死憶の異世界傾国姫

グプロス卿の野望

　時は少し遡る。

　ユマ姫から面会依頼を受けたシノニムは、すぐにグプロス卿に報告に向かった。

　やって来たのはスフィール城の執務室。

　ギラギラと輝く調度品に大理石の床、特注のソファーは大きく柔らかで、部屋の主は弛みきった体を沈めソファーと一体化させていた。

　グプロス卿その人である。

　グプロス卿はシノニムを隣に座らせると右手で肩を抱き、ねちっこく話し掛ける。

「ほぅ、森に棲む者（ザバ）の姫を名乗る少女が、ワシに会いたいと？」

「ええ、ピンクの髪に大きな瞳。何と言っても特徴的な長い耳、少なくとも人間では無いでしょう」

　シノニムはチラリと嫌そうな顔で、自らの右肩に掛かる丸っこい指を見つめるが、仕事だと切り替えて報告をした。

　それを聞いたグプロス卿は部屋の奥、暗がりへと声をかける。

「ふぅむ。ギデムッド老！　確かにあなたの言うユマ姫の特徴と一致しますなぁ」

　呼ばれてぬらりと現れたのは、枯れ木のような老人がひとり。

「ヒヒヒッ、恐らく森に棲む者（ザバ）のユマ姫、本人で間違いあるまい」

　ギデムッド、そう呼ばれた顔は深い皺が刻まれ、重ねた年齢を感じさせた。

　上半身を杖で支え、節くれ立つ指は弱々しい。だが目深に被ったフードから覗く眼光だけはギラギラと輝いて見えた。

「しかし相手は森に棲む者（ザバ）の姫。影武者と言う線も有るのでは？」

　グプロス卿の心配も尤も、だがギデムッド老はそれを一蹴した。

「王や、王妃、よしんば王子の影武者なら兎も角、王女の影武者など用意する筈が無いじゃろう。ピンクの特徴的な髪と色違いの目、王都を攻め滅ぼされてから用意するなど不可能だ」

「早すぎると言えば、森に棲む者（ザバ）の王都からスフィールの距離を考えれば、それこそ本人とするには動きが早すぎるのではないですかな？」

「フン、忘れるでない。相手は化け物、我々の知らない移動手段が有ったとしてもおかしくは無いだろう、魔力で走行する馬車も有ると聞いておる」

「ほう！　そんな物まで」

　グプロス卿が身を乗り出す。

　それはそうだ、数日で大森林からスフィールに移送出来るなら物流革命がおこる。

　卿が大の馬車好きなのを差し引いても施政者として心が躍る。有り体に言えば金の匂いがプンプンした。

　と、ソコで大事なことを思い出す。

「いやしかし、姫はここスフィールに徒歩でやって来たとある、シノニム、違いないな？」

「は、はい！　それに森に棲む者（ザバ）の姫と言う割に、護衛に付いていたのは妖獣殺しと言われる人間の大男が一人だけ、森に棲む者（ザバ）の護衛はどこにも見当たりませんでした」

「ふぅむ？」

　やはり騙りでは？　森に棲む者（ザバ）の少女を姫と仕立てた詐欺師に思える。

　しかし、ギデムッド老は首を振る。

「ユマ姫の情報は広まっておりませぬ。我々しか知り得ない情報。よしんば知り得たとして特徴的な森に棲む者（ザバ）の少女、短期間で用立てるだけで難しい」

「む、確かに。しかしですぞ？　森に棲む者（ザバ）には恐ろしい魔法があるという。身一つでひとっ飛びにこのスフィールまで魔法で飛んで来たと言う可能性はありませんか？」

