最終話 『篠崎聖良』

「うーっす」


 翌日、俺は教室に入るなり今までではあり得ない挨拶を繰り出した。


「お、青山ぁ、うーっす!」

「青山が挨拶なんて珍しいな。明日は世界の終わりか? まぁとにかく、おはよう」

「……うす」


 細谷さん、山城、飯塚など球技大会時のチームメイトが中心に挨拶を返してくれる。 


「はは」


 それを見ていた霧島が何やら嬉し気に笑みを漏らした。


 続いて七瀬がこちらに駆け寄ってくる。


「なにこれコント? どこで笑えばいいの?」

「ちげえよ!? なんで俺が挨拶したらコントの始まりなの!?」

「言っておくけど寒いからね? あんた面白くないんだし、そういうのはやめておいた方がいいと思うわ」

「だからやめよー!? 人がせっかく前向きなことしてんのにさー!?」


 まったく、朝からなんなんだよ。

 霧島も七瀬も、やけにニヤニヤしやがって。


「おうおうなんだー? まーた痴話喧嘩かー? おまえらホント仲いいよなー、あははは!」


 そこへ気軽に絡んでくれる細谷さん。

 それはまるで、3人だけで出来上がっていたセカイに新たな門戸が開かれたかのようだった。


 ありがたいな。

 あの日、本気で闘って出来た絆は未だ切れることがない。

 それはむしろ、これからの俺の行動次第でより強固になるだろう。


 新たな景色が、次々と見えて来る。


 そして……


「あん……?」


 机の引き出しに手をかけると、一枚の便箋が出てきた。




『————放課後。

 東の空から始まる世界が西へと沈みゆく頃。

 思い出のあの場所で、お待ちしています』




 こんな胡散臭い手紙を書くのは、1人しかいない。


 隣に座る少女に視線を送るが、彼女はそれに気づいていないかのように他のクラスメイトと談笑していた。


 そっか。

 もう、夏休みだもんな。


 その時が来たのだと、そう思った。




 ◇◆◇




 ————思い出の場所。


 そこへやって来ると、手紙の主と思しき後ろ姿が見えた。


 夕暮れの恋人岬。


 俺と彼女にとっては思い出なんて綺麗な表現じゃ言い尽くせない、因縁の地。

 

「お待たせ、待ったか?」

「……そうですね。かれこれ1時間ほど?」


 くるりと麗しく振り向いた少女————篠崎聖良は美しい黒髪を翻して、今までと変わらずに微笑む。

 

「女の子をこんなに待たせるなんて、相変わらず悪い人。この場所に一人ぼっちな女の子の気持ち、分かりますか?」

「いやいや、正確な時間書いてなかったし。あの手紙でちゃんとここに来れただけでも褒められるべきじゃない?」


 まったくこの幼馴染は……悪い女だと、こちらこそ言いたい。


「ふふ」

「はは」


 しかし自然な会話ができている現状に、笑みが漏れた。


 なんだ俺、できるじゃん。

 心臓に手を当ててみる。

 彼女に再会してから今までのいつよりも、心は落ち着いているようだった。


「で、何の用?」

「わかっているくせに、あなたはいつも知らないふりですね」

「面倒くさいことには関わらないのが信条なもんで」

「面倒くさいの権化みたいなあなたが言わない方がいいかと」

「おまえもな」


 ああ、落ち着く。安らぐ。


 それはきっと、俺たちがこの先を、未来の景色を共有しているからだ。

 彼女もそれを知っているから、こんなにも綺麗に微笑む。


 波の音が聞こえた。

 潮風が頬を撫でた。

 カモメが鳴いていた。

 夕日が照らしていた。




「好きです」




 囁きが、心を揺らした。




「ずっとずっと、好きでした」




 やっと、やっとだ。

 これが、俺たちの物語の解答編。


 この答えが、必要だった。




「私と、付き合ってください」




 長い、長い沈黙が漂う岬。




「ひとつだけ、聞いてもいいか?」

「はい、なんでしょう」

「俺の告白に対するあの答えは、嘘だったということか?」

「………………」


 聖良は少しだけ考えるように、言葉を選ぶように押し黙る。


「嘘……というのは少し語弊があるのかもしれません。あの日、あの言葉にはたしかに真実も含まれていて、あなたを大嫌いだと罵る私がいたのもたしかで……だけど、それはもう終わりました。復讐に囚われた私は、死んだのです」


 自身の心をまとめ上げるように、聖良は語った。

 

「あれは私たちに必要な儀式だった。そう思いませんか? 私もあなたも、お互いがお互いを傷つけ、傷つけられた。だからこそ今、対等な私たちがここにいます」


「そうだな」


 それはおそらく、俺たちが描いていた共通の認識。


「その上で、純粋な想いが溢れた結果が……先程の言葉と思っていただければと、そう思います」


 今日の聖良はあくまでも誠実だった。


 わかっているよ。

 俺たちは同じだ。

 同じ想いを経験した。


 だから。

 だからこそ……俺の答えは決まっていた。


 ここから、未来はまたひとつ分岐する。


 俺と聖良は、異なる選択をする。


 彼女にとってあり得なかった選択肢が、俺には存在している————!






