ゲイル広場

 門の責任者ヤッガランさんの案内で、俺達は城塞都市スフィールへと足を踏み入れる。


 ファンタジーを象徴する憧れの城塞都市。

 城門の詰め所は薄暗く、圧迫感のある場所だった。

 灯されたランプの光は頼り無く、何度となく魔法で明るくしてしまいたい衝動に駆られたものだ。


 しかし、変に威圧するのも本意ではなく、我慢していたワケよ。


 それだけに、アーチをくぐり広場に出た時はその開放感に胸がすく思いがして、身の安全も忘れて駆け出してしまったほど。


 城塞都市と言うと整理された街並みを想像していたが、様々な屋台がひしめいて、思ったよりも雑然とした異国情緒溢れる光景だった。


 俺はご機嫌に広場に踏み出し、キョロキョロとあたりを観察する。


 まず感じるのは匂い。屋台で焼かれる肉やスパイスの香りはエルフの街では無かったものだ。


 次に、人々が着る服が違う。

 砂漠の民のみたいなターバンや、蛮族みたいに毛皮を纏っただけの者まで居る。


 俺のショールで隠した頭なんかも目立つ事はなさそうで一安心。


 ここはまさに、人種のるつぼ。


 文明の集積地と言われるだけの事はある光景。何を見ても新鮮でどうにも浮かれてしまう。この独特な香り、焼かれている肉は何の肉だ?

 田中に尋ねようと振り返ると、少し離れて呆れたように苦笑する田中とヤッガランさんが目に入り、俺は途端に真顔に戻る。


 いや、わざとだよ?

 浮かれてないから。

 年相応の無邪気さアピールだからね?

 だってさ、変に警戒されるよりは侮って貰った方が良いじゃない?


 今更、慌てて駆け戻るのも恥ずかしいので、広場の中央で待つことにしよう。


 広場の中央にはむさいおっさんのむさい銅像が、むさいポーズを決めている。


 剣を掲げた勇者の像だ。


 立て板を見ると、この地を帝国から守り切った英雄ゲイルと書かれている。

 なるほどコイツは絶好の待ち合わせポイント。ハチ公みたいなモノかも知れない。



 駆け寄って、大きな像を見上げ


 ――痛ッ!!



 ――その時、もうお馴染みとなった例の頭痛が、俺の脳髄に突き刺さった。


「うっ!」


 記憶が混線し自分の境界がぼやけていく。

 急にうずくまってしまった俺に、田中とヤッガランさんが慌てて駆け寄る。


「急にどうした? オイ!」


「彼女は何か持病でも?」


「いや、聞いてねぇ」


 頭上で飛び交う二人の会話すら、ノイズの中に歪んで消える。

 色々な知識が流れ込んでは消えていく、それは濁流の様で、自分が高橋敬一だと強く思っていないと自我ごと流れて消えてしまいそうになる。


 寄りかかったレンガの感触、背中をさする田中の手、そんな感触を道しるべに、ゆっくりと元の自分へと帰還した。


「どっか悪いのか? 魔力が足りねぇって奴か?」


「だいっ……丈夫です」


 何とか立ち上がり脂汗が浮かぶ顔を上げると、あんなに輝いて見えたゲイル広場の様子が、なんともつまらない物に変わってしまっていた。


 街をエキゾチックに見せていたのは謎と言う名のベールだし、串焼きを美味しそうに見せていたのは未知と言う名のスパイスだった。


 それらは既に日常の一部に変わってしまい、どんな服かも、どんな味がするかも、俺はもう知っている。


 色あせた広場を見て、ふぅっとため息をひとつ。


「心配いりません、偏頭痛がしただけです」


「前も有ったよな? 成人の儀の時だ。あの時も同じように蹲ってよぉ……」


「大丈夫ですから! ヤッガランさん、スフィール城までお願いします」


「え、……ええ」


 ヤッガランさんは戸惑っているが、俺は別に体調が悪いわけではない。変に目立ってしまっているのでさっさと移動するべきだろう。


「承知いたしました、我々が通って来たのが北門で、スフィール城は西側、貴族街の奥にありますから、右手の道に進むべきなのですが、今回は案内を兼ねて中央通りを進み、中央広場を右に曲がるルートで行こうと思います」


「お任せいたします」


 そうして案内のまま中央通りを歩くが、俺の『記憶』の中の街並みとは少しだけ違って居た。


 少しだけ、だ。大きくは変わらない。


 知ってる建物だって多くある。

 この記憶の持ち主はそう遠くない時代の人物だろう。


「姫様、食うか?」


 ぼんやりと街を眺める俺に、モグモグと咀嚼しながら串焼きを差し出したのは田中だ。


「ウサギの香草焼きですか……頂きます」


「へぇ? 知ってたか。固いから気をつけろよ、こうやって引き抜くんだ」


「わかっています!」


 そうだ、もうわかり過ぎる程にわかっている。何度食べたかの方が、よっぽど分からないぐらい。


 ……食べたのは俺では無いのだが。


 広場で正体不明の肉だと思ったこの串焼きだが、なんの事はない、ウサギみたいな生き物に、生姜と紫蘇の中間みたいな味の葉っぱをまぶして独特の甘いタレで焼き上げたこの街の名物。


