第13話 一仕事終えて

「ウゥ……ガァ……」


 ノロノロとした足取りで男がフロアを彷徨う。クラブで遊ぶために用意したブランド物のシャツや革靴、腕時計は首筋から流れる自らの血液によって汚れていた。この男は吸血鬼に牙を突き立てられ、眷属となったばかりだった。全身の血を抜き取られ、その代わりに僅かばかりの吸血鬼の血を与えられた彼は訳も分からぬまま、純粋に血を求めるしかばねと化している。


「い、嫌……来ないで……!!」


 吸血鬼となった彼の視線の先には、明嗣に「彼氏が気が利かなくて最悪」と不満を垂れていた女、リホがいる。彼女は不幸な事に吸血鬼から逃れるための生存競争に敗れ、このフロア内を逃げ回る事を余儀なくされていた。

 助かる見込みがなくなったのなら、後は諦めて死ぬのみだが、本能がまだ死にたくないと叫ぶ。それだけ死ぬのは怖いし、まだ助かるすべがあるかも、という淡い期待が彼女の中にはあった。しかし、現実は非情だった。生き残れるかもしれないと逃げ回っていた時間は、逃げ場がないこの場所に追い詰められた事により、無駄になってしまったのだ。

 きっと、テレビで見た草食動物もこんな風な気持ちで肉食動物から逃げ回っていたんだろうな。

 諦めた彼女は、このような事を考えだす程に、もうどうしようもない事を悟った。

 もう1mもしない距離まで死が迫って来ている。


 もっと旅行とか色々したかったな……。あ、でもこんな事になったから無理かぁ……。今までワガママ放題だったし、バチが当たったんだ……。


 自嘲気味に諦めの笑みを浮かべ、リホはペタンとその場に座り込んでしまった。同時にゆっくりとした足取りだった吸血鬼がリホへ飛びかかる。

 吸血鬼が向かってくる様をリホは虚ろな目で見つめていた。このまま自分もさっき見かけた人達のように人へ襲いかかる化け物になるんだ。そう、思っていた。

 しかし、なぜかズドンという音が響くと共に吸血鬼の頭が爆散し、その身体を灰へと変えてしまった。


「え……?」

「おい! ボサっとしてんなよ! 死にてぇのか!」


 声がした方に目を向けると、そこには煙がたなびく大きな白銀の銃を持つ少年、明嗣が立っている。まさかの展開にリホは驚きの声をあげた。


「あ、アンタは……ブルズアイの……」

「んなこたぁどうでもいい! 逃げるのか! 死にてぇのか! 死にてぇならそこでじっとしてな! コイツらに噛まれた瞬間に頭か心臓をち抜いてやるからよ!」


 怒鳴りながら、明嗣は襲いかかる吸血鬼の一体を蹴りあげて宙に浮かせた。空中で身動きが取れなくなった所に、明嗣は右手に握った白銀の銃、ホワイトディスペルを向けて引き金を引く。胸の中心部に大きな風穴が空き、灰となった吸血鬼が床へ叩きつけられ、その身を散らした。


「ほら! どっちか選びな! こっちは割と余裕ねぇんだよ!」

「で、でも逃げ道が……」


 リホの言葉で明嗣はフロアの出入口の方へ視線を向けた。出入口付近では、我先にと逃げ惑う人々とそこを狙った吸血鬼の集団でごった返しになっていた。その光景を目にした明嗣は、左手に握った黒鉄の銃を向ける。


「クソッ!」


 水平撃ちの状態で薙ぎ払うように黒鉄の銃、ブラックゴスペルの引き金を三回引いた。比較的当てやすい胴体へ着弾した銃弾は炸薬が爆ぜ、中の水銀が心臓を食い破る。


「ほら、道は空けたぞ! 逃げるんならさっさとしな!」

「あ、ありがとう!」

「そうだ、ちょい待ち!」


 道が拓けたので逃げようとするリホの背中へ、明嗣は呼びかけて引き止めた。さっさと逃げろと言っておいてなんだ、とリホが振り返ると明嗣は彼女を指さした。


「あんま彼氏の悪口ばっか言ってるといつか後悔するぞ! 恋人はアクセサリーじゃねぇんだからな!」

「……うん!」


 頷いたのを確認すると明嗣は、再び殺到する吸血鬼の対処へと取り掛かる。弾が自動で生成される複製式弾倉クローニング・マガジンと言えど、やはりスライドストップの宿命から逃れる事は出来ない。急いで二丁とも弾倉を交換した明嗣は、事態を好転させようと駆け回っているであろう鈴音へと思いを馳せる。


 早くしてくれよ持月……! 残りの弾は問題ねぇけど、俺にだって限界ってモンがあるからな……!!


