていたが、ユマ姫が矢傷を受けた時は息を飲んだ。
あまりに深い傷。帝国兵と衛兵で戦いが始まれば、密かに飛び出し救い出すつもりで居た。
実際は、
「いいえ、もう傷はありません。魔法で治しました。生憎とこの霧の中では実演する事は出来ませんが」
「まさか! 魔法とはそんな事まで?」
女性であるシノニムがユマ姫の腹部を確認する。
血が滲みこんで穴が開いたドレスと、可愛らしいおへそをべっとりと塗らす血痕こそ有れど、水で拭き取ればそこには傷跡一つ存在しない。有るのは透き通る様な青白い肌だけ。それは病的に白い肌だった。
「しかし! それでもユマ姫様のお体はとても正常とは思えません」
「それは、この霧のせいです、この霧の中、エルフの健康は大きく阻害されます」
「でしたら! それこそ早く! 我々と脱出するべきです」
シノニムが大きく声を上げれば、ユマ姫はその顔を辛そうに歪め、震える手で自分の体を抱きしめた。そうまであの護衛を見捨てたく無いらしい。
ユマ姫とタナカと呼ばれる護衛。
その間に何があったのか?
シノニムには知る由もない、ないのだが。
ついつい、ユマ姫とかつての自分を重ねてしまう。
あの日に抱いたオーズドへの淡い思いが感じられてしまう。
「解りました、タナカを探しましょう、ユマ姫様は歩く事が出来ますか?」
「いえ……少し厳しいかも知れません。なるべく早く探したいのです、申し訳無いのですが背負って頂けますか?」
シノニムは部下に姫を背負うように指示を出す。
シノニム率いるネルダリア諜報特務部隊は僅かに四人。
初めは六人居たのだが、二人は報告に戻らせている。
一人がベアードと名乗る男を歩かせて、一人が姫を担げば、自由に動けるのはシノニムを入れても二人だけ。
まだ帝国兵が残っている可能性を考えれば心許無い人数だ。
この人数ではもしもの事態に対応出来ない。
シノニムは爪を噛む。
何の因果か知らないが、ユマ姫に係わる全ての勢力が一斉にゼスリード平原に集合してしまった。
まるで誘蛾灯に引きつけられるように。
あまりにも不確定要素が重なりすぎていた。
一刻も早く姫には納得して頂き、すぐにでも帰還するべき状況。
シノニムはベアードを恫喝する。
「オイ! タナカが落ちたと言う崖まで案内しろ!」
「イタタァ、解りましたよ! そんなに腕を締め付けないよう言って下せえ! 急いだって危ない事なんてなにもありゃしませんよ。なにせ一人残らずくたばっちまった」
すっかり覇気が感じられないベアードだが、それでもシノニム達は油断なく霧の中、森を掻き分け進んで行く。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここから? ……落ちたのですか!?」
呆然と崖下を覗き込むユマ姫の顔色は蒼白。カタカタと震える歯の根と肩が痛ましい。
ベアードの案内する崖。
来てみれば死体が散乱し、壮絶な死闘の跡が窺えた。
しかも死んだのはこんなモノではないと、かなりの人数が崖下へ落とされたと言うのがベアードの証言。
――たった一人で? それだけの人数を道連れにしただと! 化け物か?
シノニムの額に冷や汗が滲む。
ここまでやればむしろ出来過ぎだ。帰りを待つより立てる銅像の心配でもした方が良い様に思えてしまう。
「話を聞くに、タナカは、彼は素晴らしい戦士だった様です。様々な戦場を見て来ましたが、一人でこれ程の戦いは聞いたこともありません」
そう言って姫を慰めようとするのは、諜報部一の古株の男性だ。年若いシノニムのサポートのためにと配属された男だった。
そんな歴戦の猛者の慰めも、姫には届かない。
「いえ! まだ! まだです! 彼は! 彼は特別なのです! 死んだと決まった訳ではありません!」
認めたくない一心。
シノニムには姫の表情はそう見えた。実際ここまでの実力が有る戦士だ、信じたくなるのも無理はない。
「仕方ありません、ここまで来たのです。崖下を探しましょう」
「隊長!? 無駄です! それに帝国の別動隊と遭遇したら、我々も無事では済みません!」
「それでもです。ネルダリアの、いえ、ビルダール王国の存亡がかかっています、今はリスクを取ります」
シノニムの決断は若手部員(それでもシノニムと同年代だが)が声を上げる程に危険な物だった。
しかし無理矢理にユマ姫を拘束し攫うなら、帝国と何一つ変わらない。協力を得る為に話をしたいのだから、敵対は絶対に避けねばならなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうして行われた崖下の捜索、しかし見つかるのは死体のみ。それも身元すら解らぬ程に損傷した死体ばかりだ。
原因は高さと地形だ。
まず高さは少なくとも1デル(約100m)は有った。
シノニムの感覚で言えばその半分でも生存は絶望的。
加えて地形。
落下点は切り立った難所だった。キツイ斜面や転がる大岩。殆ど同じ場所から落ちたと言うのに、死体は方々に散乱していた。
それでも何とか歩を進め、ひとつひとつの死体を検分する。
しかし、あまりの難所にユマ姫を背負う隊員が先に音を上げた。
少女を背負ってこんな場所を歩けはしない。捜索は打ち切り。
そのはずだった。
「歩け……ます!」
しかし、ユマ姫は意地でも探索を続けようとした。
崖下は霧が薄かったのも幸いし、ふらつきながらも歩こうとする。
見るからに辛そうで、青白い顔が一向に晴れないのは、霧だけの所為ではないだろう。
そうしてまた一つ、新たな死体が見つかった。
