第16話 心象世界

 翌日の事。

 昼休みに入ったので、移動教室の授業を終えた澪は一年A組の教室に明嗣を呼ぼうと訪ねた。理由はもちろん、クラスメイトが盗撮した写真はどういう事か詰問するためだ。

 あれから一晩中考えてみたけれど、あの写真に写った女性が持っているボヤけた何かと明嗣が無関係だなんて、どうしても思えなかった。

 それなのに初めて会った時、写真を見せた時の明嗣の反応はどうだった? あたかも、初めて見ました、という反応だったではないか。


 今度という今度はもう許さないから! どういう事なのか洗いざらい話してもらわなきゃ気が済まない!


 散々はぐらかされた挙句、夢だったんじゃないか、だの言い訳のタネが尽きたら回答拒否するだの人を馬鹿にするのもいい加減にして欲しい。

 現在、澪の心は煮えたぎる怒りのマグマで満たされ、触れれば消し炭になるのではないかと錯覚するほどに熱くなっていた。

 やがて、目的の一年A組にたどり着いた澪は、教室の中へ呼びかける。


「ねぇ、朱渡明嗣くんはいる? ちょっと用事あるんだけど」

 

 明嗣からの返事はない。その代わり、入口付近で弁当を食べていた男子生徒が答えた。

 

「朱渡? あいつなら今日は休みだけど」 

「休み? なんで?」

「よく分からないけど家庭事情なんだってさ。だから今日は休みだし、もしかしたら明日も休むかもって担任が言ってた」

「あ……そうなんだ。ありがとう」


 礼を言い、澪はB組の教室へ戻った。そして、考え込むように手元へ視線を落とした。


 もしかして昨日の今日だから逃げたとか? だとしたらますます許せなくなってきた……!!


 澪の明嗣への不満はますます膨れ上がっていく。この後、澪はイライラした気持ちを抱えたまま午後の授業に臨んだため、内容が手につかず担当教諭から注意を受ける事となった。




 一方、その頃。昼食の時間帯で客のかきいれ時であるHunter's rastplaatsでは……。


「明嗣、二番のテーブルの注文の品上がったぞ」

「あいよー」

 

 配膳用のトレイに料理を乗せた明嗣は目的のテーブルへ運ぶ。そして、ニコッと微笑み、トレイの品物を並べた。


「お待たせ致しました。ブーレンオムレットのランチセットです。デザートのアップルタルトは食後のコーヒーと一緒にお持ちします。では、ごゆっくりどうぞ」


 軽く会釈をしてからカウンター席に戻った明嗣は、テーブルの向こうにある厨房へ呼びかけた。


「マスター、次は?」

「次は8番にデザートのパンネクックだ。今――」

「すいませーん。お会計お願いしまーす」

「はーい、ただいまー! 明嗣、こいつは俺がやるからお前は会計頼むわ」

「イェッサー!」


 アルバートの指示通り、明嗣がキーを叩いて料金を受け取り、レジスターの中へ納める。そして、注文の料理を届けた時と同じように笑顔を浮かべて客を見送った。

 しかしこの男、本職のような接客スマイルを作っているが、心の中は笑顔とは真逆な愚痴の吐き溜めのような状態となっていた。


 ランチタイムの飲食店ってマジで戦場だぜ……。あー休みてぇ……。


 釣り銭を渡し、見送りの挨拶をして次の配膳へ向かう。その一連の行動を午前十一時から午後二時まで繰り返し、昼の部の営業を終えた。


「終わった……」

「おつかれさん。ほら、まかない」

「おっ、ありがてぇ」


 差し出されたフレンチトーストとコンソメスープを受け取った明嗣は、いただきます、と手を合わせて食べ始めた。ある程度までフレンチトーストを食べ進めた所でコンソメスープをすすった後、ほっと息をいた。


「やっと落ち着いたって感じだ……」

「今日はお前がいたおかげで楽できたよ。さすがに今日は多かったがな」

「これなら学校の方がマシだったかも……」

「なら、今からでも行くか?」

「冗談だろ。それじゃあ休んだ意味ねぇじゃん」


 答えながら、明嗣は椅子の背もたれに身を任せて脱力した。

 今日、明嗣が学校を休んだ理由は決してサボタージュや澪の追求から逃れるためではない。以前、ロンドンから明嗣がアルバートの着払いで送った荷物、対吸血鬼用武器、魔具の調整をするためにあった。