 

 

 一方、作戦の準備と自らの得物を取りに行くため、別行動をしている鈴音は……。


「えっと……あった!」


 口を赤い組紐くみひもで縛り、結び目に鈴がぶら下がる紫の竹刀袋を見つけた鈴音は、ホッと息をく。さっそく、中の物を取り出そうと鈴音は組紐の端を引っ張り、口を開いた。布が擦れる音と共に姿を現したそれは、一振りの刀だった。刀身の長さは三尺、鞘は漆によって真っ黒に染められている。

 己の愛刀を手にする事に成功した鈴音は、親指にたっぷりと唾をつけ、刀身と柄を繋ぐ根釘に塗る。こうする事で根釘が締まり、肝心な時に刀が分解する事故を防ぐことができるのだ。刀を扱う者にとって、この行為は気を引き締める儀式であり、鈴音にとっても本気を出すための特定行動ルーティンである。直に根釘へ唾を吐きかけて締めるのが一番手っ取り早いやり方だが、鈴音は好まなかった。

 左手に刀を持ち、右手に札を手にした鈴音はすぅっと軽く息を吸い込む。現在、鈴音の心は波一つ立たない湖面のように静かだった。仕込みは済んだ。得物は回収完了。ここから先は、一気に駆け抜けて明嗣の元へ駆けつけるだけだ。

 だが、その前に。眼前に立ちはだかる障害をなんとかしなければならない。鈴音が見据える先では確認の必要がないほどに、血に飢えた吸血鬼が逃げ回る人間を追い回している。鈴音はその吸血鬼達へ向けて札を放ち、印をつけた。そして、腰を落として刀のつかへ手をかけた。その後、左の親指でつばを押し上げながら、踏み込むための力を脚に込める。


「持月流居合抜刀術……散華の太刀」


 その剣を振るわれた者は、花が散るように命を取られると評された。その一太刀は椿の花が枯れる時のようだと見た者は口にした。ゆえに、その技の名は――。


斬椿きりつばき!!」


 刀が鞘から抜き放たれると同時に、印をつけられた吸血鬼たちは一気に首を落とされた。胴体と泣き別れになった首は、灰となるその時まで自分が首を刎ねられた事に気づかず、宙を舞う。その様は咲いた形を保ったまま地に落ちる椿の散る時のようだった。ゆえに斬椿。

 一気に振り抜いた刀を納めた鈴音は、大きく息を吐く。そして、最後の仕上げをするために明嗣の元へ駆け出した。




 場所は戻り、鈴音の準備を待つ明嗣は……。


「ほら、こっちだこっち! 捕まえてみろよ!」


 挑発で吸血鬼たちの注意を引きつつ、向かってくる奴には銀弾をお見舞いして順調に数を減らしていた。だが、長時間のあいだ神経を張り詰めていると注意力が散漫になっていき、思わぬミスを引き起こす事もある。

 この調子なら余裕だと気を緩めていた所で突如、死角から拳によって左手のブラックゴスペルを弾き落とされた。11kgの鉄塊が落ちたドゴン!という音が辺りに響き渡る。即座に右手のホワイトディスペルで対処するが、よりにもよってこのタイミングで注目を集めたツケが回ってきた。気がつくと明嗣を取り囲むように吸血鬼が集結している。ざっと見ただけでも周りを囲む吸血鬼は10体いるように見えた。