「ならばスフィール経由で王都まで大回りするはずありますまい？」

　ギデムッド老の言葉に、確かに、と皆が頷く。

　そんな魔法で単身乗り込むのなら、山脈越えルートで直接王都に向かった方が早い。

　移動手段が馬車だからこそ、街道が使えるスフィール経由を選んだと考える方が自然。

「では、ギデムッド卿は魔石で稼働する高速馬車が存在し、それでユマ姫がやって来たと？」

「まず間違いありますまい。実は長年、存在だけは確認されておるのです。今までは一台たりとて手には入らなかったのだがの」

「おおっ！」

　帝国が調査済みと言うのなら、ソレは確定情報だ。

　グプロス卿は腹を揺らして喜んだ。

　……言うまでもない事だが、ユマ姫はそんな馬車など持っていない。

　しかし、二人が言う魔石で動く馬車はエルフの王都に実在していた。

　『魔導車』と言われている。

　形状はそれこそ現代の自動車に近い。

　だが長距離の移動にはピラークと言う恐鳥（リコイ）の一種や、地竜（クーツァ）と言うトカゲの魔獣に曳かせる事が多く、魔導車の数は少ない。

　理由は幾つかあるのだが、大きなものは二つ。

　ひとつは大森林の道路事情がそれ程良くない事。

　ふたつ、なにより魔導車から漏れる魔力で魔獣を呼び寄せてしまう事だ。

　大牙猪（ザルギルゴール）のような大型の魔獣に襲われたら、馬車などはひとたまりもないし、小さな魔獣でもいちいち討伐していれば立ちゆかない。

　ピラークや地竜（クーツァ）ならば、多少の悪路でも踏破してくれるし、その巨体を恐れて魔獣は殆ど寄って来ない。魔導車よりよっぽど便利と言う訳だ。

　大通りを大人数で進むキャラバンには魔導車も使われてるが、普段使いできるモノでは無い。

　だがそんな事をこの二人は知らない。

　ユマ姫はただひたすらに、スフィールまでの道のりを突っ走った訳だが、そんな非常識は予想だにしない。

「だとすると、スフィールに徒歩で来ていると言うのはどう言う事だ？」

　グプロス卿はシノニムに問う。

「ハ、ハイ。北門の責任者のヤッガランさんが受付を行っています。間違い有りません」

「ふーむ、スフィールの近くで預けて来たか？」

「申し訳ありません。そこまでは……」

　実のところ、シノニムは少女が本当に姫などと、露ほども信じては居なかった。

　たとえ偽物としても森に棲む者（ザバ）には違いない。今の状況なら話を聞いて損は無い。そんな判断で面会の約束を取り付けたのだ。

「恐らく、馬車を守るためにザバの護衛は近くの村に残したのでしょうな、無駄に騒ぎを大きくし人間を威圧する事もない。懸命と言えるでしょうな」

　ニヤリと笑うギデムッド老に、グプロス卿も笑いが止まらない。

「ならば簡単だ。護衛と姫は頻繁に連絡をとっているはず。後を付ければよいだろう」

　皮算用では有るが魔導車とその技術が手に入ると思うと、馬車に一家言あるグプロス卿はやに下がる。

　そうなると下手な人間には任せられない。

「オイ、奴らに人は付けているんだろうな？」

「勿論です、三人ほどで監視させています」

　シノニムは当然、ユマ姫に監視を付けていた。

　満足そうに頷くグプロス卿だが、ギデムッド老には気がかりが一つ。

「姫の護衛は妖獣殺しと言ったな？　そやつはタナカと名乗る黒尽くめの大男かね？」

「ご存知でしたか、その通りです」

　シノニムは頷く。アレほどの大男はそうは居ない、ニセモノではないだろう。