「お断りだ」





 静寂があたりを包んでゆく。

 言いたくなかった、こんなこと。


「え…………?」


 まるで鳩が豆鉄砲を食らったように、唖然と口をあんぐりさせる聖良。


 絶望顔って言うのかな。


 ごめんな。

 本当に言いたくない言葉だった。


 だってさ、今、目の前にいる女を見てみろよ。


 見惚れるほどに可憐な黒髪。整った顔だち。手足もすらっと長くて美しい……文句なしの美少女だ。

 しかも勉強ができて運動ができて、誰とでも分け隔てなく接することができるコミュニケーション能力の持ち主。

 そこにいるだけで、微笑むだけで、多くの人の幸せを生み出す。

 それらは生まれ持った才能ではなく、全て努力によって得たモノ。


 そのことを、俺だけが知っていた。


 そんな篠崎聖良が、俺を好きだってよ。


 こんなに嬉しいことはない。


 その言葉をずっと夢に見ていた。


 だから、俺は再び彼女を突き放す。


「俺は、おまえと付き合わない」

「……そん、な…………な、なんで……どうして……? なつ、くん……?」


 困惑の渦に飲まれ、瞳を彷徨わせる聖良はまるで捨てられた子犬のようだった。


「そ、そんなわけない。な、なつくんが今の私の告白を断るなんて、そんなことあるわけない!」


 聖良は訳がわからないと、冷静さを失って、仮面を脱ぎ捨てて、必死に、ヒステリックに追い縋る。


「私のこと、好きだったんでしょ!? 好きで、好きで、好きで、好きで、好きで堪らなくて! 眠れない夜もあったでしょ!? 私と話したい! 手を繋ぎたい! キスしたい! エッチなことがしたいって、何度も思ったでしょ!?」


 そうだな。そうだろうさ。


「私に振られた後だって、そう。悲しくて、辛くて、目の前が真っ暗になって、私のことを罵って……恨んで、憎んで、嫌いになろうとして! …………でも、それでも、好きって気持ちは消えてくれなくて! むしろ日を増すごとに叶わない願いは大きくなっていく! なつくんは、今でも私のことが大好き! 大好きなんだよ!」


 聖良が言ったことは真実だ。

 まぎれもなく、俺にもそんな感情があった。

 性質の似ている俺たちは、お互いのことをよく理解していた。


 …………途中までは。


「ばーか。おせえんだよ、何もかも」

「え……?」

「おまえはさぁ、子供だよ。

「私が……子供……?」

「そして傲慢で、強欲で、我儘な女だ」

「そんな、酷い……酷いよ……なんでそんなこと言うの……? なつくん……」


 ついには聖良の瞳から涙が溢れる。


 まるであの日のリプレイだな、おい。


 まったくもって俺もまた、最低な男だ。


「なぁ聖良。俺は、俺はさぁ」


 優しく、優しく。

 子供をあやすように、俺は語りかける。


「もう、済ませちまったよ。失恋ってやつ」

「失……恋……?」

「ああ、そうだ。俺はもう、おまえに振られたことを乗り越えた。今はもう、前を向いている。高峰聖良に……そして————」


 あの日、ふらふらとナンパしていた俺に微笑んでくれた君の笑顔が脳裏をよぎる。


 だけどそれも薄れて、消えてゆく。



 これが、俺の解答。

 霧島大気と七瀬里桜がもたらしくれた、俺の本当の幸いだ。


「そんなわけない……そんなわけ、ないんだよ」

「あるから言ってる。……だって俺には、2人の親友がいるんだ」

「親友……霧島くんと、里桜ちゃん?」


 そうだよと、俺は頷く。


「昨日3人でパーっと遊んでさぁ、それが楽しくて楽しくて……もう、愛だの恋だの、忘れちまったよ」


 失恋ってのは簡単なもんじゃないが、俺にとって不可能ではなかった。


 だから、心の底から、こう思う。


「今の俺には、コイツらがいてくれたらそれでいいんだなって」

「そんな、ずるい……ずるいよ、なつくん」


 放心した様子で俺の言葉を反芻する聖良。

 それから、やはり信じられないとばかりにクシャリと顔を歪ませた。

 瞳には大粒の涙が溜まり、流れてゆく。


「…………私は、できなかった。失恋」


 ポツリと漏れた。

 それは小さな小さな、孤独な少女の慟哭。


「だって、なつくんが私の中からいなくなっちゃったら私、本当に1人になっちゃうから。ひとりぼっちは、嫌だから。なつくんがいないと、なつくんに恋してないと小さな小さな私のセカイは終わっちゃうんだよ……」