 魔具とは文字通り、魔の摂理によって生み出された道具の呼称の事である。それは、所有者の命をことごとく奪ってきたきた妖刀だったり、はたまたひとりでに動き出して周囲に災厄を振りまく人形だったり、いわゆる曰く付きと呼ばれる品々。アルバートはそのを鎮めたり、武器へ加工することで吸血鬼と渡り合ってきた吸血鬼ハンターなのである。そして今回、アルバートが手を加える曰く付きの品は、なんと明嗣の父親、吸血鬼のアーカードが使っていたとされる品なのだ。

 通常の場合だったのなら、明嗣の手を借りる必要はなかった。だが、今回だけはどうやっても上手く加工、ないしは所有者の命を求める魔性の部分を抑え込む事ができなかった。そこで一晩考えた結果、アルバートはアーカードの血縁者である明嗣が必要なのではないか、という考えに思い至ったのだ。

 本来、学生の本分は学業にある。だが明嗣は学生であると同時に吸血鬼ハンター、これも本分の内だと拡大解釈し、今日は学校を休ませたという訳なのだ。

 その代わり、アルバートの店を手伝い悲鳴を上げることとなったわけだが、これも嫌いな学校を休むための必要経費と考えれば安いものである。


「まぁ、たしかにそうだな。今回はこれだけ手こずるとは思ってなかったよ。まったく、厄介なモンを持ってきたくれたな」

「俺に言うなよ。文句ならアーカード親父に言ってくれ」

「死んだやつにどうやって文句いうんだよ」

「お祈りしてみる、とかどうよ?」

「バカ言え。祈った所でどうにかなるか」

「そりゃそうだな」


 返す言葉がない、と明嗣は肩を揺すってみせた。話している内に自分の分を食べ終えたアルバートは、さっさと食器を片付けて立ち上がった。それに合わせて、明嗣も食器をまとめて厨房のシンクへ運び、軽く洗ってから食洗機へ送り込んだ。これからは、地下にある射撃場兼工房に向かい、夜の部が始まる午後五時まで、魔具の調整を行う時間となる。

 地下へと続く階段を降りる明嗣は気を引き締めて事へ望む事を決意した。なにせ、吸血鬼の魔性が宿った品だ。油断したらどんな目に遭うか、分かったものではない。やがて、工房へ到着した明嗣はそれと対峙した。

 

「さて、じゃあ始めますか」


 それはアーカードがかつてワラキア公国と呼ばれる地を治める立場にあった時、他国との戦の地を駆け抜けた戦友であり、時が流れると共に自らの姿を自動二輪車バイクへと变化させた戦車馬だった。意を決して馬で言うところの手綱であるハンドルを握った明嗣は、突如めまいを覚えて身体がよろめかせた。そして、一瞬の内に明嗣の意識は海の底へ沈むように真っ黒に染まり、気を失ってしまった。





 眼を覚ました時、明嗣の前に広がるのはモノクロの空だった。ありとあらゆる物が白と黒で構成された無機質としか表現できない場所だった。


「なんだ……ここ……」


 幸い、直立のままでここにいる事を認識できたので、明嗣はそのままぐるりと周囲に首を巡らせた。目に入る光景は本が乱雑に積み上がっていたり、途中まで飲んで中身がまだ残っている飲みかけのコーヒーが置かれていたりなどリラックスする場所だと伺える。一冊を手に取り、開いてみると中は真っ白だった。不審に思った明嗣は他の本も手に取り、開いて中身を確認していく。


 白紙。


 白紙。


 これも白紙。


 どれもこれも白紙ばかり。内容を記している物が一つも出てこないので明嗣はしだいに苛立ちを覚えていく。そして最後の一冊にたどり着き、ラストページまでめくると、一文だけ文字が書かれている。その内容は至ってシンプルな物だった。


 Look behind,Huh後ろを見てみな


 ようやく白いページの以外の物が現れたと思ったら後ろを見ろ? どういう事だ?


 不審に思いながらも明嗣は素直に背後を確認した。すると、そこにいたのは……。


「ブルルッ」


 興奮気味に鼻を鳴らし、蹄で地を蹴り鳴らして威嚇する一頭の荒馬だった。たてがみは黒い炎で包まれ、瞳には飢えた狼のような殺意が宿っていた。そして、その背には一人の少年が跨がり、手綱を握っている。明嗣にはその少年に見覚えがあった。いや、見覚えがある所の話ではない。なぜならその顔は、毎朝鏡で見ている物なのだから。


「俺……!?」


 思わず口をついて出た言葉に、馬に乗ったもうひとりの明嗣は正解だと言わんばかりの獰猛な笑みを浮かべた。そして、問題に正解したご褒美として握った手綱を鳴らし、馬を走らせ始めた。