……見つかってしまった。
「見せて下さい」
なにせ、そのたびに原形を保たぬ遺体をユマ姫は必死に検分するからだ。
グチャグチャの死体が、変わり果てたタナカでないかと怯えながら。
シノニムはその背中の痛ましさに、直視する事が出来なかった。
他の部隊員もそうだ。
タナカの死体を見つけるつもりで来て居るのに、死体を発見した時に、内心でも喜べなくなっていた。
そんな永遠にも近い苦痛の時間も、
やがて終わりが近づいた。
「あと調べて居ないのはこの下ぐらいです」
「そうですか……」
そこは崖下の更に下。ぽっかりと斬り込まれた様な谷間がそこに有った。
もし崖の真下ではなく、その谷間へと落ちていたとするならば、剣士タナカの落下距離は1デル(約100m)では済まない。
更に下の谷底へ、合計して一気に2デル近くを落下した事になるだろう。
これほどの高さ、一息に落下出来る特異な場所がゼスリード平原にあったのかと、そんな驚きすら覚える高低差。
もしもこの下に落ちたなら、死体は挽き肉になっている。
グチャグチャに千切れた肉片を必死に寄せ集めるユマ姫を想像するだけで、痛ましさにシノニムは血の気が引いてしまう。
しかし、それでも少女は諦めなかった。
「降りる場所を探してください」
「……解りました」
崖下を見つめる少女の目は虚ろで、今にも飛び降りてしまいそうに見えたのだ。
もう止めてくれと思いながらも、叫びを飲み込むしかシノニムには出来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうして遂に一行は薄暗い谷底で、一つの死体を発見する。
黒いマント、ジャケットにパンツ。
何より奇跡的にある程度の原形を保ったその巨体……
巨体は潰れ広がってしまっていたが、全てはタナカと呼ばれた黒衣の剣士の特徴とピタリと一致した。
してしまった。
「…………」
ようやくの発見。
なのに、誰も喜べない。
「アレだアレ! 間違いねぇ、あのタナカって男の格好に間違いねぇよ」
いや、違った。
手を打って喜ぶ男が一人。
シノニムは弾んだ声を上げるベアードをぶん殴りたい衝動に駆られたがグッと堪えた。
「お待ちを! 我々が先に確認します」
シノニムはふらふらと死体に近づく少女の肩を抱く。
この高さだ、うつ伏せとなった背中こそ普通に見えても。顔は潰れ、見るに堪えない姿に違いないのだ。
ユマ姫を必死に押し留め、まずは部下に確認させたのだが、死体の顔を見た瞬間。慣れた筈の彼らの表情さえも引き攣っていく。
碌な状態じゃないと確信するも、耳打ちする隊員の言葉に耳を傾けた。
「そんなに酷いのか?」
「戦場を経験した者でさえ、二、三日は悪夢にうなされる事請け合いですよ。年頃の少女に見せて良い物じゃありません」
「しかし! それではあの子は納得しないでしょう!」
「それでもです! 同盟どころか、ただ話を聞くのだって、あの姫が気を違えちまっては意味が無いでしょう」
「……それ程、ですか?」
「ええ、悪い事は言いません。
それを聞いてシノニムはキツく歯を食いしばる。誤魔化すなど出来ないだろう。
無理矢理攫うなんてしたくないとタナカの遺体を捜したのに、いたずらに少女を傷付けるだけの結果になりそうだった。
「誤魔化されなどしませんよ! 確認します。よろしいですね?」
思いがけぬ強い調子の固い声。
少し離れ、ジッと死体を見つめるユマ姫だった。
あの距離で? あの耳打ちが聞こえた?
シノニムにはその手妻が解らない、だが決意は固い事だけは解ってしまった。
茣蓙で隠した死体の傍で、少女は死体を隠そうとする部隊員へと詰め寄った。
「見せて下さい!」
「え? いやそれは?」
こちらを窺う部隊員に、泣きそうな顔でシノニムは命令を下す。
「見せてあげて下さい」
「は、はい」
「……ユマ姫様、お気を確かに」
シノニムの命でゆっくりと茣蓙がまくられる。
見るに堪えないその死体。
まだ幼い少女は必死に調べた。
服、マント、そしてグチャグチャに崩れたその顔面、そこに埋まった歯の一本一本まで。
その時だ、何かを見つけた少女が、ハッと立ち上がる。
「あ、ああ、ああああ!」
奇声を上げ、そして走った。しかしすぐに足がもつれ、地面に転がり蹲った。
「ぐぇ、あぅ……ガッ! グッ! ゲェェ」
そして吐いた。
無理もない、むしろ今まで気丈に頑張り過ぎたのだと、その場の誰もが唇を噛み締めた。
そんな中、シノニムは少女に近づき、その小さな背中を必死に撫でた。
彼女はすっかり少女とかつての自分を重ねあわせた。あの日、自分には振り下ろされなかった鞭が、振り下ろされてしまったのがこの少女だとすら思えてしまう。
「大丈夫ですか? 姫様! 今度は! これからは私がユマ様を守ります! だから! 気をしっかり持って下さい、彼の為にもです」
その思いが伝わったのか、少女はシノニムに抱き付き、そして泣いた。
「うぅ……あああぁぁぁぁ」
わんわんと子供の様に、いや、子供らしく少女は泣いた。それをシノニムは、吐しゃ物が付くのも構わず抱きしめた。
「やはり彼が、タナカだったのですね……」
「ヒッ……く」
泣き止んで、それでも止まらぬしゃっくりを抑え、少女は首を縦に振る。
黒尽くめの大男の潰れた死体。その歪んだ顔に埋まっていたのは細長く黒い鉄。
それは少女とその護衛だった男が二人、メガネと呼んでいたアクセサリーが、無残にひしゃげた姿であった。
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