 実のところを言えば、俺は高峰聖良という少女の人生をそこまで知らない。

 推し測れることならいくらでもあるが、実際にそれを聞いたことはない。

 七瀬と同じだ。

 その心の奥に踏み込まないのは俺の性分であり、臆病さの表れ。

 だから、やはり彼女の苦しみもまた、理解できていないのかもしれない。


 ただ、俺はその星の煌めきに魅せられた1人だ。


「ひとりじゃないだろ」

「え……?」

「クラスの人気者じゃねえかよ、おまえ」

「そんなのまやかしだよ。私はただ、上辺を取り繕っているだけ。何より私自身が、みんなに心を開いていないんだから」

「嘘だ」


 用意されていたかのようにスラスラと並び立てた聖良の言葉を、俺はバッサリと切って落とす。


「球技大会、1人じゃ勝てなかったんだろ?」

「それは……」

「言ってたじゃねえか。みんなに励まされたって。弱い自分を支えてくれたって」

「で、でもそれはやっぱり一時的なもので、たった1日、一緒に試合しただけで……」

「バカ。あんだけ汗水垂らして、本気で走って、優勝したんだろ」


 俺が保証する。

 マイナス以下からでも、あそこまで出来た俺が言うんだ。


「そんな時間を共有したチームメイトが、友達————いや、仲間じゃなくて、ほかになんだって言うんだよ」

 

 信じろ。


 そもそもなぁ、俺のことを追っかけることしか出来なかった金魚の糞女が、今更口答えしてんじゃねえんだよ。

 口ばかり無駄に達者になりやがって。

 全肯定女でいた方がまだ可愛げがあるっつーの。


 文句は100や200じゃ足りないが、それらを押し込めて俺は自信満々に微笑んだ。


「そう、なんだ……私、1人じゃ、なかったんだ……」


 噛み締めるような呟き。


 そして。


「うぅ……うああああぁぁぁぁぁぁ…………」


 へなへなと地面にしゃがみ込んだ聖良は両手で顔を塞いで泣き出した。

 俺にはそれがまるで憑き物が晴れていくかのように綺麗に映った。


 なんとなくだが、彼女はもう大丈夫だと、そう思えるくらい。

 それはきっと、彼女の本心から望むセカイを映した涙だったからではないだろうか。

 そんな気がした。


 俺は聖良に手を伸ばす。


「そして俺もまた、おまえを1人にしない。

「え……?」

「幼馴染とか、もうやめようぜ? 昔のあれこれも、もう言いっこなしだ。復讐は終わったっておまえが言ったんだぞ。文句ないよな?」

「そ、それは……そう、だけど……」

「それとさぁ、おまえはずっと勘違いしてるみたいだけど、ここにいる俺はあの頃の俺とは別人なんだ。あ、昨日また生まれ変わったし、再会してからともまた別人かな?」

「あはは……なにそれ。何回、転生するの?」

「何回でもだよ。そういうもんだろ、人って」


 何度も失敗して、耐え難い後悔の中でもがいて、それでも新しい自分でやり直して、這いつくばりながらも生きていくんだ。


「だから残念ながら、今の俺はおまえの好きな俺じゃないし、おまえを好きな俺でもない」


 ぜんぶぜんぶ、過去を精算したんだ、俺たちは。


「そして、おまえも変わるんだ」

「私、も……?」

「そろそろなってもいいと思うぜ。高峰聖良でも、聖良ちゃんでもない、本当の篠崎聖良にさ」

「篠崎……聖良」

「で、また一から始めよう」


 その時には、お互いがお互いに胸を張れる俺たちで。

 俺たちが本来紡ぐはずだった物語を、見つけ出そう。


「そんなところでひとまず、納得しておかないか? メンヘラ女」


 拙いだろう。

 素直に頷けるような、確かな言葉でもないだろう。

 いつかまた、彼女は深い闇の中で悩むことになるのかもしれない。

 だけど、これが俺の出した結論で。

 

 篠崎聖良という女の子と新しい物語を、始めたいと思った。


「……なっ、メ、メンヘラって……なつくん酷い。イジワルだよぉ……」


 昔の顔で、聖良は弱々と苦笑いする。


「メンヘラをメンヘラと呼んで何が悪い。しかも依存癖まであったとは。たまげたよ俺は」

「むむぅ……やっぱりひどい……。…………でも、そう……ですね。私は本当に、最低最悪の女です」

「そうだな」

 

 肯定する。

 何もかも最低でも最悪だ。俺も、おまえも。


 だけど、俺と違って今を輝ける彼女は、


「同時に、最高の完璧美少女でもある」

「……ッ、………………はい」


 こちらを見上げた聖良はようやく俺の手を取って立ち上がる。

 ふわりと、まるで蝶のように舞い上がる少女。

 女の子らしく両手を後ろに組んで完璧な上目遣いを見せつける彼女は、柔らかな微笑みを浮かべた。


 西日に照らされたそれは、神秘的なまでに美しく、可憐という言葉が相応しい。


「なんだよ、天使の真似事か?」

「ふふ、はい。そうですよ。可愛いでしょう?」

「ああ。………………可愛いな」

「当たり前です」


 悪魔から、天使へ。


「なんといっても私は、みんなに愛される、なのですから」


 一番星が、煌く。

 

 ようやく全てが終わり————そして始まった。

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