「ふぅむ、奴が護衛と言うなら益々かの姫が本物である公算が高まりましたな、人間離れした男として、帝国では名が売れております」

「噂に聞いたのですが、帝国で騎士爵の叙勲を蹴ったと言うのは本当で？」

「ええ、それも元々森に棲む者（ザバ）の王家と繋がりが有ったとすれば腑に落ちる。なに、ご心配には及びません、奴を殺して名を上げたい人間に心当たりがありますのでね」

　ギデムッドは深い皺を歪め、物騒な笑みを浮かべた。

　彼は帝国の大森林侵攻だけでなく、ユマ姫の特徴、そして田中の異常な戦闘能力に関してもしっかりと把握している。

　それもそのはず、ギデムッド老の正体は帝国情報部の幹部が一人であったのだ。

「そんなに注意せずともたった一人でしょう？　我々でどうとでも処理出来ます」

　だが、グプロス卿にはそんな老人が、たった一人の男を気に掛ける理由が解らない。

　戦いは数、どんな剣豪でも取り囲んでしまえばどうしようも無い。それが卿の常識だ。

　しかし、ギデムッド老は首を振る。

「タナカの強さは異常のひと言、卿ならば自慢の騎士団であたるのが良いでしょうな」

「いや、まさか」

　たった一人を相手に騎士団を動かせなど無茶苦茶だ。それにグプロス卿の配下の騎士団は素行が悪い。

　とてもじゃないが、暗殺や誘拐など、隠密行動に向かない連中だった。

「ほう？　しかし下手を打ってユマ姫を殺さないようにお願いしますよ」

「それは、もちろん」

　頷きながらも、グプロス卿は首を捻る。

　この老人はなにかとユマ姫の身柄を要求してくるからだ。その理由がわからない。

　ソレを訊ねても、老人は不気味な笑みではぐらかすばかりだ。

「そうと決まれば、後はグプロス卿に掛かっておりますな。良い報告をお聞かせ下さると、期待していますよ」

「これはこれは、ワシも頑張らねばなりませんなぁ」

「では私はこのあたりで」

　ひとしきり二人で笑い合うと、ギデムッド老は席を辞し自室に帰っていく。

　そう、自室だ。

　このスフィール城に彼は自室を持っていた。

　王国領主グプロスはこの老人の正体を知っていながら、客人として扱っている。

　言うまでもなく背任行為。

　彼が出て行った扉を見つめながら、シノニムが呆然と尋ねる。

「本当にあの方を信じて良いのでしょうか？」

「何を今更、全ての情報がヤツの言葉が真実だと告げているでは無いか、このままじゃ我らは破滅だぞ？」

　帝国が森に棲む者（ザバ）の国に大侵攻する、その計画をあの老人から聞いたのは一年程前の事。

　戦争の準備など他国から見て隠しきれる物では無い、王国の情報部だってその動きには気が付いていた。

　当然この前線の都市スフィールは緊張に包まれるが、そこに帝国の情報機関の幹部を名乗るあの老人が現れ。

「これはあくまで森に棲む者（ザバ）の国へと戦争を仕掛ける準備、邪魔をするな」

　と釘を刺しに来た。

　普通なら信じない。

　油断を誘って背後から刺す気だろうと糾弾する。だが卿とて世界の中心と言われるスフィールの領主。

　物流、噂、人の流れ、全ての情報が帝国は我ら王国に攻める意思無しと判断するしかない。

　侵攻の予兆を感じさせぬ程に情報収集で差を付けられているとすれば、それこそ端から勝負にならない。

　どちらに転んでも、敵対するべきではないと判断した。

　（元よりやっていた反戦運動で、たっぷりと資金も情報も景気良く払ってくれるのだから笑いが止まらん)