「なんだ、ずいぶんと手馴れてるな」


「……どぉもっ」


 肉を頬張りながら答えつつ、街の観察を続ける。靴屋、帽子屋、桶屋、木工店。どれも記憶の中と大きく変わっては居ない、もちろん売り子のお姉さんや親父さんは違う人物だったが。



 ……これは、なんだ?


 今まで回収した記憶はどれも何百年も昔の人物のものだった。


 しかし、今回は何百年どころか数十年しか経過していない。

 そしてこの記憶の持ち主は、特別強くも悲劇的でも無い、ごく普通の少年のもの。


 ……ひょっとすると、平々凡々な高橋敬一に転生する直前のテストケースであったのかもしれない。


 そのテストはどうやら上手く行かなかった様だが……


 思考に沈む俺をヤッガランさんの声が引き上げた。


「ここが中央広場、スフィール大広場が正式名称ですね」


 そうこうする内、中央広場までたどり着いていた。門の前のゲイル広場も大きかったがその倍以上ある。東西南北に大きな通りが伸び、小さい小道にいたってはそこら中から繋がっている。

 広場の真ん中では噴水が綺麗に水のアーチを作っていた。


「噴水ですか……」

「ええ、この街の名物です」


 噴水があると言う事は、水理計算や工学技術が高い水準にある証明に他ならない。エルフの都にあった噴水と比べても、大きく劣る物ではない。


 人間の文明もそこまで馬鹿にしたモノではないらしい。


「それに、芸術品まで色々と置いてあるのですね」


「ええ、貴族街も近い場所なので。あいにく私にはサッパリですが」


 ヤッガランさんが苦笑するのも無理は無い。

 コイツの価値は俺にもさっぱりだ。


 美しい女神像や屈強な戦士像みたいなモノならまだしも、理解しがたい現代アートみたいなオブジェまである。

 少年の記憶には無かったものだ。


 ちなみに、俺はこう言うの全然わからん。

 日本でもまったく興味がなかった。


 しかし、どうだ?

 黒い天体模型みたいなオブジェなどは、中々に目を引くシロモノで、意味が解らないながら、謎の機能美を感じるんだから大したモノだ。


 しかし、キョロキョロと見回せば、もっと俺の目を引く場所があった。


「この広場を右に曲がれば貴族街、その最奥にあるのがスフィール城です」


 大通りを指し示すヤッガランさんの声も耳に入らない。俺の目はその真逆、左手にある一軒の宿屋に釘付けだった。


 いや、今でも宿屋なのだろうか?

 三日月のマークの看板が記憶の中と変わらず掛かっているのだが……


「何見てるんだ?」


「あの三日月の看板のお店なのですが」


「あん? スーニカの宿屋か? 変なとこに目を付けるな、悪く無い宿だぜ? なんなら今日泊まるか?」


「……そうですね、それが良いでしょう」


 名前も変わっていない。スーニカの宿屋。

 それは俺の生家だ。



 いや、違う。記憶の中の少年の生家だ。

 有る筈が無い郷愁を刺激され胸が痛むのは参照権のデメリットと言えるだろうか?


「どうかしたのですか?」


 ヤッガランさんが不思議そうに話しかけて来る、そうだ今の俺には聞くべき事がある。


「いえ、なんでも有りません、それより私は人間の事をもっと知りたいと考えています、この街に大きな図書館はあるでしょうか?」


「それでしたらスフィールには大きな図書館が有りますよ。丁度通り道ですから案内は出来ますが……入館料は結構高いですよ?」


「そうですか……」


「図書館に行かずとも、簡単な事でしたら私でもお答え出来ると思いますが?」


「これはご親切に……しかし忙しいヤッガラン殿を拘束してしまうのも憚られます、やはり入館料を払っても一度は図書館に行きたいと思います」


「そうですか、勉強家なのですね」


「ええ私、力は全く有りませんから……知識ぐらいは無いと、これからどうなる事かと不安で不安で」


「そうですか、何か助けになれれば宜しいのですが」


 社交辞令の応酬だが、少年の記憶通りに図書館は有る様だ。

 そして記憶通りに入館料は高めの様だが……まぁ何とかなるだろう。


 俺達は貴族街を歩いて、大きな図書館の前を通過、目的地まで辿り着いた。


「大きいですね」


「ええ、ココがこの街の領主グプロス様の住むスフィール城です」


 ついにこの辺り一帯を治める、グプロスの居る、スフィール城に辿り着いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る