2-3 村娘の初任務

「うわ、本当に隠し通路だな。狭いし、整備されてない」


 ハネルの救助のため、穴の中に降りたオリバーが言った。

 私も続いて降りてみると、たしかに、あまり広くない道に、でこぼこの壁でいかにも秘密の通路といった感じだ。明かりがないので暗いけど、ハネルの金色の毛が光っているので、近い範囲は照らせる。


「オリバーは、王都の騎士学校に通っていたんだよね? 地下道のことは知らなかったの?」

「聞いたこともない。しかし、誰が何の目的で作ったんだ、こんなの。まさか子供が掘った訳でもあるまいし……」


 でも、とりあえずは地上に戻るか。オリバーはそう言って、ハネルを担いで穴から出そうとした。私も手伝おうとしたが、その時に、湿った土以外の妙な香りが鼻をついた。


 なんだろう、これは?どこかで嗅いだことのある匂いだ。なんだか不安な気持ちになる。

 そうだ、時間を遡る前の、戦場の香りと似ているからだ。硝煙が立ち込めていて、あちこちで爆発が起きていて……。あれは……。


 火薬の匂い。


「オリバー、地面に伏せて頭をかばって!」

「えっ?」


 きょとんとしているオリバーの手を引っ張り、ハネルを抱えて地面に伏せる。

 直後、頭上から轟音が響いた。衝撃と揺れに耐えていると、次に聞こえたのはガラガラと建物が崩れる音。レンガの壁が倒れてきて、穴が完全に塞がれてしまった。

 目を丸くしているオリバーに説明する。


「地上で爆発が起こって、周囲の廃墟が崩壊したんだよ。そんなに大きな爆発ではなかったようだけど、火薬が仕掛けてあったみたいだから、これは人為的なものだよ。この地下道、何かあるんじゃないの」


 私は土ぼこりを払いながら立ち上がって、周りを見た。他に出入り口は見当たらない。私たちは閉じ込められてしまったようだ。


 とにかく、無事に地上へ戻るためにも、地下道の秘密を探るためにも、私たちはこの隠し通路を探索しなければならなくなった。ハネルの首輪の紐をぐっと握って、私はオリバーを振り返った。


「とりあえず、行こう。じっとしていても始まらないしさ。オリバー、何か燃やせる物とか持ってない? 地下は酸欠になりやすいから、時々酸素量を確認していきたいんだけど」

「あ、ああ……」


 オリバーは戸惑った顔をしながらも、上着の内ポケットから星くずマッチを取り出して渡してくれた。王都でよく配られている、擦るとチカチカ弾けて光るやつだ。

 私はお礼を言って、「じゃ、出発進行ー」「メェー」と道を進み始めた。


「やっぱりお前、ただ者じゃない……」


 後ろで、オリバーが何か呟いたような気がしたけど、よく聞き取れなかった。




 暗い通路を無言で歩く。迷子にならないために、定期的に壁に印を残していく。

 方位磁針を持っていれば、せめて今どっちの方角に向かっているのかくらいは分かったんだけど、残念ながら私もオリバーも持っていなかった。私のポケットに入っていたのは、あの銀の懐中時計だけだ。


 私がハネルの紐をひいて先導するかわり、オリバーが腰の剣に手をかけて、周りを警戒してくれている。

 だが、長い沈黙に耐えられなくなったのか、オリバーが独り言のように話し始めた。


「……二人で同時に穴に入っちまったのは、失策だったな。ちゃんと団体行動の基本として、一人が調査に行ったら他の者は待機、何かトラブルがあったら上官に報告。そう習ったはずなんだが」

「勉強したことって、なかなかすぐには実戦に移せないよね」

「でも、お前は移せてるだろ、ルイーゼ。なんでそんなに冷静でいられるんだよ」


 オリバーに言われて、私は首を傾げた。

 そうかな? 私だって、落ち着き払っているわけでもない。ここから出られなかったらどうしようとか、クラリス様を助けられないで今生を終えてしまったらどうしようとか、心配ごとはたくさん思い浮かぶ。