「おい、待て! ってうぉっ!?」


 静止をかけても止まる気配が見えないので、明嗣はそのまま横に転がって難を逃れる。すると、走っていた馬は前脚を上げて急停止し、向きを反転させるついでに明嗣の事を蹴り飛ばした。


「ブへッ」


 情けない声と共に明嗣はごろごろと転がっていく。その様子を目にしたもうひとりの明嗣は、愉快だといった様子で笑い声を上げた。


「ハハハ! おいなんだよそのザマは! 仮にも俺なんだから情けない避け方すんなよ!」

「仮にも……だと……? 訳わかんねぇ事言うなマネっ子野郎シェイプシフター。第一、俺はここがどこかも分からねぇってのによ」

「言わなきゃ分からねぇのか? こういう状況になった時点でもうだいたい察しているんだろ?」


 頭を振って正気かどうかを確認しつつ、明嗣は自分と同じ顔した何かの言葉を反芻した。


 こういう状況になった時点で察している? 俺はこれを知っているってのか? いや、待てよ……?


 もしかして、と明嗣は再び周囲に首を巡らせた。その結果、もしかしてと感じた考えは確信へと変わった。なぜなら、モノクロである事を変わらないけれど、いつの間にか周囲の光景が本とコーヒーが置かれているリラックスできる空間から、欠けた天蓋から星空が覗き込む、寂れた決闘場コロッセオに変わっていたのだから。

 状況を理解した明嗣の頬に冷や汗が一筋ほど流れた。未だに信じがたいことだが、ここの正体は――。


「驚いたよ。まさか、俺の心の中がこんなだった、なんてな」

That's rightその通りだ! じゃあ、もう一つ問題やるよ。お前の目の前に立っている俺は、いったい何者だれだ?」


 もう一人の自分が出した問題に、明嗣は背筋がゾッとする感覚を覚えた。問題の答えは分かっている。まさか、自分がその立場に立つなどとは、夢にも思っていなかった。この後に待ち受けているであろう出来事に、明嗣はじりっと無意識に後ずさりながら質問の答えを口にする。


「お前は俺の片割れ、少年マンガで言えば内なる吸血鬼じぶんって奴だな」

「正解だ。それでは改めて。はじめまして、明嗣おれ。そして――」


 正体を言い当てられたもう一人の明嗣、内なる吸血鬼は馬から降りた後、ゆっくりとお辞儀をして挨拶をした。その後、虚空から黒炎と共に片刃の大剣を抜き、明嗣へ襲いかかる。


「さようならだ!」

「――ッ!?」


 やっぱそう来るよな__!?


 いきなりの斬り上げ攻撃に明嗣は咄嗟に身体を引くことで難を逃れるが、攻撃はそこで止まらない。内なる吸血鬼は空振りした大剣をすぐさま止め、明嗣の首を狙って水平に振る。それを受け、明嗣は上体を反らしながら襲い来る刃を見送り、体勢を起こすと同時に頭突きを繰り出す。対して、内なる吸血鬼は身体を反転させて頭突きを避けると、明嗣の腹へ中段の回し蹴りを叩き込んだ。


「ガホッ! ゲホッゲホッ!」


 地面を転がる明嗣は腹の中の物が一気に逆流するような感触を覚えた。しかし、ここは心の中の世界。そんな物はただの錯覚であり、出てくるのは咳と喘ぎのみだ。その様子を前に内なる吸血鬼はつまらなそうに声をかけた。


「おいおい、そんなもんかよ? あんま情けないとこれからは俺が表に出て生きていく事になる……ぜェ!」


 大剣を肩に担ぎ、内なる吸血鬼は再び明嗣へ襲いかかる。だが、明嗣もやられてばかりではない。振りかぶった大剣の袈裟斬りをやり過ごすと、先程のお返しとばかりに明嗣も中段回し蹴りを内なる吸血鬼へ叩き込む。一気に脚を振り抜いたおかげで明嗣と内なる吸血鬼との間に距離が開いた。腹に残る痛みで内なる吸血鬼は満足げに微笑み、明嗣へ声をかけた。


「やりゃできんじゃねぇか。そうこなくちゃな。でねぇと、奪い甲斐ってモンがねぇよなァッ!!」


 内なる吸血鬼は再び大剣を構えて明嗣へ突撃した。対して、明嗣は徒手空拳で対応しながらどうこの状況を抜け出すかを思案する。


 やべぇ、どうする……!?  どうやってこの空間を抜け出しゃ良い……!?


 突如始まった身体の主導権争いに、明嗣はひたすら耐える事しかできない。明嗣がこの戦いを生き残るにはどうしたらいいのか、その答えは内なる吸血鬼のみぞ知る……。

 

 

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