九月九日 菊の花寿司




「どうぞ」


 菊の花を愛でる宴の席から離れた処で独り、酒を嗜む主人に差し出したのは、漆黒の丸皿を彩る菊の花寿司だった。


「刻んだ食用の菊の花を酢飯に混ぜて楕円形に丸め海苔で包み、その上に菊の花を盛り込みました」

「菊の軍艦巻きか」

「菊の花寿司でございます」

「軍艦は嫌いか」

「はい」

「そうか。ならば、菊の花寿司を頂こうか」

「はい」


 主人は箸を使わずに掴んでは一口で菊の花寿司を平らげた。


「菊の苦味と爽涼感を酢飯と海苔が和らげて。いや、うん。海苔の味が際立ち、余韻が海苔で埋め尽くされているな」

「左様ですか。では、客人方には海苔は巻かないでお出しします」

「海苔の代わりに胡瓜を使うといい」

「分かりました」

「しかし、毎度毎度主人を味見係に使うとは」

「我が主は舌が肥えていらっしゃるので、大変に助かっております」


 では失礼します。

 目線は下に身体を主に向けたまま、三歩後方に歩こうとした処で呼び止められて足を止めて顔を上げれば、お猪口を差し向けられた。


「一杯だけ付き合ってくれ」

「………一杯だけですよ」


 一枚の菊の花びらが浮かぶお猪口を主から受け取っては距離を開けて、中座になって一気に飲み干して立ち上がった。

 主は半眼になった。


「もう少し余韻というものを大切にだな」

「主と違い為すべき事が山ほどございますので、失礼します」

「あ。ったく」


 小さい歩幅のくせにもう豆粒ほどの姿になってしまった家人に口を尖らせつつ、皿に残っていた菊の花寿司を一貫掴んで一口で平らげた。


「ったく。毎年毎年菊の花の寿司を食べさせおって。その内私が芯の通ってない菊に変化したらどうしてくれるんだ」


 邪気を祓い長寿と健康を願っての事だと知っているから。

 退屈しないように心を配っている事を知っているから。

 直接言及はしないけれど。


「まったく」


 主はうっそりと微笑み、菊の花寿司に手を伸ばすのであった。











(2022.8.3)




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