グリフォン襲来

 ……静かになった。


 外はどうなった?


 この粗末なログハウスが壊れなかったのは僥倖ぎょうこうだったが、非戦闘員を詰め込んだ村長の宅の様子が知りたい。


「どうなった?」

恐鳥リコイ達は消えたのか?」


 部屋の中は締め切って真っ暗だ。


 誰かの声がするが、答える者は居ない。誰にも外の様子は解らない。


「魔法で何か解るか?」


「いえ、時折大岩蟷螂ザルディネフェロの悲鳴が聞こえてきますが、それだけです。死にかけの個体が呻き続けて居るのでしょう」


「そうか」


 恐鳥リコイの鳴き声はもう聞こえてこない。だが、息を潜めている可能性は有る。

 俺は縋り付く村人を遠ざけ魔法を使ったが、部屋の中央に寄り添う状況では限度があった。


 健康値に邪魔されて回路が揺らぐ。

 集音の魔法の精度が甘い。


「窓、開けるか?」


「そうですね、その前に明かりを『我、望む、ささやかなる光珠よ』」


 俺は小さな蛍火を部屋に浮かべた。真っ暗な部屋ならこれで十分、そろそろ俺の魔力切れが近いってのもあって、省エネ運転だ。


 それを待ってから、田中は木窓の閂を外すと、深呼吸を一つ。


「行くぞ!」


 取手に手を掛け、一息に開け放つ。


 ……開かれた窓の先に有ったのは?


 ただただ真っ黒い『まる』だった。



 何コレ?


 一瞬、何か解らなかった。

 きっと、その場の誰もが。


 その●が、パチリと、まばたき。


 巨大な目である事に気が付くのに、一瞬の時間を必要とした。


 ――ドッドー! ドードー!


「閉めて! 早く!」


 叫んだモノの、遅い。

 恐鳥ドーガーの嘴が窓枠に差し込まれ、抉る様に壁を壊して行く。


「離れろ! オラ!」


「どいて下さい!『我、望む、放たれたる矢に風の祝福を』」


 田中が剣の鞘ごと巨大な嘴に叩き付けるがビクともしない。

 俺は呪文を唱えその嘴の中を狙う。


「オラッ!」


 それを見た田中が嘴の隙間に剣の鞘を突っ込めば、そうして出来た嘴の隙間に、俺はすかさず魔法の矢を放つ。


 ――シュッ、ブシュッッ!

 ――ギキィィィーーー


 湿った破裂音。今までの低い鳴き声とは打って変わった、甲高いドーガーの悲鳴。


 恐鳥リコイは空を飛ぶ為か、他の魔獣よりは軽く脆い、口の中を狙った一撃は上手く行けば致命傷。


「行くぜ!」


 だからと言って躊躇なく窓から追撃に飛び出す田中の行動は、どう考えたって真似出来そうにない。

 その姿を見失わんと、俺も窓から身を乗り出す。





 ……雪?


 すっかり様変わりした村の姿に愕然とする。


 あたりは一面の銀世界。小屋に出ると世界が一変していた。


 現実感が伴わない光景に俺の頭まで真っ白になる。しかし、幻想的で美しいと感じたのも数瞬、その思考は酷い悪臭によって引き戻された。


「……雪では無く、フンですか」


 村全体が鳥小屋に突っ込んだ様な物、その独特の匂いは気持ちが良い物では無い。それでも哺乳類の糞に比べれば大分マシな匂いではあるのだが……


 ――ドッドー、ギ、ギィィィ


 我に返って田中を見れば、ドーガーの翼と嘴を掻い潜り、剣の一振りでその喉を掻っ切る所だった。


 仰け反り倒れる恐鳥リコイ

 飛び散る血潮。

 舞い上がる白い飛沫。

 黒尽くめの剣士が油断なく剣を構える。


 強烈なコントラストを彩るワンシーン。


 この悪臭さえ無ければ!

 これが糞でさえ無ければ!


 きっと、名画として飾って置きたい位の惚れ惚れするほどのワンシーン。


 もしコレを描くなら、扱う画商は『雪原での死闘』などとタイトルを偽装する必要が有るだろう。


 俺は興奮気味に窓越しに声を掛ける。


「お見事でした!」

「ありがとよ、だが糞まみれだ」


 うん、うん。嬉しいねぇ。

 なんでって?


 前世では鳥の糞の餌食になるのは俺ばっかりだったのだから、田中もその分のウンを蓄えような、強く生きて欲しい。


 今なら優しくなれそうだ。


「お疲れ様です。それで、外の様子はどうです? 恐鳥リコイはどの位居ますか?」


「見える範囲にゃいねーな、村長の家も壊されちゃいないみてーだ」


 恐鳥リコイどもは蜘蛛の子を散らす様に逃げた大岩蟷螂ザルディネフェロを追って行ったか?


