13-1 副団長の記憶
舞踏会が終わった後も喧騒は収まらず、人々は興奮した面持ちで各々の家路についた。
クラリス様が連れてきたボライトン領の民衆たちは、卿たちの裁判のため幾人かの証人を代表として残し、騎士団のユニコーンを借りて帰っていった。私はそれを見送り、会場の後片付けを手伝ってから、ぶらぶらと夜の王宮の庭園を歩いていた。
私はクラリス様の子供のように無邪気な笑顔と涙とを思い出していた。そして、そんなクラリス様を姉妹として受け入れ、二人でより良き国を作っていこうと誓ったアナさんの堂々とした姿を。
アナさんは傀儡王にはならなかった。また、自分を捨てた女王やクラリス様への憎しみや恨みなども持たなかったみたいだ。
私も多少ではあるけれど、クラリス様の嫌疑を晴らし、ボライトン家の悪事を暴く役に立てたと思う。クラリス様も私を頼ろうとしてくれた。信頼されていることを知って嬉しかった。こうして反乱分子は排除され、みんなが幸せになってめでたしめでたし。私はクラリス様を救えたんだ。
そう、きっと。
……本当に?
何故か感じる胸騒ぎを、薔薇の香りがする夜風に乗せて吹き飛ばしたかった。
どうしてこんなに不安なんだろう? 何かが頭に引っかかっている。明日の夜明け、太陽と月が顔を合わせる暁に、新王即位の儀式が行われる。もう心配なことなんてない。
なのに、私の足は自然と、儀式が行われるアステロイド殿に向かっていた。周りに電灯さえないのは、こんな時間にここへ来る人間などいないからだ。
しかし、暗闇の中に浮かび上がった馬車のシルエットと、その前で紫煙をくゆらせている人物に、私は驚きの声をあげた。
「マチルダさん……」
高級タバコの「バーニン・ベテルギウス」を咥えたマチルダさんは、既に足音から私がやって来たことには気付いていたらしく、視線も寄越さないで「ルイーゼか。騎士なら足音くらい消して歩け」と言ったきり沈黙してしまった。
語らないマチルダさんに対して、私の方は聞きたいことばかりだった。舞踏会が大荒れしていた時、マチルダさんはいったいどこにいたのか。こんな所で馬車など出して、誰を待っているのか。
けれど、口をついて出たのは、
「マチルダさん、タバコ吸われるんですね」
という、思いつく中で最もどうでもいい質問だった。マチルダさんは真面目に答えて、
「普段は吸わん。女王陛下も姫さんもタバコの煙が嫌いだからな。だが、勝負しなきゃならない時の前には、落ち着くためにコレが必要なんだ」
「じゃあ、今は一世一代の勝負事の直前ってことですか?」
「……」
マチルダさんはふっと煙を吐くと、タバコの灰を指で叩いて落とした。そして、しばらく何かを逡巡しているようだったが、長い静寂の後に放たれたのは、「悪いな」という謝罪の言葉だった。
「何がです?」
「お前さんは姫さんが好きだったんだろう、ルイーゼ。そのために王都にまで来たらしいじゃねえか。ところが、私はこれから、姫さんをローレンスと一緒に隣国へ逃がす。もう二度とこの国には関わらせない」
「なっ……!」
風が凪いだ。私は立ちすくんだまま、読めない表情をしているマチルダさんを見つめていた。
淡々とマチルダさんは語る。
「手はずは全て整えてあるんだ。ネメアの谷の街や、その他の地域にも、亡命の手助けを頼んでおいた。もうお前は何もしなくていい。これから起きる厄災から逃れて生き延びろ。頑張れよ」
あらゆる説明がはぶかれた一方的な忠告に、私は言葉を失う。
ネメアの谷って、次期王選抜の戦闘試験の時にマチルダさんたちが向かった地域じゃないか。そんな前から準備をしていたんだ。
どうしてと、そう問いかける前に、更なる衝撃。
「ルイーゼ、タイムスリップって信じるか」
地面に落としたタバコを靴のかかとで踏みつけ、火を消したマチルダさんが真剣な目で聞いてきた。
まさか。マチルダさんはもしかして……。
「私の記憶では、斧を振り回す新人騎士なんていなかった。お前の存在で本来あるべき未来の流れも大きく変わっている。なあ、お前さんも
……私以外に、逆行前の記憶を持つ人。
これは、姫君が騎士を目指し始めたくらいの頃のお話。
姫君に仕えていた少女は、いたるところ策謀の渦巻く王宮という場所が内心では嫌で仕方なく、自分が元いた孤児院のことばかり気にしていました。
姫君に「外に出ないのか」と聞いたのも、姫君のお付きとして一緒に下町へ行き、孤児院の様子が見たかったからでした。そして、外に出ることも出来ないほど臆病で、この恐ろしい王宮で何も考えずに笑っていられる姫君に苛立ちました。
つまりは、少し捻くれているとはいえ、少女もただの子供だったのです。
「もしかして、師匠が言っていた孤児院での大捕物って、マチルダさんの……」
「そうだ。王都の街にも不届き者はいてな、子供ばかりの孤児院を狙ってみかじめ料だかをせしめていく奴を、姫さんがガキどもを指揮してめっためたにやっつけたのさ。たかが世話係の実家のために、よくもあんな無茶をしたもんだと思うよ」
孤児院を助けてもらって、少女は姫君に感謝したでしょうか。