「おー……皆さん、お揃いで……」


 口の端を吊り上げ、無理やり笑ってみせるが明嗣の頭の中に「もう終わり」の五文字が過ぎった。ジリジリと包囲網が狭まっていく。銃口を向けて牽制しつつ、鈴音はまだかと思ったその時、赤い閃光が明嗣の前で閃いた。すると周りの吸血鬼の足元から火柱が上がる。

 いったい何事か、と困惑する明嗣の前に燃え盛る炎を纏った朱雀と共に待ちかねた鈴音が降り立った。


「お待たせ! 準備できたよ!」

「遅せぇよ!」

「これでも急いだ方! そして……ラスト!」


 怒鳴る明嗣に口を返しつつ、鈴音は最後の札を床に貼り付けた。そのまま、手のひらを叩きつけると朱雀が吸い込まれて魔法陣が展開される。叩きつけた手のひらを中心に波動が広がっていくと、ダンスフロアを暴れ回っていた吸血鬼達は身体が一気に燃えて消し炭となった。

 鈴音の実家、持月家は平安の頃より陰陽師として活動しており、時代が流れると共に、忍びの者として影から吸血鬼などの化物から人々を守ってきた退魔の一族である。明嗣に時間を稼がせていた理由は、この大掛かりな術の準備をしたかった所にあったのだ。


「はぁ〜……間に合った〜……」


 騒ぎが収まった事を確認した鈴音は、脱力してその場に座り込んでしまった。対して、明嗣はと言うと落としたブラックゴスペルを拾い上げ、ホワイトディスペルと一緒にホルスターに納めた。

 これでやっと一息つけると、明嗣は気を緩めて肩を落とす。すると、座り込んだ鈴音が手を差し出した。


「なんだよ」

「腰抜けちゃったから手を貸して」

「はぁ、たく……仕方ねぇ……な!」


 鈴音の手を取った明嗣は一気にその手を引っ張り上げた。すると、鈴音はすくっと立ち上がり、身体を伸ばした。


「ん〜! はぁ……ありがと、明嗣」

「はいはい、どういたしまして」


 素っ気なく答えた明嗣はそそくさと逃げるように歩き出した。その背中を「あ、置いてかないでよ!」と言いつつ、鈴音が追いかけた。すると……。


「おい! 待ってくれ!」


 足を止めて二人が振り返ると、今回の原因と言っても過言ではない人物、吾妻の息を切らせてやって来る姿が見えた。


「良かった……間に合った……」

「なんだよ。まだ何か用か」


 冷ややかな視線を吾妻に浴びせながら、明嗣が用件を尋ねた。


「いやぁ、今回は世話ンなった! アンタらがいなけりゃ終わりだったよ!」

「アタシらはこれが仕事だからね〜。でも、これに懲りたら二度と吸血鬼を用心棒になんてしようとか思わないでよ」


 鈴音の言葉に吾妻は頷き、揉み手をしてゴマをすり始めた。

 

「もちろんだ! 俺も今回の事でよーく分かったよ。それにしても、アンタら強えな! あんな化け物相手に勝っちまうんだからな! で、物は相談なんだが……」


 おそらく、これが本題だったのだろう。揉み手をしながら媚びを売るような笑みを浮かべ、吾妻は次のように話を持ちかけた。


「俺の所で用心棒をやってみねぇか? ここのアガリはたっぷり払うからよ! な、どうだ?」


 どうやら吸血鬼の次は自分らを利用する気らしい、と感じ取った明嗣と鈴音の二人は互いに顔を見合わせる。その後、揃って親指を下に向けた二人は「地獄に落ちろ」と答えた。返ってきた答えを前に呆然とする吾妻を残し、二人はクラブを去っていった。




 さて、クラブを後にした明嗣と鈴音は、クラブから少し歩いた所にある公園で休憩を取っていた。


「ほれ」

「うぇ!? あっとと……」


 設置された自販機で買った飲み物を明嗣はベンチに座る鈴音へ放り投げると、彼女は慌てた様子でキャッチした。


「いきなり投げてこないでよ、危ないなぁ……」


 文句を言いつつ、鈴音は受け取ったオレンジジュースの缶のプルタブを起こして飲み始めた。明嗣もコーラの缶のプルタブを起こして口の中へ流し込む。

 よっぽど喉が渇いていたらしく、一気に中身を飲み干した鈴音は満足気なため息をこぼした。


「はぁ……美味しい。にしても、ジュース奢ってくれるなんてどうしたの?」

「なんだよ。悪ぃか」

「別に嫌って訳じゃないけど、単純にどういう風の吹き回しかな〜……みたいな」

「別に。今回の事では世話になったから礼しとこうかってだけだ」

「ふーん……」


 ごくごくとコーラを飲む明嗣を、鈴音はじーっと見つめていた。その視線に気付いた明嗣は訝しむような表情を浮かべる。


「なんだよ」

「いやぁ、何考えているのかなって」


 鈴音が興味津々といった表情で見つめるが、明嗣は気まずそうに明後日の方向を向いて、その視線から逃れようとした。すると、鈴音はからかうように声をかける。


「変な事考えてたんでしょ」

「違ぇよバカ」

「いきなりバカはないでしょ!」

「うるせぇよ。変な事言い出すからだ」

「じゃあ何考えてたの」


 その質問をした途端、明嗣は黙り込んでしまった。何も言わなくなってしまった明嗣を受け、鈴音はこれを好機とばかりに追撃をかける。


「やっぱり変な事考えてたんでしょ!」

「だから違ぇっての! お前に言われた事を考えてたんだよ!」


 鈴音の追求に根負けした明嗣はポツポツと語り始めた。


「俺は今まで、マスターに付いて回って色んな奴を見てきた。自信満々に大口叩いておいて、いざピンチになるとしっぽを巻くって逃げ出す奴から、自分が原因のくせに無責任な後始末を押し付けてくる依頼人まで、それこそ色々な」

「うん」


 一旦、言葉を切って明嗣が飲み物を流し込んだので、鈴音は相槌を打って続きを待った。口の中の飲み物を飲み込んだ明嗣は、過去を振り返るように遠くを見つめて、続きを語り始めた。


「指摘された通り、俺は女が嫌いだ。すぐにヒスるし、自分の都合いい事ばっか押し付けてくるし、三文芝居で男女問わず常に味方は確保してるしで、良い印象が全くない」

「うわっ、ひどっ」


 散々な言いざまに鈴音は思わず、引きつった表情を浮かべる。だが、明嗣は「でも」と続けた。


「お前は真っ直ぐに俺を見て『一緒にすんな』って言っただろ。それで俺の前でちゃんと『なんとかする』って言葉を現実にしてみせた。だから、そこん所は認めるよ」

「それでジュース1杯かぁ……思ったより価値が安いんだね、アタシ」

「逆だ、逆。力があるって認めたお前にジュースの価値をプラスしてんだよ。だから、これからもその調子で頼むって事」

「ふーん? じゃあさ、それなりの態度って物があるよね〜? ほら、アタシに示してごらんなさい?」


 期待するような、それでいて少し意地の悪い笑みを浮かべて、鈴音は明嗣へある要求を言外におこなった。すると、明嗣は恥ずかしそうに顔を逸らし、歩き出しながらそれに応えた。


「ほら、さっさとマスターの所に行くぞす、……」

「うん! 素直でよろしい……って、お店はもう閉まってるでしょ?」


 要求が通った事に満足しつつも鈴音は純粋な疑問を口にした。すると、明嗣はニッと口の端を釣り上げて答えた。


「だからだろ? 店閉めたんなら賄い飯を作ってる頃だ」

「あ、そっか! 何作ってるのかな?」

「今日はホワイトアスパラのスープを作ってたからな。たぶん、それにパスタの麺ぶち込んでスープパスタにしてるんじゃねぇか?」

「良いね〜。楽しみ!」


 他にもあれこれと賄いのメニューを予想しながら、明嗣と鈴音はアルバートの待つHunter's rustplaatsへ向かっていった。




 その晩、明嗣達が預かり知らぬ所で女が一人死亡した。その死体は驚くべき事に、ロンドンで起こっていた内蔵の一部と血液を抜き取る「現代に復活した切り裂きジャック」が関わった物と酷似しており、警察は厳しい警戒態勢を取ると共に、捜査本部を設置する事を決めた。

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