 ジッとしていても仕方が無い。外に出て様子を窺いたいが、魔力の方が心許ない。矢に至っては残り一本だ。


「皆で外に出ましょう、村の様子を確かめなくては」


 ……申し訳無いが、最悪皆には盾になって貰う。

 田中も、ラザルードさんもサンドラのおいちゃんも、ハーフエルフの二人だって殺したい訳じゃ無いが……もう何が起こるかは俺にも全く予想が付かない。


 家を出た一同は、数刻で白く染まった村の景色に絶句していた。


「雪景色ならぬ糞景色たぁな」


 ラザルードさんの悪態もキレッキレだ、サンドラさんもこの悪臭には参ったようで。


「クッせぇんだが、鳥の糞は肥料にでければ、ええ肥料になるんだべが」


「そうなのです?」


「んだども、村ん中じぁ臭ぁてかなわんべ」


 そりゃそうか、掃除が一大事だなこりゃ。


「穴さ掘って埋めるしかないっぺ」


「あっ! ちょっと!」


 そう言ってスコップ片手にサンドラさんは広場へと駆けだしていく。それを危ないと止めようとしたその時だ。


 ――ビィィィィィ


 どこからか低い笛の音が鳴った。


 その正体が何かと考える間もなく大きな影が俺達を追い越すと、サンドラのおいちゃんが空高く舞い上がる。


 ――ギャァァァァーーー


 おいちゃんの悲鳴。その肩には深々と鳥類の足の爪が突き刺さっている。


 だがそれは恐鳥リコイなどではなかった。


 ――ビィィィィィィ!!



 正体は妖獣。


 魔力で突然変異した最悪のバケモノだった。


 妖獣とは様々な動物の特徴をごった煮した、いわばキメラ。


 一口に妖獣と言えど、突然変異の産物なので決まった姿を持たない。


 だから、コイツばかりは魔獣を網羅するエルフの百科事典でも見たことがない。


 でも、それれなのに。

 俺はコイツを知っている。


 このモンスターを見たことがある。


 ドコでって?

 ドコでも、だ。


 ゲームや小説で、ファンタジーならコイツが出ない物語の方が少ない。


 その妖獣は鷲の上半身と、ネコ科の下半身を持っていた。


「グリフォンかよ!」


 田中が叫んだ。

 そう、正しくファンタジーの定番生物。グリフォンとしか思えぬ姿を空に浮かべて悠然と飛んでいる。


 平時なら感動し、その姿を目に焼き付けようとしただろう。

 だがそれも、その鷲の前足でサンドラさんを空高く持ち上げていなければだ。


 こんな怪物が居たなんて。

 いや、こんな怪物が居たからこそ、コイツを群れのリーダーとして恐鳥リコイの群れがあそこまで大きくなったのか?


「『我、望む、放たれたる矢に風の祝福を』」


 残りの矢は一本。

 外せばサンドラさんは持ってかれるし、当たってもこの高さから落ちて無事では済まない。


 でも俺には回復魔法がある。怪我は治せばいい、だがグリフォンに連れて行かれれば確実な死だ。


「ハァハァハァ」


 短い呼吸を繰り返しながら狙いを定める。魔力切れが近い、目が霞む。


 それでも!



 ――シュッ!

 ―――ビシィ


 ――ビィービィィィィ!


 それでも俺は、かなりの魔力を矢に込めた。


 その甲斐あって放った矢はグリフォンの前足に見事命中する。


 しかし、前足を吹っ飛ばすつもりの最後の一矢は致命的な一撃とはならなかった。血を流す程度に留まる。


 コイツ、どうやら見た目以上に固いらしい。


 それでもサンドラさんを取り返すと言う目標は達した。

 痛みに怯んでその前足の力を緩めたのだ。


 ……だが。


「ギャアアァァァァ」

「チッ!」


 サンドラさんの悲鳴と田中の舌打ちが重なる。

 飛んでいるグリフォンから解放された結果は上空からの落下だ。


 とは言えサンドラさんの抵抗の甲斐あってグリフォンは飛び立てず、6メートル程度の高さに留まっていた。

 打ち所次第だが回復魔法を使えばまだ間に合う。


 俺はサンドラさんの元へと駆ける。

 駆けようとする。


「オイ、待て!」


 その肩を、掴んで引き寄せる者が居た。

 田中だ。


「何です? すぐに治療しないと手遅れになります!」


「よく見ろ! ありゃあ罠だ」


「罠?」


 指差す先は苦しむサンドラさん、今すぐ治療しないと!

 ……いや。


「広場に落とした。それが敢えてだと言うのです?」


「物分かりが良くて助かるぜ。あそこなら邪魔な障害物が無い、空から襲い放題だ」


 まさかあの鳥頭にそんな知能が? しかし相手は妖獣だ、その知能だって見た目通りと限らない。


「俺の故郷の言い伝えで聞いた魔獣にそっくりだ、空を飛び高い知能を持つグリフォンって伝説のな」


 確かにそう言う作品も多かった。

 それにしたって……


「じゃあ、サンドラさんは見殺しですか?」


「そうは言ってねぇが、姫様、残りの矢は?」


「ありません、魔力も心許ないです」


「そう言や顔色がわりぃな、大丈夫か?」


 俺は無遠慮におでこを触る田中を無言で押しのけ、必死に無事をアピールするが、大きな魔法は使えない程度に疲弊している。回復魔法がギリギリ使えるかどうかだ。



 ――打つ手が無い!



「ぐぅぅぅ」


 そうこうしている間にもサンドラさんの悲鳴は弱々しい物に変わって行く。


 田中の言葉を証明するかのように、広場を睥睨するようにグリフォンが上空を旋回していた。

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