　そんな考えだったグプロス卿だが、帝国が本当に森に棲む者（ザバ）の国を落とせるとは信じて居なかった。

　それほどに、帝国は何度も大森林侵攻を何度も失敗してきたからだ。

　しかし、今回に限って成し遂げてしまった。

　（まさか、本当に勝利するとは、ブラフかと思えばどうやら本当、いや？　姫の事も含めて全てがあの老人の仕込み。その可能性すら有るか？）

　シノニムに森に棲む者（ザバ）の少女の面会を許したのも、ギデムッド老の話の裏を取る為。

　森に棲む者（ザバ）の情報は今や最大の関心事となっていた。

　（だが現れるタイミングが都合が良すぎる、全てがあの老人の作り話、壮大な嘘。その可能性も考えておかなくては）

　グプロス卿は僅かな可能性まで疑っていた。

　現に森に棲む者（ザバ）へ勝利の報で、帝国側に寝返ろうとしている自分が居るからだ。

　それほどに森に棲む者（ザバ）の国を落とした意味は大きい。今の帝国は得体が知れない強さがあった。グプロス卿にして、その強さの源泉が知れない。

　グプロス卿は唸るが、これ以上考えても答えは出そうに無かった。

「なんにせよ、奴らの事は逐一報告してくれ」

「ハッ！」

　シノニムは音がしそうな敬礼をして、部屋を出て行った。

　――翌々日

「それは本当か？」

「はい、これがその現物となります」

　卿が受けた報告は二つ。

　彼らは超高純度の魔石を、惜しげもなく魔道具屋に売り払った。高純度の魔石は高性能な魔道具の作成に欠かせない物で、そうそう出回る物では無い。

　そして酒場では、大衆の前で帝国の非道を語って見せたと言う。

　全てが帝国情報機関の仕込みだとすればリスキーな行動だ。

「この魔石が、普通流通しないレベルの高純度と言うのは本当なのか？」

「間違いありません、こちらをご覧下さい」

「む？」

　そこに有ったのは見慣れた壁掛けのランプ、いや魔道具だ。

「直接見ないで下さい、目を傷めます」

　シノニムはそう言うと、そっと魔石を入れ替えた。

「うっ！」

　魔石を入れ替えるや、魔道具は太陽の様に強烈な光を放つ。高級品を揃えたつもりが、今まで故障していたと言われれば信じてしまう程に圧倒的な光量であった。

　バチン

　しかし、弾ける音を残して魔道具は光を止めてしまう。

「今のは？」

「魔道具の方が魔石の放つ魔力に耐えられない、それだけの純度と言う事です」

「…………」

　卿には言葉も無い。

　コレほどのお宝を持っているとは、ユマ姫はいよいよ本物か。そう思えてならなかった。

「それにもうひとつご報告が、馬車の事です」

「何か解ったのか？」

「酒場で工作員に接触させました、どうやら馬車は壊れてしまったと。その為、代わりの足を探しているとの事です」

「辻褄は合うな、他の護衛は修理の為にその場に残り、人間の街では目立たない様、人間に護衛を任せていると言う事か……」

　グプロス卿は唸る。

　あまりにもギデムッドの言う通り。

　ココまで来たら、魔導車は手に入れたも同然に思えた。

　が、彼らのオーダーはあくまで姫の身柄なのだ。魔導車よりも優先度が上と言う事になる。

　それがグプロス卿にはどうしても解らない。

「会談は明日か？」

「はい、準備は整っております」

　グプロス卿の質問に、シノニムも緊張の面持ちで答えた。

　初めは偽物と決めつけて簡単に考えていたシノニムだが、どうにも風向きが怪しい。

　もし一国の姫を迎えるとなれば相手が化物と言われる種族でも、それなりの対応をしなければ王国の恥となる。

　だがシノニムの準備と、グプロス卿が求める準備は全く異なっていた。

「姫をその場で確保したい。ズーラーを呼べ」

　ズーラーはグプロス卿の懐刀。

　拉致や略奪、裏の荒事を取り仕切る男だ。

　グプロス卿は本気で姫を拐かそうとしている。

「ほ、本気ですか？」

「無論だ。向こうから来てくれるのだ逃す手はない」

「しかし！　彼らはこの会談を酒場で吹聴しています、帰らぬとなれば噂になるのは避けられません」

　慌てるシノニムとは対照的に、グプロス卿は笑顔で諭す。

「心配は無用だ、そんな小さな噂などすぐに吹き飛ぶ。森に棲む者（ザバ）の姫の身柄を手土産に、いよいよスフィールは帝国の一員とさせて貰うのだからな」

「本気……なのですね」

　蒼白になるシノニムと、楽し気に呵々と笑い出すグプロス卿がどこまでも対照的。

　この執務室で世界を揺るがす陰謀が渦巻こうとしていた。