するにはしましたが、少女には不可解なことの方が多かったのが実際です。仮にも姫君は一国の王女です。そんな姫君が、急に騎士などを目指したり、一孤児院ごときのために危険を侵す理由がまったく分かりませんでした。
姫君は鍛錬でぶっ倒れること以外にも、病気をぶり返してたびたび寝込むことがありました。その看病は、世話係である少女がするべきはずなのですが、なぜかいつも、少女の養父母である侍女長や執事長があたっていました。
病気の姫君に近付いてはいけない。養父母の言いつけに背いて、ある日少女は、姫君の部屋に忍び込みました。
そこで見たのは……目が白く光りそうになるのを必死で抑え込んで、寝台の上でのたうち回り、自分のことを殴ったり引っ掻いたりしている姫君の姿でした。
姫君は白い目で少女のことを捉えると、近くにあった水差しや本やペンなどを少女に投げつけました。そうして攻撃しながら、
『嫌わないでくれ! 君に嫌われたくないんだ!』
そう言って泣き叫んでいるのでした。
侍女長たちが慌てて駆けつけるまで、少女はあっけにとられて、物を投げつけられるままになっていました……。
「その頃の姫さんは、まだメデューサの血を完全に克服した訳じゃなかった。気を抜いたら負の感情に支配されて、誰かれ構わず……姫さん自身も含めて……攻撃しちまう状態だった。今はどうか分からんが、私は正直心配してるんだぜ。姫さんのあの天空海闊な性格は、周りを傷つけないために、強い自己暗示で作りあげたものかも知れない」
放置されて育った子供は見捨てられ不安が強くなるといいます。孤児院でそんな子供たちを山ほど見てきた少女は、姫君の弱った姿にそれを思い出して、ショックを受けました。
そうしてだんだんと、姫君がさして愛されて大切に育てられた訳でもなく、ただの幸せいっぱいの能天気な子供でもないことを思い知りました。
正気に戻った姫君は、少女を攻撃したことを気に病み、以前は少女に気に入られようとやたらに近付いてきたくせに、今度は一歩引いたような態度をとるようになりました。
それがもやもやしてたまらなかった少女は、姫君について回り、姫君と一緒に鍛錬を受けることにしました。
こうして、紅騎士団の未来の団長と副団長が誕生したのです。
さて、時は過ぎ、二人はすっかり打ち解けて、信頼し合える仲になりました。
次期王選抜試験に姫君が出なくてはならなかった時も、少女は娘を王位につけたい女王陛下の御心を理解しながらも、姫君の望むような結果になればいいと思っていました。
そして、祝福の青薔薇人が現れ、なんとその下町娘が姫君の妹だと判明し、王に即位した際にも、さまざまな不安要素はありましたが、姫君が幸せそうなので、これでよしとしました。
しばらくして、王都の町にメデューサが現れたらしいとか、メデューサの侵入を手引きしたのは姫君なのではないかとかいう噂が流れていると孤児院の子供たちから教えられた時、少女はくだらないことだと突っぱねながら、ある不安を抱きました。
その頃、姫君がボライトン家の不正告発の準備を進めていたことを、少女は知っていました。それは、ボライトン家があまりに新王の政治に口を出し過ぎたり、隣領地のアーバスノット家を乗っ取ろうとするような、秩序を乱す動きをしていたためでした。
少女は知っていました。ボライトン家が、亡き王配を前モールポール卿と画策して殺したのではと疑われていることを。そして、その疑いがあってなお、エリザベス女王陛下がボライトン家を泳がせている理由を……メデューサの呪いの術から、アレクサンダー王配殿下をよみがえらせる秘法が見つかるのではないかと期待しているからであることを。
少女は姫君の手助けをすべきか、止めるべきか判断をつけかねました。
あくまで少女は、女王陛下から派遣された姫君の世話係。少女の主は女王なのです。
そうして手をこまねいているうちに、恐れていた出来事が起きたのです。
「なんだか分かるか?」
「……クラリス様の反乱未遂事件と投獄。紅騎士団の解散。あと、前女王陛下の死……」
「おう。よく覚えてるじゃねえか。田舎の方にも詳しい話が広まってたんだな」
ボライトン領の領民たちに不正告発を呼びかけ、説得して回る姿を「反乱準備をしている」と曲解された姫君は、アーバスノット博士を亡命させた件が決定打となり、ろくな裁判も受けられず王宮の隣にある塔に幽閉されました。前女王陛下の死は明らかに人為的なものであったのに、事実は闇に葬り去られ、自然死であるとされました。
その時点で既に、新王による独裁政治の基盤は整っていたのです。
「新王による……? アナさんはボライトン家に操られていたんじゃないんですか?」
私はどうしても聞かずにはいられなくて、話をいったん中断させてもらった。
マチルダさんは「はあ?」と呆れた声をあげて笑った。その笑い方と鋭さを増した目から、マチルダさんの底知れない憎しみが感じられた。
「何言ってんだお前さん、あの娘を見て気付かなかったのか? あれは悪魔だよ! ……アイツは史上最も呪われた青薔薇人だ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます