第5話 コンタクト

 こっそりと会場を抜け出し、廊下の端で窓の外を眺めていると、突然後ろから手を掴まれた。私は驚いて振り返り、自分の目を疑った。

 私の目の前に、二度会うことはないと思っていた、でも夢にまで出てくるほど忘れられない人が立っていたのだ。


「優芽、会いたかった」


 その必死な表情に私は困惑した。あの日もそうだった。伊織は自分から私を捨てたのに、なぜそんなに苦しい表情をするのだろうか?


「……『二度と私の前に現れないで』って言ったはずだけど?」


 私はあえて冷たく言葉を返す。


「ごめん……。でも――」


「二人で一体何してるんだ?」


 伊織が何か言おうとしたその時、すぐそばで私以上に冷たい声が聞こえ、私はビクリとした。伊織に意識が集中しており、煌大がすぐそばまで近づいていたことに全く気づかなかったのだ。

 煌大は訝しげに繋がれた手を見る。その鋭い視線に私はすぐに伊織の手を振り払った。


「な、なんでもない。それよりも、しばらく見かけなかったけど一体どこにいたの?」

「あぁ……、上で少し秘書と打ち合わせをしていた」

「あっそ……」


 煌大は私と話す間もずっと伊織のことを睨み続けている。


「小鳥遊くんだっけ? 優芽に何か用?」

「いえ、なんでもありません……」

「あぁ、そう? じゃあ優芽、会場に戻ろう」


 煌大は私の腰に手を回し、まるで伊織に見せつけるかのようにおでこにキスをした。その瞬間、伊織が私たちから顔を背けたのを目の端でとらえた。

 かつての彼女が別の男のものになったという事実を突きつけられ、伊織も苦しいのだろう。いい気味だ。傷つけばいい。あの時の私はもっと辛い思いをしたんだ。

 でも『小鳥遊くん』って……、なぜ煌大は伊織のことを知っているのだろうか? 


 その理由を尋ねようとしたが、煌大のエスコートですぐにその場から離され、その後はまた挨拶回りで、結局聞けずじまいだった。



 翌朝、朝食を食べにダイニングへ行くと、珍しく煌大が朝食の席にいた。

 私が席に着くと煌大は席を立ち、私を後ろから抱きしめ耳元で囁いた。


「……昨日、パーティーで一緒にいた男。あれはうちの社員だが、優芽の知り合い?」

「えっ? 社員?」


 うちの社員ってどういうこと? 先生辞めちゃったの? どう考えても如月の会社に入ったのは偶然なんかじゃないはず。伊織……、一体どういうつもりなの?


 私が伊織のことを考えていると、煌大の囁き声が頭に響いた。


「あぁ、経理課の小鳥遊だ。で、どうなんだ?」


 声のトーンから、煌大が不機嫌なのが分かる。こんな時は刺激しないのが一番だ。


「私が体調を悪くしていたように見えたらしくて、心配して声をかけてくれただけだよ」


 嘘はつき慣れているはずなのに、私はつい顏をそらしてしまった。すると煌大は、百合さんに指示を出して部屋の外に出すと、テーブルの上に私を押し倒した。


「優芽、愛してる。君は僕のものだ」


 朝から身体のいたるところに触れられ、とても不快だ。前々から思ってはいたが、煌大の独占欲は異常だと思う。

 煌大が出勤した後、私はすぐにシャワーを浴び、煌大の残り香を全て洗い流した。


 シャワーを浴び終わっても、私は伊織のことを考え続けていた。でも、いくら考えても疑問しか浮かんでこない。

 昨夜、伊織は何か言おうとしていた。もしかしてそこに私の求める答えがあったのだろうか……。




 あれから1週間。私はまだ伊織のことを考え続けている。手にはスマホを持って……。


「なんでうちの会社に入ったか聞くだけ。別の人が電話に出たら、名乗らずすぐに切ればいい」 


 私は意を決して発信ボタンを押した。1コール目……2コール目……。


「はい。如月総合商社経理課、小鳥遊です」


 伊織が出ることを期待していたくせに、いざそれが叶うと動揺で声が震えた。


「……如月煌大の妻です」


 電話口で息を呑む音がした。

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