 でも、一度死にかけて復活した経験があるせいか、言われてみれば、危険に対する恐怖心がやや薄れているような気もする。


「まあ、私なんて権能もないただの村人だし、こういう場面で足手まといになったら本当に騎士として使いものにならないでしょ」

「まずそこからだよ、不思議なのは。そんな普通の村人が、なんで騎士になろうなんて思ったんだ?」


 それはね、と答えようとして詰まった。どうやって説明しよう? まさか時間を遡ってきたなんて言えるはずがない。


「……力を、求めて?」

「お前、何を目指しているんだよ……」


 呆れと疑いの目を向けてくるオリバーの姿が、いつかのマイクと重なった。やばい。たしかに、この言い方だと、世界征服をもくろむ脳筋野郎みたいになってしまう。


「ちょっと、誤解しないでよ? オリバーが想像してるような人間じゃないから、私は、断じて! 私は世界平和を守るために……!」

「お前は何と戦ってるんだよ」


 本当にそうだ。この回答はちょっとカッコつけすぎた。

 でも、オリバーに対してどこまで打ち明けていいのか分からない。私の持っている記憶は、オリバーの将来にも関わるものだ。私がおかしなことを教えて、オリバーのたどる運命がまるきり変わってしまったら……。


 それに、私自身、まだオリバーを完全に信用してもいない。彼が謙虚で真面目な性格なことは、この短時間でもよく分かったが、そんなオリバーもクラリス様の敵にならないとも言い切れないのだ。

 紅騎士団は、今から数年後に、団長のクラリス様を守りきれずに……あるいは見捨てて、消滅する。その時、オリバーは騎士団にいたはずだ。


 どうしよう。でも、こっちでは起きてもいない未来のことに囚われすぎてもなあ。

 黙り込んだ私をしばらく観察していたオリバーは、息をつくと「いいよ、もう」と言った。


「なんかややこしそうだし。俺は強くなりたいとかはないな。余計なことは知らず考えず、まっとうな騎士として働ければいいや」


 それはどこかで聞いた言葉だった。時間を遡る前の私も同じことを考えていた。私はただの村人として、平和に穏やかに暮らせればいいって。

 でも、そんな未来はこない……。


 やけに達観したようなオリバーの様子に、なんとなく以前の自分の姿が重なって、余計なことを言いたくなる。


「まっとうな騎士ねえ。それも立派な目標だけど、あなたはもう少し志を高く持ったっていいと思うよ」

「持ったところで仕方がないだろ。領主の家出身とはいえ、俺はろくな権能もないし、絶対にある地点で他の奴らに負けるんだよ。かといって、勉強しても実戦には繋がらない。繋げられる才覚がないからだ」


 ぽろぽろとネガティブな言葉が出てくる。よくない兆候だ。長時間暗い地下道に閉じ込められて、無意識に不安な気持ちが促進されているのかもしれない。


「オリバー、落ち着いて、紅騎士団の騎士がそんなんじゃ駄目だよ。私たちは一応、エルド王国最強の騎士団の一員なんだから。自信を持たなきゃ」

「お前はそりゃ、自信を持てるだろうよ。ルイーゼ・スミス」


 道がだんだん狭くなっていく。気が付いたら、周りにずいぶん冷気がたちこめていた。ハネルも変な雰囲気に気付いてぶるっと震える。なんだか妙だ。

 オリバーは、何が面白いのか、薄く笑いながら自嘲の言葉を吐き続けた。


「お前はすごいよな、権能もなくて、学校も出ていなくて、それでも立派な紅騎士団の騎士だよ。でも、俺は本当なら紅騎士団なんかにいなかった。これで俺は言い訳もできなくなったってことだ。俺より条件が悪いお前が、俺より強いんだから。俺も……俺だって頑張ってたはずなのに、全然、もっと上の家の、権能持ちの連中に敵わなかった。でもきっと、俺の努力が足りなかったせいなんだよな」

「そんな……どっちが強いかなんて分からないじゃん。私たちはまだ手合わせしたことないし。どうしたの、オリバー、何かおかしいよ」

「おかしいか? そう言われれば、さっきから目がチカチカするんだ。何かが視界の中をちらついて消えない。なんだこれ」


 そう言って目をこするオリバーの視線の先には、闇が広がるばかりで、私には何も見えない。

 でも、頬を撫でる気味の悪い風に、嫌な予感がした。密閉されている地下空間で、どうして風が吹く?


 向こうに、誰かいる?

 私はオリバーとハネルを背中に隠して、腰の斧に手をかけた。暗闇から何かが這い出てくる音がする。


 ずるずるずる……。

 足音ではなかった。少なくとも「人の」足音には聞こえない。思い出すのは、森のヘビ。腹を引きずらせて地面を這う音。


 その時、私にもチカチカと光るものが見えた。

 暗闇に浮かび上がったのは、不気味に白く輝く双眼と、何百という小さな目。その目は一つひとつが自我を持っているかのように、ひとりでに瞬きし、蠢いていた。


 初めて見た。現れた下半身は灰色をした蛇の胴体。腕は青銅で出来ていて、頭は……そう、髪があるはずの頭皮から、無数の蛇が生えている。私は叫んだ。


「メデューサ! なんでこんな所に!」


 蛇の髪と光る邪眼を持つメデューサ族。セント=エルド大王国と隣国との境、北東の極寒の地に住まう化け物。

 しかし、彼女たち——メデューサに性別はないのだが、便宜上はそう呼んでいる——を人間がことさら忌み嫌い、彼女たちが人間を憎むのには大きな理由がある。それは、メデューサが「元人間」であるとする伝説だ。


 占星術の秘法は、もともと太古の昔に天の星を司る「神々」から人間に与えられたものだ。星座の守護を受け、権能を授けられる名家の一族は、その神話の時代にエルド王国の建国に携わった人々の末裔であるとされる。


 ところが、建国の使徒たちのうちには、神々の術を盗んで、自分が神にとって代わろうという野望を持つ者たちがいた。怒った神々は、その者たちを化け物に変え、その目に邪眼を、その頭に毒蛇を植え付けた。


 こうして彼女たちは、神から盗んだ呪いの術で強大な力を得た代わりに、人類と対立し、仲間同士でもお互いの邪眼と蛇のために傷つけあってしまう、永久に孤独な存在となった……と、言い伝えられている。


 メデューサと人類との戦いの歴史は何千年にも及ぶが、最近あったメデューサの反乱は、他でもないクラリス様によって鎮圧されたはずだ。

 二年前、クラリス様は、およそ一世紀ぶりにメデューサ族が集団になって起こした暴動を抑え込み、アルブス地方の巨大洞窟の中まで追いやった。その功績が認められて、紅騎士団団長に叙任されたのだ。


 今後しばらく、メデューサは地上へ出てこないだろう。そう言われていたのに、なぜ、王都のど真ん中の地下にメデューサがいる?


『おのれ人間』


 メデューサが口を開いた。そこには、鋭い牙が覗いて見える。赤くて長い、蛇のような舌を空中で遊ばせたメデューサは、すぐにでも襲いかかってくるかと思ったが、


『貴様の着物……見たことがある……。赤い布地に金の薔薇……』


 などと、ぶつぶつ呟き始めた。私は斧の柄にかけた手を強く握って、後ろのオリバーに声をかけた。


「オリバー、私があれの相手をするから、あなたはハネルを守って逃げて」

「……」

「オリバー?」


 彼からの返事がない代わり、ハネルの不安そうな「メェ……」という鳴き声が聞こえた。メデューサはなおも独り言を続けている。


『"奴"が着ていたものと同じ……あの黒い悪魔……銀の目をした化け物め……そうか、近くにいるか。あと少しだ』


 黒い悪魔? 銀の目?

 まさか、それって……。


 私は斧をベルトから抜いて構えた。急に戦闘態勢に入った私を見て、メデューサは馬鹿にしたように笑った。


『貴様のような雑魚に用はない。我々はこの国の悪姫に復讐をしにきたのみ。死にたくなければ奴と引き合わせろ』

「断る。クラリス様の手を煩わせるまでもない」


 毅然として聞こえるように叫んだが、声が裏返りそうだ。

 緊張が身体を強張らせる。まずい。初めての戦闘に加えて、相手がクラリス様を狙っていると思うと、色々な思念が頭をよぎって、全然冷静になれない。やっぱり私はまだ素人なんだ。

 握った斧の震えを見破られたのか、メデューサはふっと息を吐いて、


『こんな所で時間を浪費したくはないのだ。雑魚は雑魚同士で潰しあっていろ』


 その言葉が耳に届く前に、背後で剣が鞘から抜かれる音がした。私は反射で最初の一撃を避けて、後ろを振り返った。


「オリバー! なんで?!」

「目がチカチカする……。気分がひどく重いんだ」


 剣を握り直すオリバーの目は、メデューサのそれとそっくりに白く発光していた。

 邪眼!


『おや? 貴様には効かないのか、小娘。さては星座の守護も受けていない卑賤な人間だな? まあいい。出しゃばって騎士になどなってしまったことを後悔しろ』


 メデューサはそう言い捨てて、素早く道の向こうへ消えてしまった。


 私はそれを追いかけようとしたが、オリバーに阻まれる。繰り出される攻撃を斧の刃を盾にしてかわし、大きく後ろに飛び退いた。ハネルも慌てて「メェメェ!」と私のもとへ逃げてくる。

 オリバーは剣を構えて言った。


「手合わせ、ここでするか? 最初で最後になるだろうが」

「オリバー、少なくとも私はあなたを死なせない。殴って正気に戻して宿舎まで連れ帰る」

「優しいな、ルイーゼ。そんなお前を殺したくてたまらない俺は、やっぱり駄目な奴なんだろうな」


 オリバーの剣先がきらりと鈍く輝いた……。

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