第35話 泣いて笑って

 終演後、美咲と篠山は再びメンバーの控え室に行った。リハーサルは退場させられたけれど、終わりのミーティングには歓迎してくれた。合同で、お疲れ様でした、と挨拶をしてからHarmonieとえいこんに分かれた。篠山はえいこんに、美咲はHarmonieに混じる。

「美咲ちゃん、元気だった? ずっと気になってたのよ」

 仲良くしていたお姉さんたちが駆け寄ってきてくれた。美歌がいないのを残念そうにしていたけれど、美咲に会えただけでも満足したらしい。

「紀伊さんは、復帰はもうちょい後やな?」

 メンバーの中心に立つ井庭が美咲に確認する。美歌は順調に育っていて美咲の体調も戻りつつあるけれど、今はまだ早い。

「はい。夏くらいからピアノ弾こうかとは思ってるんですけど」

「そしたら──秋のコンサート、また頼めるかな」

 久々に依頼がきて嬉しい反面、育児があるので少し不安になる。マンションに置いていた電子ピアノはすぐに実家に届けられたので、美歌を驚かせないようにヘッドフォンを着けて練習だ。

 Harmonieとえいこんはそれぞれミーティングを済ませ、ほとんど同時に解散になった。

「きぃ、忙しいのに、ありがとうな」

 美咲が帰ろうとしていると朋之に呼び止められた。彼はいつもの荷物の他にギターを背負っていた。

「ううん。来たかったし……良い気分転換になったわ」

「今日は電車で来たん? 先生と一緒やったよな?」

「うん。着いてから先生に会って──」

 美咲が朋之に話していると、篠山が通りかかった。二人を見つけて寄ってきて、美咲のことを少し気にしていた。

「山口君、やっぱり美咲ちゃんは最後の曲を知らんかったみたい」

「あ──そうなんや」

「それにしても、ギター弾きながら歌も音外せへんって、大したもんやわ」

 篠山はそのまま出口の方へ向かったけれど、ところで、と振り返って美咲を呼んだ。

「美咲ちゃん、何で帰るの? 何やったら送るけど」

「あ、そういえば先生も江井市に住んでたんやった」

「そうよ。どうする?」

 篠山と話したいこともたくさんあるけれど。

 今は朋之にいろいろ問い詰めたい。

 けれど篠山を断って朋之と話しても、家までの距離が遠いのは美咲だ。

「俺、送ります、今日は実家に帰るから」

「あらそう……。じゃあ、美咲ちゃん、またね」

 不満そうにしながらも篠山は帰っていった。客席ではほとんど静かにしていたので、篠山も話をしたかったのだろう。

 部屋に残っていたメンバーに改めて挨拶をしてから、美咲と朋之は駐車場へ向かう。ロビーや出入口前にはまだ観客が少し残っていて、最後の良かったねぇ、と話すのが聞こえた。

「きぃ、大丈夫か? 目」

「目?」

「最後──泣いてたやろ。まだちょっと赤いし」

 控え室に戻る前に化粧は直したけれど、泣いた後の赤い目だけはもとには戻らなかった。徐々に痛みは引いていたので色も戻っていると思っていたけれど、違っていたらしい。

「だってさぁ……仕方ないやん……」

 理由はきっと朋之も理解しているはずだ。彼は車に荷物を積んで、運転席に乗る。美咲が隣に座るのを待ってから、エンジンをかける。

「ズルいわ……」

「何を歌おうか考えてるときに、きぃが離婚かも、って聞いてな」

 井庭と篠山の耳にも入ってから、朋之はサプライズでエールを贈ろうと考えた。全員で話すと纏まらないので、井庭と篠山にだけ相談した。讃美歌は既に候補に上がっていたので、ソロを担当したいと申し出た。

「じゃあ、ギターは?」

「最後の曲は迷っててん。あの曲を思い出して、前はピアノだけで歌ったけど、ギター入るの知ってたから……やるしかないやん」

 ギターを入れることは許可が出たけれど、同時に歌うのは待ったがかかったらしい。座るのか、立ったままなのか、場所はどうするのか。サプライズなのに、使うまでどこに置いておくのか。

「俺は立って同時にやる以外、考えてなかったけどな。──だから、曲はお楽しみにしてた。教えたら、調べるやろ?」

 讃美歌を歌うことも、ソロを担当することも、最後の美咲へのエールも、ギターが入ることも、全てがサプライズだった。篠山はそれを知っていたから、美咲と一緒にリハーサルには入れず、朋之もギターを持って隠れていた。

「もう……また泣けてきた」

「はは、あそこまで泣くとは思わんかったけどな」

「泣くわぁ……ははは、はは……」

「え? どっち? 今度は笑ってんの?」

 美咲は朋之がギターを弾きながら歌う姿を思い出していた。ときどき左手を見てはいたけれど気になるほどの動きはなく、周りのメンバーとそれほど変わらなかった。篠山が言っていた通り、歌の音も間違っていなかった。

 朋之を好きになったきっかけは彼がイケメンだったから──久々に正面から彼の姿をじっと見て、それを思い出した。大人になった彼は相変わらずイケメンで、改めて好きになってしまった。けれど美咲の心にはまだ航の存在が大きく残っているので、付き合うのは無理だ。今は心が満たされているけれど、明日になったらきっと戻ってしまう。

「ありがとう。元気出てきた」

「それは良かった。……きぃ、あんまり、頑張りすぎるなよ?」

「うん。ははは、ははは……」

「どうした?」

「秘密。ふふふ」

 急に笑いだした美咲に首を傾げながら、朋之は車を進める。心配していたのに、と呟きながら美咲の笑いが止まるのを待つ。

 美咲が朋之の前でこんなに笑うのは、おそらく初めてだ。過去のことを思い出して、再会してからのことを振り返って、仲良くなれて本当に良かったと思う。彼のことは好きと本人に伝えたけれど、今の気持ちはまだ話していない。

「山口君には、感謝しかないよ。気持ちが、嬉しかった。ほんまにありがとう」

「前に言ったやん、きぃは仲間やって。それに、俺も離婚したとき、きぃに元気もらったから」

 美咲は特に何かをした記憶はないけれど。朋之がそう言うのなら、そういうことにしておこうと思った。今でも好きだと伝えるかは、明日になってから考えることにした。

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